スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

報知グランプリカップ&港南中央医院

2020-02-13 19:00:55 | 地方競馬
 昨晩の第56回報知グランプリカップ。オールブラッシュは右前脚の蹄の底の内出血のため競走除外となり11頭。
 バンズームは発馬直後に躓いて落馬。出走馬の中で最も逃げたいサルサディオーネが大外だったためどうなるかと思っていたのですが,かなり楽にハナにいくことができました。2番手にコパノチャーリーとタービランスで4番手にミキノトランペットとアルタイルとベンテンコゾウ。7番手のヤマノファイト,8番手のマイネルバサラまでは集団。3馬身差でジョーストリクトリ,6馬身差でハクサンルドルフと,残りの2頭は離されました。最初の800mは48秒9のハイペース。
 一時的に逃げたサルサディオーネは2番手との差を開いていましたが,3コーナーを回ってタービランスが上がり,その差は1馬身。3番手にベンテンコゾウ,外を回ってヤマノファイト,内ぴったりを回ってコパノチャーリーという隊形で直線に。飛ばしていたサルサディオーネは一杯になっていたのですが,追っていたタービランスの方がもっと疲れてしまい,最後はまた差を開く形で逃げ切ったサルサディオーネの優勝。タービランスが1馬身半差で2着。大外から追い込んだヤマノファイトがクビ差まで迫って3着。
 優勝したサルサディオーネはここがJRAからの転入2戦目。一昨年8月のオープン特別以来の勝利で南関東重賞は初勝利。この馬は牝馬重賞では入着していましたし,牡馬相手のオープンでも勝つくらいですから南関東重賞では実力上位。ただ逃げなければ力を発揮することができない馬なので,ここは先手を楽に奪えたのが勝因。こういう馬ですから,成績は安定性を欠き,逃げられなければ南関東重賞でも大敗というケースも出てくるでしょう。ですが逃げられる場合は,強敵相手でも勝ったり善戦したりというケースも出てくるでしょう。父はゴールドアリュール。母の父はリンドシェーバー。母は2002年に東京プリンセス賞を勝ったサルサクイーン
 騎乗したJRAの岩田康誠騎手は南関東重賞はこれが初勝利。管理している大井の堀千亜樹調教師は南関東重賞4勝目。報知グランプリカップは初勝利。

 帰りに薬局に寄りました。この日はおくすり手帳を持参するのを忘れましたが,問題は生じませんでした。インスリン,注射針ともに在庫がありました。帰宅したのは午後5時10分でした。
                                         
 8月1日,木曜日。午前7時にグループホームから電話がありました。
 妹は粉瘤腫の手術の後,消毒のために通院していました。この通院は,地域担当支援主任のSさんが付き添っていました。手術をしたのが23日で,当夜のSさんからの電話では,消毒の期間は一週間とのことだったのですが,妹は前日も通院していたのです。そしてこの日も通院が必要でした。僕はこの日に妹を迎えに行くことになっていたので,迎えに行った後で,僕と妹で通院してほしいというのが電話の内容でした。
 僕は妹が通院している病院,これはつまり手術を受けた病院ですが,それが何という病院でどこにあるかということを把握していませんでした。なのでそれを尋ねると,病院名は港南中央病院で,場所は港南橋であるとのことでした。病院のことは知りませんでしたが,鎌倉街道には港南橋という交差点があり,これは上大岡から通所施設へ行く途中にあります。それなら一緒に通院することは簡単と思えましたので,了承しました。
 具体的に場所を知らなければならなかったのでネットで検索しましたが,実際は港南中央病院ではなく,港南中央医院という名称の病院でした。港南橋という交差点は,横浜市営地下鉄ブルーラインの港南中央駅の近くです。ここは港南区役所などがあるところで,港南区総合庁舎前というバス停もあります。これは,通所施設から上大岡へ向かう途中です。ここで降りればあとは歩いていかれそうな距離でした。病院ですから近くに行けば分かる筈で,おおよその場所だけを把握しておきました。
 迎えに行き,迷うことなく港南中央医院に到着することができました。僕は粉瘤腫ができたのは陰部というより下腹部だといいましたが,消毒の間は僕は別室に待機させられましたので,このときはまだ患部がどこであるのかということを確認することはできませんでした。消毒した医師によれば,翌日も消毒が必要なので通院してほしいとのことでした。
コメント
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