スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

雲取賞&証明の力点

2020-02-06 18:53:37 | 地方競馬
 第2回雲取賞
 好発はストーミーデイ。加速がよかったスティールペガサスがその前に出ましたが,さらに外から押していったファルコンウィングが強引にハナを奪いました。2馬身差でスティールペガサス。4馬身差の3番手にストーミーデイ。4番手はレイワデジタル。5番手にゴールドビルダーとゴールドホイヤー。6番手にチョウライリンとピアノマンでこの6頭は集団。5馬身差でブリッグオドーンとマンガン。また5馬身差でマルモリラッキーとグランメガスマイル。13番手がサドンゲイルとミリミリで最後尾にリバースメルローズというとても縦に長い隊列。最初の800mは51秒4のミドルペース。
 3コーナーを回るところでファルコンウィングのリードは3馬身くらい。スティールペガサスの外にゴールドホイヤーが上がってきて,コーナーの途中で単独の2番手に。直線はやや外に持ち出して離れたところから逃げるファルコンウィングを捕まえに行く形に。見た目よりはずっと楽なペースでしたからファルコンウィングも抵抗はしましたが,最後は差し切ってゴールドホイヤーが優勝。逃げ粘ったファルコンウィングが3馬身差で2着。内を回り,ファルコンウィングとゴールドホイヤーの間を狙ったストーミーデイが4馬身差で3着。外からそれを追い詰めたマンガンがアタマ差の4着。
 優勝したゴールドホイヤーは南関東重賞初挑戦での勝利。1月の川崎のオープンを3馬身差で制していて,ここも連勝としました。4着馬が南関東重賞戦線で2着が2回という馬で,それとの比較から,トップクラスにあるとみていいでしょう。今年の南関東の牡馬のクラシックはとてもレベルが高そうなので,例年なら優勝というレベルの馬でも勝てないというケースも生じるかと思いますが,上位馬の直接対決がとにかく楽しみで仕方ありません。父は2011年のJRA賞の最優秀ダートホースのトランセンド。母の3つ上の半姉に1999年にフェアリーステークスを勝ったベルグチケット
 騎乗した川崎の短期免許で騎乗中の吉原寛人騎手平和賞以来の南関東重賞28勝目。その後,クイーン賞,全日本2歳優駿と,南関東で重賞を2勝しました。雲取賞は初勝利。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞8勝目。第1回からの連覇で雲取賞2勝目。

 一般性の低い共通概念を認識しようとする欲望cupiditasが,一般性の高い共通概念notiones communesを認識するcognoscereことによって生じ得るのであれば,このことはさらに敷衍することができるのではないでしょうか。すなわち,明瞭判然の度合が高いものを認識しようとする欲望は,明瞭判然の度合が低いものを認識することによって生じ得るという形でです。スピノザが一般性の低い共通概念の方を一般性の高い共通概念よりも重視しているのは,スピノザの一般性と特殊性の考え方に由来していて,ものは一般的に認識されればされるほど,たとえそれが十全adaequatumではあったとしても明瞭判然である度合は低いのであり,特殊的に認識されればされるほど,明瞭判然である度合は高くなるのです。したがって,一般性の低い共通概念を認識することへ向かう欲望が,一般性の高い共通概念を認識することによって生じ得るというのは,明瞭判然の度合が高いものを認識することに向う欲望が,明瞭判然の度合が低いものを認識することによって生じ得るといっているのと同じなのです。
                                   
 ものは特殊的に認識されるほど明瞭判然の度合が高くなるので,ものはほかのもの,というのは人間の場合は自分の身体corpusとというのと同じ意味ですが,自分の身体と共通するものによって認識されるより,そのもの自体で認識された方が,なお明瞭判然と認識されていることになります。いい換えれば,現実的に存在するある個物res singularisは,その個物自体として認識される方が,共通概念を通して認識される場合よりももっと明瞭判然と認識されているのです。そして,現実的に存在する個物をそれ自体で認識するという種類の認識cognitioが,第三種の認識cognitio tertii generisといわれるのです。よって,ものをより明瞭判然と認識することに向う欲望が,共通概念を認識することによって生じ得るとすれば,それは共通概念に依拠した認識である第二種の認識cognitio secundi generisから,第三種の認識へと向かう欲望が発生し得るということになるでしょう。
 この証明Demonstratioの利点は,それが十全であるか混乱しているのかということには力点を置かず,ものをより明瞭判然と認識することを目指すということに力点を置いていることです。こうすることによって,現状の問題は解決できます。
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