唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

『阿毘達磨倶舎論』に学ぶ。 本頌 (16)  第一章第三節

2012-12-30 17:08:03 | 『阿毘達磨倶舎論』

 二十四頌を説明する。

 「頌曰

 爲差別最勝 攝多増上法 故一處名色 一名爲法處。

 論曰。爲差別者。爲令了知境有境性種種差別。故於色蘊就差別相建立十處不總爲一。若無眼等差別想名。而體是色立名色處。此爲眼等名所簡別。雖標總稱而即別名。又諸色中色處最勝。故立通名。由有對故。手等觸時即便變壞。及有見故。可示在此在彼差別。又諸世間唯於此處同説爲色。非於眼等。又爲差別立一法處。非於一切。如色應知。又於此中攝受想等衆多法故。應立通名。又増上法。所謂涅槃。此中攝故獨立爲法。有餘師説。色處中有二十種色最麁顯故。肉天聖慧三眼境故。獨立色名。法處中有諸法名故。諸法智故。獨立法名。諸契經中。有餘種種蘊及處界名想可得。爲即此攝。爲離此耶。彼皆此攝。如應當知。且辯攝餘諸蘊名想。」(『倶舎論』大正29・0006)

 「差別せんが為と、最勝と、多と増上との法を摂すると、故に一処を色と名づけ、一を名づけて法処と為す。」

 色処及び法処の立名の意義を述べています。色・法という広義を、種々差別の境に於いて、眼根の境に名づけて色処とし、意根の境に名づけて法処としたのは何故かという質問に答えて、「爲差別最勝 攝多増上法 故一處名色  一名爲法處。」と説かれています。

 「為差別」は色処・法処に共通したもの。
 「最勝」というのは、第一に色処の方でいえば、他の色法と区別する為に、これを色処と名づけたのである。眼根の境を色処という(故一処名色)。又、第二に法処の方でいえば、他の法と区別する為に、意根の境を法処と名づけたのである(一名為法処)。 総即別名を述べたものである。

 法処の中には多法が入り、増上法、いわゆる涅槃がこの中に入っていて、これは通じて名を立てるという。

 「五根・五境の十処(十界)はすべて色なのになぜ一処(一界)だけを色処(色界)と名づけるかといえば、他の九色処(九色界)と差別するためであり、、また、他の九よりは勝れて顕著だからである。すべては法であるのに、なぜ一処(一界)だけを法処(法界)と名づけるかといえば、他の諸処と差別するためであり、特に多くの方がそこに含まれているためであり、また、すぐれた法(増上法)である涅槃がそこに含まれているためである。」(『倶舎論』、桜部 建著。p70)


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