漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

『平成怪奇小説傑作集3』

2020年03月09日 | 読書録

『平成怪奇小説傑作集3』を読み始める。

京極夏彦『成人』
冒頭から「断っておくが、これから記す事柄は実話ではない」という挑戦的な文から始まるが、もちろんそれはレトリックであって、子供の作文などから組み上げられた、とある家の二階の部屋にいるであろう、ある存在を浮かび上がらせた小説。その存在は、最後まで明確な形は描かれないが、何ともいえない気味悪さが残る

高原英理『グレー・グレー』
これは『リテラリーゴシック・イン・ジャパン』に収録されているのを読んだことがある。ウォーキング・デッドを描いたものだが、パニック小説というよりも、穏やかな終末を描いた作品。

大濱普美子『盂蘭盆会』
お盆という、死者たちが帰ってくるという特異日に、自分以外はだれもいなくなってしまった古い日本家屋の中で、かつての日々を回想するという物語。生者と死者の時間が一瞬重なりあう様子が悲しくも美しかった。

木内昇『こおろぎ橋』
時代物。病に伏せる母のために、長年勤めて、天職であるとも思っていた漆問屋を辞めて、介護に専念することに決めた男の物語。良い薬屋があるというので、訪れたその店で、さらに奥へゆくように促された男は、そこでひとりの女性に出会い、毎日薬をもらって帰るという日々を始めるのだが…という物語。明かされてしまうと、ああなるほどと思うが、語りが滑らかなので、最後までその可能性には思い至らなかった。

有栖川有栖『天神坂』
美食と幽霊の組み合わせという、ちょっと異色なゴースト・ハンターもの。木星あこ『美食亭グストーの特別料理』などもグルメ+怪異だったが、こちらはあくまで粋で上品なのが、むしろ異色なのか。

高橋克彦『さるの湯』
東日本大震災の年に発表された作品ということで、あまりにも多くの失われた命に対する愛惜が色濃い。いとうせいこう『想像ラジオ』なんかもそうだった。

恒川光太郎『風天孔参り』
山の中にふと現れる、風天孔と呼ばれる別の世界への「入り口」をめぐる物語。いくつか読んだことのある恒川さんの作品は、この作品も含めて、異界への入り口を描いたものが多く、独自の宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)の感覚を持っている印象。

小野不由美『雨の鈴』
これも単行本で読んだことがある。ゴーストハンターものだけれど、幽霊を退治するという感じではない。共存するという感じ。静的で、ジェントルなゴーストハンターもの。

藤野可織『アイデンティティ』
昔、雑誌『ムー』などで人魚や鬼のミイラを見たときの衝撃はすごかったが、あれが実は日本が海外に輸出していた一種の工芸品であると知ったときの驚きもすごかった。これはそのあたりのことをちょっとユーモラスに描いた短編。

小島水青『江の島心中』
しっとりとした怪談。美しい女性の幽霊とともに、築地から江ノ島へと電車で向かうという旅愁。この第三巻は特にこうした情緒のある怪談が多い気がするが、それがここ数年の傾向ということなのか。江ノ島は数えきれないくらい訪れている場所なので、楽しく読めた。

舞城王太郎『深夜百太郎(十四太郎、十六太郎、三十六太郎)』
百太郎といえばどうしても、つのだじろう『うしろの百太郎』を思い出すが、命名するにあたって、無関係のはずはないんだろうな。もともとはツイッター上で連載された作品らしく、百物語をSNS上で行うという趣向だったようだ。収録されているのは、広緒ダムという同じ場所を舞台にした作品三つ。怖いのだが、何とも理解できない上に、どこかユーモラスで、とても面白く、全部を読んでみたいと思った。

諏訪哲史『修那羅(しよなら)』
泉鏡花の文体を意識したらしい、旅芸人を主人公に、八百比丘尼を絡めつつ、同性愛を描いた、やや耽美的な夢幻譚。

宇佐美まこと『みどりの吐息』
山間の限界集に住む、落人に似て人にあらざる、滅び行く『山の民』を描いた作品。もっと怖くも書けるのだろうが、どちらかといえば哀しみの方に軸足がある。

黒史郎『海にまつわるもの』
これは実話なのか、それとも創作なのか?いずれにしても、ぼくはとても面白かった。事実だけを書き記したというような、簡潔な描写がとてもよく、想像力を掻き立てる。組み立て方もとてもいい。イメージが脳裏に張り付いて、離れないくらいだ。個人的には、この本のベスト。

澤村伊智『鬼のうみたりければ』
この巻の最後を飾るこの作品も、とても上手いと感じさせられる一作。以前に読んだ『ぼぎわんが、来る』の前半部とも共通するシチュエーションで、こうした、現代の日本ならではの歪みの部分が新たなるホラーを生み出すのだろうと強く感じさせられる。恐怖は、現実の歪みから生まれ出るものだと思うからだ。一時期隆盛を極めた海外のモダンホラーがほとんど紹介されなくなったのは、日本のホラー作家の躍進が(質的にも量的にも)著しいため、需要が足りているのが理由であると思っているが、それはやはり恐怖というものの多くが、自らが属している社会と密接に結びついているからで、本来なら自国のホラーの方が怖いに決まっている。そういった意味でも、この傑作集の末尾を飾るのに相応しい作品だと思う。

ちなみに、第三巻で特に好きなのは、

舞城王太郎『深夜百太郎(十四太郎、十六太郎、三十六太郎)』
黒史郎『海にまつわるもの』

で、次点が

大濱普美子『盂蘭盆会』
木内昇『こおろぎ橋』
澤村伊智『鬼のうみたりければ』

あたりでしょうか。

というわけで、以上で『平成怪奇小説傑作集』(東雅夫編 創元推理文庫)全三巻、読了です。
不思議なもので、やっぱり時間を旅したような気分になりました。一見普遍的とも思える「恐怖」でも、主にその扱い方において、やっぱり流行というものがあり、しかしそれとは別に、そうしたものとは関係のない、圧倒的な不気味さというものもあると、改めて感じました。好みもありますし、正直、この傑作集に収められた作品がオールタイム級の作品ばかりだとは思いませんが、単なるベストを集めた傑作集だけを読んでいたら分からない、この日本に生きてきた同時代の人間として、切々と肌に感じる「恐怖の流れ」を、三十年余という平成の時間とともに追体験できたような気がして、非常に得難い読書体験でした。

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