スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

キリーロフの自殺&貧血の治療

2020-02-28 19:03:33 | 哲学
 キリーロフの自殺については僕はその理由は凡庸なものだと考えています。なぜ僕がそのように考えているのかを説明していきます。
                                          
 キリーロフの自殺は自身の人神思想に由来しています。具体的には,死に対する恐怖を克服した人間が神になれるという思想です。では死に対する恐怖を克服したということを示すにはどうすればいいのかということになると,自殺してしまえばよいということになります。キリーロフはその論理に則って自殺をしました。ですからキリーロフを評価するかどうかは,この人神思想にどの程度のシンパシーを感じるかということ,そしてそれを実行したことをどうみるかということと関連します。僕が凡庸と思うのは,思想そのものともそれに殉じた自殺という行動そのものとも関連します。
 僕は恐怖という感情affectusを不安metusと訳します。なのでキリーロフのいっていることは,死への不安を克服すると解します。
 第三部諸感情の定義一三説明によれば,希望と不安は表裏一体の感情です。ですから死への不安を克服した人間というのは,同時に何らかの希望spesを克服した人間であるといえます。ではそれはどのような希望でしょうか。その答えは簡単です。克服されるべき不安が死に対する不安なのですから,克服されるべき希望は死の反対,すなわち生に対する希望であることになるでしょう。
 ですから,死に対する不安を克服したがゆえに自殺するという人間は,生に対する希望を克服したがゆえに自殺するというのと同じだと僕は考えます。生に対する希望を克服するとは,生きる希望を失うということにほかなりません。つまり僕には,キリーロフは生きる希望を失ったので自殺したとみえるのです。なのでキリーロフの自殺の理由は凡庸なものと僕は考えるのです.。

 解決しなければならない問題がいくつかあったわけですが,父の父の埋葬あるいは納骨の記録がどこかで発見できれば,それが最良です。なので僕はこれ以降,それを究明することを目指しました。ただ石材店の店主には,実際に墓を開けて確認をしたわけではありませんが,日野公園墓地内の墓には2体ではなく3体の遺骨が納骨されているということを前提として,僕はこの後の行動をとるということは伝えておきました。店主もそのことについては了解してくれました。
 10月11日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。僕はこの日の前後は体調が芳しくなく,血糖値も高めで推移していました。ただ食事は摂れていましたし,妹の世話をすることが難しいというような状況ではありませんでした。
 10月15日,火曜日。14日は体育の日の祝日でしたので,この日に妹を通所施設に送りました。
 10月17日,木曜日。午後4時20分に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹はこの日にSさんに伴われて港南中央医院を通院したのですが,貧血の治療が開始されたので,その旨の連絡でした。
 妹の通院先が港南中央医院であるのは,港南中央医院が妹の通所施設の担当医院だからです。したがって施設の利用者の健康診断などはこの医院で,というのは医院の医師が通所施設に来て,という意味ですが,行われています。その結果,妹は貧血症状があるということは確認されていました。本牧脳神経外科でも採血検査は行っていて,確かに妹には貧血症状があるということは確認されています。本牧脳神経外科の主治医は心配するほどではないと話していたのですが,港南中央医院の方ではそうではなく,要治療という判断が出ていたようです。ただ妹の体調などの面から,これまでは治療を見合わせていたのだけれども,健康面の態勢が整ったので,いよいよ治療を始めるというのが,具体的な内容でした。
 妹はまだこども医療センターに通っていた頃,やはり同様に貧血の治療をしたことがあります。治療といっても鉄剤を服用するだけです。そのときは改善されたので,服用は中止に至りました。今回も治療としては同じ内容です。
コメント
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