「此に復た二種あり。一つには常に相続する。第七識に在るぞ。第八識を縁じて自心の相を起して実法と為す。」(『論』第二・二左)
「此」は倶生起の法執です。この法執に二種ある、第一は第七末那識にある法執で、この法執は無漏智を得る以前には恒に相続して断ずることがないのですね。第七識は第八識を縁じて「自分」と云うものに固執しているのです、所謂我執ですが、我執を成り立たしめているのが法執なのですね。根本我執といわれています。深層の我執が法執になろうかと思います。そして表層に現れた時に、我執という相をとるのでしょう。法執の上に我執が起こると云う構図になります。
「論。此復二種至執爲實法 述曰。此顯相續唯第七識。未得無漏聖道已來。恒相續起要入佛地方永不生。中間亦有間轉位次。未入聖時恒無轉故。名爲相續。然第七識亦唯有説。唯我無法。法執亦通第八識有。今此但擧正義所取。此中解釋准我執説。此識執相如下當知。」(『述記』第二末・四十六右。大正43・293a)
(「述して曰く。此は相続は唯だ第七識なるを顕す。未だ無漏の聖道を得ざる已来、恒に相続して起こる。要ず仏地に入りて方に永く生ぜざりぬ、中間(十地の位)は亦た間転(断)する位次有り。未だ聖(初地)に入らざる時は恒に転ずること無きが故に、名づけて相続と為す。
然るに第七識を亦た唯だ有るが説かく(安慧等の義)。唯だ我のみにして法は無し、法執は亦た第八識を通じて有りと云う。今此には但正義の取る所のみを挙ぐ(護法の義)。此れが中の解釈は我執に准じて説け。此の識の執の相は下の如く当に知るべし。」)
「第八識を縁じて自心の相を起こして執して実法と為す」。倶生起の法執の第一は第七識に在る、と説かれています。これは「識体転じて二分に似る」と云われていましたが、第八阿頼耶識と第七末那識との関係の上で語られています。第八識の見分を本質として、第七識の相分が、自識所変の相として見ているわけです。その第七識の相分は第七識の見分が描き出したもので、描き出されたものを影像といっています。自識所変の相を真実だとして執しているのですが、それを実法だと、我執を成り立たしめている根本的な執ですね、それを法執と、これは非常に狭い、狭義の相なのです。本来第八阿頼耶識は器世間全体を描き出しています。器世間という時には本質をいっているのです。しかし見るということですが、眼識が色をみる場合、見える範囲で見ている、そして見えるという限定的なことを色づけしてみている、本質を見ているわけではなく、自心の相を起こして、その起こしたものを真実だと執しているわけです。表面的には我執です。我執は実法の上に執してある我なのですね、それを法執といっています。
明日は、八尾市本町 聞成坊様で『成唯識論講義』を考えさせていただきます。今回の範囲は法執についてですが、我執の後、有部等の教学を破斥した後に、総結として所取・能取・心・心所は実有ではないと合わせて破斥しています。この一段は、後の、初能変から第三能変へと説かれてきます、二執に於て二空を説く上で大切な教説ですので、しっかりと学んでいかなければなりません。
仏陀釈尊が入滅され、教団は諸部派へと分かれ、その教説も様々でしたが、その概ねは無我法有という、法に対しての執着が起こっていました。部派仏教から大乗仏教への転換は二空を説かれた所から始まっています。龍樹菩薩が、一切は無自性なるが故に空である、すべては縁起されたものであり、空(性)に於て戯論寂滅すと説かれました。よく知られた所は『般若心経』ですね、「色即是空・空即是色」という一言です。しかし空の於に迷うという事態が起こってきました、何故なんだということですね。それは識の於に迷っているんだということを明らかにした唯識の教学が世親菩薩によって大成されました。ですから大乗仏教の二大潮流は空と唯識なのですね。
北伝仏教が大陸から日本へと伝播され、鎌倉時代に花が咲きましたが、鎌倉時代の祖師は凡そ、空の教学を軸に自説を構築されたのではないかと思います。空は般若教学なのですが、智慧なのですね。大乗の智慧、そして智慧を大悲として、悲の教学を立てられたのが親鸞聖人ではなかったのかと思います。悲の教学から、本願成就文をいただかれたのではないでしょうか。それは空・唯識を潜られて成り立った教学ではなかったのか、と思うことです。このようなことを思いながら、妄想を膨らませて、講義に向かいたいと思います。
有縁の人々、よりつどいて「今、生きていることの意義」を訪ねてまいりたいと思います。
尚、「有間断の法執」より、分別起の法執について、ブログでは引き続いて掲載していこうと思っています。通常の、善の心所についてはしばらくの間休載とさせていただきます。
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