唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 別境 ・ 定について、(3) ・ 見道十六心

2010-09-07 23:21:14 | 心の構造について

     第三能変 別境 ・ 定について、その(3)

           見道十六心について

 見道とは、四諦を観察する段階で、見所断の煩悩を断ち切る(分別の二障を断ずー断惑)過程をいいます。小乗では預流向。大乗では初地をさします。『倶舎論』では、四善根の第四である世第一法(凡夫としての最高の悟りの位)の直後に無漏の正智を起し、真如の理(理証)を見るとされる。また、十六心によって次第に欲・色・無色の三界の四諦を観ずる中で、前の十五心を見道とし、唯識では五位の第三である通達位を見道とする。見道通達位ともいいます。具体的には四智の中でも、妙観察地と平等性智との二つの智が生ずるとされます。『二巻抄』には「見道ト申ハ初テ無漏ノ智起テ麤障ヲ断ズル時也」と教えています。また、見道十五心は、八忍・八智の十六心のうち、前十五心をいう。この見道十五心を預流向と解し、唯識説では十六心すべてが見道に属すると解しています。十六心は八忍・八智をいい、八忍を欲界と上二界とにかかわるものとすると、十六心が立てられる。八忍とは、忍は忍可の意であって、智を生みだしてくる因となるものです。見道位に入って生ずる八智の前の位において、その理法をはっきりと認め知った無漏心をいう。八忍は(1)苦法忍・(2)苦類忍・(3)集法忍・(4)集類忍・(5)滅法忍・(6)滅類忍・(7)道法忍・(8)道類忍の称。八智は煩悩を断じ終った位で、それぞれの智忍になります。八忍・八智は見道に入って生ずる無漏の法忍と法智とに、それぞれ八つあることをいうのです。(参照ー『仏教大辞典』中村 元監修)  

 『論』においては、修行の階位においての中、通達位(見道)において詳しく述べられていますので、その項にゆだねます。『二巻抄』に述べられています記述を少し尋ねたいと思います。

 「カクシツツ凡夫ノ分斉ノ悟リ極マリヌレバ、無漏ノ種子ツヰニ始テ下品ノ現行ヲ生ズ。是則下品ノ妙観・平等ノ二智也。コノ位ノハジメテ真如ノ理ヲ悟リ、ヨク分別ノ二障ヲ断ズ。是ヲ見道トナズク。是ニ又重々有リ。一心真見道、三心相見道、十六心見道、次弟ニツゞキテ起ル事、十地ノ中ノ葉初地の始也。是ヨリ後ヲ聖者トナヅク、地上菩薩トナヅク」

 (意訳は横山紘一著『唯識とは」p384~385より引用しました)

 「このように凡夫としての悟りが、その極致に達するならば、無漏の種子がついにはじめて下品の(無漏の)現行を生ずる。すなわち下品の妙観察智と平等性智との二つの智が(生ずる)のである。この位においてはじめて真如の理を悟り、分別の二障を断ずる。これを見道と名づける。この(見道において三つの)段階がる。すなわち一心真見道と三心相見道と十六心(相)見道であり、(この三つは)順次つづいて起こる。この(見道)は十地のうちの初地の最初である。この(見道)より以後を聖者と名づけ、また地上の菩薩とも名づける」 (未完)

 


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