スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京中日スポーツ賞金盃&演繹法と帰納法

2012-02-15 18:59:30 | 地方競馬
 別定戦なのですが,ハンデ戦かと思えるくらい斤量に差がついた第56回金盃
 枠順や能力差もあり,マグニフィカの逃げとなるだろうと思っていましたが,これは予想通り。ゴーディーが2番手に控え,マズルブラストが3番手。ネイキッド,トーセンゴライアスはほとんど差がなく,スマートインパルスはその後ろ。トーセンルーチェとロードキャニオンがいて,カキツバタロイヤルはその後ろ。前半の1000mは62秒7ですから,純然たるミドルペースといえそう。
 ゴーディーは早めに後退し,マズルブラストが2番手に上がって直線。ここでスマートインパルスに先んじてトーセンルーチェが追ってきて,マズルブラストをあっさりと抜き去ると楽々と抜け出して快勝。さらにスマートインパルスとタートルベイが並んで追い込み,マズルブラストを捕えました。この2頭は接戦となりましたが,2着はタートルベイの方で,スマートインパルスは3着まで。
 優勝したトーセンルーチェはJRAで3勝し,昨春に南関東に転入。2戦目以外は掲示板を確保し続け,ここで待望の南関東重賞初制覇。斤量に恵まれているのは確かでしたが,非常に鮮やかな勝ち方で,この内容であればまだ活躍できると思いますし,少なくとも大崩れしてしまうことはないのではないかと思います。半兄は現役で大レース6勝のフリオーソ。さすがにその域まで到達するのは無理でしょうが,兄が高齢まで活躍していますから,6歳とはいえ,今後も楽しみな馬だと思います。Luceはカワカマスという魚。
 騎乗した船橋の張田京[たかし]騎手は一昨年の東京プリンセス賞以来となる久々の南関東重賞制覇で第46回,第49回,第50回を制していて金盃4勝目。管理しているのは船橋の川島正一調教師で,こちらは金盃は初勝利。

 人間の精神mens humanaが,十全にであれ混乱してであれ,ある個物res singularisを認識するということをスピノザの哲学に則して考える場合に,まず外してはならない最も重要なことは,第一部公理三に関係すると僕は考えます。すなわち,ある結果が発生するためには,その結果を必然的necessariusたらしめるような原因が必要であり,この原因の探求がまず要請されるということです。つまり,人間の精神がある個物を認識するということは,実はある結果なのであって,その個物を必然的にnecessario認識するような原因がどこかに求められなければならないということになります。逆にいえば,その原因さえ明らかになるならば,なぜその人間の精神がその個物を認識したのかということが,たちどころに明らかになるのです。これがスピノザの哲学の一般的な方法です。そしてこれ以外の方法をスピノザは認めません。いい換えれば,実はこの場合に限らず,どんな事柄を考察する場合においても,演繹法だけがスピノザの哲学においては有効な方法であるということになります。
 一方,第二部定理九の記述というのは,基本的に個物Aの観念ideaの原因は個物Bの観念であり,個物Bの観念の原因は個物Cの観念であり,という具合に,この連鎖が無限に続くというようになっています。つまりこの記述自体は,結果から原因へと遡及していくような帰納法的な記述となっているわけです。第一部定理二八にしろ,第二部定理九にしろ,そこで「無限に進む」といわれている事柄が,実はある消極的要素を含んでいると考えられるのも,こうした理由からでした。
 このことから分かるように,本来は演繹的に考えられなければならない人間の精神による個物の認識cognitioに関して,これを帰納法的に記述されている第二部定理九をそのまま利用するというわけにはいきません。利用するわけにはいかないというよりも,端的に第二部定理九は利用できないといった方が正しいでしょう。
 僕の今回のテーマ設定の意図は,実はこの部分に大きく関係しているのです。第二部定理九は,それ自体では確かに帰納法的記述です。しかしこの定理Propositioを,演繹法的に理解するということは,本当に不可能なことなのでしょうか。これが第一のテーマです。
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