スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

叡王戦&一周忌

2020-02-17 19:14:30 | 将棋
 13日に指された第5期叡王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 渡辺明三冠の先手で角換り相腰掛銀。先手が9筋の位を取り,引き飛車から☗1八香と上がったところで後手の豊島将之竜王・名人から仕掛ける将棋に。
                                      
 先手の玉が寄ったところ。8八の金も自ら寄ってのもので,これはお世辞にもいい形とはいえません。このように組まざるを得なかった時点で先手の作戦負けだったように思えます。
 後手は☖7二角と打ちました。あまり見ない手ですが,間接的に1八の香車を睨んだ手。先手が香車を上がったのを咎めにいったといえるでしょう。
 先手は☗4五歩☖同歩と角の利きをひとつ遮断して☗2六飛と浮きました。この受けはこの後の展開からするとよくなく,もう玉砕も覚悟で☗1九飛と寄った方がまだましだったかもしれませんし,攻めに出ることはできなくても香車にヒモをつけておくだけの価値はあったかもしれません。
 後手は☖4四銀直と上がり先手は☗7七桂と跳ねました。この手もある意味では玉砕覚悟のような一手といえるのかもしれません。後手は☖3五歩☗同歩☖同銀と飛車取りに進出し,☗5六飛に☖3四歩と備えました。
                                      
 先手は手番は得ましたがあまり指したい手はありません。そこで前の手を生かして☗6五桂と取り☖同歩☗同銀としました。ただこれは☖4六歩☗同銀☖同銀☗同飛に☖5五銀と打たれ,☗2六飛に☖1八角成が実現することに。
                                      
 第2図となっては大差です。どうも先手は序盤の段階で問題があったようです。
 豊島竜王・名人が勝って1勝1敗。第三局は24日です。

 処置室から出てきた妹の両手の甲に,3か所の注射の跡がありました。腕から採血することは難しいので,手の甲から採血するということは,妹の採血の場合には普通のことです。ですがこれだけ何度もやり直したことは僕の記憶にはありません。それだけこの日は採血に苦労したということです。帰りに薬局に寄りました。妹の薬は足りないケースも多いですが,この日は処方された分のすべての在庫がありました。
 8月17日,土曜日。午後7時20分に父のきょうだいの三女の長男から電話がありました。翌日が母の一周忌だったのですが,自家用車で迎えに行ってもいいとのことでしたので,お願いしました。
 8月18日,日曜日。母の一周忌の法要でした。
 法要は13時から。少し早めに到着しておく必要がありましたので,前日に伝えた通り,12時15分に従兄に迎えに来てもらいました。これはこの日に住職から話があるためでした。話を聞いたのは僕と父のきょうだいの長男のふたりで,要件はこの後,日野公園墓地に埋葬されている僕の父と父の両親,つまり僕からみれば祖父母,一緒に話を聞いた伯父からすれば両親の遺骨を,会堂の中の個別の納骨堂に移すための手順についてでした。日野公園墓地の墓の名義人は伯父で,会堂の中の納骨堂の名義人は僕になっていましたので,ふたりで話を聞く必要があったのです。
 一周忌の法要は午後1時から。住職と導師のふたりが読経しました。こういう場合はふたり分の布施が必要になります。事前にお寺の奥さんが僕の家に来て打ち合わせをしたときに,このことは聞いていましたから,とくに慌てることはありませんでした。
 法要の後で,2階にある会堂に移動し,先に共同の納骨堂から出しておいた母の遺骨を納骨しました。ここでも読経がありましたが,この納骨は概ね20分弱で終了しました。この会堂の真下の位置に台所と食堂があり,そこで一休みしてから解散になりました。帰りも従兄に送ってもらいました。帰宅したのは午後2時40分でした。
 8月19日,月曜日。妹は夏休みが終わりましたので,この日に通所施設まで送りました。妹にしては予定の多い休みだったことになります。
コメント
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