スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&優越性の否定

2007-08-24 23:09:34 | 将棋
 僕の展望ではこの勝者が挑戦者になる予定の竜王戦の挑戦者決定トーナメントの右の山の準決勝。振駒で先手は羽生善治三冠。佐藤康光二冠はごきげん中飛車を目指しましたが5手目の▲6八玉を見て△3三角。遠山四段によればこの手は本来は成立しない筈だそうで,確かに角交換後に▲2五歩とされると,▲5三角を防げば2筋を突破されますし,2筋を受ければ馬を作られるように思えます。ただ羽生三冠は自重し,後手の向飛車になりました。
 先手はすぐに角を打って,歩得を果たした後,31手目に▲4三角成と強襲。ただ,▲4四銀と打って▲3五銀引となったあたりでは,あまりうまくいったとはいえないような気もします。
 すると今度は42手目に△3五角から後手が強襲。このあたり,隙があるとみればいくタイプの棋士同士の対戦ということもあり,スリリングで非常に面白い将棋と思います。陣形に差があり,飛車を取って打ち込めましたので,この攻めはうまくいったのではないでしょうか。
 この後,せっかく作った龍を自陣に引かされ,ピンチにも思えました。実際,控え室の検討では先手が有望とみられていたようです。しかし81手目に▲2五角と金銀両取りを掛けさせてからの収束が見事。詰めろの連続で先手を投了に追い込みました。最後は後手玉への手掛かりだった角も自陣に戻らざるを得なくなってしまいましたので,投了もやむをえないでしょう。僕の印象だけかもしれませんが,38手目から△8二玉▲5八金という二手の交換が,結果的に勝敗を左右したように感じます。
 勝った佐藤ニ冠は木村一基八段との挑戦者決定戦に進出。これは三番勝負で,第一局は9月4日に指される予定です。

 明日からいわき平記念が始まります。競輪でグレードレースが重複して開催されるのはきわめてまれ。こちらは山崎選手が中心でしょう。

 第二部定義六の意味というのは,たとえば,人間の実在性はどの人間にとっても同一であるから,完全な人間と不完全な人間がいるわけではないということだけに,実はとどまらないのではないかと僕は考えています。というのは,事物の完全性というのがその事物の実在性と完全に同一の意味であるとしたら,各々の事物の完全性というのは,それら各々の事物の実在性が相違するだけ相違するということになるように思うからです。
 僕は以前に,精神の優劣ということに関して,人間の精神というのは人間の身体の観念であって,人間の身体というのは多くの物体から影響され,また多くの物体に対して影響する適正に優れているがゆえに,ほかの物体の精神よりも優れていると考えることができるという意味のことをいいました。ある精神をほかの精神と比較したときに,より多くのことをなし得るということをもって優れているというなら,これは確かに正しいと思います。しかし,だから人間はほかの物体より完全であることにはなりません。なぜなら,各々の物体には各々の物体に特有の完全性があると考えるべきだと思えるからです。
 たとえば,内角の和がニ直角であるという性質を有するのは三角形だけです。しかしだれもこのことをもって三角形がほかのいかなる物体よりも完全であるとはだれも認めないでしょう。人間の本性に属するようなことを理由に,それを事物の完全性の証にするのは,実はこれと同じことだと思います。もしも三角形が喋ることができれば,きっと三角形は三角形が最も完全な物体であるというのではないでしょうか。そうではなくて,人間には人間の,三角形には三角形の完全性があり,それを比較することはできない,つまり事物はその完全性によってあるものがほかのものに対して優越的であることはできないということが,第二部定義六には含意されていると僕は考えています。
コメント
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