スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&未来の喜び

2019-02-10 19:41:57 | 将棋
 関根名人記念館で指された第45期女流名人戦五番勝負第一局。
 伊藤沙恵女流二段の先手で里見香奈女流名人の角交換向飛車。後手が意表の仕掛けを敢行しました。
                                     
 ここは☖9四歩と受けるのが穏当な局面。しかし☖4五歩といきなり仕掛けました。角を交換した後の折衝で後手の歩が4四に伸びているのですが,その先手の指し方を咎めてやろうという意図があったのだと思います。
 ☗4五同歩に☖4二飛と回りました。先手は☗2四歩と攻め合いに。こうなれば☖4五桂☗2三歩成☖5七桂成☗同金☖4九飛成と互いに引くことはできないでしょう。
                                     
 さすがにこの強襲は無理ではないかと思っていました。ただ,僕は基本は居飛車党ですから,振飛車の攻めが無理に見えやすいということはあるかもしれません。
 先手がさらに☗3三とと寄ったので,後手は攻めを続けるほかなくなりました。
 ☖3九角と打ち☗5八飛の一手に☖5五歩。先手は☗6七銀と引きました。開いた4筋を攻めるべく☖4六歩と垂らしたのに対して先手は☗3六角。
                                     
 ここで☖4八角成としていますがこの攻めでは迫力に欠けます。第3図で思わしい手がないようなので,やはり第1図からの仕掛けは無理だったということになるのではないでしょうか。
 伊藤二段が勝って1勝2敗。第四局は18日です。

 レジで並んでいるときに前の客がもたつくことによって時間を多く要してしまうことは,確かに悲しみtristitiaの要因となり得ます。僕たちは一般的にはこのような状況のときにイライラするという語で自身の感情affectusを表現しますが,このイライラは悲しみの一種であるとみてよいでしょう。とくにこのイライラは,もたついている客という原因causaの観念ideaを伴っていますから,第三部諸感情の定義七により,その客に対する憎しみodiumであるとみなしてよいと僕は考えます。
 ですが,かつて長く並ぶことによって喜びlaetitiaを経験した人間は,次に同じ体験をしたとき,その喜びを想起することができます。これは第二部定理一八から明らかだといえます。よって現在のイライラを過去の喜びに結び付けることによって,今度は未来の喜びを想像することも可能になるでしょう。かくしてこの人間は現在のイライラしている状況が,もしかしたら未来の喜びの原因になるかもしれないと認識するcognoscereことになり,このイライラから解消されることになるでしょう。もちろん未来の喜びは確実なものではありませんが,表象imaginatioは現実的に存在しないものを現実的に存在すると観想するcontemplariことを含むのですから,このような方法でイライラを解消することができるということは間違いありません。
 そしてこのような方法で悲しみを解消することもまた有益なのです。端的にいうと,すでに起きてしまったこと,すなわち過去については変えようがありませんから,その中に喜びを見出すということが人生の処方箋になり得たのでした。これと同様に,これから発生することすなわち未来のことについては分からないので,現在の悲しみによって未来に喜びの発生を見出すことも,人生の処方箋たり得るのです。
 第四部定理九が示すように,現在の感情は過去や未来と関連した感情よりも強力であり,かつ第四部定理七によりある感情を抑制するのはそれよりも強力な感情なので,ここに示した処方箋というのはいうほど容易いことではありません。ですがこうした訓練をしていくことも大切です。これはまさに訓練であり,悲しみを受ける自然の秩序ordo naturaeの様式を,喜びと結び付いた様式へと移行させることなのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする