スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&実際の問題

2007-08-30 21:51:32 | 将棋
 王位戦七番勝負第五局
 注目の封じ手(53手目)は▲6五歩でした。後手の深浦康市八段の攻めを呼び込む可能性もある手と思いますが,先手の羽生善治王位としては,局面をはっきりさせてしまおうという意図があったのではないかと思います。
 ここから後手も苦心して手を繋ごうとしましたが,65手目に▲6五歩と銀を取られた局面では少し切れ模様でしょうか。この後,先手に飛車を切らせて72手目に△3八飛と打ち込みましたが,ここで▲7八金打と受けられた局面では,先手がはっきりと優勢といえそうです。
 この後の先手の反撃が強烈。羽生王位は79手目の△4三歩で勝ちを意識したようですが,全体的にみると,少し攻められはしたものの快勝といえるのではないでしょうか。僕の印象だと,すでに封じ手の局面において厳密には先手の方がよく,そのまま勝ちきったということだと思います。僕は後手が玉が4一のままで攻撃に出たことを不安視しましたが,深浦八段は銀が5三で角道を止めたまま攻めに出たのがまずかったと言っています。
 これで羽生王位の2勝3敗。深浦八段としては,先手となる次の第六局が重要な一番になりそう。その第六局は9月10日と11日に指されます。

 このような実在的視点を導入することによって,事物が無限であるということが,その事物の存在の絶対的肯定であるということを無条件にみなすことができるかどうかということを別としても,スピノザが第一部定理八の別の証明で前提しているこのことに関しては,少なくともその内容,つまり,絶対に無限であれ自己の類において無限であれ,無限であるといわれるものは,自然のうちに実在する限り,永遠なものとして実在するということは明らかであって,仮にそれが自明の前提ではないとしても,永遠なる実在というのが,存在に関する絶対的肯定であるということは覆しようがなく,何らかの誤りが含まれているということではありませんので,実際の問題としては,ここから何らかの不条理な事柄が結論されてしまうというわけでもありません。そこで,この問題に関してはこれくらいにして,ここでスピノザが無限をある絶対的肯定とみなし,有限をある部分的否定とみなしていることに注目を移すことにします。
 ある事物が有限であるということは,第一部定義二により,その事物が,ほかの事物によって限定されるということを意味します。もちろんこれは,とくにスピノザの哲学に訴えなくても,それ自体で明らかだと思います。逆に無限であるものは,そのような限定を受けないのであって,これは無限の性質のひとつです。そしてこのことが,無限であるということが絶対的肯定であり,有限であるということが部分的否定であるということと,関係していると僕は考えているのです。
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