唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

唯識入門

2020-01-03 17:58:46 | 唯識入門
 今晩は、箱根駅伝興奮しましたね。東海大の二連覇ならず、青学が制しました。前評判はあまり高くなかったけれども、チャレンジャーの気持ちが前面に出ていましたね。創価大も初シードおめでとう。熾烈な戦いでしたが、選手も、スタッフも、応援団も、地域のボランティアの方々も、人と人とのつながりの大切さを学びました。
 この学びが、人生を生きぬく上で大きな役割を果たしてくるのですね。このような活動の積み重ねが大輪の花を咲かせます。
 『大乗阿毘達磨経』にですね、「無始時来界」(始めなき時よりこの方界たり)と説かれています。界は「因の義、種子なり」と説明がありますが、今、私は何を成しているのかが、それが将来の結果を引き起こしてくると教えているのですね。
 仏教では、善の方向、悪の方向に分かれて説かれます。善は、心の平安が保たれ、空しく過ぎることの無い人生が約束される方向です。悪は自分を立てて、他を悪者とし、排斥し、心の平安が保てない状態をいいます。いつでも他者に怯え、怯えを隠すために他者を威嚇する方向なんですね。熟語では輪廻という言い方をします。落ち着く場所がないわけです。ここではだめだ、ここでは駄目だと地に足を付けて生きておれない状態ですね。俺が、俺がが自己を苦しめるのです。
 この自己の中にある苦の原因を知ることが人生に大きな転換点を与えるのですね。
 もうすぐ成人式ですが、親の庇護から離れて、独り立ちする出発点になるわけです。人と成る、人と成ることは、人は人とのつながりの中で生かされていることを知ることですね。
 今は、過去の結果であり、どのようにもがいても過去に戻ることはできません。しかし、過去の結果を引き受け、見つめ直すことはできます。自分はどこに向かって歩いているのかがはっきりすれば、今からの歩みが自ずとして決められてくるのではないですか。
 正月三が日も過ぎようとしています。此れからは週一の割合で投稿したいと思います。

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