スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

よしこの賞&無限定

2007-08-11 22:44:02 | 競輪
 小松島記念2日目優秀のよしこの賞
 前受けをしたのは渡部選手。中団が山内選手,後方が小嶋選手での周回。残り2周のホームで上昇してきた小嶋選手が渡部選手を抑えると,このラインを追走した山内選手がさらに抑え,南関東3車が前に出きったところで打鐘。ここから渡部選手がかまして発進すると,四国の4車が前に出て,残り1周のホームでは一列棒状に。バックから小嶋選手が発進すると,中団で構えていた山内選手もこれに併せて発進しましたが,渡部選手の番手の堤選手がうまく牽制して前に出させず。ここで渡部選手と堤選手の車間が少し開きましたが,直線に入り堤選手が踏み込むと,渡部選手を差して1着。堤選手マークの小倉選手が2着で,逃げた渡部選手が3着。四国の上位独占が決まりました。
 一言でいって今日は四国勢の作戦勝ち。ラインが4車と最も長かったこともありますが,前を取って,あっさり引いてかましていくというのが当たりました。小嶋選手を8番手に置くことに成功したのも,展開的に少し楽になった一因でしょう。逃げた渡部選手,番手の堤選手ともによい仕事をしたと思います。
 ゴール後に落車がありまして,小嶋選手が肩甲骨と肋骨の骨折。残念ながら明日から欠場となっています。競輪選手にとってはこの程度の骨折はよくあることではありますが,ずっと勝ち続けていただけに心配ではあります。

 本題に入っていく前に,『エチカ』ではもうひとつ,無限定indefinitumという語が出てきますので,これについて説明しておきます。もちろんこれは,無限infinitumとはまったく異なった意味のことばですから,混同してはならないわけですが,僕たちが無限ということばからイメージするものは,むしろスピノザが無限定ということばで示そうとしている事柄に近いかもしれません。ですので,無限と無限定を混同しないようにするということは,常に注意しておかなければならないことであるといえると思います。
 『エチカ』において無限定ということばは,代表的には第二部定義五において,「持続とは存在の無限定な継続であるDuratio est indefinita existendi continuatio」という仕方で登場します。しかしその実,この無限定ということばがどのような意味を表しているのかということを,スピノザは『エチカ』の中でははっきりと説明していません。そこで岩波文庫版の訳者である畠中尚志による訳注に倣い,ここではそれを,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』第二部定義四に示されているのと同じ意味で解釈することとします。そしてそこにはこうあります。「無限定とはその限界(もしそうしたものがあれば)が人間の知性によって探求され得ないところのものである」。
 これでみれば分かるように,無限というのが文字通りに限界のないものを意味するのに対し,無限定というのは,本当はそれには限界がある,すなわちこれは有限finitumであるということを意味しますが,本当は有限であるけれども,その限界を人間の知性intellectusが把握することができないもののことを意味します。したがって,あるものが無限定であるといわれる場合には,実はそのものは有限であるということを含意していると考えるべきであるということになります。
コメント
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