つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

命の試練、愛の有無

2020-03-29 | Weblog
昨年の夏頃には、非常事態になることなど誰も思いもしていなかったはず。
未来から来たという人が本当にいるのなら、このような状況を克明に語ってもいいはずであるが、
前もって語ることは無く、教えてくれることはありません。すべて物事が起こってから、実は予見していたというだけ。
これが何を意味しているかを知っていなければ、よくよく周りに振り回されていくことになります。
人間万事塞翁が馬。
一つ簡単なことに、寿命というのは誰にでもあります。寿ほぐ命と書いています。
寿げる生き方をしていましたか?つまり、喜べる生き方をしてきましたか?あるいは、
喜んで生きていましたか?喜んで生きていますか?
自業自得にして命は修行するのです。進化していくために、為した業によって試練があるのです。
ある時は上の立場にしてあり、ある時は下の立場にしてあり、
ある時はと三世をもって計られて卒業となるのですが、留年もあり得るのです。
この三世の間に、試練を乗り越えなければ、いつまでたっても寿命ということにはなりません。
何度も苦の輪廻、この世への誕生を繰り返さなければなりません。
それは、苦であると同時に、寿命を与えられた機会でもあるのです。
だから、この世への生命誕生を祝うのです。この世を介さないで、あの世へはいけないのですから。
そのあの世が、幸福かどうかを決められるのが、この世の自分の行いなのです。
祝えるだけの生き方をしてきたのか、なのです。
短くても喜んで生きられたら寿命なのです。長く生きても、苦しんで生きていたら、天寿全うとはならないのです。
この地上では、どこにいても死ぬ人は死ぬ、死なない人は死なない。それは、愛のあるなしの生き様にあり、
不意となる人と、予期する人とに分かれるのです。
予期する人は、それとなく準備ができて、この世に未練を残さない。
未練があれば、死んだことすら理解できずに、亡骸を探し回る亡霊となって、彷徨ってしまいます。
苦のなにものでもなくなってしまうのです。

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