小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

2012-01-25 09:58:03 | Weblog
昨日のアクセス数に比べ、案の定、本日の数字はガクンと下がりましたが、
それでも余韻が残っているのか、普段に比べるとかなりの数字です。

ブログの継続というのは、けっこう労力のいるもので、
直接仕事に結びつくものではないのですが、自分の発信することを人が読んでくれるのは、
ものづくりをする者として本望なので、今後も継続していきたいと思いますので、
どうぞ、みなさま引き続き「小暮満寿雄 Art Blog」をよろしくお願いします!


さて、Art Blogと銘打ちながら、近頃とんとアートの話はなく、
連日の相撲談義ですが、本日も格闘技関連のお話。
よろしければ、おつきあいのほどを。


「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

二段組み700ページ近くに及ぶ、話題の大著、読了いたしました。

読み応え十分、格闘技ファンなら必読。
そうでない方でも一読に値する読み物です。

ご存知ない方のために説明すると、木村政彦という人は、
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた、史上最強の柔道家です。

最強の柔道家ではあったのですが、さまざまな事情で当時は混沌としていた柔道界を去り、
プロレスに転身した人です。

生涯負けたことのなかったはずの木村政彦だったのですが、
転身してプロレスにおいて、あらかじめ引き分けが決まっていた力道山との試合で、
ある拍子に力道山がキレて暴走し、木村政彦を血みどろのKOにした・・・
というエピソードは、梶原一騎原作の「空手バカ一代」でご存知の方も多いことでしょう。

ご存知のようにプロレスは八百長というより、ショーの世界であり、
また、「空手バカ一代」のストーリーの大半が、梶原一騎の創作というのは、
今や、ちょっと格闘技に詳しい人なら常識となっているわけですが、
この木村政彦 vs 力道山の顛末は、おおむねマンガの内容その通りなようです。


どうも格闘技の世界というのは、白黒勝ち負けがハッキリしているようで、
実は真実が何だったかわからない、百鬼夜行の世界なようで、
どの格闘家も自分の視点でものを言うことや、
木村政彦 vs 力道山の試合のように、あらかじめ筋書きがあったものを、
片方が裏切ってKOしたなど、後世になればなるほど、
その真実の判断が難しくなるものが少なくありません。


本書は、当時街頭テレビが人で道路を埋め尽くしたという、
「木村政彦 vs 力道山」の試合に焦点を合わせて、日本の柔道はもちろん、
空手やプロレスなどの真実を、なるべく浮き彫りにさせようと試みた名著です。

戦前は講道館柔道だけでなく、さまざまな分派があったのも驚きでしたし、
さまざまな格闘家に取材した上で裏をとって、資料を調べたりと、
大変な労力がこの分厚い本には注がれています。

それにしても格闘技の世界は大変な世界です。
常人の及ぶ世界ではありません。


ところで、剣道高段者である甚之介さんのブログには、
もともと殺し合いが目的である格闘技の中で、
神事である大相撲がどういう位置づけであるか、明確に書かれています。

(まあ、相撲も古事記によれば野見宿禰(のみのすくね)が、
 当麻蹴速(たいまのけはや)を蹴り殺すという殺し合いではあるのですが)。


先日の注文相撲、変わられて負ける方が悪い、という意見もあります。
本来の格闘家ならそれはそうで、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者・増田俊也氏は、
”引き分けの筋書きを破って、力道山が暴走したにせよ、KOされたのは木村政彦の油断だ”。

悲しいけど、「木村政彦は負けたのだ」と記されてます。

ただ、このことを誰より知っていたのは木村政彦本人であり、
また注文相撲で負けた力士も同様です。

格闘技として見れば、戦や町の暴漢など、あらゆるシチュエーションを想定しないといけませんが、
相撲は町のケンカでも、戦争でもないんですから。
負けは負けですが、相手はやっちゃいかんよな。


写真は昨年の夏に行った出雲大社のしめ縄です。
そろそろアートの話もいくつか書いていきたいとも思っています。
コメント (6)
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