つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

受送信器(気)

2022-02-09 | Weblog
いろいろごちゃごちゃな社会だ。
お互いに人間不信となっている。
どこに正義はあるのか?
社会的信用を確立して、物事を言う人でも信じることは疑わしい。
様々なところで分断が進行中。なるべくコミュニケーションが(言葉による意思伝達)取れないよう、
そして、誤った(極度に偏った意志、思想)のコミュニケーション(通信、報道)が盛んになされて、
不安と恐怖、それに伴う愉快犯的心理が知らない間に植え込まれて、教育のあるなしにかかわらずに、
金融的支配において敬服して語られる。信じられないという疑惑の中で、善の正義を見つけることは難しい。
乱れというのは、崩壊してしまわないと正しいレールは敷かれない。
乱れた波長は、一旦クリアーにならなければ正されることはない。
これほどごちゃごちゃになった社会は終焉に向かう。確かな正のための道理である。
道理はどんな力も変えることはできない。絶対という方向性で進んでいる。

この世には絶対という事がないために、絶対はあの世の話となっている。
あの世はこの世との接点である。その点はゼロ。だから瞬時繋がっている。
今から約10年後、宇宙(そら)にして1秒の間となっている。
それは、私達が金融制度を持った時から、正しい方向性に進まず、支配という不自由、つまり
束縛という進化によって、時間が作られた。そのために、長い時間をもって、
悪のエネルギー進化となって、いまだに正されることなく、その波長は破調となっている。
つまり、狂った状態である。もし、金融制度が作られなければ、
どれほど素晴らしい進化が人類にはあったはずである。いまにしても宇宙航行は自由が可能であっただろう。
さて、過ぎ去ったことを思ったところで、及ばないことである。
この社会が崩壊するその時、2032頃約80億超えの魂が宇宙に散らばる。
またここに戻る魂と、自由にして帰っていく魂とあるという。
生命の樹は、それぞれにどんな実を結ばせるのか、自身の意識であると伝わってくる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 意識が作る現実・野に咲く花... | トップ | 心、意地の善し悪しを作る処 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事