スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&2020年9月の通院

2021-07-20 18:55:44 | 地方競馬
 メイセイオペラ記念の第25回マーキュリーカップ
 逃げたのはホーリーブレイズ。2番手にマスターフェンサーで3番手にバンクオブクラウズ。押しながら4番手を追走したのがデルマルーヴル。この4頭はそれぞれ1馬身から2馬身の間隔。ここから3馬身差でヒストリーメイカー。6番手にブラックカード,ラストマン,ニシノゲンキマルの3頭。9番手にエンパイアペガサスとクインズサターン。7馬身差でセンティグレードとヤマショウブラック。5馬身差の最後尾にメイショウオオゼキ。各馬が馬場の中ほどを周回するレースになりました。スローペース。
 3コーナーを回るとマスターフェンサーがホーリーブレイズに並び掛けていき,コーナーの途中で前に出ました。追ってきたのはバンクオブクラウズ。直線の入口ではマスターフェンサーが先頭で単独の2番手にバンクオブクラウズ。ここでの差が直線でも縮まらず,直線先頭のマスターフェンサーが優勝。バンクオブクラウズが2馬身差で2着。4コーナーで3番手まで上がってきていたヒストリーメイカーは,バンクオブクラウズにはまた離されましたが10馬身差で3着。最後まで押しながらのレースになったデルマルーヴルが1馬身差の4着で外からデルマルーヴルに迫ったラストマンはクビ差で5着。
 優勝したマスターフェンサー名古屋グランプリ以来の勝利で重賞4勝目。第24回に続くマーキュリーカップ連覇。ここでは実績上位。そのために斤量は背負わされていましたが,能力面から優勝候補の筆頭と見立てていましたので,順当な勝利といっていいでしょう。この馬はまだ大レース級の強い馬との対戦経験に欠けているのですが,長めの距離であれば太刀打ちできる馬だと僕は思っています。父はジャスタウェイ。Master Fencerは剣豪。
 騎乗した松山弘平騎手は第21回22回に続く3年ぶりのマーキュリーカップ3勝目。管理している角田晃一調教師は第24回からの連覇でマーキュリーカップ2勝目。

 9月21日,月曜日。この日が秋分の日で彼岸会でした。彼岸会のときには塔婆が出ます。今までは先祖代々と父の塔婆は持ち帰り,後日に日野公園墓地内の墓に立てていたのですが,遺骨をお寺の会堂の中の納骨堂に移しましたので,この日は母の分も含め,すべての塔婆を会堂の中に立てて帰りました。日野公園墓地内の墓は遺骨を移したことに伴い,墓終いということになりましたので,僕は遺骨を受け取った8月3日以降は日野公園墓地には行っていません。
 9月22日,火曜日。妹を通所施設に送りました。
 9月26日,土曜日。土曜レクリエーションがありました。よってこの週は妹を迎えに行っていません。この日はキックストライクというゲームをしたとのことです。具体的にどのようなゲームであったかは分かりませんが,妹の話を聞いた限りでは,キーパーのいないPKのようなものだったのではないかと思われます。
 9月28日,月曜日。内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分でした。僕の診察の予約は午後3時がほとんどですが,この日は2時半でした。僕はそのことに,この日の予約票を取り出してから気付きましたので,いつもより早めに行くということはしなかったのです。
 中央検査室では3人の患者が採血を待っていました。なので先に採尿を済ませました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。僕の採血が終った時点で,午後2時20分を過ぎていましたので,そのまま内分泌科に向いました。
 診察が始まったのは午後3時5分でした。これは検査の結果が出るのに時間が掛かったためだと思われます。HbA1cは7.0%で,8月と同じでした。主治医はもう少し高くてもよいと言っていましたが,低血糖は9月初旬を最後に発症していませんでした。これは盛夏は過ぎたためでしょう。今後は自然とHbA1cも上昇していくのではないかと思えましたので,注射する量の変更は行いませんでした。
 この日はほかには何も異常が出ていませんでした。これは7月以来です。
 薬局にはインスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時15分でした。
コメント
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