スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

阿波おどり杯争覇戦&優越性

2021-07-04 18:54:45 | 競輪
 小松島記念の決勝。並びは佐々木‐和田の東日本,町田‐池田の瀬戸内,太田‐小川‐小倉の徳島で中井と山田は単騎。
 佐々木がスタートを取って前受け。3番手に中井,4番手に山田,5番手に町田,7番手に太田で周回。残り3周のバックの出口から太田が上昇開始。町田は被せられるのを嫌ってかすぐに下げました。ホーム後のコーナーで太田が佐々木を叩いて前に出ると,早めに引いていた町田が発進。バックで太田を叩いて打鐘。3番手に太田,切り替えた山田が6番手,7番手に佐々木,最後尾に中井という隊列のやや長めの一列棒状。バックから太田が発進。町田の抵抗はありましたが乗り越え,捲り切って直線に。そのまま粘って優勝。太田と小川の中を割った小倉が1車輪差で2着。小川が半車輪差の3着で地元勢の上位独占。
 優勝した徳島の太田竜馬選手は3月に松山のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は一昨年12月の佐世保記念以来で通算5勝目。小松島記念は一昨年に制覇していて2年ぶりの2勝目。このレースは現状では町田と太田の脚力が上位。太田は地元3人のラインになったので,あるいは早めに駆けていって後ろのふたりを引き出すという競走になるのかと思いましたが,自分が勝てるような競走になりました。町田も四国勢とは多くの連携がある筈で,意図的ではなかったとしても,中国と四国の5人で結束するようなレースになり,太田には余計に有利になりました。

 『エチカ』には優越性に関する記述はありません。スピノザがこのことについて詳しく語っているのは,フーゴー・ボクセルHugo Boxelに宛てた書簡五十六です。この中でスピノザは,もしも三角形が話す能力potentiaを持つとしたら,神Deusは優越的にeminenter三角であると言うだろうし,円は円で,神の本性naturaは優越的な意味において円形であると言うだろうと指摘しています。これはボクセルが,神が人間的な意味において意志したり認識したり考えたり見たり聞いたりするということを優越的に含んでいると思っているということを,ボクセルがスピノザに宛てた書簡五十五から看破したので,それを批判しようという意図をもっています。しかしここではこのことを,それとは別の角度から,それ自体の意味として考えていきます。
                                         
 スピノザはここでは三角形や円が話す能力を持つとしたらという仮定をしています。ですがこれは,三角形や円が神のことを表象するimaginariことができるとしたらという仮定に置き換えることができます。そしてもしも三角形が神を表象したら,神は優越的に三角であると認識するcognoscereようになるという意味です。同様に円は円で,もしも神を表象したとしたら,神は優越的に円である,あるいはスピノザのいい方に倣うなら,神の本性は優越的に円形であると認識するようになるという意味です。そしてこれが意味するのは,このことが三角形や円にだけ妥当するというわけではなく,すべてのものに妥当するということです。そしてすべてのものに妥当する以上は,これは人間にも妥当するのです。したがって,人間は神を表象したら,神のうちに人間的本性が優越的に含まれているというように錯覚するようになるのです。つまりスピノザは,ボクセルがある錯覚をしているということをいいたいのです。
 このことから帰結するのは,何らかのものの本性が神のうちに優越的に含まれているということは一切ないということです。したがって社会的結合と関連させていうなら,人間的な結合が神のうちに優越的に含まれているわけではありません。むしろ三角形は三角形的結合が,円は円的結合が神のうちに優越的に含まれると認識するというように考えるべきなのです、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする