唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 第九 起滅門 「弁報体並顕性」を喩えを以て成ず

2010-11-24 23:46:15 | 心の構造について

   第三能変 第九 起滅門 起滅の分位 ・ 無想天
ー 報の体を弁じ並びて性を顕す。 喩えを以て成ず -
 「善に引生(いんしょう)せらるるを以て二定を善と名づけるが如し」(『論』第七・十一日左)
 (意訳)善に引き起こされて、結果として二定を引き起こすのを善と名づけるようなものである。
 「述曰。これは喩えを以て成ず。二定の前の善心に引生せらるる種子を二定と名づけ、二定を善と名づくるは、能引の心に随う如くなるが故に、これもまた生得の無記心が滅するに随うが故に、彼の果を無記と名づく」(『述記』第七本・五十九左)
 無想定と滅尽定の二定です。これが無心の二定といわれています。定といっても、有心の場合や無心の場合があるのです。等引・等持が無心定といわれます。定に七つの名があることは以前に述べましたが、「無」という状態をもった定はこの二つしかないのですね。意識活動が全くない状態の定をいいます。ただ無想定と滅尽定では大きな違いがみられます。「及無心二定」以下に詳しく述べられます。
 
 




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