ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

メタリッ句川柳

2006年10月31日 | 新聞から
             甘柿? 渋柿?
       きっと後者だろう摘んでいる気配なし

9月11日にメタリックシンドロームの事を書きました。メタボリックシンドローム撲滅委員会(特別協賛・第一生命)が募集した「メタボリッ句川柳」の受賞作品が決まった。

メタボリックシンドローム撲滅委員会:
産経新聞社およびフジサンケイグループ各社は、厚生労働省の後援を得て、関連学会・諸団体、協賛企業各社とともに、2006年1月に松澤(財)住友病院院長(日本肥満学会理事長)を委員長とする「メタボリックシンドローム撲滅委員会」を発足させ、メタボリックシンドロームの危険性を広く啓発し、国民の健康づくり支援する会。

メタボリックシンドロームをテーマとする「日本肥満学会」の討議が今月26日神戸で始まり、改善策として「体重3キロ減量とウエストサイズ3センチ短縮」を呼びかける「神戸宣言2006」が出された。

宣言では同シンドロームを現代の代表的な生活習慣病と定義。食生活の改善と運動不足解消を呼びかけ、具体的な目標値として高血圧や糖代謝の改善につながる「3キロ減量、3センチ短縮」を「サンサン運動」として提示した。

メタボリッ句川柳:
8月の「お台場冒険王」や「メタボリックシンドローム・ネット」で募集した。サラ川(サラリーマン川柳)流”メタボリッ句、約2000本の川柳から選ばれた。

   ◎ グランプリ
  
     減らしたい お腹周りと 妻の愚痴

旦那さんがおなかの脂肪を気にする年齢に達すると、奥様の方も先の見えて来た環境を愚痴りたくなる年齢になる。

   ○ 準グランプリ
  
    ・減らしたい パパの小遣い 腹回り

一方的だが、お相手も「減らしたい ママの外食 つまみ食い」なんて思われてるかもね。お昼時のシャレたお店は老いも若きも女性群で占められている。
    
    ・85 彼女バストで 俺は腹

彼女のバスと85は魅力的ですが、お相手を彼女と呼ぶ年齢の彼にしては太り過ぎ。それとも彼は肥満年齢で彼女は不倫のお相手?まさかね~。

   ○ 佳作
  
    ・ぽっちゃりが 好きとは言ったが 腹は別

一番身につまされるのが「この句」なんです。若い頃は顔は丸顔でぽっちゃり型、ボディはすんなり型だったのに、今は無残に総崩れ。
    
    ・ウオーキング 犬と散歩で ポチが痩せ

犬も人間と同じで、運動させないと太りますね。我家のコロも庭をほじくり返すので繋いで置きますとデブデブになりました。可哀想になり、庭で放し飼いしますと、あっという間にスマートになりました。人間より効果の表れが早いようです。羨ましい!
    
    ・夫想い 粗食レシピは 完璧に

体調の為と言う大きな隠れ蓑、実は手抜き?では・・・

   ○ 入選
  
     ・脂肪付き 貫禄が付き 命尽き
     ・85 寿命が先に やってくる
     ・この腹に 付いた病名 両手いる
     ・太鼓腹 昔、貫禄 今、病気
     ・ポッコリお腹 怖い病気が 隠れんぼ
     ・太り過ぎ 肥満の怖さ 知る強さ
     ・歳が増え 脂肪も増えて 悩み増え
     ・太鼓腹 病を貯めた その証
     ・ふくよかね 言われる視線の 先は腹
     ・ビール腹 パパは妊娠 九ヶ月

この中では「歳が増え 脂肪も増えて 悩み増え」が好きなんです。作品を読むと、直ぐ自分でも出来そうに感じますが、これは中々出来ませんよ。「川柳」は読んで直ぐ理解してもらえる言葉で無いといけないんですもの。





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知らぬが仏

2006年10月31日 | ちっちゃな旅
            (見~つけた)
            行く道すがら
          秋を積んだ車を見つけた

東京ディズニーランド&シーに3年ぶりに行った。東京には2ヶ月ぶり、飛行機で行ったのは久し振りである。「ハローウインのディズニー」に行きたいと言う孫娘の希望で実現した。今回でディズニーの四季を見たことになるそうだ。私も然りだ。

久し振りの飛行機で落語を聞いた。懐かしい声が、語りが耳に届いた「上手いな~」そのはず桂枝雀さんの「変わり目」だったのだ。イヤーホンを通して聞いているだけなのに枝雀さんの姿が彷彿とする。上方落語協会は惜しい人を早くに亡くしたものだ。

今回はまず「シー」に行った。此方は「ハローウイン」の影は薄かった。「かぼちゃの陰が見当たらない。まず蒸気船で遠くまで運んでもらう。「海底2万マイル」を見て、「地球の中心」と言うのを見たいというので行くと130分待ちだと言う。2時間も待つのは辛い、予約券を発行してもらう事にした。機械の上には、今予約すると19時20分~20時20分までの入場となる旨記されている。6時間後と言う事になる。

ウロウロしていて、もう一つ見たいのを思い出したと孫娘が言うので探すのだが、5時を過ぎると日も沈み、所々の明かりだけで周りは暗い、とうとう探し出す事が出来ず、腰掛けて待つ事にした。

地球の中芯に入っていくと言う想定のようだ。初めは「アメジスト」「ダイアモンド」等がキラキラと輝いて綺麗。でも本当は地中にある時から輝いているわけではないよね~なんて毒づきながら見ていた。大きな昆虫が居たり、稲光が走ったり、そんなことありえる?と考えているまに前方真っ暗の穴仁突入、これは小手試し、次の暗闇が長く急降下で実に怖かった。一点の光も無い暗闇ゆえ、恐怖心をあをリ立てる、年も外聞も無く「キャ~キャ~」と叫ぶ。声をあげると言う事はそれだけ恐怖心を薄める事を知っているから。

元の位置に帰った私の耳に放送が聞こえた「・・・妊娠中の方、心臓病・高血圧の方はお乗りになれません・・・」だって。今頃何を聞くのよ~。私「高血圧だよ」
でも無事ご帰還、よかった~。

翌日は「ランド」の方へ、此処は「ハロウイン」一色。あちこちに「かぼちゃ」が転がっている。ディズニーの人気者のコスプレの老若男女で一杯だ。白雪姫はスタイル自慢の女の子、アリスは何故か少し、もっと太目の女の子、妖精の人は寒そう、魔女はマントが暑そう。ハリーポッターも居たよ。修学旅行生はコスチュームは無理でもリボンや耳のカチューシャを着けている。1~2割の人が仮想を楽しんでいるといっても過言でない。

実は今夜のニュースで「ハロウインの仮装」の仲間が東京環状線仁集まった。と言うニュースを見るまで「東京ディズニー」の仮装が「ハロウイン」の故とは気付かなかった。近年何時もコスプレを着飾った人たちが居るものと錯覚していた。何処で着替えるの?ホテルでは見かけなかったし、会場の外ではすでに着て歩いていたし・・・

面白かったのは、先頭のガイドさんが旗を掲げて、後に続く人たちが「魔女の帽子とマント」をつけていた。何組か見かけたから、同じ観光バスの人達なんだろう。

帰りは早めに羽田に着いて、晩御飯を済ませる予定だった。昨日一日はハンバーガー、朝に御飯を食べたとは言え、昼は「ピザ」。「あ~ぁ、たこ焼きが食べたい、おにぎりが食べたい。USJには売ってる?」「売ってるよ」「やっぱり関西が良いわ」と嘆いていた。夜は「江戸前すし」が食べたい!

見つけたすし屋さん、暖簾を潜ろうとして気が着いた、大きな字で「大阪寿司」
「何で東京で大阪寿司なん?」と嘆き節・・・背に腹は変えられぬ・・・
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泣き笑いの一日

2006年10月26日 | 一寸そこまで
             サンゴバナ
       例年は夏の初めに咲いて終わるのに
        今年はまだまだ蕾を持っている
      花の咲く適温でさえあれば年中咲くそうだ

北海道にも「優勝」の花が咲いた。新庄が泣いた。野球人生最後の試合、ウイニングボール新庄に取らせてやりたかった。新庄はマウンドまでいけなかった。仲間が新庄に歩み寄った。胴上げは新庄が一番だった。何時もは監督が一番なのに、こんなの初めてだ。チームメートの新庄への熱い気持ちの表れか・・・。新しい道に行く人生を自ら選んだのだが、慣れ親しんだ現役野球選手生活から離れる悲しみを涙で流し切ったのだろうか。泣き続けて新庄は笑った。最後に笑った。

中田がサッカー界をさり、今新庄が野球界を去った。二人ともまだまだ現役でいけるのに去った。限界を感じるまでその世界に留まる人もあれば、彼らのように新しい道を求める人たちも居る。それぞれの人生、他人がとやかく言うことではないが、私は中田や新庄の生き方を応援したい。そして新しい道でもウイナーになって欲しい。それの可能な時期の方向転換だから。新庄さん、ご苦労さん!

今日は難波花月に、漫才を聞きに行った。1年数ヶ月ぶりだ。この前は平成17年のえびっさんの本戎の日でした。花月の前を宝恵駕篭が通るのに出くわしました。
商店街の人が私に「えべっさんのポチ袋(ご縁があるようにと5円入り)」を握らせてくれました。福の来る17年は過ぎて、又18年も過ぎようとしていますが、私の財布の中にまだ入っています。もうご利益は無いかな~。

主人が「中田カウス・ボタン」が好きで、私が文珍さんが好きで、二組の出ている週を探すのが大変なんです。今日は4列目の中央でしたから、とても良く見えました。先日高島屋に与勇輝さんの展覧会を見に行った時に買って置いたのです。

満席でした。若い女性が多かったようです。又修学旅行生も数組見かけました。この頃は修学旅行も変わりました。テーマーパークに行ったり、古都に行っても、全員同じ所に行くのでは無く、グループを組んで貸切タクシーで行ったり、バスで移動したりしています。京都では道を訊ねられた事がありました。甲子園の見学と言うのもありましたから、漫才ブーム?お笑いブームの今ですから、花月見学があっても不思議ではありません。

私は声を立てて笑う方です。今日気が付いたのですが、のけぞってと言うか、顎を反らせて大声で笑っている私が居ました。顎を上げるのは、二重顎予防の体操でもあるので一石二鳥かな?私達の斜め後ろに、もっと楽しんでいる人が居ました。笑いの反応も一番早く、お笑い大好きと言う感じでした。

「大木こだま・ひびき」「中田カウス・ボタン」さん達はテレビで何時も見ていますので、ネタも知っている話が多いのですが笑えます。文珍さんの落語はテレビでは見ませんので、お初にお耳に掛かりますって感じ。お客の反応を見ながらの間がなんとも言えず良い。お芝居でも歌でもそうだが漫才も生は良いね。

11時から2時まで3時間(休憩20分)笑いに笑って楽しんだ。笑い顔にはラッキーカムカムとか言う歌がありましたね。でも帰りは大仕事をしたように疲れました。二人して電車の中でうとうとしていました。加齢現象だもの仕方が無い。「昼間から、お笑い見に来れて幸せやな~」と主人。同感同感。

 ☆10月27日~10月29日まで三日間お休みいたします。
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としこさんのメールより

2006年10月25日 | 思い出話
         新種でしょうか、なんとも優しい色
              思わずパチリ

22日に聞きに行った「尼崎合唱団」のとしこさんからメールが届いた。ご本人が参加して感じた事や、何故姿勢がいいのか等書かれていた。としこさんの許可を得て出させて頂く。

・・・・・若い頃は私(としこさん)もよくこういうクラシックの音楽会に出ていましたが、最近は軽いものばかりだったので、どんな結果がでるか?と興味がありました。でも、今回のモーツアルトは想像以上の難しさにびっくり!そして90%の人がアマチュアなのにとても良く歌われることにびっくり!又、本番の強さ、一致団結の精神に吃驚!と随分驚かされたコンサートでした。後は充実感で一杯です。 ・・中略・・ 母が、私が子どものときから姿勢についてはとてもうるさかったのです。そのせいで角隠しの結婚衣装のとき、着付けの方が「もっとうつむいて」とよくいわれました。直しても直ぐ背筋が勝手に伸びてくるのです。 ・・後略・・

としこさんは音大出のピアノの先生だ。ピアノ演奏を聴いたことはある。ご本人はほっそりとしておられるのに、タッチは力強いと感じられた。今回初めて「合唱団」に参加されて「手ごたえの良さ」を感じられた事が文面から伝わってくる。

姿勢の良さはお母様のお教えの賜物らしい。としこさんは私より少し先輩だが、多方面に食指を伸ばし、人生を謳歌しておられる。このお元気さは「姿勢の良さ」から来ている。姿勢がいいという事は内臓が正規の位置にあり活動出きると言う事だ。猫背になって前屈みになると胃が圧迫され活動の妨げとなり、それが腸へと連動するし、胸も圧迫されて肺の働きや横隔膜の動きにも影響を与える。背筋がまっすぐと言う事は腰の負担も少ないのだろう。としこさんのように姿勢がいいという事は「元気の元」なのである。

私は小さい時から姿勢が悪かった。母からも良く注意された。私達の頃は小学校の先生も注意した。私は教室で注意された記憶がある。今は「友達先生」とかで注意はしないのだろう。今から20年以上前、主人と一人の友人から「この頃猫背になってるで~、気をつけなあかん」と同時期に言われたことがある。この言葉が私が自分の姿勢に気をつける元になった。何時も意識して背筋をのばすように気をつけているし、道でガラス窓に写る自分を見て姿勢を正すようになった。としこさんの様に筋金入りではないが、年齢の割には背筋が伸びていると自負している。

としこさんが花嫁としては姿勢が良すぎて、俯き加減のしおらしい花嫁像を作ろうとする着付けの人に苦労を掛けたのだろう。時代だな~。私達の頃はまだまだ「女らしさ」を世間は求めていた。その時のとしこさんを想像して笑い出してしまった。

花嫁姿と言えば私にも失敗の思い出がある。私は家で支度をして会場のホテルに向かった。近所の方が大勢見ておられる中、迎えに見えた仲人さんに手を取られ、俯き加減に静々と、と言いたいが写真を見ると顔を上げて闊歩しているのだ。そしてタクシーに乗り込む時「頭を低くして」と何度も仲人さんや美容師さんが言っていた。私もうんと頭を下げたつもりなのに、高島田がドアにド~ンとぶつかって少し傾いでしまった。昔のオリエンタルホテルは玄関まで数十段の階段を登る、褄を取ってどんな格好で登ったのだろう、恥じらいも無くどんどん登ったのではないかと思うと今更ながらに恥ずかしい。

図らずも「○○からXX」に変わった日のことを思い出したが、後3年を待たずして金婚式を迎える。二人元気にその日を迎える事が今の私の一番の願いである。
                       
                              (200回)
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秘密の花園

2006年10月24日 | 思い出話
            (見~つけた)
         何だか葉が猛々しいわりに
             花はかれん

気功の日。いそいそと出かけた。「背中をまっすぐに、曲がっていると気は流れません。次に「吐く息」に心をこめて、呼吸は「吐く」が大切なんです。内にある悪いものを口から十分に吐き出しましょう。そうすれば鼻から自然に新しい空気が胸いっぱいに入ります。

「気功ダンス」初めて聞いた。その場から動くわけではないが足を手を動かして、体を捻る。鏡に映る自分と先生を見る。のってるかい?のってるよ!状態。楽しんでいる自分が居る。先生のテンポに付いて行っている。ニコニコ顔の私が写ってる。満ち足りた気分。

先生は言われる「笑う事は脳を冷やします。冷えた脳は体調を良い方向に持って行きます。愉しいね!やってよかったね!元気になったね!皆に会えてよかっね!」と笑いましょう。「体の内から笑いましょう」最後にニコニコ天突き体操もどきをして終わる。

今「ハリーポッター」を読んでいる。図書館の本の途切れている間に読むので、前の部分を忘れて、逆戻りするので中々進まない。上下部厚い2冊である。でもよくもこんな物語を考えられるものだと何時も感心する。映画ではポッターが大きくなりすぎる、とか文句言いながら又見に行くんだろうな~、私は・・・。

作家の乃南アサさんが思い出の本として「秘密の花園」F・H・バーネット作をあげておられた。実は私も子供の頃読んだ本で一冊をあげよと言われたら、この本なのだ。

乃南さんは私の子供世代である。名作と言われるものはそういうものなんだろうか、どの世代にも好きな一冊に上げる子供が居る。

乃南さんの読まれたものと私の読んだ(今手元にある)本とは訳者が違っている。
又私が子供の頃読んだ本は訳者が違っているのかも知れないが確かめようが無い。手元にあるのは「岩波少年文庫」で上下二冊になっている。乃南さんのは一冊だ。所謂ハード版と言うものだろう。

今本を取り出して「エッ?」と思うことがあった。「小公子」も「小公女」も読んだのにそれが「バーネット」の作である事をすっかり忘れている。

両方とも表紙は「秘密の花園」を描いている。カラーである。私が子供の頃読んだのは一冊で表紙が小豆色の布?で背表紙に金文字で題名、作家が書かれているのみだったように思う。全集物かもしれない。

乃南さんが書かれたあらすじ:
メアリは「可愛くない」子どもだった。見た目の感じが悪いうえに不機嫌で、性格もよくない。その上、両親とも亡くして、一人ぼっちになってしまう。・・・インドで生まれ育ったメアリは、両親の死にともない、イギリスの叔父の家の引き取られる。だが、叔父はメアリに会いたがらず、大きな屋敷でメアリは一人ぼっちだった。・・・新しい出会いを繰り返すたびに、メアリに小さな変化が現れる。さらに「秘密の花園」の存在がメアリだけではなく周囲の全てを変えていく物語・・・。

乃南さんは「今の私と違う運命を背負った主人公の物語には、ことに引かれた。『もしもわたしだったら』と想像しながら読む物語は、常に刺激的で飽きる事が無い」と言う。その代表選手が「秘密の花園」のメアリであると言うのだろう。

私の心に残っていたのは「花園」だったと思う。当時見たことも無い「花園」が想像を掻き立てたのだと思う。20年前再び読みたくて買った時は、感動はなかった。子どもの頃の感動はそのままにして置けばよかったと後悔した。
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向山式跳び箱指導法

2006年10月23日 | 新聞から
            (神戸花鳥園)
            涼し気でした
       
随分以前、テレビで跳び箱を飛べない子が一人残らず飛べるようになるのを見た事があった。私は跳び箱が飛べなかった。だから興味を持って見ていた。先生は実に上手に指導して見ている私も跳べるかも知れないと思わせるほどだった。全員が跳んだ。実に嬉しそうに跳んだ。

その指導法が「向山(むこうやま)式跳び箱指導法」だと今日知った。

勉強する先生、しない先生・・・と言う見出しで書かれていた。「跳び箱を跳べない子を跳ばせられないのも駄目な先生だ」と言う。

TOSS(教育技術法則化運動)代表・向山洋一:
今年の夏、全国各地で「子供TOSSデー」が開かれた。講座内容の一つに「跳び箱教室」があった。「学校では跳べるようにならなかった子」への指導である。多くの会場で10人、20人と「跳べない子」が参加した。子供達は次々と跳べる様になった。・・・教えたのはボランティア参加のTOSSの教師・・・学校では跳べなくて悩んでいた親と子には信じられないドラマだ。・・・この指導法は30年前私が開発した。本や雑誌で広く公開された。NHKテレビを初め、ほとんどのテレビが特集した。向山式跳び箱指導法の成功率は97%。(縄跳びが一回も出来ない子は無理だ。運動の連結動作が未発達だからだ)「勉強する教師」なら、誰でも知っている。「指導法は5分で分かる」「勉強しない教師」は知らない。だからクラスに跳べない子のいるクラスの教師は勉強しない教師だ。「出来ない子を出来るようにさせる努力をしない教師」なのだ。

私が小学生だった時代は「向山式」は無かったから、跳べない子は飛べないままだったと思う。しかし「縄跳びと」「まりつき」は得意だったから指導を受ければ飛べた可能性は強い。「鉄棒」も苦手だった、前周りがやっとで「逆上がり」「地球まわり」など出きる子が不思議だった。教科ではなかったが、ゴムとび(二人の子が持っているゴムひもを飛び越えるのだ、腰辺りからだんだん高くしていく)も出来なかった。仲良したまちゃんがとても上手だった。高くなるほどにスカートをバンツに挟んで、助走をつけてピョンと跳ぶのである。私は皆の飛ぶのを羨ましいと見ているだけ。

しかし私にも取り得はあった。ダンスは上手だったし、覚えも早かった。音楽に乗せて体を動かすのは得意であった。

向山式指導法は「跳び箱」だけではない。「あわおどり指導法」と言うのもある。「あわおどり」は脳血栓等で体が不自由になった人のリハビリに使われていると聞く。音にあわせて愉しく体を動かしリハビリできるなんて良い考えだと思う。

「向山式漢字パズル」とか「向山型算数の原理原則」等の指導方法もある。漢字パズルは今の私には難しい、でも楽しめそうと感じた。子供達は字引を引く事を覚えるようだ。又「詩文暗唱」もある。「すらすら言えるようになったら来なさい」と言って、少しでも詰まると駄目。あくまで「すらすら」の基準を緩めてはならないと言う。そこで集中力が要る気がした。

「算数」では教科書をソックリ写させる。計算だけが算数ではない図形、グラフなども教科書通り写させる。そうする事で色々算数を理解するように頭が動くようになるらしい。これもいい加減の妥協は効果が無い「そっくりそのまま」が原則である。

私は「ハム」のテストも「英検」を受けるときも、何時も書きに書いて覚える方法を取った。終いに頭より手が覚えて動いていると言う感じまで書いた。何処か「向山式」仁通じるものが在る気がするが・・・。

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尼崎市合唱団

2006年10月22日 | 一寸そこまで
           白のシュウメイギク
         随分遅れてやっと咲きました

日暮れが早くなって5時には町の灯が点燈し気ぜわしい。

としこさんのお誘いがあってアルカイックホールに「尼崎合唱団第42回定期演奏会」を聞きに行った。尼崎に吹奏楽団があるのは知っていたが合唱団がある事は全然知らなかった。商工会議所の合唱団がある事は知っていた。私が勤めていた頃、神戸商工会議所のコーラスに入っていたので尼崎にもキットあるだろうと調べた事があった。

「尼崎市民祭り」で何時ものバスの停留場は通行止め。座席が決まっていないのでJR立花の停留所に少し早めに行くつもりが時間にギリギリになったので小走りに駆けつけた。

停留場になんと!ご近所のお二人さんがいた。会場は50分前だというのにすでに長蛇の列、見やすい席には荷物が置いてある。折角お二人で来られたのだし、私は一人のつもりで来たので「私は端に座りたいから」とお二人とは別に一人座った。

1800ほどある座席はほぼ満席。私のお隣は一つぽつんと空いていた。もう始まるという時「空いていますか?」の声、ベレー帽を被った、手編みのベストの方が座られた。「どちらから?」と声を掛けてみた。「神戸から、阪神で来ればよかったのにJRに乗ってしまってギリギリになりました。友人が83歳で頑張っているので聞きにきました」「コーラスをしておられるのですか?」「私喜寿なんです。先日引退しました」

飴を下さった。丁度喉の為に欲しいなと思っていたので嬉しかった。休憩時間に色々とお話をした。「兵庫区といえば、震災のひどい土地ですが大丈夫でしたか?」「家は半壊しました」「あの時他県からも大勢の方がボランティアで来てくださいましたね」「あの震災がきっかけで、今はボランティア活動で忙しくしています。80人ほどの会員のリーダーなので市や県との連絡もあったりでとても忙しいです」「お元気だからできる事ですね」「足は痛いのですが何とかやっています」77歳とは思えない。

ベレー帽が良く似合っている。私は娘時代ベレー帽が好きで良く被っていた。今は毛のボリュームがなくなってきたので、ベレー帽を・・・と思わないでもなかった。ケチケチと買い渋っている。やっぱり買おう!

肝心の演奏会の話:
昨日としこさんにお電話してパートと立つ位置を聞いてある。2列目の中央寄りアルトの位置。両袖からの入場、としこさんは左だろうと注目。お揃いのドレスなので解るかな~。ドレスがシンプル(黒のロングドレスにうす~いグレーのスカーフが胸から肩に流れている)でとても良かった。どの人も同じに見える。そうだとしこさんはとても姿勢が良い、それを目安に探せば良い。いたいた、ス~と背筋が伸びた人、としこさんだ。姿勢が良いと言う事がこんなに人を美しく見せるものだと思って居なかった。す~す~と歩くとしこさん素敵!

一部では前の方が高いのでとしこさん半分だけ見えていた。しかし二部になると位置が少し左寄りに変わった為、コンサートマスターの頭に邪魔されて全く見えなくなった。仕方が無いので目を瞑って音だけ聞くことにした。歌う事の好きな私の頭の中は「歌いたい!歌いたい!」と騒いでいる。

曲はモーツァルト生誕250年記念を記念してモーツァルトの「ミサ曲」だった。
総勢120名とか、コーラスは大勢でなくては、その良さが発揮できない。私達も全員となると300人程居る。歌う力はず~っと幼いが、私達なりに楽しんでいる。何時かとしこさんにも聞いて頂きたいと思っている。
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一期一会(2)

2006年10月21日 | テレビから
            ミラクルリーフ
          これも水に乗せておくと
           葉の葉脈から芽を出す

シジミ蝶がひらひらと飛んでいます。白、黒、黄色です。シジミ蝶はオキザリスを食べて成長するそうで、オキザリス(19日の花)があれば何処ででも生まれるそうです。どうりでひらひら飛んでるわけです。

今週のイチゴさん:アイドルとしてアニメの歌やグラビア写真の新人としてデビューしたばかり、平凡ではなく、人と違った生き方をしたいと努力している高卒の女の子。

イチエさん:高知県の高三の大学受験を目指す、普通の結婚をしてお母さんの様になりたいという女の子。

一日目:
高知にイチエさんを招く。自然の景色、彼方に山の重なりが見えるが、それは今日が天気が良かったからで、昨日はかすんで全く見えなかった。その様なこと一つに感動する普通の生活のよさを話すがイチエさんの反応は鈍い。これはと、道端に生えているきのこ、今年初めて見つけたと自然の中の幸せを話すが、イチエさんに感動は無い。家に連れてくる。親に守られたその年頃の女の子の生活を見てもらう。

二日目:
今度はイチエさんは生まれて初めて東京に行く。イチゴさんは昨日出たばかりの自分の吹き込んだアニメの歌(表の絵はアニメの女の子)のCDの置かれているお店に連れて行く、イチゴさんを見つけたファンの男の子と写真を撮ったりサインしたりする。又店主に顔を覚えてもらう為に挨拶する。又街頭でもビラ配りして自分を売り込む努力をする。イチゴさんはアパートで自炊している。送金は受けていない、足りない分アルバイトでまかなっている。

イチゴさんの生活を見て、過って自分も歌が好きで歌手になりたかったが、周りに自分より美人の友も歌手になりたいというので、この人がなるなら自分は負けるだろうと何の努力もしないで諦めた事。平凡が良いと思っていた心が揺らぐのを感じたと、涙と共に語り始め問いかける。

イチエ:自信はどうして生まれるの?
イチゴ:自分を認める気持ちから。平凡でいて輝いていけるか?
イチエ:では人に知られる事が輝く事か?
イチゴ:スターになる事が輝きではなくて、そうなろうと努力している自分が輝いている。
イチエ:私は周りを見て初めから何の努力もしないで諦めた。反省はあるが、私 は平凡な生活の中で輝いていく。

二人はお互いの違った生き方から良い刺激を受けたと語る。

二人とも十代なのにしっかりしている。自分の思いをはっきりと語るのには驚かされる。甘やかされて、我がまま勝っての子達の多い中、しっかりと自分の行く先を見つめて努力している子がいるのに驚いた。

特にイチゴさんは親にも頼らず、自分を信じて努力している姿に喝采を送りたい。

イチゴさんは夢を見る大切さ、それを手にする為に努力する自分を認め、輝いていると自信を持つている。イチエさんは一歩を踏み出す前に自分の夢を摘み取ったが、大学に進学して平凡な中に輝きを見つけると語る。

仕事が合わないと直ぐやめたり、ニートで親に生活を見てもらっている人に見せたい。何事も努力無しには「夢」は叶わない。挫折を味わっても負けないで立ち上がり、歩まなければ希望は手に入らない。「夢」を手繰り寄せる努力をする事、その努力こそが大切だと教えられた。

イチゴさんの努力が実り、スターの仲間入りが出来るように、イチエさんが学生生活で輝き、お母さんの様な主婦になれることを祈っている。


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介護

2006年10月20日 | 気にかかる
            (神戸花鳥園)
        ストレプトカーパス最後の一枚
        葉ざしで増えるので、探したが
          一枚も落ちていなかった

私の住む市にも知らぬ間に福祉関係の建物が建って、営業が始まっている。それが公的なものか個人経営なのかは私には分からない。その場を利用したい人は大勢いる。生活の場であったり、デーサービスのみだったり、その複合だったりと色んな形があると思う。

建物が出来て利用希望者が増えるのに、そのお世話をする看護師、介護師が足りないという。一時若い人のなり手もあったが、今では先細りで、介護師を育成する学校すら定員割れと言う状態だそうだ。

何故そうなったか。緩やかな景気回復の為に多方面の就職が可能になったから、
「しんどい仕事、その上賃金が安い」となれば激減するのも無理は無いだろう。

介護保険からの人件費をこれ以上出す可能性は無いらしい。さすれば国からの補助金の増額か、個人負担金の値上げと言う事になる。国からと言っても元を正せば税金である。個人負担増額と言えば、何の為に介護保険を払ってきたのか?と言う事になるだろう。

介護保険:
高齢者などの介護を公的に保障する為の社会保険。公費および被保険者(40歳以上の国民)の保険料を財源として、被保険者が介護を必要とする状態と認定された場合に、介護サービスなどの給付を受ける。市町村が保険者となり運営にあたり、サービス料金の一割が自己負担、9割は保険からサービス提供事業者に支払われる。

公的に保障するお金は、消費税から得ているのだろうか?1988年に制定された時、税は福祉に使うと言っていたように思うが、それが実行されていれば、志を持って看護師、介護師になってくれる人もいるだろう。いかに志を持とうとも生きていくだけの賃金の安さでは人は集まらないだろう。

消費税は他のやりくりに使われていると思わざるを得ない。

其処でフィリッピンとの自由貿易の交渉で、看護師、介護師を600人来てもらう約束が出来たらしい。希望者は多いという。

手始めとして、日本に滞在している、フィリッピン人を50人集めてヘルパーの講座を開き1年でヘルパー2級の人を養成している。此方は日本語が出来るのでスムースに行われている。希望者も多いと聞く。

「今の日本では親は子の世話にならないと言う気風だが、フィリッピンではどうか?」と言う問いに、会場の女性が口を揃えていった「たとえ親がそう言っても、親の世話はする」と昔の日本がまだ其処にはあった。

何故賃金が低いのか?「過って親の世話は家庭でする物であったから」と言う答えだった。

日本人にとって低賃金でも、フィリッピンではそれなりの貨幣価値を持つのだろう。アメリカ等他国にも派遣しているが、日本への希望者は多いそうだ。フィリッピンでは第一外国語は英語なので言葉の問題はまず無いと思っていたのが、看護師、介護師として出てくる人の中には話せない人もいるようだ。これが日本語となれば全員と言ってもいいだろう。

その上にに3K(穢い、きつい、危険)の仕事を他国の人に委ねていいのだろうかと考えてしまう。それがたとえ相手が喜んでしてくれるとしてもだ。

私も経験があるが、結婚したからと言う理由だけで、本当は他人の姑の世話をしたくない、人任せにしたいと思う気持ちは良く分かるが、だからと言って・・・と考えが堂々巡りする。因みに名目は忘れたが、姑を自宅で看取り、自分の時間を持てない日々の公的に支給されたお金は1ヶ月500円(27年前)だったオムツ2袋の値段である。


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デジカメ講習終了

2006年10月19日 | 今日この頃
          オキザリス・プルプレア        
            何処にでも咲く花、名は?
        じ~っと見るととても愛くるしい
      雑草と言う名の花は無いと昭和天皇さまだっけ?
            ほんと、そ~よね
      
      ☆ 花の名はチーコさんに教えていただきました。
        カタバミとも言った事思い出しました。
            有難うございました。

早いもので「デジカメ講習」応用編6回コース終了しました。新しい事を習って愉しい講習でした。唯今まで自分で必要な事だけやって来て、新しく習った事は役立てる事は無いように思います。でもする事が無いものをやってみた事は良かったと思います。愉しい12時間でした。

講習が終わって私の感想、娘時代に習いに行ったお料理教室に似てるな~と思いました。当時のお料理教室は分量、下ごしらえ全て出来ています。ただそれを調理するだけです。講習も必要な下ごしらえは全て出来ています。それを使って色々な技術を学ぶのです。その一つ一つの下ごしらえが大変なんです。それは個人レッスンを受けないと出来ない事でしょう。

私は独学で下ごしらえをしてきました。だからそのことに気が付いたのです。もし基礎が出来ていなければ、下ごしらえがなされているという事すら気付かないと思いました。

終了のグループに入れてもらうには、ワードとエクセルの各初級、中級、応用を終了しなければなりません。来年3月から始まるので考えてみようと思います。先生がとても解り易いのでその気になりつつあります。

鉛筆のお話:
今鉛筆が変わって来たようです。「たかが鉛筆、されど鉛筆」です。今の小学生は鉛筆よりシャーペンを使うようです。シャーペンは芯が細いし、力を入れると直ぐポキンと折れてしまいます。書き方教室でのお話なんですが、子供達が「三角形の鉛筆」を使っていました。芯も普通の鉛筆の倍の太さがあるそうです。先生は鉛筆の持ち方から指導しています。子供達も「三角の鉛筆」は書きやすいといっていました。

私も先日まで「三角のボールペン」を使っていました。何かの講習で頂いたものですが、手にフイットしてとても書きやすいのです。いただいた時は「変なボールペン」とほっておいたのですが、一度使うととても使いやすく、芯?が出なくなるまで使い続けてしまいました。今日そのテレビを見て、流行ればいいな~と思いました。「三角の鉛筆」は3本で500円だそうです。

大人用には春慶塗りや津軽塗りの鉛筆が在ってじわじわと売れているそうです。此方は1000円するそうですが、大切に使うし、持ち心地が良いようです。

呆れたお話:
この頃京都、奈良のお役所の不祥事が新聞上を賑わして、古都の名を辱めています。これも奈良市職員のお話です。5年間で出勤したのがたったの8日、給料は満額払われているというのです。奈良市の環境清美部(ゴミ収集を担当する収集課)の男性職員(42歳)です。過去5年間で、職員が病気を理由に休暇を取得し続けているのに給料は満額支給されているというのです。

奈良市の規則では病気休暇は最長90日だが病名が変われば新たに90日の病気休暇が取れる。職員はこうした制度を利用している。記録に残っている平成13年以降、出勤したのは平成13年に1日、15年の6日、17年は1日、今年は1日も出勤していないで、年次休暇のほか2,4,5,8月にそれぞれ別の病名で診断書を出し、給料満額受け取り続けている。奈良市は「医師の診断書がある以上、現行規則に照らせば問題ないが、人事院の通知(病気休暇に関する通達)を踏まえて処分を検討していく」と言う。

開いた口が塞がらないとはこの事だ。一般社会では考えられない事だ。どうしてこんなことがまかり通るのか。奈良市の財政は働かない人を養うほど豊かなのか?
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