スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

読売新聞社杯全日本選抜競輪&入院費

2019-02-12 19:17:06 | 競輪
 別府競輪場で行なわれた昨日の第34回全日本選抜競輪の決勝。並びは吉沢‐武田の茨城に佐藤,松浦‐香川‐小倉の中国四国で和田と吉田と中川は単騎。
 武田がスタートを取って吉沢の前受け。4番手に中川,5番手に松浦,8番手に和田,最後尾に吉田で周回。残り3周のバックの手前から松浦が上昇。残り2周のホームで吉沢が引いて松浦が誘導の後ろに。さらにこのラインを追っていた吉田が松浦を叩いて誘導を退避させました。後方になった和田が単騎で追い上げると,吉沢がそれを追い掛ける形から仕掛けて打鐘で先頭に。このラインを追走していた中川が和田の外の4番手で併走となり,ホームに入るとかましていって先行。吉沢はタイミングを合わせられず,やや車間の開いた2番手で第二先行のような形。バックから仕掛けた松浦は勢いが足りませんでした。直線は最終コーナーでインを突いた佐藤が中川と吉沢の間から中川を追いましたが届かず,逃げ切った中川の優勝。佐藤が半車輪差で2着。吉沢が半車身差で3着。
 優勝した熊本の中川誠一郎選手は前回出走の防府のFⅠから連続優勝。グレードレースは昨年10月の熊本記念以来でビッグは2016年の日本選手権以来の2勝目。このレースは最近のGⅠとしてはややレベルが低いメンバー構成に。脚力は上位と思える中川か,吉沢をフルに利した場合の武田のふたりが優勝候補とみていました。その点で中川の優勝は予想の範疇だったのですが,その場合は後方からの捲りだと思っていたので,かましとはいえ逃げ切りは意外でした。このメンバーなら逃げ切ることができるくらい力量の差があったということでしょう。打鐘前後の和田の動きと,先頭に立った後の吉沢のペース配分が,中川の力を誘発してしまったという印象です。

 帰途に薬局に寄りました。この日はインスリンも注射針も揃っていました。
                                      
 8月22日,水曜日。午前中にみなと赤十字病院から電話がありました。緩和病棟の母の入院費は,7月分は支払ってありましたが,8月分はまだ支払ってありませんでした。これは母が入院中に死んでしまったので,その日までの分の請求書が作成されていなかったからでした。この電話はそれが完成したので,精算が可能になったということの連絡でした。
 8月23日,木曜日。13日の朝に眼鏡の鼻あての部分のネジが外れてしまったのですが,この日の午後に眼鏡屋に行って直してもらいました。なので予備の眼鏡を使用したのはこの日まででした。
 8月24日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。そして午後5時半に導師が来訪しました。これは週1回の読経のためです。2回目で,基本的に祭壇ではなく仏壇に向って拝むということが分かっていましたので,そのように準備をしておきました。
 8月25日,土曜日。ピアノの先生から電話がありました。翌日にピアノのレッスンが予定されていて,その開始時刻を伝えるための連絡です。僕の方からは母が死んだことを伝え,祭壇があるので焼香してほしいということをお願いしました。
 8月26日,日曜日。ピアノのレッスンでした。先生にはレッスンの前に焼香をしてもらいました。レッスンの開始時刻は午後3時でした。
 8月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 8月28日,火曜日。みなと赤十字病院に行き,母の8月分の入院費の支払いをしました。ついででしたから注射針の処理もしました。
 8月30日,木曜日。午後3時に導師が来訪しました。前週は妹を迎えに行った後でしたから,妹も在宅していたのですが,この日は僕ひとりだけでした。母の四十九日,これは納骨を兼ねたものですが,その日取りを仮押さえしました。ただし正式に決定したものではないので,まだだれにも伝えることはしませんでした。
 8月31日,金曜日。O眼科に網膜症の検査に行きました。異常はありませんでした。この週は妹はグループホームで過ごすことになっていました。
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