漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

グスタフ・マイリンク『ゴーレム』

2019年12月19日 | 読書録

グスタフ・マイリンク『ゴーレム』(今村孝訳/河出書房新社刊)読了。

 読み始めた最初の時に、何となく受ける印象として『ドグラ・マグラ』が思い浮かんだのだけれど、読み進めるうちに、やっぱりちょっと似てるんじゃないかと思うようになった。カフカと比較されることが多いようだけど、時間が円環を描いていると思われるシーンがあったり、夢と現実が融け合ってそのどちらとも判断のつかないシーンがあったりして、ぼくの印象としてはむしろ『ドグラ・マグラ』的な、一筋縄ではゆかないミステリーだという気がした。
 ともかく掴みどころのないエピソードが積み重ねられた小説だが、古道具屋のヴァッサートゥルムの財産と犯罪をめぐる物語というおおまかなストーリーはある。ただ物語が語り手の記憶喪失者のペルナートの目を通じて進むため、極めて足場が不安定で、常に物語が揺らぐ。それで読者もペルナートとともに、物語そのものに不安を感じながら読み進めることを強いられる。この物語の筋を整理して理解するためにもっとも重視するべきものは、物語の最初に自分が何者かもわからないままに目覚めるペルナートと、物語の最後に立派な邸宅に住んでいるペルナートが出会うシーンである。まるでドッペルゲンガーの物語のようなシーンだが、ここから何を読み取るか。さらにもうひとつ。物語の終わりの酒場で、ペルナートがラポンダーやカルーゼクと同一視されたシーン。これも、さりげなく重要なのではないかと思う。
 ぼくは、これはオリジナルのペルナートが複数のゴーレムを駆使して財産を手に入れた物語なのではないかと思ったのだが、果たして。もちろん、途中で何度も道に迷いそうになったので、勘違いしている可能性は大いにある。
 この小説の解釈は、いくつも存在していて不思議ではないと思う。再読すれば、また違った解釈も生まれるのかもしれない。本当なら、すぐに再読すべきなのだろうけれど、今はちょっとしんどい。いずれまた、今回の印象を胸に、再読したい。

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