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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ユニバーサル杯女流名人位戦&佐藤拓司の結論

2013-02-05 18:55:11 | 将棋
 3日に岡山県真庭市で指された第39期女流名人位戦五番勝負第三局。
 里見香奈女流名人の先手。上田初美女王が居飛車を選択。先手が三間飛車石田流から銀冠,後手は銀冠で5筋の位を取る持久戦になりました。この将棋は中盤入口の小競り合いの段階で差がついたように思います。
                         
 ここで後手は△5六歩と突き出しました。先手は▲7四歩△同歩の突き捨てを入れて▲5五歩。△4五歩と打ちたい局面だったと思うのですが,それでは不利になると断念。△6三銀と引きました。
 それが昼食休憩に入る局面。僕はこの時間にアクセスし,これは▲6五歩と突けば先手がよさそうだと思ったのですが,実戦も▲6五歩△4四歩▲5六飛と進みました。
                         
 勝敗に直結するものではないでしょうが,ここでは後手の模様が明らかに悪くなっているように思います。実戦はここから先手が有利を拡大していき,終盤もほとんど緩むことなく寄せきりました。先手の快勝譜といえる将棋ではないでしょうか。
 里見名人が勝って防衛に王手。第四局は15日です。

 『堕天使の倫理』の当該個所で,佐藤拓司はひとつの実例を用いています。その概略は以下の通りです。
                         
 僕たちは何かを食べると,胃腸がそれを消化します。しかしこうした運動が生じたとしても,その部分の合一のあり方,佐藤が依拠しているのはここでは第二部自然学②補助定理四ですが,その運動がこの補助定理で述べられている内容と同一のものである限り,そこでどのような運動が生じていたとしても,その人間の精神はそれを知覚するということはありません。すなわち,人間の身体を構成する部分の中には,その人間の精神によって知覚され得ないような事柄が生じ得るということを佐藤が認めるとき,その具体的な実例を,佐藤はこのような現象として理解しているということになります。
 しかしもしもこのとき,消化不良のような現象が生じるならば,それは全体としての人間の身体の本性が変化するということになります。すなわちそれは,前述の第二部自然学②補助定理四には該当しないような現象が生じているということになります。したがってそれは全体としての身体の中におけるある現象を意味することになります。よってその観念は,その身体の観念の本性によって説明される限りでの神,要するに第二部定理一三により,その人間の精神によって知覚されるということになります。いい換えれば佐藤は,第二部定理一二で示されている内容を,このような現象として理解しているといえるでしょう。
 そしてこの実例から読解する限り,佐藤は,人間の精神が自分の身体の中に起こることを認識するという場合の,人間の精神の認識の具体的な内容に関しては,実際に生じている具体的な事柄そのものではなくて,単に自分の身体に何らかの本性の変化が生じているということに留まると考えていると結論するのが合理的であるように僕には思えます。というのは,一般に僕たちが消化不良によって何事かを知覚する場合に,具体的に自分の身体のどの部分にどんな現象が生じているかを知覚することはなく,むしろ自分の身体の本性の変化だけを知覚していると理解するのが妥当だと思われるからです。つまり佐藤の結論は,僕の結論と同じであると僕は理解します。
コメント
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