スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典佐賀記念&粉瘤腫

2020-02-11 19:25:07 | 地方競馬
 第47回佐賀記念。ラモントルドールは小松騎手から出水騎手に変更。
 スーパーノヴァは加速が鈍く2馬身の不利。ラインカリーナ,ナムラカメタロー,テルペリオンの3頭が前に。枠なりにラインカリーナの逃げになりました。この3頭の直後をロードゴラッソとノーヴァレンダの2頭が併走。この5頭は集団。5馬身差でグレイトパールとウノピアットブリオの2頭。6馬身差でラモントルドール。6馬身差でホワイトウィングス。2馬身差でドリームリヴァール。4馬身差でコウエイワンマン。2馬身差の最後尾にスーパーノヴァと,発走後の向正面ですでにとても縦に長い隊列になりました。2周目の向正面でグレイトパールは差のない6番手まで追い上げることができましたが,ここを除けば前の5頭によるレース。ミドルペースでした。
 前の5頭から最初に脱落したのはテルペリオン。3コーナーを回ると逃げるラインカリーナの内に進路を取ったロードゴラッソと外を回ったナムラカメタローの3頭が併走。ノーヴァレンダがナムラカメタローの外から追い上げてくる形。直線に入ってラインカリーナは脱落。内のロードゴラッソと外のナムラカメタローの競り合いとなり,最後は外から競り落としたナムラカメタローの優勝。ロードゴラッソが半馬身差で2着。大外を回ったノーヴァレンダは3馬身差の3着まで。
 優勝したナムラカメタローは重賞初挑戦での勝利。初勝利は芝の短距離。5戦目で初のダート戦を使いこれは5着。6戦目から距離を伸ばして中距離に転じるとそこから5戦して4勝,3着1回。前走でオープンも勝ち,適性を示していました。ここは重賞としては軽いメンバー構成だったので,優勝候補の最右翼とみていて,優勝自体は順当なものだと思います。ただこれはあくまでもメンバー構成によるものであり,トップクラスとはまだ差がありそうです。母の父はマンハッタンカフェ。祖母は1991年に関屋記念とセントウルステークスを勝ったニフティニース
 騎乗した石川裕紀人騎手は佐賀記念初勝利。管理している稲垣幸雄調教師は開業から11ヵ月で重賞初勝利。

 7月12日,金曜日。水曜に予約を入れておいた歯科検診に行ってきました。午前10時からでした。
 7月13日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。なのでこの週は迎えに行かず,妹はグループホームで週末を過ごしました。
 7月18日,木曜日。先週の火曜に導師から電話があり,10日から延期されていた回向がありました。午前11時からでした。そしてこの日に,母の一周忌の期日が正式に決定しました。親戚にはこの日のうちに連絡を入れました。
 7月19日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 7月21日,日曜日。参議院議員の選挙がありました。妹が帰っていましたので,ふたりで近くの投票所まで行き,投票してきました。
 7月22日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 7月23日,火曜日。午前11時35分に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹の陰部にできものがあり,通院したところ切除する手術が必要とのことなので,手術を承諾してほしいとの内容でした。手術はすぐに終り,術後はすぐに帰れる,というのは通所施設なりグループホームなりにということですが,入院する必要はないということでしたので,承諾してもらえれば病院には来なくてもいいとのことでしたので,承諾しました。僕はこの日はこの後で伊勢佐木町に行く予定になっていて,その予定も変更しませんでした。
 このできものについてですが,電話では陰部とのことでしたが,僕が後で確認したところ,陰部というより下腹部といった方が正確だと思います。できものは粉瘤腫というもので,新陳代謝がうまくいかない結果,皮膚の下に老廃物が溜ってできる腫瘍でした。悪性のものではありません。粉瘤腫というのは良性の腫瘍の名称のようですが,病院では病理検査も行い,悪性ではないということを確認しています。なので正確にいうと,悪性ではないということが判明した後,この腫瘍は粉瘤腫であると診断されたということになるのでしょう。
 午後7時5分に,術後の経過について電話がありました。一週間は消毒のために通院するということと,3日分の抗生物質が処方されたことが伝えられました。
コメント
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