スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典ジャパンダートダービー&日程

2021-07-15 19:07:43 | 地方競馬
 昨晩の第23回ジャパンダートダービー
 キャッスルトップが押してハナへ。4馬身くらいのリードになりました。2番手にはロードシュトローム。6馬身差の3番手にゴッドセレクション。4番手にウェルドーン。5番手にブライトフラッグ。6番手にリプレーザとジョエルとスマッシャー。9番手にギガキング。10番手にセイカメテオポリス。11番手にロングランとダノンブレット。5馬身差の最後尾にキラカイドウという隊列。前半の1000mは62秒6のミドルペース。
 3コーナーでキャッスルトップのリードは3馬身くらい。ここからロードシュトロームが差を詰めていくと,その外からゴッドセレクションとウェルドーンが追い上げていき,4コーナーでは4頭が雁行。逃げたキャッスルトップが外に持ち出したので,開いた離れたインコースにリプレーザが進路を選択。スマッシャーは大外から。ロードシュトロームは脱落。ゴッドセレクションとウェルドーンが並んでキャッスルトップを追いましたが,キャッスルトップはしぶとく粘り,一杯に逃げ切って優勝。アタマ差の2着にゴッドセレクション。アタマ差の3着にウェルドーン。クビ差の4着にスマッシャー。
 優勝した船橋のキャッスルトップは昨年10月にデビュー。なかなか勝利をあげられず,今年の5月に9戦目で初勝利。するとその後に連勝。3連勝でここに挑戦。さすがに相手が違うので厳しいかと思いましたが,見事に大レース制覇を達成。人気薄のノーマークの存在で楽に逃げることができたのが最大の勝因でしょうが,2着から5着まで,実績で優る馬が占めていますので,実力馬の凡走に助けられての勝利というわけではありません。よって相応の評価が必要かと思います。父は2008年にJBCスプリント,2009年にクラスターカップ東京盃を勝ったバンブーエール。母の父はマヤノトップガン
 騎乗した船橋の仲野光馬騎手はデビューから7年1ヶ月で重賞初勝利となる大レース初制覇。管理している船橋の渋谷信博調教師は開業から16年3ヶ月で重賞初勝利となる大レース初制覇。

 「自由意志と目的論の帰趨」に関連する論考はこれですべてです。『スピノザ―ナ10号』は,この論文の後に,柴田寿子の論文についての川添美央子の論評である「スピノザはリベラル・デモクラシーにどう切り込むか」という書評が含まれていますが,これは政治論を主眼としたものであり,このブログでは扱いません。ですのでこの冊子に関連するすべての考察がこれで終了ということになります。よって今日からはまた日記に戻ります。
                                        
 僕がこの冊子を読み終えたのは昨年の7月13日のことでした。
 7月15日,水曜日。10日に予約しておいた歯科検診でした。予約は午前10時から。僕は歯科検診は概ね3ヶ月の間隔で通っていましたが,このときは5ヶ月ほどの間隔になりました。これはもちろん,新型コロナウイルスの影響で,不要不急の外出というのを避けていたためです。間隔はいつもより長くなっていましたが,クリーニングの時間はいつもと変わることはありませんでした。よく磨けていたようです。
 午後4時に,父のきょうだいの長男から電話がありました。これは日野公園墓地に埋葬されている僕の父および父の両親の遺骨を,お寺の会堂内の納骨堂へ移す日程のことでした。伯父は石材店と相談して適切な日を決めたのですが,お寺の都合もありますので,伯父との連絡の後で僕の方からお寺の奥さんに電話をして,お寺の奥さんと伯父との間で正式な日程を決定してもらうように依頼しました。それで決定したという連絡を受けたのですが,実際には連絡がうまくついていなかったようです。しかしこのことが発覚したのはその当日になってからでしたので,具体的なことはそのときに書くことにします。
 7月22日,水曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。これは昨年は23日と24日が祝日となっていたためです。前の週の金曜日に迎えに行くと,月曜日に送って水曜日に迎えに行くということになり,これは大変ですので,17日の金曜日は迎えに行きませんでした。
 7月27日,月曜日。妹を通所施設に送り,その帰りに日野公園墓地に墓参りに行きました。遺骨を移す前に石材店の社長に会っておきたかったのですが,不在でした。
コメント
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