「地球最後の男」 リチャード・マシスン 著 田中小実昌 訳
ハヤカワ文庫NV 早川書房刊
を読む。
次の日曜日に「奇妙な世界の片隅で」のkazuouさん主催の読書会があって、参加を予定しているのですが、その第二部のテーマが「リチャード・マシスン」。ものすごく有名な作家なのだけれど、じつはぼく、読んだことがないのですよね。ここだけの話、名前の字面があんまりしっくりこないという謎の理由で(笑。でも何人かそういう理不尽な理由で読んでない人がいます)、これまで読もうと思わなかったのでした。しかし、いい機会だから一冊くらい読んでおこうと、一番有名な「地球最後の男」を読んでみました。
何度も映画化されているし、なんとなくこんな感じ、というイメージはもともとあったのだけれど、実際に読んでみると、さすがに才能のある作家であるということがわかります。後半はやや急展開でしたが、それがリーダビリティの良さにもつながっているわけで、最後のどんでん返しが生きるためには、結果として長さ的にもちょうどいいと言えそうです。シナリオ作家として、映像分野にも大きく関わっていることから、魅せ方を知っているのでしょうね。日本でいえば、平井和正みたいな感じなのかな。まあ、黎明期の日本のSF作家は、多かれ少なかれ、そういうところがあった気がしますが。
ちなみに、読書会の第一部のテーマは「世界の終わりの物語」ということ。こちらの方は、かなり親しみのあるテーマですが、問題がひとつあって、ざっと書架を見てみると、先日訃報の届いたばかりのオールディスの「地球の長い午後」をはじめ、それに合った本はたくさん見つかる(見つかりすぎるくらい)のですが、内容をあまり覚えていないのですよね。面白かったとか、あんまり面白くなかったとか、難しかったとか、そんな漠然とした印象ばかりで。やばいなあ、ボケてきたのかなあ。そもそも、もともとこんなもんだったかなあ。今更読みなおす時間もないし、自らの記憶力の低下を嘆くばかりです。そんなときには、吾妻 光良 & The Swinging Boppersの「学校出たのかな」という歌が頭の中をぐるぐる回ってしまいます。
吾妻といえば、先日コミケにちょっと行ってきたのですが、そこで吾妻ひでお先生の新刊「妄想アイドル図鑑」を購入。これはイラスト集ですが、その冒頭に、食道癌入門という、一ページの漫画が載っていたのですが(吾妻ひでお先生は、食道癌にかかって、現在闘病中。手術は成功したようです)、そのコマ外に「食道癌を題材にした長編漫画は描くつもりはありません。生死にかかわるので、笑えないから」という一言が。失踪日誌も、アル中病棟も、生死に関わるといえば関わる話だったような気はしますが、まあどちらも「懲りない面々」といった感じもあるので、本人がまったく悪くないのにかかってしまう癌という病とは確かにちょっと違う気もします。このあたりのバランス感覚が、先生らしくてとてもいいです。
ただ、それは十分に納得しますが、ファンの気持ちとしては、お体を大切にという気持ちは当然ある反面、もっと作品を読みたいというどうしようもない我儘もあって、たとえば「地を這う魚」(これは名作だと思うんですよね)の続編を、それこそコミケ黎明期の頃とか、日本SFが青春期であった頃、米沢さんや手塚さんが生きていた時代を描いてくれないかなと思ったりもします。なんといっても、吾妻先生はその中心にいたわけですし、先生にしか描けない、最も本質的なものというのがある気がします。まあ本当のところ、そういった資料的な意味を差し置いても、吾妻先生は筒井康隆先生と並んで、ぼくにとっては現在進行形のリビング・レジェンドの頂点にいる人ですから、単純にやっぱり読みたいですよね。
現代の厚い長編に慣れてると、物足りない感があるかもしれないけれど、個人的にはこのシンプルさは好きです。ただ、長編に比べて、やっぱりテーマが凝縮されている感じのある短篇の方が読み応えがあるかもしれないですね。
僕も「破滅もの」が大好きで、いろいろ読みましたが、細かいところはすっかり忘れてます。『地球の長い午後』とか『人類皆殺し』とか、強烈なインパクトのあるものの方が印象に残ってますね。
破滅ものは、沢山ありますが、破滅自体がテーマのものはどれも似たりよったりになるので、それ以外の要素がポイントになりますね。