スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&唯名論

2007-07-11 22:49:45 | 将棋
 王位戦七番勝負第一局は,挑戦者の深浦康市八段が勝利,幸先のよいスタートを切りました。
 この将棋の土台となっているのは2月に指された王将戦第五局。このときは羽生王将が後手でしたが,封じ手の直前まで同一の局面でした。その王将戦は後手の攻めを先手の佐藤棋聖が凌いで勝ったわけですが,この将棋は攻め合いに。難しい矢倉ですし,今日は途中経過をまったく見ていないこともあり,確たることはいえませんが,96手目に☖5六銀と打ったところでは後手が優勢であると僕には思えます。
 この後,103手目の☗7五角の王手成銀取りは後手としても折込済みでしょう。105手目,すぐに☗5七角は☖8八と~☖9九飛成でまずいので一旦☗9七香。ここから先手が粘りましたが,114手目の☖5六歩が好手で,ここからは後手の勝ちになっているのではないかと思います。
 先手が最後の反撃をし。123手目に☗1五飛と走りましたがこの瞬間に☖5七桂の王手。ここで☗5九王は☖2六馬の王手飛車で先手は見込みがありませんから☗同角でしたが,ここから長手順の即詰みになりました。この手順中,132手目の☖4五桂以下☗同歩☖5六歩☗同王☖4五銀というのは会心の手順という感じ。投了以下は☗7八同王に☖5六桂と打ち☗5八王☖5七香☗同王☖3九角以下で詰むようです。
 土台となった将棋に比べていうならば,この将棋は後手の攻めがうまくつながったということではないかと思います。先手としては,もっと徹底的に受ける将棋にした方がよかったのかもしれません。
 挑戦者の先勝で,シリーズは面白くなったといえると思います。第二局は24日と25日に指されます。

 明日からは四日市記念。ここは小嶋選手が中心です。

 こりん星の場合であれペガサスの場合であれ,人間の精神mens humanaがそれを表象するimaginariとき,神Deusのうちにあるその十全な観念idea adaequataは,それらのことばの説明の観念ideaであるわけです。そこでこれを逆に考えれば,こりん星にしろペガサスにしろ,説明さえ与えられていれば,それがどのような名前で呼ばれようと,人間はそれを同様に表象し,したがって,神のうちにある十全な観念も,同様の観念としてあるでしょう。実際,ペガサスというのは天空を駆ける翼のある馬に,便宜的に命名されただけにすぎないと考えられますし,こりん星というのも,小倉優子によってそう命名された星と考えることができ,別にそれらは異なった名前であってもよかったわけです。むしろ,ペガサスもこりん星も,別の名前で同様の説明が与えられるのであれば,人間はその説明によって,今はペガサス,あるいはこりん星といわれているものと同じものを,与えられた別の名前によって表象することになるでしょう。
 これを一般的にいうと,あるものがどのように呼ばれるか,あるいはどのように命名されるのかということは,さして重要ではないということになります。哲学では,こういうのを唯名論といいますが,基本的にスピノザの考え方自体は唯名論的です。それはこのような混乱した観念idea inadaequataに関係するだけではなく,たとえば最も重要な定義Definitioであると考えられる第一部定義六の場合でも,重要なのはそれが絶対に無限な実有ens absolute infinitumであるということなのであって,それを神というのは,ある意味では便宜的にすぎないといえるからです。これはここでのテーマとは直接的には関係しませんが,もう少し考えてみることにします。
コメント
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