例えば・・・
この季節の恒例「賀詞交歓会」や「新年互例会」
暑中見舞いに年賀状
或いは「喪中のご挨拶」
etc・・・・・・
そういう「みんながやっているから」ということは少なくありません。
みんながやっているから「悪い」というのではありません。
しかし、気持ちが伴わないものや、代々の先輩がやってきたから、というのは楽しいものではありませんね。
賀詞交歓会などでも「御来賓の挨拶」が延々と続き、目の前の料理が冷め、冷えた乾杯用のグラスが温くなるのを我慢している人も少なくありません。
郵便物も含め、その見直しの空気もあるようですが、限定的です。
いや、無くなってしまうと経済的に困るホテルや、郵政や、それに繋がっている下請けがあるのでしょう。
しかし「方法を考える」
「回数を考える」
「人数や枚数を考える」
などの検討をしたらどうかな?と思っています。
そういう点では我が日本ソムリエ協会では懇親会などの挨拶は短め、或いは人数の限定を早くから施しており・・・・
あ、結局私が苦手な儀礼の言い訳でした(汗)
樋口誠
この季節の恒例「賀詞交歓会」や「新年互例会」
暑中見舞いに年賀状
或いは「喪中のご挨拶」
etc・・・・・・
そういう「みんながやっているから」ということは少なくありません。
みんながやっているから「悪い」というのではありません。
しかし、気持ちが伴わないものや、代々の先輩がやってきたから、というのは楽しいものではありませんね。
賀詞交歓会などでも「御来賓の挨拶」が延々と続き、目の前の料理が冷め、冷えた乾杯用のグラスが温くなるのを我慢している人も少なくありません。
郵便物も含め、その見直しの空気もあるようですが、限定的です。
いや、無くなってしまうと経済的に困るホテルや、郵政や、それに繋がっている下請けがあるのでしょう。
しかし「方法を考える」
「回数を考える」
「人数や枚数を考える」
などの検討をしたらどうかな?と思っています。
そういう点では我が日本ソムリエ協会では懇親会などの挨拶は短め、或いは人数の限定を早くから施しており・・・・
あ、結局私が苦手な儀礼の言い訳でした(汗)
樋口誠