つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

仮の事

2011-09-26 | Weblog
このところ特に時間が早く過ぎるような気がする。
年老いてくれば誰でもそう感じるようだが、年に限らずという
異変として速さを感じるのである。
老いも若きも年月の速さを感じているようである。
科学的に検証しても今昔、時間の早さは少しも変わらない。
だが、である。
現代科学は、コンピューターなるものが開発されてから、更なる速さでその進歩を遂げている。
少し前の未知だったことが知れるようになり、不可能と思われていたことが可能となってきた。
これからも更なる進歩は続き、時間というエネルギーも解き明かされていくだろう。遠くにある世界も
隔たり無く存在することを知る。私達がまるでテレビチャンネルを変えるように、瞬時に移り行くものであることを。

仮にとして、
明日のことがわからないのは、これから行く時間と過ぎ去った時間とに差異は無く、過ぎ去った時間にこれからの時間が関与して
しまうためである。
是に狂いが無い為に是として法則となっている。狂いの無いものである為に、狂い無く明日はやってくる。
すべてにおいて狂い無くであるために、信じられて私たちは生きていられる。
もし、少しの狂いでも生じたなら存在することができなくなってしまう。それほど正しく日は巡るのである。
絶対である為に変わらない動きとなって存在している。だから、そのその昔は天気も確かであった。
晴天の有無も狂いは無かった。是(法則)に狂いが無い為である。
法則は浄化であり、必ずゼロに戻る。中が虚ろで膨らんでいるのが容である。その虚ろという自由をもって法則は動いている。
その自由に動かされて無常となっている。
私達が更なる進歩をして、やがて時間も克服するようになれば、未来も過去も行き来できるだろう。
そうなったとき、生まれる前の世界に旅をして、生まれることを阻止したならば、今の私はどうなるであろう?という変なことにも
答えは出てくる。時間線がずれるだけである。私のいない時間線がつくられていく。私にとってその時間線は無である。
今の時間線上のいままで生きてきた現象は存在していた為に、旅に出たまま帰らぬ人となる。が、阻止した自分は阻止したときからの時間線上を生きる。

はるかに進んだ知的生命体は、すでに時間を知り尽くしている。そのような生命体が意図して関与すれば、
常に未来は不定となる。明日の命がわからない。
寿命であったとされる。
無知であるから。

ものが終わりを遂げようとするときは、加速する。
燃え尽きるローソクが激しく燃え盛り、その後すぐになくなってしまうように。
穴に吸い込まれる水が、少なくなれば少なくなるほど早く吸い込まれてしまうように。

計測してもわからないことが、気は感じる。
同じエネルギーであるために、
虫の知らせと呼んでいる。
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