漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

ハーモニー

2010年01月20日 | 読書録

「ハーモニー」 伊藤計劃 著
ハヤカワJコレクション 早川書房刊

を読む。

 これは難しい小説。内容が難しいというわけではない。どういう評価をするべきなのか、僕にはよく分からないという意味だ。
 
 この作品について、データ的なものを記載する。このことを知って読むと、さらに難しくなってしまう。
 
 『ハーモニー』 <harmony/> は、伊藤計劃の第二長編であり、第40回星雲賞(日本長編部門)および第30回日本SF大賞受賞を受賞した。つまり日本の主要SF賞を総なめにしたわけで、その評価の高さがわかる。さらに言うなら、この作品は癌によってこの世を去った伊藤計劃の遺作であり、日本SF大賞が故人に与えられた、初めての作品でもある。内容は、ほとんどあらゆる病気が駆除されてしまった、医療が支配する未来世界の物語である。この作品は病院の病床で執筆され、物語の最後には、両親に対する献辞がある。
 
 正直に言うと、物語自体は穴だらけだと思う。整合性に欠けているし、納得できる要素がほとんどない。人は、世界は、「絶対に」こんな風には動かない。それに、この小説の中で語られる世界の基盤が余りにも脆すぎる。そう感じてしまう以上、だから小説として中途半端だという感が否めない。そう思う。にも関わらず、何かがあると感じる。これは、上記のようないきさつを知っているからという訳でもないと思う。「ふうん」で済ましてもよさそうな作品なのに、そう単純に看破できない何かがあるように感じる。存在しないリアリティの中に感じる、奇妙なリアリティというべきか。著者の感じている切実さが滲んでいるというべきか。上手くは説明できないが、これは今の時代に生きている人々の一部に確かに存在する、一つの感覚なのではないかと思う。だからこそ、この物語は一つの寓話として、ある意味で確かなリアリティを備えていると感じるのかもしれない。僕は余りよく知らないけれど、「セカイ」系の作品というのは、こういうものを言うのだろうか。
 もっとも、こうした「人々の意識が失われて一つのものに統合されてゆく」という感覚自体は、SFの中では新しいものでもなんでもなく、有名なクラークの「幼年期の終り」をはじめとして、いろいろとある。ちゃんと観てないけど、アニメの「エヴァンゲリオン」などもそんな感じだったように思う。SFでは、むしろ古いアイデアだ。新しい部分があるとしたら、それは「神」のような絶対者が存在しないという点だろう。世界中の人々がみんな幸せになって、書くべきことも何もなくなるというあっと驚く終り方の、ラリー・ニーヴンの未来史シリーズなどもある。付け加えると、僕がこの作品を読んで思い出した日本の小説に、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」があるが、もしかしたらその辺りの影響はあるんじゃないかという気もちょっとする。
 物語の中に挿入される沢山のタグ。htmlかと思ったら、よく見るとetmlとなっている。これがこの小説の最大の仕掛けだろう。

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