スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
静岡記念の決勝 。並びは新山に浅井,真杉‐坂井の栃木,深谷‐岩本の南関東,嘉永‐荒井の九州で河端は単騎。
深谷がスタートを取って前受け。3番手に真杉,5番手に嘉永,7番手に新山,最後尾に河端で周回。残り3周のバックを出たコーナーから新山が上昇を開始すると,嘉永が合わせるように出ていきました。ホームで深谷を叩いたのは嘉永。バックに戻ってから新山がさらに嘉永を叩いて打鐘。後方になった真杉がすぐさま発進。新山との先行争いになるとみたか坂井は真杉に続かず下りて浅井の後ろに。先行争いは真杉が制し,浅井はスイッチせずに新山を迎え入れたので真杉の後ろが新山に。坂井がバックから再び追い上げていきましたが,その外から深谷が捲り一閃。直線に入るところでは前を捲り切って先頭に立ち優勝。マークの岩本が半車身差の2着に続いて南関東のワンツー。新山が上昇するときに続かず,後ろに控えて深谷の捲りに乗る形になった河端が1車身半差で3着。
優勝した静岡の深谷知広選手は10月の熊本記念 以来の優勝で記念競輪22勝目。静岡記念は初優勝。このレースはだれが先行するのかを予想するのも難しいメンバー構成で,展開次第でだれにでもチャンスがありそうなレースだと思っていました。新山の先行は最も考えられる展開だったのですが,真杉が早い段階で発進したので先行争いになり,後方で足を溜めた深谷が有利になりました。河端もこのラインを追っていたと考えればラインでの上位独占ですから,前にいた選手に厳しいレースだったということがよく分かると思います。
第一部定義六 により,神Deumは絶対に無限absolute infinitumです。神が絶対に無限であるためには,ある属性attributisは備えていても別の属性は備えていないというわけにはいきません。そうではなく,無限に多くのinfinitis属性を備えていなければならないのです。第一部定義六の前半部分と後半部分は,こうした条件によって接続されていることになります。
とはいえ現実的に存在する人間が認識するcognoscereことができる属性は思惟cogitatuonesと延長Extensioのふたつなので,第一部定理二五系 はこの観点から記述されていると解しておくのがよいでしょう。もちろんこの系Corollariumは,僕たちにとって未知の属性の個物Res particularesに対しても妥当するのは間違いないと僕は考えますが,僕たちが延長と思惟のふたつの属性しか認識することができない以上,僕たちが認識できる個物は延長の属性Extensionis attributumの個物である物体corpusか,思惟の属性Cogitationis attributumの個物である物体の観念ideaのどちらかであることになるからです。よって再びこの系に注目すれば,物体は延長の属性によってみられる神を一定の仕方で表現するexprimuntur様態modiであることになりますし,物体の観念は,思惟の属性によってみられる神を一定の仕方で表現する様態であるということになります。
この文脈で重要なのは,表現という点にあると吉田は指摘しています。ただしここでは注意が必要で,日本語で表現というと,することもできるししないこともできるのにときに強制されるものとか,してもよいししなくてもよいのだけれどもときに強制されることといったニュアンスを帯びるかもしれません。たとえば美術の授業で絵画によって風景を表現せよといわれるなら,確かにそれは強制されているといえますし,しかしそのこと自体が授業でないならば,することもできるししないこともできることであり,してもいいししなくてもいいことであるといえるでしょう。
しかしスピノザの哲学でいわれる表現というのはそういうことを意味するのではなくて,もっと切実なことです。吉田のいい方を借りれば,のっぴきならないものなのです。絵画の表現でたとえれば,それは描くという形で表現せずにはいられないようなことなのであり,描くということに固執するperseverareようなことなのです。つまり画家にとっての絵画なのです。
奈良記念の決勝 。並びは佐々木に山崎,道場‐松井‐郡司の南関東,古性‐三谷‐山本の近畿で皿屋は単騎。
郡司がスタートを取って道場の前受け。4番手に古性,7番手に佐々木,最後尾に皿屋で周回。残り3周のホームから佐々木が上昇。バックで道場が突っ張ったので佐々木は引き,追走しなかった皿屋が7番手になり,8番手に佐々木という一列棒状に。残り2周のホームから道場が全力で駆けていきそのまま打鐘。ホームに戻って古性が動いていくと松井が番手捲り。古性が郡司の外での競りとなりましたが,どうも郡司が下がってきた道場と接触し車体が故障したようで内をずるずると後退してしまい,松井の後ろに古性。直線に入ってから古性が差を詰めにいき,接戦にはなったものの届かず,優勝は松井。マークとなった古性が8分の1車輪差で2着。古性マークの三谷が1車身差で3着。
優勝した神奈川の松井宏佑選手は昨年9月の熊本のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2021年の小田原記念 以来となる3勝目。奈良記念は初優勝。このレースは南関東勢の二段駆けが有力で,すんなりそうした展開になってしまえば松井と郡司の優勝争いになるでしょうから,古性がそうはさせまいと分断策に出るだろうと予想していました。僕は古性が前受けして道場が押さえにきたところで松井のところに飛びつくような展開を想定していたのですが,スタートを郡司に譲るような形で南関東の前受けになりましたので,松井は競られにくくなりました。郡司と古性の競りになったのは展開によるものですが,競りは競輪の醍醐味のひとつではあり,郡司と古性のように力がある選手同士だとなおさらなので,車体故障であっさりと決着がついてしまったのは残念な気がします。直線が短いとはいえ楽に古性にマークされることになりましたので,それを振り切った松井は称えてもよいでしょう。
同様のことは共通概念 notiones communesを通しての認識 cognitioについての場合にも当て嵌まると僕は考えています。
第二部定理三八系 でいわれているように,僕たちの精神 mensのうちにはいくつかの共通概念があるのですが,この系Corollariumの証明Demonstratioの様式からすれば,僕たちの精神のうちには,少なくとも延長の属性Extensionis attributumの十全な観念idea adaequataがあるということが帰結しなければならないと僕は考えています。このことについてはかつて検討しましたので,ここでは詳細は省きます。そしてこの延長の属性は神Deusの本性essentiaを構成する属性なのですから,これは神を十全に認識するcognoscereということと同じことであると僕は考えています。したがってこの観点からも,現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちには,神の十全な観念が必然的にnecessarioあるということが出てくるという見解opinioを僕は有しているのです。
しかしこの観念が,第一部定義六 でいわれている神の観念を余すところなく表現しているかといえば,ぼくはそのようには考えません。これもまた延長の属性によって説明される限りでの神の十全な観念が僕たちの知性 intellectusのうちにあるということを意味するのであって,絶対に無限な実体substantiaとしての神,無限に多くのinfinita属性によってその本性を構成される限りでの神の十全な観念が僕たちの精神のうちにあるという意味にはならないと僕は考えるconcipereのです。
何度もいうように,神が絶対に無限な実体であるということ,神の本性が無限に多くの属性によって本性を構成されていなければならないということについては,僕たちは十全に理解するintelligereということを僕は認めます。しかし僕たちの知性のうちにある神の十全な観念は,僕たちがそのように理解している神の観念であるというわけではなく,延長の属性によって説明される限りでの神の観念であるか,そうでなければ延長の属性に対応する思惟の属性Cogitationis attributumによって説明される限りでの神の観念だと僕は考えるということです。そしてここのところを同一視すること,僕の立場からいわせれば混同することには,僕は疑義を有します。つまり僕たちが神を十全に認識するからといって,第一部定義六で定義されている神を余すところなく十全に認識しているということにはならないと僕は考えているのです。
高松記念の決勝 。並びは郡司‐松谷‐福田の神奈川,田中に成田,犬伏‐島川‐香川の四国に坂本。
成田がスタートを取って田中の前受け。3番手に犬伏,7番手に郡司で周回。残り2周のホームの入口から郡司が上昇。犬伏が合わせなかったので郡司は成田の後ろに。3番手が郡司,6番手に犬伏という一列棒状で打鐘になりました。ここから犬伏が発進。郡司が合わせようとしましたが,外から犬伏が前に。松谷の牽制を受けた島川がやや離れ,バックに入って郡司も島川を大きく牽制。これで郡司が犬伏を追うことになり,郡司の動きに松谷が離れたので,成田が郡司の後ろにスイッチ。バックではかなり車間が開いていたのですが,直線に向けて徐々に差が詰まり,差し切った郡司が優勝。マークになった成田が半車身差の2着。バック先頭の犬伏が4分の3車身差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は松阪記念 からの連続優勝で記念競輪22勝目。高松記念は初優勝ですが,2017年のウィナーズカップ を当地で制しています。このレースは郡司の脚力が上なので,逃げなければならないような展開にならない限りは勝てるのではないかと思っていました。田中の前受けというのは意外な展開だったと思うのですが,後方から動いて無理なく3番手に入れたのが大きかったです。それでも犬伏には一旦は出られてしまったわけで,完勝といえるような内容ではなったのも事実ではないでしょうか。
様態modiという語の元来の意味は,大きさとか尺度であったそうです。これが転じてもっと広きにわたるようになり,ものごとの定まったあり方や性質,状態などを意味するようになったと吉田は説明しています。このラテン語から容易に推測できるように,これはモードの語源なので,哲学で様態といわれるときは,モードと訳した方が,現代の僕たちには分かりやすいのではないかと吉田は提案しています。つまり黒猫が歩いているというのは,ネコという実体substantiaに,黒という色のモード,歩くという動作のモードがあるということで,黒毛のモードのネコが歩行というモードに入っていると理解するということです。スピノザ自身がいっているように,事物は十全に観念されることが重要なのであって,ことばによってどう表現されるのかに重要な意味があるわけではありません。なのでこの方が理解が容易であるというのなら,そう理解した方がよいだろうと僕も思います。
とはいえ,スピノザの哲学における実体とか様態といったものが,ここまで説明してきたように規定されているわけではないということは,よほどの初心者でない限りは心得ているところでしょう。ネコの実体とかイヌの実体などというのは,実体という語句の説明のためには無益ではないかもしれませんが,実際にスピノザがそういう実体を想定しているわけではありません。第一部定義三 でいわれているように,実体というのはそれ自身のうちにあり,かつそれ自身によって概念されなければならないのであって,ネコとかイヌとかいったものは,その定義 Definitioからは外れることになるからです。そしてここが重要なところですが,このことが意味するのは,第一部定義三のような仕方で実体を定義するのであれば,一般に実体として考えられているようなものはすべて,すべてがいいすぎならほとんどは,実体ではないということになるということです。といのも,もしそれがそれ自身のうちにあってそれ自身によって考えられるなら,そのものは存在するために自分以外のものは不要ですし,それを概念するために別の概念notioを必要としないでしょう。いい換えれば一切の外部を必要としないことになるでしょう。
松坂記念の決勝 。並びは深谷‐郡司‐岩本の南関東,古性‐岩津の西日本,山田‐小川の九州で佐藤と浅井は単騎。
古性と郡司がスタートを取りにいきました。その後でちょっと牽制になったのですが,古性は最初から前受けをするつもりはなかったようで,誘導の後ろに入ったのは郡司。深谷の前受けとなり,4番手に古性,6番手に浅井,7番手に佐藤,8番手に山田で周回。残り3周のバックから山田が上昇し,ホームの入口では深谷の横に。深谷が突っ張ったので山田は引きましたが,外に出した古性が追い上げて,山田の外に並んで打鐘。4番手は山田,小川と順に古性を弾き,山田が確保。浅井がインから追い上げて小川の後ろに入り古性は7番手に。バックから浅井が捲っていくとそれに合わせて山田も発進。浅井は内に下りようとして佐藤と接触。佐藤,小川,岩津の3人が落車。残り1周のホームの出口から深谷との車間を徐々に開けていった郡司は山田を引き付けてから踏み込んで優勝。山田が半車身差で2着。郡司マークの岩本が4分の3車身差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は小田原記念 以来の優勝で記念競輪21勝目。松阪記念 は連覇で2勝目。2019年の共同通信社杯 も当地で勝っています。このレースの注目点はふたつで,ひとつは深谷‐郡司という強力な並びを分断しにいく選手がいるかということで,もうひとつは仮に南関東勢がすんなり先行となった場合に古性が捲れるのかといううこと。だれも分断策には出ず,古性の位置取りが悪くなりましたので,郡司には最高の展開になりました。引きつけずに発進すれば岩本とのワンツーになったと思われますが,これは先行した深谷をなるべく上位に残すための走り方で,基本的に郡司はこのような走行をします。古性は深谷が突っ張ることを見越して,動かずに岩本の後ろを回っていた方がよかったでしょう。これは作戦の失敗だと思いますが,山田がよく頑張ったともいえると思います。
このように考察を進めてくると,このことはこれまでに探究したことがあるいくつかの事柄とも深く関連しているように僕には思えてきました。
第二部定理七系 でいわれているように,神が思惟する力Dei cogitandi potentiaは神が行動する力agendi potentiaと等しいので,ある形相的有esse formaleが何らかの属性attributumのうちに存在するなら,その観念ideaが思惟の属性Cogitationis attributumのうちにあることになります。このとき,書簡六十四 および書簡六十六 でスピノザがいっていることは,Aの属性のある個物res singularisの観念と,それとは別のBの属性の個物の観念は,同じように観念という思惟の属性の個物であるのだけれど,それらは様態的にmodaliter区別されるのではなく実在的にrealiter区別されなければならないということであると僕は解しました。もしもそれらが様態的に区別されるのであれば,たとえばAの属性の個物はAの属性の様態modusだけを認識するcognoscereのではなく,Bの属性の様態も認識することになるでしょうし,そればかりではなく無限に多くのinfinitaすべての属性の様態も認識されることになります。しかしそれらの書簡でスピノザは明確にそれを否定しています。ということは,各々の属性の観念の区別distinguereは様態的区別ではなく実在的区別でなければならないのです。
もしもそれらが様態的区別であれば,僕たちは僕たちにとっての未知の属性の個物の観念も有することができるといわなければなりません。チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausはこの路線でスピノザの主張を解していたのです。そしてこの場合は,僕たちは僕たちの世界と別の様態によって構成される別の世界を認識することができるようになりますから,僕たちの世界の外部に別の世界があるというように認識することになります。いい換えれば僕たちの世界には外部があると認識します。ところが実際にはこのチルンハウスの解釈は誤りerrorで,物体corpusの観念と未知の属性の個物の観念は実在的に区別されるのですから,僕たちの精神mensがそうしたものを認識することはありません。よって僕たちは僕たちの世界以外の世界を認識することがないので,僕たちの世界の外部には別の世界はないと結論することになります。つまり僕たちの世界には外部はないという結論に至るのです。このように,この区別も内在と関連するのです。
昨年の競輪の表彰選手 は22日に発表されました。当ブログに関連する選手を紹介していきます。
最優秀選手賞は大阪の古性優作選手。オールスター ,寛仁親王牌 ,グランプリ とビッグを3勝。和歌山記念 ,松山記念 ,函館記念 ,富山記念 と記念競輪は4勝。グランプリを勝ってGⅠも2勝ですから当然でしょう。2021年 ,2023年 に続き2年連続3度目のMVP。
優秀選手賞はふたり。まず福井の脇本雄太選手。ウィナーズカップ ,競輪祭 とビッグは2勝。福井記念 ,向日町記念 と記念競輪は2勝。2018年 と2019年 に続き優秀選手賞は5年ぶり3度目の受賞。
もうひとりは神奈川の郡司浩平選手。全日本選抜 を優勝。川崎記念 と小田原記念 を制覇。優勝以外の安定した成績でふたり目に滑り込んだ感です。2020年 と2021年に続く3度目の優秀選手賞。
優秀新人選手賞は愛知の纐纈洸翔選手。ヤンググランプリ を優勝。脚力的にはヤンググランプリ出走選手の中にはもっと上の選手がいましたが,実績を得たことでの受賞でした。
特別関東選手賞は神奈川の北井佑季選手。高松宮記念杯 を優勝。北井は選手歴は浅いですが若いわけではないので,これからの数年が本当の勝負どころだと思います。
国際賞とガールズ競輪はこのブログで扱っていないので割愛します。
第一部定理五 から内在の哲学が必然的にnecessario帰結することになっているとはいえ,この定理Propositioは僕がいうところの名目的定理であって,複数の実体substantiaが存在することが否定されているわけではありません。実際は第一部定理一四 にあるように,実在する実体は神 Deusが唯一なのですから,このこと自体に大きな意味がないように感じられるかもしれませんし,このような論理的帰結に何か意味があるようにも思えないかもしれません。なので実在的な意味からも説明を加えておくことにします。
神という実体が唯一の実体として存在しているのですが,この神の本性 essentiaは第一部定義六 から分かるように,無限に多くの属性infinitis attributisから構成されています。僕たちが認識するcognoscereことができるのは延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumですから,僕たちが認識することができない無限に多くの属性があるわけです。これを神からみれば,それらの属性のどれを抽出したとしても,それが神の外部にあるということはできません。たとえばその属性のうちでどのようなことが生じたとしても,やはり第一部定理一八 にあるように神は内在的原因 causa immanensとしてその事象に対して働くagereのですから,神には外部がないということは明白でしょう。
では僕たちにとって,僕たちに未知の属性において生じるある事象は,僕たちの外部にあるといえることができるのかといえば,そうではありません。もしも僕たちがその事象を認識することができればそれは僕たちの外部にあるということができないわけではありませんが,それは僕たちには認識することができないからです。だから僕たちが認識することができる世界には外部がないのであって,これは僕たちが認識することができない属性の内部にある事物からみても同じことです。その属性の内部にある事物は,延長の属性を認識することができないのですから,僕たちの世界はその事物にとって外部にあるわけではなく,その事物の世界には外部がないということになるからです。なお,第一部定理二一と第一部定理二二 から,どのような属性にも直接無限様態と間接無限様態があると解さなければなりませんから,僕たちが認識しているような世界は,すべての属性のうちにあるでしょう。
大宮記念の決勝 。並びは佐々木悠葵‐武藤の関東,寺崎‐脇本‐村上の近畿の番手に佐々木真也の競り,嘉永‐徳永‐嶋田の九州。
村上がスタートを取って寺崎の前受け。寺崎の後ろは内と外が入れ替わりながらの周回。中団を取ったのは佐々木悠葵で後方が嘉永という隊列に。残り2周のホームに入ったところで寺崎の後ろは佐々木真也が内で脇本が外。バックから嘉永が上昇していって寺崎は突っ張る構えからすぐに引き,嘉永が前に出て打鐘。まだスローペース。武藤の後ろになった寺崎がホームに戻って巻き返し,嘉永を叩いて先行。内にいた佐々木真也が番手に入り,脇本は佐々木真也の後ろに。バックに入って脇本が自力で動いていきましたが,それほどスピードが上がらず,後方から発進した佐々木悠葵があっさりと捲り切りました。ただこのスピードに武藤はついていかれず,徳永と接触して徳永と嶋田は落車。単騎の捲りになった佐々木悠葵が抜け出して優勝。捲られはしたものの逃げ粘った寺崎が1車身半差の2着。寺崎マークになった佐々木真也が4分の3車身差で3着。
優勝した群馬の佐々木悠葵選手は昨年7月の宇都宮のFⅠ以来の優勝。記念競輪は2022年12月の高松記念 以来の2勝目。このレースは佐々木真也が事前から競りのコメントを出し,実際にそのようなレースに。脇本は引くような形で3番手になったので,脚は残っているかと思ったのですが,意外なほどスピードが上がりませんでした。車体に何か問題が生じたのかと思うほどでした。佐々木悠葵の捲りはマークの武藤が離れてしまったほど素晴らしいもので,このレースは展開が向いたという感じはありますが,この開催の調子のよさを十分に生かしきったと思います。
第二部定理一三系 では,人間の身体Corpus humanumは僕たちがそれを感じている通りに存在するということが証明されています。デカルト René Descartesは,自分の身体が存在するということは確実視できなかったので,神Deusを通してこのことを論証するに至りました。それに対していえば,スピノザはそのような論証過程を経ずとも,人間の身体が現実的に存在するということを論証したことになります。ただ一方で,このことは,定理Propositioとして論証されているわけですから,僕たちが思惟しているということ,したがって思惟している僕たちの精神mensが現実的に存在するということが公理Axiomaとして,すなわちそれ自体で明らかなこととして示されているのとは異なり,それは自明ではなく,論証されなければならないことであったことも確かです。自分の身体が存在するということについては論証Demonstratioによって確実視されることであるけれど,自分の精神が存在するということについては論証を経ずともそれ自体で確実視できることであるという相違がスピノザの哲学には確かにあるのであって,そのことを僕たちに教えてくれるというだけで,吉田が第二部公理二を援用していることは意味のあることだと僕は考えるのです。
前もっていっておいたように,第二部公理二を援用することによって,吉田はスピノザが私は考えているということを肯定していることを示し,「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」を単一命題と解することによって,精神としての私が存在する私の一側面であるといっていました。いい換えれば,精神としての私が,私としての全存在を意味するのでなく,全存在としての私は精神としての私には汲み尽くされなくなったといっていました。なぜ吉田がそのようにいうのかといえば,私が考えつつ存在するというのであれば,考えている私というのは他と何らの関係も有さないような私ではなく,現に存在し,多くのものと刺激し合っているような私が,考えつつ存在しているということになるからです。これはどこか分かりにくいような説明に感じられるかもしれませんが,僕には正しい指摘であると思えます。これはデカルトがそのことによって考えていたことと比較すれば,容易に明らかにできるでしょう。
和歌山記念の決勝 。並びは菅田‐大槻の宮城,古性‐山口の近畿中部,石塚‐東口‐椎木尾の和歌山,松本‐山田の西国。
菅田がスタートを取って前受け。3番手に古性,5番手に松本,7番手に石塚で周回。残り2周のホームから石塚が動いていこうとすると先んじて古性が動き,菅田を叩きました。さらに松本が動いてバックでは古性の前に。その外から石塚が発進。松本が東口のインで粘って打鐘。その後ろも山田と椎木尾で併走となり,以下は古性‐山口‐菅田‐大槻の並びに。番手戦はホームで松本が制し,番手を奪われた東口が松本の後ろに。バックで松本が番手捲りに出て東口がそれに続きました。その外から古性の捲り。直線に入ってから松本を差し切った古性が抜け出して優勝。2着争いは大接戦でしたが番手を奪った松本が半車身差で2着。松本マークの山田が8分の1車輪差の3着で古性マークの山口が8分の1車輪差で4着。古性の後ろから捲り追い込んだ菅田が半車輪差の5着。
優勝した大阪の古性優作選手はグランプリ から連続優勝。記念競輪は富山記念 以来の13勝目。和歌山記念は昨年 からの連覇で2勝目。このレースは脚力で古性が断然の上位。ただ和歌山勢の邪魔はできないでしょうから,そこがどう出るかといったところ。松本が地元勢に競り込んで,番手を奪っての発進でしたから,届くかどうか心配なところもありましたが,問題ありませんでした。結果的には隊列が短くなった分よかったのかもしれません。菅田を叩いた後で菅田がインから巻き返そうとしたのですが,その巻き返しを許さなかったのがとても大きかったと思います。
神 Deusが世界を創造するcreareというときには,まず神が存在して,その後に創造された世界が存在するようになるということが必要とされます。したがってこの場合は,単に原因causaである神が世界に対して本性naturaの上で先立っているだけでは十分ではないのであって,存在existentiaの上でも神が世界に先立っていなければなりません。しかしすでにみたように,スピノザの哲学では,原因である神が結果effectusである直接無限様態に対して本性の上では先立ちますが,存在の上で先立つわけではありません。同様に,原因である直接無限様態は本性の上では結果である間接無限様態に先立ちますが,存在の上では先立つわけではありません。純粋に存在だけに目を向けた場合には,神も神の本性essentiaを構成する属性attributumも,直接無限様態も間接無限様態も,同じ意味で永遠aeternumであるといわれるのであり,永遠から永遠にわたって存在するという意味においては,区別はないからです。なのでスピノザの哲学では,僕たちが普通に解するような意味においては,神が世界を創造するということが否定されていると解さなければなりません。他面からいえば,神がある事柄を意志するからそのような世界が創造されるというわけではないだけでなく,神がある事柄を認識するcognoscereから,そう認識された世界が創造されるというわけでもないのです。第二部定理七系 でいわれているように,神が思惟する力potentiaは神が現実的に行動する力と等しいのであって,それを上回っているわけではありません。神がある事柄を思惟したらその事柄は現実的に生じているのですが,それは前者が原因で後者が結果であるという関係にあるわけではなく,ある事柄が神の力によって現実的に生じたら,そのことの観念ideaも神のうちにあるという以上でも以下でもないのです。
このように考えれば,スピノザの思想は主意主義的でないだけでなく,主知主義的でもないということが理解できると思います。神の認識cognitioは現実的世界の存在に対して原因でも結果でもなく,単に同一個体であるというだけであるからです。ただそうはいっても,スピノザは神に自由意志voluntas liberaを認めないのですから,どちらかといえば主意主義よりは主知主義の方に親和性があるのは確かです。
立川記念の決勝 。並びは郡司‐岡村の南関東,藤井‐山口‐清水の中部近畿,取鳥‐園田の西国で平原と高橋は単騎。
平原,山口,郡司の3人が飛び出したのですが,その後で牽制に。誘導の後ろに入ったのは山口で藤井の前受けに。4番手に郡司,6番手に平原,7番手に高橋,8番手に取鳥の周回に。残り3周のバックから取鳥が上昇していき,ホームで藤井を叩こうとしましたが,藤井が突っ張りました。取鳥はあっさりと引いたので周回中と同じ隊列に戻って打鐘。この一列棒状のままホームを通過し,バックに入るところから郡司が発進。藤井との車間を開けていた山口が番手捲りで対応。郡司は捲れないとみて,清水が離れていたので山口の後ろに入りました。ここで平原が郡司の後ろを奪う形に。直線に入ってまた郡司が山口を抜きにいきましたが,山口が粘って優勝。郡司が4分の3車輪差で2着。郡司を追った平原が1車身半差で3着。
優勝した岐阜の山口拳矢選手は一昨年7月の名古屋記念 以来の記念競輪2勝目。GⅢは3勝目。一昨年は日本選手権を優勝したので昨年はS班でしたが優勝はありませんでした。このレースは藤井の先行が有力で,その番手から発進するであろう山口を,郡司が捲れるかというのが最大の焦点。山口の番手捲りがあるとはいえ,郡司はそのラインの4番手追走と,作戦面は悪かったわけではありません。藤井の後ろから山口に番手捲りをされると,郡司の力ではやや及ばないということなのでしょう。
これをいうときには必ずいっておかなければならないことなので,ここでもいっておくことにしますが,デカルト René Descartesのこの考え方は,スピノザによって否定されるいくつかのデカルトの考え方のうちのひとつであって,そういってよければその代表的なもののひとつです。つまりこれはあくまでもデカルトの考え方の説明なのであって,スピノザがそれに同意しているわけではありません。確実性certitudoの問題は真理veritasのしるしsignumの問題に還元されることになるのですが,スピノザにとって真理のしるしとは真理それ自身にほかなりません。スピノザの哲学における真理というのは,真の観念idea veraの総体を意味しますから,思惟の様態cogitandi modiであって,かつ個々の真の観念が個々の真理のしるしである,あるいは同じことですが真の観念が個々の真理の確実性を保証するのです。このために神Deusが存在している必要はありませんし,神を十全に認識している必要もありません。ただ現実的に存在するある人間の精神mens humanaのうちにXの真の観念があるのであれば,それ以外の何も必要とせず,その人間はXについて確実であることができます。これは,Xの真の観念が現実的に存在するある人間の精神のうちにあるのであれば,その同じ人間の精神のうちにXの真の観念の観念idea ideaeもあるとスピノザは主張するからです。よって現実的に存在するある人間の精神のうちにXの真の観念があれば,その人間はXの真の観念を知っているということを知ることができるので,Xについて確実であることができるということです。スピノザはこのような考え方を,デカルトの哲学の解説書である筈の『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』の中ですでに仄めかしているということは,かつて検討した通りです。
デカルトはスピノザのように考えるconcipereことができなかったので,考えている自分自身に対して,世界の確実性を保証してくれる存在existentiaとしての神すなわち完全な存在を必要としたのでした。ただし,知の確実性をこのような仕方で根拠づけようとすると,別の問題が生じてくると吉田は指摘しています。というのも,個々の真理を神によって根拠づけるなら,その真理は自ずからそうなっているから真理であるということはできなくなるからです。
12月30日に静岡競輪場 で行われたKEIRINグランプリ2024 。並びは真杉‐平原の関東,北井‐郡司‐岩本の南関東,脇本‐古性の近畿で新山と清水は単騎。
牽制の発走から平原が誘導の後ろに入って真杉の前受け。3番手に脇本,5番手に清水,6番手に北井,最後尾に新山で周回。残り3周のバックで真杉が誘導との車間を開け始めました。バックを通過したコーナーから北井が上昇を開始。残り2周のホームで北井が真杉を叩くと真杉は岩本の内で粘りました。北井がペースを落としたのでバックに入って脇本が発進。北井を叩いて打鐘。このラインに続いていた清水まで続きました。北井が叩かれたのでホームで郡司がこのラインを追った新山の後ろにスイッチし,さらに新山の内から清水の後ろに。脇本のスピードがよかったので,この4人が勝負圏内。直線に入って踏み出した古性が脇本を差して優勝。古性マークのレースになった清水が4分の3車身差で2着。脇本が半車輪差の3着で郡司が4分の3車輪差で4着。
優勝した大阪の古性優作選手は10月の寛仁親王牌 以来の優勝でビッグ10勝目。グランプリはやはり静岡で開催された2021年 に優勝していて3年ぶりの2勝目。ほかに静岡では2018年 と2019年 に記念競輪を制しています。このレースは北井が楽に先行して無風で番手を回れた郡司が番手捲りに出るというような展開にでもならない限りは近畿勢が優勢で,番手の古性が最有力候補だろうとみていました。真杉を叩いた後で北井があまりスピードを上げなかったのがどういう理由だったのかは分かりませんが,このために脇本の先行となり,僕が予想していたような結果となりました。単騎のふたりのうち,新山は単騎戦が不得手ですが清水は得意としているタイプなので,こういう結果も十分に予測でき,配当は意外なほどついたという印象です。
「我思うゆえにわれあり cogito, ergo sum」は,デカルト René Descartesが確実なものを求めた結果effectusとして得ることができた結論ですが,吉田がいっているようにあくまでもこれは第一の結論です。哲学を開始するためには確実なことが必要であるから確実なものが求められたのですから,この結論は最終的なものというより,哲学を開始するための出発点であったという方が正しいのです。
デカルトが確実であるとしたのは考えるconcipere自分自身でした。説明しておいたようにこれは精神mensとしての自分自身,思考作用としての自分自身であって,人間が精神と身体corpusをもってこの世界に生きているとしたら,精神としての自分自身に限られるのであり,かつすべての精神というより,すべてを疑うというある特定の思惟作用をなしている限りでの自分自身です。スピノザの哲学に照らし合わせていえば,人間の精神mens humanaが何かを表象するimaginariというのは思惟作用を意味しますが,こうした表象作用についてはデカルトは疑い得ると考えていたのですから,表象する限りでの精神というのはデカルトにとっては確実ではないのであって,哲学の出発点にはなり得なかったと解しておくのがよいでしょう。よって吉田のいい方に倣えば,自覚的かつ反省的な思考活動を繰り広げているときの我は確実であっても,そうした活動を繰り広げていないときの我は存在しているかいないか分からないことになりますし,身体としての我というのも,考えている我の存在existentiaからは直接的に何か確実なことを導き出すことはできないのです。
そこでデカルトは神Deusをもち出すことになります。そのためにまず神が存在するということを証明します。その証明方法はおおよそ次のようなものとなっています。
まず第一の基礎となるのは,僕たちが完全なものについてそれを考えることができるという点です。いい換えれば,僕たちの精神のうちに完全なものの観念ideaがあるということです。僕たち自身は錯覚したり推論を誤ったりありもしないことを夢見たりするように,完全であるということは到底できません。いい換えれば人間は不完全です。あるいはもっと限定していえば,人間の精神は不完全です。このゆえに,完全なものの観念が重視されます。
12月28日に静岡競輪場 で行われたヤンググランプリ 。並びは中野‐大川の北日本,村田‐纐纈の中部,太田‐真鍋の瀬戸内,後藤‐東矢の九州で山口は単騎。
スタートを取りにいったのは中野と村田。中野が誘導の後ろに入って前受け。3番手に太田,5番手に後藤,7番手に村田,最後尾に山口で周回。残り2周のホームから村田が一気に動いていき中野を叩きました。その外から後藤が発進。バックで村田を叩いて打鐘。このラインを追ったのが太田でしたが,マークの真鍋が山口に絡まれたために離れてしまい単騎の動きに。太田の動きを追った中野が後藤を叩いた太田の番手に嵌りました。村田が巻き返しにいきましたが,中野が番手から前に出ようとしたため外を回らされて失速。抜きにいった中野に対して太田が頑張ったので直線は競り合い。太田が中野を張るために外に出たため,空いた内を村田の番手から進路を変更した纐纈が突いて優勝。中野が半車身差で2着。中野の外から伸びてきた東矢が半車身差の3着で太田は半車輪差の4着。
優勝した愛知の纐纈洸翔選手は6月の福井のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは中野と太田の力がほかの選手より明らかに一枚は上回っていました。ただそのふたりが残り半周ほどを競り合うことになったため互いに力を消耗。その隙を纐纈が突いたという形の優勝。村田の捲りは外をいったものだったのですが,直線の手前でうまく進路を内に切り替えたのが功を奏しました。レース巧者というタイプなのだと思います。
錯覚をしたり誤謬 errorを犯したり夢を見たりすることはあるとしても,そのことを考えているのが自身であることは変わりありません。したがって,自身が何かを考えているということは確かに成立しているとデカルト René Descartesは気付きました。ということは,その考えている主体subjectumである自分自身が存在しているということもまた成立しているとデカルトは結論しました。したがって,自身が向き合っている世界は不確実で頼りないものとデカルトは疑い得たとしても,その不確実で頼りない世界と向き合っている自分自身が存在しているということは確実である,つまり疑い得ないとデカルトは結論したことになります。これが「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」といわれるデカルトの第一の結論です。
この吉田の説明は,「我思うゆえに我あり」という結論を導きやすいようになっています。この部分は次のように説明された方が理解は容易だと思います。
デカルトはどんな事柄もとりあえず疑ってみるという方法を採用しました。この方法を採用すれば,吉田がいっている通り,大概のことは疑い得るのであって,少なくとも自身が向き合っている世界のうちには疑い得ないようなものは何もないのです。ただし,どんな事柄でも疑うという自身の思惟作用は確かに存在するのであって,デカルトがすべてを疑うとすれば,デカルトがすべてを疑っているということはデカルトには否定できない事実だったのです。だから疑っている自分自身が存在しているということについてはデカルトは疑い得なくなったのであり,それは確実なことであるということが第一の結論になったのです。よって,ここで我ありといわれている我というのは,疑っている我という意味にほかなりません。疑うのは思惟作用ですから,その主体を措定するとすればそれはデカルトの精神mensということになるでしょう。つまりデカルトは自身の精神,すべての事柄についてそれを疑っている自身の精神が存在するということは確実で疑い得ないと結論したのであって,身体corpusをもつ物体的存在としてのデカルトが存在するということを確実と結論したのではありません。むしろそれについてはデカルトは疑い得ると考えていたのです。
昨日の佐世保記念の決勝 。並びは佐々木‐末木の上甲,深谷‐渡辺の静岡,窓場‐稲川‐村田の近畿,松浦‐荒井の西国。
渡辺がスタートを取って深谷の前受け。3番手に松浦,5番手に佐々木,7番手に窓場で周回。残り3周のバックから窓場が上昇開始。コーナーで深谷に並びかけるとホームで叩きました。コーナーで外から松浦が上昇し,バックで窓場を叩いて前に。佐々木がさらに外から松浦を叩いて打鐘。ホームでは末木が佐々木との車間を開けて待機。バックから松浦が発進。末木が牽制しましたが乗り越えました。しかしこのラインの後ろにいた窓場の捲りには抵抗できず,窓場が先頭。荒井が松浦から窓場にスイッチしましたが振り切った窓場が優勝。荒井が4分の3車輪差で2着。大外から捲り追い込んだ深谷が2車身差で3着。
優勝した京都の窓場千加頼選手は4月の向日町のFⅠ以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースは松浦と深谷の実績が上位でしたが,窓場は脚力では遜色ないところまできているので,チャンスはあるとみていました。先行になっては苦しいと思っていたのですが,捲る展開になって力を出すことができたという印象。記念競輪はこれが初優勝なのですが,ビッグを獲得してもおかしくない選手だと思っています。
この部分は吉田の記述,正確にいえば講義の内容もどことなく不確かなものとなっています。吉田によれば,ステノ Nicola Stenoは,上申書を書いている間,バチカン写本 が含んでいる毒に,たとえ偶然にでもだれかが触れてしまうことがないように,バチカン写本を肌身離さず持ち歩いていたと語っているそうです。もしステノのこのことばが,上申書を提出してからバチカン写本を提出するまでのおよそ3週間の期間を含んでいるのであれば,辻褄は合うことになります。しかしそうであるなら,ステノがどこでそのように語っているかということを問題としなければなりません。発見されたバチカン写本は発刊され,それに解説とステノの上申書が付せられているのですから,普通に考えればこれは上申書の中でステノが語っていることばだと思われます。実際にこの文章は,上申書を提出するまでの間はバチカン写本を肌身離さず持っていたというように読解できますから,上申書に書かれている内容であると解する方が自然でしょう。とすると,上申書を提出してからバチカン写本を提出するまでの3週間の期間のことはここには含まれていないということになるでしょう。もちろんその3週間の間も,ステノがバチカン写本を肌身離さず所持していたということは間違いないと僕は思いますが,なぜ上申書とバチカン写本の提出の間に3週間の期間があったのかということは謎として残ります。上申書はバチカン写本に関する説明なのですから,上申書の内容を審査するためには,資料としてバチカン写本が必要だったと僕には思えるからです。
遺稿集Opera Posthuma は同年の暮れになってからオランダで発刊されました。ローマカトリックはその遺稿集に対して異例の早さで禁書指定に動き,実際に禁書となりました。これはステノのカトリックに対する大きな功績といえるでしょう。もちろんそれはカトリックに対するという前提なのであって,自由思想家にとってはステノの動きは迷惑なものでしかなかったことは間違いありません。
吉田によれば,ステノが科学の研究から完全に身を引いたのは,この上申書およびバチカン写本を異端審問の機関に提出した1677年のことであったそうです。
玉野競輪場 で行われた昨日の広島記念の決勝 。並びは新山‐菅田‐渡部の北日本,太田‐松浦‐池田の山陽で鈴木と佐々木と山田は単騎。
菅田がスタートを取って新山の前受け。4番手に鈴木,5番手に佐々木,6番手に太田,最後尾に山田で周回。残り3周のバックから太田が上昇を開始。山田が続きました。誘導との車間を開けてバンクの中腹まで上って新山が待ち構えると,バンクの上段まで上がった太田がホームから山おろしを掛けるように発進。新山は突っ張ろうとしましたが太田が叩き,山田まで出きると,鈴木が山田の後ろにスイッチし,そこに佐々木も続いて新山が7番手に。バックで鈴木が内を掬うと山田が弾かれ,鈴木が4番手,佐々木が5番手,山田が6番手となって打鐘。松浦は太田との車間を開けて後ろを牽制。バックから佐々木が発進していくと松浦も番手捲りを敢行。松浦マークの池田が佐々木を牽制。番手から出た松浦が後ろを引き離して優勝。佐々木マークのようなレースから直線で池田と佐々木の間を突いた山田が3車身差で2着。池田が半車輪差で3着。
優勝した広島の松浦悠士選手は9月の岐阜記念 以来の優勝で記念競輪22勝目。広島記念は2018年 ,2021年 ,2022年 と優勝していて2年ぶりの4勝目。玉野では2022年のサマーナイトフェスティバル と今年 の記念競輪も優勝しています。このレースは太田と新山の先行争いがあるかどうかがひとつの焦点。太田がすんなりと先行することができましたので,番手の松浦にとってとても有利になりました。近年に比べると苦労した1年でしたが,脚力は戻ってきているようですので,来年は期待できるのではないでしょうか。
吉田は何も触れていないのですが,ここの部分には重要な点が含まれていると僕は考えています。
『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』は,匿名で出版されたのですが,著者がスピノザであるということは公然の事実でした。だから書簡四十二 はフェルトホイゼン Lambert van Velthuysenの論考を求めたオーステンスJacob Ostensがスピノザに送ったのですし,スピノザは自身が著者であることを隠そうとせずオーステンスに宛てて書簡四十三 という返信を書いています。またライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに宛てた書簡四十六 ではスピノザは私の『神学・政治論』といういい方をしていますし,書簡七十 によればスピノザは自著として『神学・政治論』をホイヘンス Christiaan Huygensに献本しています。もちろんこうしたことは書簡の中のことであって,書簡を交わし合うような仲の人物に対しては『神学・政治論』が自著であるということを隠す必要はないとスピノザが考えていたがゆえであったかもしれません。しかしそこでそのことを否定する必要がないほど,『神学・政治論』の著者がスピノザであるということは公然の秘密であったからだという見方もできると思います。
ステノ Nicola Steno自身も書簡六十七の二 の中で,『神学・政治論』という名前こそ出していませんが,それと理解できるような文章において,その本がスピノザの手によるものだと多くの人がいっているし,自分もそう思っているといっています。もしもスピノザがステノに対して『神学・政治論』を献本していれば,はっきりとそういいきれた筈ですから,スピノザはおそらくステノには『神学・政治論』を献本しなかったのでしょう。書簡七十六 の内容によって,スピノザはステノがカトリックに改宗したことは間違いなく知っていました。研究活動よりも宗教活動に中心を移行したということももしかしたら知っていたのかもしれません。それはおそらく,書簡六十七の二の中でステノがいっているように,ステノがイタリアに移ってからもスピノザとステノは疎遠ではなかったため,ステノがスピノザにそれを知らせたからでしょう。すでに指摘しておいたように,遅くとも『神学・政治論』が出版された時点では,ステノはカトリックに改宗していましたから,そのことが影響したと思われます。
8日の松山記念の決勝 。並びは山崎‐大槻の北日本,深谷‐松谷‐山賀の南関東,犬伏‐松本‐橋本の四国で浅井は単騎。
松本がスタートを取って犬伏の前受け。このラインの後ろは内の深谷と外の浅井でしばらく併走していましたが,深谷が譲り4番手に浅井,5番手に深谷となって8番手に山崎で周回。残り3周のバックから山崎が上昇を開始。犬伏の外に並んでホームへ。誘導が退避するタイミングで犬伏が突っ張り,コーナーで山崎は一時的に浮いてしまいましたがうまく下りてきて,浅井の内に潜り込んで併走のまま打鐘。深谷が大槻の後ろになった隊列から犬伏が本格的に発進。松本は犬伏との車間を徐々に開けていきました。バックから深谷が発進。待ち構えていた松本が合わせて牽制をしながら番手から発進。外を回らされた深谷もよく食い下がりましたが,松本に追いつくところまではいかず,優勝は松本。深谷が1車身差で2着。松本マークの橋本が8分の1車輪差で3着。
優勝した愛媛の松本貴治選手は防府記念 以来の優勝で記念競輪3勝目。松山記念は2021年 にも優勝していて2勝目。このレースは犬伏の先行が有力で,松本の二段駆けが見込めるところ。それを脚力で上位の深谷が捲れるかが焦点。この焦点通りのレースになりました。松本がただ番手から捲っていくのではなく,深谷を牽制するように発進していったのがうまく,最後まで抜かせないことに成功。純粋な脚力勝負になっていれば少なくとももっと差は詰まっていたでしょうし,あるいは深谷の逆転まであったかもしれません。
吉田がいうように,書簡六十七の二 は,スピノザに宛てられたわけではなく,パンフレットのような公開書簡であったとしてみましょう。この場合は考慮しておかなければならない点があります。
書簡六十七 と書簡六十七の二の大きな差異は,何度もいっているようにその内容にあります。アルベルト Albert Burghはスピノザに対して憎悪のような感情affectusを抱いていて,それを剝き出しにしています。しかしステノ Nicola Stenoの書簡からスピノザに対する憎悪のような感情はみられません。むしろ感情としていえば,憐れみcommiseratioに近いものが感じ取れるのであって,誤った道に進んでいるスピノザを,カトリックという正しい道に誘導しようという,一種の心遣いが感じられます。
憎悪を剥き出しにして罵詈雑言を浴びせるのも,憐れみを抱いて道を正そうとするのも,自身の立場が正しいということでは一致しているのであって,上から目線をスピノザに対して発しているという点ではアルベルトもステノも同じといえます。しかし,罵詈雑言を浴びせるのと,相手を正しい道に導こうとするのでは,読み手の印象は明らかに異なるでしょう。アルベルトの書簡はスピノザという個人に向けられたものですから,スピノザがどういう印象を抱いたとしてもアルベルトには関係ないといえます。ですからアルベルトは躊躇なくスピノザに罵詈雑言を浴びせることができます。しかしステノの書簡は公開されることが前提とされているとしたら,それを読むのはスピノザであるとはいえないのであって,不特定多数の人がその書簡の相手になっているとみることができます。当然ながらステノは書簡を書くにあたって,そのことを意識するでしょう。したがってもしその内容が憎悪に満ち満ちたもので,スピノザに対する罵詈雑言に溢れていたとしたら,それを読んだ人の印象は甚だ悪くなるでしょう。なので,書簡六十七の二の内容が,現にあるもののようになった要因が,これが公開書簡であったという点にあったかもしれないことになります。逆にいえば,本当はステノはスピノザに対して憎悪を抱いていたのであって,もしスピノザ宛に書簡を書けば,アルベルトと同じようなものになっていたかもしれません。
大垣記念の決勝 。並びは中野に瓜生,森田‐坂井‐白岩の関東,山口‐不破の岐阜,松浦‐中本の西国。
坂井と白岩がスタートを取りにいって森田の前受け。4番手に松浦,6番手に山口,8番手に中野で周回。残り3周のバックの出口から中野が上昇していくと,山口が合わせて出ていきました。残り2周のホームで誘導との車間を開けて待っていた森田,山口,中野の3人が併走となり,外から中野が前に出ました。内の森田は番手に飛びつきにいったので,中野の後ろは内の森田と外の瓜生で併走。その後ろが内の山口と森田マークの外の坂井で併走になって打鐘。隊列が短くなって松浦が発進。ホームで中野を叩きましたが,中野が番手に嵌り,松浦マークの中本は中野の後ろに。バックから坂井が自力で発進。すぐに松浦を捲りました。山口が坂井にスイッチしたのですが,松浦の牽制を受けて失速。このために坂井が後ろを離して優勝。立て直した山口が3車身差で2着。松浦が2車身差で3着。
優勝した栃木の坂井洋選手は前回出走の岸和田のFⅠから連続優勝。2021年11月の四日市記念 以来となる記念競輪2勝目。このレースは熊本勢がふたりいたのですが,中本は松浦,瓜生が中野の後ろを選択したので,それぞれにラインのある4分戦になりました。マーク選手よりも自力の選手の方が力量は上だったので,並びが出た時点で自力型の力勝負になると予想。坂井は自力があってかつ森田をマークできるのでチャンスはあるとみていました。森田が飛びつきを狙うレースになったので,マークを外すような形で山口の外を並走になったのですが,かえってそれが幸いしました。マークを守って山口と内と外が逆になっていたら,優勝は山口だったかもしれません。
書簡六十七の二 でステノ Nicola Stenoがスピノザのことを今でも疎遠ではないというとき,この今というのいうのが当然ながらステノがこの書簡を書いている時点の今であるということは明白です。この書簡は1675年にフィレンツェで書かれたものと推定されますから,その時点でもステノはスピノザを疎遠ではないと思っていたことになるでしょう。なお,この書簡にはスピノザの名前は出ておらず,宛先は新哲学の改革者となっていますし,書簡の文中ではあなたといわれていますが,それがスピノザを意味することは間違いありません。また,この書簡の冒頭に,あなたの著作であると他人がいい,ステノ自身もいろいろな理由からそのように思っている本,という表現がありますが,この本が『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』を意味することも間違いないでしょう。
ですから,ステノはオランダを離れてイタリアに移っているのですが,イタリアに移ってからも,ステノはスピノザの,またスピノザはステノの,動向といったものをある程度は知っていたと解するのが自然であると思います。なので1669年にイタリアで著した自身の本を,ステノがスピノザに贈ったということは,たぶん史実なのではないかと思います。吉田はスピノザとステノの交わりがどの程度まで親密なものであったのかは分からないとしていますが,もちろんたとえばマイエル Lodewijk Meyerとかシモン・ド・フリース Simon Josten de Vriesといったような,スピノザの親友たちとの交わりに比較したならそれほど親密ではなかったといえるでしょうが,スピノザと面会したことがある人物のうちブレイエンベルフ Willem van Blyenburgとかライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizと比べたら,少なくとも遜色なく,あるいはそれ以上に親密であったと考えてよいように思います。
それから吉田は書簡六十七の二は,スピノザに宛てられた書簡であったわけではなく,公開書簡の形式で書かれた一種の宗教的パンフレットだったのではないかと推測しています。そしてそのことの根拠として,もしもこれがスピノザに宛てられて書かれたものであったとしたら,スピノザはそれを保管しておいた筈だから,それが遺稿集Opera Posthuma に掲載されなかったのは不自然であるということをあげています。これは説得力があります。
小倉競輪場 で争われた昨晩の第66回競輪祭の決勝 。並びは菅田‐松谷の東日本,寺崎‐脇本‐村上の近畿,犬伏‐松浦‐荒井の西国で浅井は単騎。
スタートを取りにいったのは松浦と荒井と菅田の3人。松浦が誘導の後ろに入って犬伏の前受け。4番手に菅田,6番手に浅井,7番手に寺崎で周回。残り3周のホームの出口から寺崎が上昇。バックで犬伏と併走になりました。ホームで外から寺崎が前に出て,4番手に犬伏,7番手に浅井,8番手に菅田の一列棒状になって打鐘。ホームに戻って犬伏が巻き返していくと脇本が番手発進で対応。追い上げてきた犬伏が脇本の番手に嵌り,その後ろが内の村上と外の松浦で併走に。しかし併走の両者は前をいくふたりとの車間が開いてしまいました。直線に入っても脇本のスピードは衰えず,マークになった犬伏を振り切って優勝。マークの犬伏が1車身差で2着。村上の外を回った松浦が3車身差で3着。
優勝した福井の脇本雄太選手は9月の向日町記念 以来の優勝。ビッグは3月のウィナーズカップ 以来の11勝目。GⅠは2022年のオールスター競輪 以来の8勝目。競輪祭は初勝利。このレースは寺崎が後ろからの周回になったので,前受けの犬伏を叩きにいくことになりました。そのときに犬伏が飛びつくのではなく,引いて巻き返すという戦法を採ったので,脇本が無風で番手を回れることに。犬伏の発進に合わせて番手から発進し,後ろに犬伏に入られてしまったのですが,小倉で1周くらいの先行であれば,自力型の犬伏に番手に入られてしまっても,余裕で振り切るだけの脚力があるということでしょう。犬伏は自分が勝つための戦法ですから,これはこれで悪くないと思いますが,脇本との差をほとんど詰められなかったのは課題といえそうです。
第九回の中で,今世紀に入ってから『エチカ』の草稿の写本が発見された事実について,詳しい講義が行われています。ここで改めてどういった事情であったのかということを確認しておくことにします。
このことが公になったのは,2011年の梅雨入り前であったと吉田はいっていますので,おそらく6月のことであったと推測されます。情報の発信源はオランダの新聞のウエブサイトだったそうです。その一報で明らかにされたのは,2010年の10月に,バチカンにある異端審問関係の資料の倉庫で,スピノザの遺稿集Opera Posthuma が発刊される以前に遡ることができる『エチカ』の手書きの原稿が発見されたというものでした。それは,スピノザ本人の自筆の草稿ではないものの,おそらく自筆の原稿から丁寧に写し取られた写本であるということまでそこでは伝えられていました。
吉田は話の大筋とは関係ないからということで講義の中では語っていませんが,この写本を書いたのはスピノザの友人でラテン語の優れた使い手であったピーター・ファン・ヘントです。これはヘントがホイヘンス Christiaan Huygensに宛てた自筆の書簡が現存していて,その筆跡によって鑑定された結果ですから,歴史的事実であると解して大丈夫です。実際に写本が書かれたのは,こちらは想定で,1674年末か1675年初めとされています。かなり短い期間に特定されていますので,これも想定とはいえ,ほぼ歴史的事実と解して大丈夫でしょう。このあたりのことは『スピノザー読む人の肖像 』に書かれていて,それを検討したときに書いていますので,より詳しいことはその部分を読み直してください。
この写本,吉田はバチカン写本と命名していますので,僕もここからヘントの手によるこの写本をバチカン写本ということにしますが,このバチカン写本は発見にたずざわったふたりの手によって,2011年の夏に貴重な資料として活字化されました。そしてバチカン写本が活字化されるにあたって,解説が付せられ,その解説によってバチカン写本の発見に関する諸事情も明らかにされたのです。ただしこの諸事情に関してもすでに説明してありますから,ここではそれを繰り返すことはしません。