スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

羨望の対象&個物の永遠性

2020-02-08 19:06:49 | 哲学
 羨望の特徴としては,次のようなことも挙げることができます。
                                   
 僕たちは他者が喜んでいると表象するimaginariと,自分も喜びlaetitiaを感じるという傾向conatusがあります。これは第三部定理二七から明らかです。人間のこうした傾向を,スピノザの哲学では感情の模倣affectum imitatioといいます。そしてこの感情の模倣は,,自分が愛する人が対象となった場合,さらに強化されるという傾向があります。こちらは第三部定理二一から明らかです。要するに僕たちは,他人が喜んでいるのを表象すると自分も喜びを感じるのですが,その相手が愛する人である場合とそうでない場合とを比較すると,その他の条件が同じ限りで愛する人が喜んでいる場合の方がより大きな喜びを感じるのです。
 羨望の条件として,他人の喜びを表象するということがあります。したがってだれかが自身が手に入れていない何かを手に入れて喜びを感じていると表象する場合も,条件が等しければ,愛する人がそれを入手して喜んでいる場合の方がその喜びをそれだけ大きく,というのはその人を愛している度合いに応じてより大きく感じるのです。
 このために,自分がそれを手に入れたと表象する場合の喜びも,それを手に入れた人が愛している場合ほど大きく感じられることになります。自分が手に入れていないものを他人が手に入れたのを表象し,それを自分が手に入れた場合の喜びを感じるのは,感情の模倣の一種ともいえるからです。そして第三部定理三七により,欲望cupiditasはその喜びの度合に応じて大きくなるのですから,羨望の度合もそれに応じて大きくなります。したがって僕たちは,そもそもが羨望を感じやすい現実的本性actualis essentiaを有しつつ生きているわけですが,愛している人とそうでない人を比べたら,愛している人に対してより大きな羨望を感じやすいのです。いい換えれば僕たちは,その人を愛していれば愛しているほど,その人に対して羨望を感じやすくなるのです。

 スピノザの一般性と特殊性の考え方は,何度もいったように,ものは一般的に認識されるほど混乱の度合が増し,特殊的に認識されるほど明瞭判然の度合が増すということです。このことを,僕たちがものを真に認識したときに知ることができるとしたらどうでしょう。もしそうであれば,僕たちはものを認識するcognoscereたびに,その認識cognitioより明瞭判然とした認識があると知る限り,そうした認識への欲望cupiditasを有するようになるでしょう。そしてものを最も特殊的に認識するとは,現実的に存在する個物res singularisを十全に認識するということにほかなりません。ですから,このことが成立する限り,第二種の認識cognitio secundi generisによって共通概念notiones communesという,思惟の様態cogitandi modiとしては一般性が個物の十全な観念idea adaequataより高いものを認識することによって,現実的に存在する個物を十全に認識しようとする欲望,つまり第三種の認識cognitio tertii generisによって個物を認識しようとする欲望が発生することになります。これはつまり,第二種の認識は第三種の認識に向かう欲望を発生させ得るという意味ですから,第五部定理二八の証明Demonstratioが成立していることになります。
 このようにすれば,仮に第二種の認識の永遠の相species aeternitatisと,第三種の認識の永遠の相が,第二種の認識と第三種の認識というように認識が区別されるのと同じように区別されるのだとしても,ものを第三種の認識で認識しようとする欲望は,第一種の認識cognitio primi generisからは生じ得ないけれど第二種の認識からは発生し得るということになります。なので,ふたつの永遠の相があるという見方も可能であると僕は思います。もしそのように解した方が『エチカ』の全体をよりよく理解できるということであれば,こうした解釈の余地を排除しない方がいいのではないかと思うのです。
 この部分の考察の発端となった,第一部定理二一証明の末尾の部分をどのように解するのかという点については僕は結論は出しません。ただ,個物が永遠であるという点については,個物が一般的な本性essentiaによって解される場合でも,あるいは現実的に存在すると解される場合でも,成立しているということは事実だと考えます。
 『スピノザ 力の存在論と生の哲学』に関連する論考はこれで終了です。明日から日記に戻ります。
コメント
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