スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&入院の意向

2018-10-26 19:11:34 | 将棋
 19日に鶴林寺で指された第8回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。対戦成績は梶原宏孝四段が1勝,大橋貴洸四段が0勝。
 加古川市長による振駒で梶原四段の先手となり大橋四段の横歩取り。先手は青野流に構えた後,ひねり飛車模様に組みました。ただこれは手数を掛け過ぎなので,僕にはあまり優秀な作戦とは思えなかったです。
                                     
 5筋の位を取った後手に先手が玉頭を受けたところ。ここで後手は☖7四歩と突きました。これは先手の攻めを催促する意味があり,ここではよい判断だったと思われます。
 先手は☗9四歩☖同歩と突き捨てて☗9三歩と垂らしました。後手は一旦☖8五歩☗同飛とさせてから☖9三香。
 本来はここで☗9二歩と打てなければ攻めは成立していないと思われますが,それには☖7三桂があって間に合いません。よって☗8六飛と引かざるを得ませんでした。
 後手は☖2九歩成☗同銀と成り捨てで形を乱してから☖7五歩。先手も☗2二歩☖同金と形を乱しました。
                                     
 第2図から先手は☗8三歩成☖同金☗9二歩と攻めていったのですが,これが方向違いで決定的な差をつけられることになりました。第1図から2図の途中での☗9二歩が間に合わないなら第2図になればなおのこと間に合わないということでしょう。☗8五桂ならまだ戦えていたようです。
 大橋四段が先勝。第二局は20日の午前に指されました。

 7月15日,日曜日。夕食の後,母は吐き気を感じました。吐き気止めであるドンペリドンが残っていましたので,それを服用したところ,治まったとのことでした。ただこの頃から,入院することも視野に入れなければならないと考えるようになりました。
 7月17日,火曜日。16日が休日でしたので,この日に妹を通所施設に送りました。
 午後1時10分に訪問医の往診があり,そのときに母が入院したいという意向を伝達しました。医師はすぐに手続きをしてくれまして,翌日にみなと赤十字病院の緩和病棟に入院できることになりました。父は最後は緩和病棟で死にましたが,入院したときは消化器内科の一般病棟で,その後に緩和病棟へ移動になっています。これはタイミングというものもあったでしょうが,すぐに緩和病棟に入れると決まったのは,幸いであったといっていいでしょう。
 午後1時半には訪問看護もありました。このときに,翌日から入院するということを看護師にも伝達しました。看護師は母の食事の量が減少傾向にあったので,入院することは考えておいた方がいいとは思っていたものの,時期尚早だと判断していたようです。ただ,母自身が入院を希望するなら,その方がよいであろうと答えました。
 みなと赤十字病院の消化器病棟から退院した日に,訪問医療および訪問看護のための送り状を受け取りました。これと同様のものが,今度は訪問医と訪問看護師から,緩和病棟の医師および看護師に対して必要になります。ただそれはこの時点では用意することができていませんでしたので,この日のうちに医師と看護師が,病院の方へFAXで送付してくれることになりました。この日が,母が家で過ごす最後の夜になったわけです。
 7月18日,水曜日。これまで病院に行くときには,道でタクシーを捕まえていました。ただすぐに見つかるわけではありませんから,待たなければなりません。もう母に待たせるのは気の毒でしたので,タクシーを呼んで近くまで来てもらうつもりでいました。それで朝のうちに配車センターに電話をしたのですが,どういうわけだかどの会社のセンターにも電話が繋がりませんでした。
コメント
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