スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

再構成&立場の逆転

2019-02-01 19:23:46 | 哲学
 書簡六十三,六十四,六十五,六十六のスピノザとチルンハウスとの文通に関しては,『個と無限』の第2章で詳細に検討されています。ただ僕はそこで佐藤が行なっているのとは異なった観点から問題を提起したいと思います。そこでまず,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが『エチカ』の草稿から何を主張し,それに対してスピノザがどのように答えているのかということを,僕の考察に見合うような形に再構成することにします。
                                      
 スピノザは第一部定義六で,無限に多くの属性から成っている実体substantia constans infinitis attributisとDeusを定義しています。そして第一部定理一一では,神が実在するといっています。つまり無限に多くの属性から成っている実体が存在すると主張しているのです。
 一方でスピノザは,第二部公理五では,人間が認識するcognoscere個物res singularisは物体corpusであるか思惟の様態cogitandi modiであるかのどちらかであるといっています。物体は第二部定義一によって延長の属性Extensionis attributumの有限様態すなわち個物です。つまり人間が認識するのは延長の様態か思惟の様態のどちらかです。よって人間が認識することができる属性は,延長の属性と思惟の属性Cogitationis attributumのふたつです。しかし属性はこれらふたつだけではなく,無限に多くあるのでなければなりません。そうでなければ無限に多くの属性から成る実体は存在することができないからです。よって人間にとっては未知である,これはいまだ知らないという意味ではなく,絶対に知ることができない属性が無限に多くあるということになります。
 次にスピノザは第二部定理七系で,神が思惟する力Dei cogitandi potentiaと神が働く力agendi potentiaは等しいといっています。よって,人間にとって未知の属性から生じる諸々の様態の観念ideaは,神の無限知性intellectus infinitusのうちに存在するのでなければなりません。そうでないと神の働く力に対して神の思惟する力が劣ってしまうからです。よって神の無限知性のうちには,人間が認識することができない観念が無限に多くあることになります。
 ここまではチルンハウスはともかくスピノザは同意する筈です。

 大人と幼児という関係は,自分自身とその子どもという関係に置き換えることもできます。子どもの幼少期は,自分とその子どもの関係は,大人と幼児の関係の一種であるからです。とくに僕の父と母の場合でいえば,両親,つまり僕の祖父母が共にあり,幼児期に両親に下の世話をされ,またトイレトレーニングを受けて育ちました。また父と母には僕と妹という子どもがあり,僕たちは両親に下の世話をされ,またトイレトレーニングを受けたのです。ですから母の父に対する関係が,母にとっては自分と夫というより,自分と子どもという関係に類するものとして感じられたとしても不思議ではありません。大人の幼児に対する愛というより,自分の子どもに対する愛を母は感じることができたかもしれません。
 あくまでも象徴的な関係ですが,これでみれば分かるように,自分の幼児期に下の世話をしてくれた人,あるいはトイレトレーニングを施した人に対して,大人になってから下の世話をするということも,おそらく人間にとって特殊な意味をもつ行為となるでしょう。それは大人と幼児というかつての関係が,立場を逆転させて出現していることになるからです。
 父は人工肛門の管理は原則的に自分で行っていたのであり,介助するとしても母が行っていましたし,最後の段階では看護師の仕事のひとつになりました。よって僕が手伝うことはありませんでした。母は父と同様に腸閉塞を起こす危険性がありましたが,父より時間の猶予がありましたから,癌を切除する手術をすることはでき,人工肛門を必要としませんでした。そして最終的に緩和病棟に入院した段階でも自分でトイレに行くことができました。最後は寝たきりになりましたが,その時点で食事を摂ることができなくなっていましたから排便はなく,尿に関してはカテーテルで対応しましたので,やはり僕がその種の世話をすることは一切ありませんでした。つまりこの意味で親子の立場を逆転させた関係は最後まで出現しなかったのです。とはいえ父や母がその介助を僕にしてほしいと思っていたかといえばたぶん答えはノーだったでしょう。なのでこれはこれでよかったのだと思っています。
コメント
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