漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

水晶

2005年03月15日 | 読書録
「面白い小説」とは別に、「美しい小説」というものがある。
勿論「面白い」ことは確かなのだが、それ以上に、「美しい」と感じる小説。
物語の完成度の高さが「美しい」と感じることもあるし、逆に、その破綻した小説の行間から溢れてくる「想い」が、「美しい」と感じることもある。また、ただ単に「美しい」と感じることもある。美しさというものはひとくくりで考えることが出来ないから、さまざまである。
ここでは、「美しい小説」というカテゴリーを設けて、僕がこれまでに読んだ小説の中で、「本当に美しい」と感じた小説を紹介したいと思う。
最初にここで取り上げる小説は、19世紀のオーストリアの作家アーダベルト・シュティフターの掌編「水晶」にしたいと思う。

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「水晶」
アーダベルト・シュティフター著

19世紀のオーストリアの作家であり、牧師であり、素人画家でもあったシュティフターの作品は、どれも孤高と言っていい。凄いとか凄くないとか、そういう表現が無意味のような気がする。海が好きか嫌いか。山が好きか嫌いか。例えばそうしたレベルでの話のように、つまりは「向き不向き」というレベルでしか語れないのではないか。特に長編においてはそうだ。向いている人はどっぷりと浸って読むことができるだろうし、向いていない人は多分読みながら眠ってしまい、決して読み通すことができないだろう。
ここで紹介する「水晶」は、シュティフターの小説の中では最も読みやすい作品になるだろう。「石さまざま」という連作の中の一編である。内容は、幼い兄妹が、冬の山で遭難して一夜を山の中で過ごすことになるというだけのものだ。
この小説を読んだのは高校生の時で、やはり寒い冬だった。読みながら、余りの美しさに酔いしれたことを思い出す。特に、山の中で二人が流れ星を見るシーンは、まさに「水晶」のような美しさだった。

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