スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ミドルマーチ&死の時期

2019-02-04 19:16:11 | 血統
 先週の川崎記念を勝ったミツバは3代母がカナダ産のコマーズという馬で,彼女が基礎輸入繁殖牝馬になります。ただ,コマーズの母でやはりカナダ産のミドルマーチも別ルートで輸入され,日本で繁殖生活を送りました。2頭とも日本での初産駒を誕生させたのは1991年でした。ミドルマーチの8つ上の半兄のナイスダンサー,7つ上の半姉の産駒であるパークリージェントは共に種牡馬として輸入され,重賞の勝ち馬が輩出したため,同じ一族が別ルートで輸入されることになったのでしょう。リーガルローブと同じくファミリーナンバー1-eです。
                                     
 コマーズが1991年に日本で最初に出した産駒がゴールデンジャックです。1994年に報知杯4歳牝馬特別とサンスポ杯4歳牝馬特別に勝ちました。その6つ下の全弟はスターリングローズです。
 コマーズは輸入前にカナダで1頭の牝馬を産んでいます。この馬も後に繁殖牝馬として輸入されました。最初に産んだ牝馬の産駒に2011年に武蔵野ステークスに勝ったナムラタイタンがいます。
 繁殖牝馬となったゴールデンジャックの初産駒は2002年に京阪杯,2003年に京都金杯,2005年にはダイワメジャーを2着に降して関屋記念を勝ったサイドワインダーです。その3つ下の半妹がミツバの母になりました。
 輸入されてまだ20年が経過していないのですが,とくにコマーズを祖とする系統はわりと牝馬が多かったため,分枝はかなり広がっています。まだこの一族から重賞の勝ち馬が輩出するという可能性は高いのではないでしょうか。

 は死の少し前から,声を出すことはできるけれどことばを発することはできなくなりました。そして最後は声を出すこともなくなり,死んでいきました。その母が僕に対して最後に発したことばは「お世話になりました」でした。
 僕は始まりの日より後に,母が望んだことのすべてを叶えることができたと思っていません。母にも僕に対する不満がきっとあったろうと思っています。ですが最後にこのように言ってくれたということは,たとえ不満はあったにせよ,全体的には満足することができたのだろうと思うのです。そしてそれはまだ僕に,母に対してだけでなく妹に対しても対処するだけの体力が残っていたからです。もしもっと後に同じような状況になっていたとしたら,母はもっと大きな不満をもったかもしれません。そして僕も,母の希望に沿えない歯痒さを多く感じたかもしれません。それでみれば年齢的には早かったかもしれませんが,この段階でこうなったのはむしろよかったのではないかと思えるのです。母が死ぬということは悲しいことではありますが,これはいずれは訪れることです。もっと後にそれが訪れたら,母も僕ももっと大きな悲しみを感じたかもしれません。早かったから,むしろ悲しみが軽減されたかもしれないのです。
 そしてもうひとつ,僕はかつての母との会話で,ひどく印象に残っているものがあります。
 母は中学校の教諭をしていました。これはまだ僕が小学生のときだったのですが,その当時に母が勤務していた中学校の生徒,母の直接の教え子ではなかったのですが,その学校の生徒が,集団で飛び降り自殺をするということがありました。その一件を伝えるテレビのニュースを僕と母のふたりで視ていたのですが,そのときに母が,こういうことをどう思うかという主旨のことを急に僕に尋ねてきました。
 僕はまだ小学生だったこともあり,何も答えることができませんでした。答えることができなかったというより,母の質問の意図を把握しかねたといった方が正しかったかもしれません。すると母は,親より先に死ぬほど親不孝なことはないのだから,このようなことをしてはいけないと言ったのです。
コメント
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