つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

無垢な心で

2014-07-31 | Weblog
私は、正しく心経を解して
道理を味方とすることができた。
まだ、完璧ではない少々というものだろうが、
確かに、無垢な心にて、浄に寄与すれば善に出逢う。
それは、経験にして知るもので、
不思議なものだ。
私が不思議としているのは、分からないが故の言葉としての不思議としているのではない。
あれこれ迷い、議論に及ばない事柄であるという思いである。
つまり、即断であり、それはまた、誤りのない思いであるという事。
そういうことが可能になるという事である。
智恵を身に付けることとはそういうことである。

智慧の判断というのは、経験の判断であり、
一を知ることにより十知れてくることである。
それは、未経験にしての予見がなされてくるのである。
実に、不思議なことである。
心経はそれを叶えてくれる唯一単純にしてある訓えである。
どう理解されるかは、本人次第、決して学識に依るものではない、
経験から学び得るものである。
むしろ、心貧しければ学び取れるものである。
それは、キリストの言う「貧しきものよ、汝は幸いである…」という事と同じである。

般若心、あなたの心次第であるために、
般若というのであるから。

よく、各各のその意を読み取れ!
無垢な心あらば・・・。
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