スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝日杯将棋オープン&第二部定理二二

2013-02-09 19:16:29 | 将棋
 今年も有楽町朝日ホールでの公開対局となった第6回朝日杯将棋オープンの決勝。午前の準決勝を突破したのは渡辺明竜王と菅井竜也五段で対戦成績は渡辺竜王の1勝。
 振駒で渡辺竜王の先手。菅井五段はごきげん中飛車で③▲4八銀からの超速銀。持久戦となり長い駒組が続きました。
                         
 ここで△3一飛と引きました。対して▲2四歩と突いたのが機敏な好手で,本格的な戦い早々に先手が一本取ることに成功。△同角▲2二歩△4五歩▲同桂△4四金▲2一歩成△3五金▲3一と△2六金▲2四角△同歩▲5三桂不成と進展。
                         
 先手が駒得。桂馬が捌けてと金を作り,後手の金は辺境に位置していますから,相当に先手がよいと考えられます。このまま後手に勝負所を与えず,先手の押し切り勝ちとなりました。
                         
 優勝した渡辺竜王は第19期銀河戦以来6度目の棋戦優勝。朝日杯将棋オープンは初優勝。

 それでは現実的に存在する人間の精神が悲しむという場合に,その悲しみ自体がその人間の精神による認識の対象とはなり得ないのかといえば,そんなことはありません。現在の考察の課題という観点からすれば遠回りをすることになるのですが,このことについては正確に論理づけておきたいので,ここで第二部定理二二を援用しておくことにします。
 「人間精神は,身体の変状[刺激状態]のみならずこの変状の観念をも知覚する」。
 この定理を証明するのにまず注意するべきことは,人間の身体の刺激状態の観念と,刺激状態の観念の観念が,ふたつの平行論のうちの思惟属性内の平行論における同一個体であるという点です。このことはおそらくそれ自体で明らかであるといってよいと思います。そしてそうであるならば,第二部定理七からして,刺激状態の観念の観念の原因と結果の連結と秩序は,刺激状態の観念の原因と結果の連結と秩序が刺激状態の原因と結果の連結と秩序に同一であるといわれるのと同じ意味においてそれらと同一でなければなりません。延長属性と思惟属性との平行論は,思惟属性内の平行論とは異なった平行論であるとはいえますが,平行論であるという点では変わりなく,このことはそれが平行論であるということを構成する要素であるからです。
 次に,第二部定理一二によって,人間の身体の刺激状態の観念は,その身体の観念の本性によって説明される限りで神のうちにあります。そしてこの秩序が,刺激状態の観念の観念の場合にも同一でなければならないのです。したがって人間の身体の刺激状態の観念の観念もまた,その人間の身体の観念の本性によって説明される限りでの神,要するに第二部定理一三により,その人間の精神のうちにあるということになります。したがって人間は,自分の身体の刺激状態の観念の観念を有する,いい換えれば自分の身体の刺激状態の観念をも認識するということになります。実際には思惟属性内の平行論というのは,Xの観念,Xの観念の観念,さらにその観念といった具合に,無限に進行させることが可能です。その場合,同一個体である観念については,すべてこの定理が妥当すると考えられます。
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