ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

懐かしのオリエンタルホテル

2012年03月30日 | 徹子の部屋から

        サンチカロビーの生け花 毎年3月は桜 楽しみです  (12-3-27)



唱歌の学校に行きました。6月にクラス対抗歌合戦?で歌う歌の練習です。
そのうちの1曲「蛍こい」はアカペラです。初めは箸にも棒にも掛からんようで
したが、少しずつ上手になってきたように思います。先生は曲は暗譜せよと
言われますが、一寸自信ないわ。私は先生が「暗譜」と言われるたびに
「小磯良平さんの『コーラス』と言う有名な絵でもちゃんと楽譜を持ってる、
そもそもコーラスって楽譜見て歌うもんと違うん」と頭の中で毒づいています。
悪い生徒やな~ 私は!


        「オリエンタルホテル」  神戸のホテルの老舗です     (12-3-27)


↑  ホテルの17階のロビーの窓から見た海   ↓このビル(大阪商船ビル)の7階で勤務していました


3月27日 神戸に「平清盛 展」を見に行った帰り、ぶらぶらと三宮まで歩
きました。主人は東京勤務の8年間を除き、勤めの大半をサラリーマンとして
この地で勤めました。私も相です。二人とも懐かしさはあるものの、すっかり
様変わりしているのに、驚きと寂しさを感じます。

今は大きいビルの1階はファッションのお店です。当時は考えられないことで
した。全て、事務所でしたもの。

震災で、建て直したと聞いているオリエンタルホテルがありました。何処に行
ったのかしら?といつも話していたのですが、そのビルが突然目の前に現れ
ました。以前にも前を通ったかも知れないのですが、1階を見た感じケーキ?
売り場と喫茶店のようでした。

「入ってみよか」と入りますと。案内の女性が話しかけて来ました。「ホテル
は17階にロビーがあり、景色もよく見えます…」主人がリュックを背負って
いたので旅行者に見られたのでしょうか? 「行く所があるので、帰りに見せ
てもらいます」「お待ちしております」と会話。

帰り道、立ち寄りました。17階直通のエレベーターに乗ってロビーへ。南側
の全面がガラス張りでしたが、金属入りの強化ガラスですから、写真が撮りに
くかったです。でも他にも写真を撮りに来ている方は居られました。

北側も見たかったのですが、そちらの方は「割烹の店」になっていました。き
っと大きな窓から神戸の山並みが見えるようになっているのだろうと想像で
す。さすがお料理は結構なお値段でした。

窓から、勤めていた街並みを眺めながら、「あれは海上保安庁や、大丸や…」
と見ているうちに「商船ビル、何処やろ」見渡していますと、ありました! 
独特の壁面を持ち、今も美術館として残されている東京銀行と同じ、保存され
ているビル、勿論写しましたよ、上に載せてあります。

下りエレベーターに乗ったとき、「同乗させていただいてもいいでしょうか?」
とお客様と女性従業員が乗って来ました。その従業員の説明を聞いて感心し
ました。手にはカードを持っています。説明によれば「下りる階の数字は、こ
のカードを差し込んでいただいて(なるほど、数字の下にカード挿入口があり
ました)御用の階数を押してください」と言うものでした。

セキュリティーの問題でしょう、誰でも何処へでも降りることはできないように
なっています。泥棒は良いにしても、密会に(古い言葉だね)利用できません
ね。カードが無いとその階に下りることも出来ないんですもの。何か裏道あり?
興味深々。

オリエンタルホテルは、元は商船ビルの道を隔てた南側にありました。だから
今のビルの位置ではないのです。

そのオリエンタルホテルで私たちは結婚式をあげました。今と違ってその頃の
オリエンタルホテルは何十段も階段を登った、上に立っていて、風格がありま
した。

私は元町の家で仕度をして(寝たきりのおばに花嫁姿を見せる為)ホテルに入
りましたから、タクシーの入り口に頭をぶつけて、鬘が脱げそうになったり、数十
段の階段を登るのが大変だった覚えがあります。

その結婚記念日54回目も目前です。夫婦共に一人で生活できる命を頂いて、
ありがたいことだと感謝しております。



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インド家庭料理 (39回)

2012年03月28日 | 今日この頃

        ↑   「今日のお料理」        ↓   「マイディシュ

                            「卓上花」


今日も全員出席。皆さん月に一度の会を楽しみにしておられるのでしょうか。
「辛いのが苦手…」と言っていた友人も「少しなれてきたみたい」と嬉しいお
話、「インド料理」のこの会を通じて、お付き合いが深まっていくのが嬉しい。
年齢を重ねるごとに、時には何かのグループの一員になって視野を広げるの
も大切なこと。まして「同じ釜の飯を喰う」と言う親密さの表現もあるように「食
を共にする」と言うことも伴っているこの会を私も大切にしたいと思っています。

ショリー先生も良い方だし、オーナーのお花のセンスも大好きだし楽しみが2倍。

アル タマタ キサッズイ  北部・パンジャブ州
アル=ポテト タマタ=トマト キ=~の サッズイ=より以上(野菜に使う)




ジャガイモは茹でて小口切りにしておく、みじんの玉ねぎを炒める、調味料を
いれよく混ぜ、みじんき切りトマトをいれ炒め、ジャガイモを加えてよく混ぜ
て、水を加えて煮込む。

香辛料がぴりぴりと美味しかった。

シュリンプ イン ココナッツ マサラ     南西インド・アンデラ地方




3度目なんだそうですが、初めてのように感じたし、美味しかった。

エビを背開きで使うのが変わっていました。玉ねぎのみじん切りを炒め、ココ
ナッツパウダー(粉)を使わず、ココナッツファイン(小さな固形)を使うの
がミソ? 多くの香辛料とともにヨーグルトを加えて、汁気がなくなるまで煮
て、ドライに仕上げる。

キャロット ハルワ(ニンジンのデザート)     パンジャーム州






ニンジンでできているとは思えませんよ。パティーなので「これな~んだ?」
とクイズになりそう。 これも美味しかった。

すり下ろしたニンジンを、インドのばたー(ギー)でニンジンのにおいがなく
なるまで炒め、後牛乳を加えて砂糖を加えてどろどろになるまで、炒め続ける。
トレイに広げて冷まし、ナッツの砕いたものを載せて出来上がり。軟らかい塊。

パラク プリ(主食)     パンジャブ地方






上の蓬だんごのような色はほうれん草です。お団子を麺棒で薄く延ばして、油
で揚げたものです。色はとても綺麗ですが、ちょっと油っこかった。と言いな
がら4枚も食べた私です。


今日はショリー先生と色々お話が弾みました。先生が日本に来られた20年前
と、今の日本人は変わったと感じられている様子。「今は時代が違うのよ」と
言う言葉で、今の世の中を肯定し、それが新しい時代に率先する自分であると
賛成することは私にはできない。私はショリー先生が感じてくださったような、
「日本人らしい日本人」の世に戻って欲しいと願っています。

                                (1820回)

        ☆  明日お休みします

     
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平清盛 展

2012年03月27日 | 一寸そこまで
     
          ↑   チケット          ↓   館内の写真




神戸市立博物館は「平清盛」を見に行って来ました。平日ですからまあまあ
の入りでしたが、ゆっくりと見ることが出来ました。

源平の合戦で、初めは平家が勝ち、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。「平家にあら
ずんば、人にあらず」と豪語していたほどです。しかし「驕る平家は久しから
ず」と没落の一途をたどります。

それも、源氏を討ったとき、清盛の父が、源氏の大将の妻、常盤御前とその子
3人を処罰しなかったが為に、成人した、末の子義経によって、平家は滅ぼさ
れる。敗者の血縁は全て根絶やしにするべきを、情けをかけたばかりに、逆転
の憂き目に合い、平家は滅亡する。清盛が死して4年後のことである。

歴史嫌いの私でもこれくらいのことは知っていました。しかしきょう、初めて
知ったことも沢山あります。テレビの「平清盛」を今日知った事実と重ねてみ
れば、面白みもますと言うものです。

清盛が日蓮宗であった。築地にある「阿弥陀寺」は清盛が建立した魚御堂の
遺構といわれる巨石が池の中にある。この寺は私の里の菩提寺である。

わが里の家紋が平家と同じ「揚羽蝶」です。故に私が持ってきた和服には「揚
羽蝶」の紋が入っています。

一の谷の合戦で平家の大将知盛が陣を張った場所が「生田神社」であり、私の
名前はこの神社でつけていただいたもので、私は氏子です。

終戦後、私は敦盛の笛や、甲冑を初め源平所縁の寺宝が多数ある「須磨寺」の
ほん近くに住んでいて、尋ねてきたお友達を何時も案内した場所です。

その他、「布引の滝」「三宮神社」「湊山温泉」 等々知っていたが、平家に
関係するとは知らなかった。「雪見御所跡地」は清盛の別荘地とか言われてい
たのを知っています。中学の校区にある公園だからです。

     
        ↑   入り口のポスター        ↓   館外ののポスター
  

それにしても、清盛の字は男らしい字です、とても達筆です。写経の字は「金字」
が多いのですが、「金」というのは書きやすいのでしょうか? 溶かした金は固
まったりしないのでしょうか? 湯煎をしたのかしら? とか色々と気になること
がありました。

疲れたので、館内の喫茶店に入りました。コーヒをあまり好まない私ですが、ここ
のコーヒは少し酸味がありますが、苦くなくて私にも飲めます。

主人が「ここはコーヒのお代わりできたっけ?」というので「高いお店ほどお代わ
りできないよ。お代わりできるのは、安もんのお店や思うよ」というほど、私もも
う少し飲みたい気分でした。

離れた場所にご夫婦がおられました。その方たちが帰り際、奥様が私のそばに
来られて、「この展覧会行かれませんか?}と言ってチケットを2枚差し出されま
した。「明日からなので、私は行けないのです…」と言われます。ありがたく頂い
ておきました。

「平清盛」は来月からは京都の文化博物館で催されます。「北斎展」のあった
会場です。宣伝のパンフレットや、ポスターがありました。

              館内の喫茶店でお茶をしたら 右のサブレが付いて来ました
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輿石さん 鳩山さん何しに中国へ?

2012年03月26日 | 気にかかる

        「彼岸桜」    尼崎・立花西小学校 裏門        (12-3-24) 




3月24日(土) 又ポカやっちゃいました。図書館にいったんです。2週間に
一度ですから、武庫之荘のスーパーでいつも買い物するんです。今日もスー
パーの前まで行きました。ハテと足を止めました「財布持ってきた?」おもむろ
にリュックを下ろして探しました。ありません! と言うことはバスにも乗れない
と言うことです。いつもは50円玉数枚(一回に50円払う)を定期と一緒に持っ
ているんですが、50円玉が手元になかったので、お釣りもらうつもりだったの
です。定期だけあっても乗れません。一気に、本3冊入ったリュックが肩に食い
込みました。仕方がありません。トボトボと往復歩いて帰宅しました。

近所のスーパーのカードだけは持っていましたから、もう昼ごはんを造る気力
もなく、丁度「駅弁・空弁展」をしていたので、始めての空弁を買いました。
ところがところが、「不味い!」、泣きっ面の蜂! とはこのことなり。


国民が、東日本大震災のガレキ処理問題等に気を引かれているうちに、輿石
幹事長を団長とした民主党訪中団が、中国の次期最高指導者に内定している
習国家副主席に会いに行った。何しに?

またまた、ご機嫌伺いらしい。名古屋市長河村さんの「南京大虐殺の否定」を
批判したと言う。何故? わざわざ「あの意見は間違いです。多くの日本人は
そんなこと思っていませんよ」って言いに行ったわけ? 先の大戦の要因は
「植民地支配と侵略」だと言った「村山談話」を肯定して「民主党は8月15日
に戦争の悲劇を繰り返さないとの談話を出している」と釈明したそうな。

他には、「東シナ海の石油・ガス田共同開発に関する交渉再開や、日本の農
産物輸入制限緩和を求めたが、習氏は「引き続き協議したい」と述べただけ
だそうです。 おかしいな~? 東シナ海の開発はあちらは勝手に掘り進ん
でいるのではなかったかしら、「約束が違うでしょう」と抗議してしかるべきでは
ないかしら。

それに、近頃、平気で境界線を越えて、中国監視船が尖閣諸島周辺の日本
領海に侵入したことには一切触れなかったそうです。

如何してそんなに中国の機嫌を取るの? そんな事をすると、益々相手は嵩
に掛かってくると思うのに…。それでなくとも、外交を支える、戦力を持たな
い日本は軽く見られているのに、多くの税金を使って、何しに中国へ行ったん
ですか?

あろうことか、同じ民主党から、鳩山氏が小澤一郎氏の胡錦濤国家主席宛の
親書を携えて中国入りしたそうで、そして、輿石訪中団との会談の後、すぐ、
習氏と会談したそうです。何故? 何故なの? 小沢さんの親書は役に立た
ず、胡氏との面会はなかったようですが、小澤さんも、百何十人かの子分を
連れて訪中の際、写真を写させてくれたから、私たちは仲良しだ、と勘違い
していませんか? 

あの時は政権が変わったばかりで、中国も様子見をしたんではないですか? 
御しやすしと思ったからには、もうあんな馬鹿な真似に付き合ってくれない
だろうし、親しくする必要もなしと思っているでしょう。小沢さん、自惚れ
もいい加減にして! って言いたいわ。

野田さんは鳩山さんを外交の責任者にしたんだっけ? 止めて! あの人を
外国に行かせないで! 何をやらかすか、何を言うかとヒヤヒヤします。 


        「黄水仙」      尼崎・立花西小学 表門        (12-3-24)
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今、中国で流行り始めた「カレー」

2012年03月23日 | 今日この頃

「ばら」  ↑  ニコロバガニーニ     ↓ ブルーシャドー   尼崎・大井戸公園   (11-5-19)


今日は一日中雨でした。金曜日ですから、唱歌の学校があるのです、仕方が
ないから外出するのですが「ほんとに、金曜日はよく雨が降るな~」とぼやき
ながら家を出ました。学校で、のりこ先生が「金曜日って、ほんとに良く雨が
降るね~」と言われたんですよ。「やっぱりな~」と思いました。何方か大雨
女が居られるのでしょうか?それとも雨女が多数なのでしょうか?


日本の(画面から見てハウス食品のようでした)会社が、中国に工場を造って
生産するようになって今中国では「カレー」が食べられ始めたそうです。

なんだか不思議ですね。日本では、戦前からありましたよね。まだまだ色んな
面で遅れているようですね。でも恐ろしいことに軍備だけは着々と先進国です。

食べられ始めたと言ってもまだ3割だそうですが、13億の3割って? 4億? 
凄いね~! 計算してみると…。日本の(食べない0歳児を含めた)総人口の
3倍以上だよ。

初めに3割しか「カレー」を知らない食べたことがないと聞いた時には「凄く
すくないな~」と思ったのですが、計算してみると、なんのなんの凄い数字が
出ましたね。

「黄色」の好きな中国民の国民性に合わせて「黄色がかった色」にしたそうで
すよ。カレーは美味しいけれど色がね~、一寸ね~。そういえば、寝たきりの
姑の世話をしていた4年間はね~、「カレー」食べれなかったですよ。それが
ね~、いつの間にか、又作って「美味しい美味しい」って食べだしたんですよ
ね。おまけに「カレー教室」に通いだしたりして…、人間って都合よく出来て
ますね。

それから、嗜好の方でも中国人の嗜好に合うようね「八角」を入れてあるそう
ですよ。「インド料理教室」でもたまに「八角」を使いますから、合わない味で
はないのですよね。

何しろ総人口が13億?ですからね、購買力が魅力で、中国に進出する会社が
増えるんですよね。人と人との繋がりが良好でも、中国政府の行動は、要注意
ですね。


              ↑   ブラスバンド
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虚 像

2012年03月22日 | 読みました

             「白椿」   尼崎・大井戸公園     (12-3-6)


 昨日のことなんですけれどね、夕刊を読んでいたんですよ、主人が用事を言
いつけて、済ませてから、又新聞を読もうとしたんです。なんだか読み辛いの
で、「めがねをかけてないわ」と思いました。机の上にもないし、まさかとは思い
ながら、頭の上も触ってみたけれど、普段から、トンボ眼鏡なんかしないから、
もちろん頭上にはありません。

「おかしいな~」眼鏡を外して用事をしたはずなのに、眼鏡が何処にも見当た
りません。これが携帯でしたら、主人の携帯で私の番号を呼び出すと、すぐあ
り場が分かるのですが、眼鏡のときは音がないので、本当に困ってしまいます。

ハタと気づきました。京都にもって行ったので、バッグの中だということに…、
さっき新聞を読んでいるとき「一寸読み辛くなったな~、眼鏡の買い替え時か
しら…」と思ったのですよ。自分では眼鏡を掛けて読んでいるつもりだったの
ですよね。実際はかけてないのですもの読み辛いはずですよ。こんなポカをす
る自分が可笑しいやら、悲しいやら、毎日毎日衰えいく頭に叱咤激励する日々
を過ごしています。

        虚 像       高杉 良      
「上 覇者への道」 と 「下 驕りの代償」 の上下本でした。この作家の本
は以前に生命保険の「生保のオバちゃん」と呼ばれた女達にまつわる、生命
保険会社の物語を読んだことがあります。あれも上下の長い本でした。

今度は「ノンバンク」と言われるリース業から総合金融業にまで昇り詰めた会
社のお話です。「メガバンク」と「ノンバンク」の違いと言うか、「ノンバンク」に
食われる「メンバンク」など金融界のお話で、所々飛ばし読みしてしまいまし
たが、何となく、その成り立ちだけは、そして転落への道筋だけはつかめたよ
うな気がします。ノンバンクって「アコム」?「プロミス」?かと考えました
が、さっぱり分かりません。

簡保の宿のことも書いてありましたね。国民の財産で、自分の腹が痛まない
からか、ビックリするほどの安値で、買い叩かれたと新聞で読んだのを思い出
しました。こんな経過があったのかと今更ながらに、驚きました。

簡保の宿は時々泊まりした。国民宿舎や民宿より割高なお値段だと思いまし
たが、そして案外、町から離れた、不便な所にあるので、マイカーでないと、
宿泊しにくいと思いましたね。赤字経営だとは知りませんでしたけれどね。

横浜の「みなとみらい」はこんなにして出来上がったのかと、興味がわきまし
た。一度いってみたいと思ったりしました。

「サブプライムローン」とか「リーマンショック」とか、過って紙上で読んだ言葉
が次々と出てきました。やっぱり、日本でも間接的に影響を受けてたいへ
んだったんだな~、と今更のように思いました。

世の中の動きは、トップの人脈によって動かされると言うこと。この本の主人
公もそのうちトップに立つだろうというやり手、色々と人脈を駆使するが、上
手くいかなかったときの友人のボヤ気が、「ノンバンク」と「メインバンク」の責
任の取り方の違いが、心に留まりました。「メインバンク」に勤める友人のせり
ふです。

「ノンバンクはいいよな。自分の子会社を見殺しにしても、出資責任でおしま
いだ。メインバンク、メイン寄せ去れた挙句、お前らの何倍もの損失を被って、
しかもやれメインバンクの責任だの貸し剥がしだのと、メディアにぶったたか
れる…。」

我家の口座のある「メガバンク」の名が登場したり、「やれやれ、こんなこと
もあったのですか」と今更ながらに教えられた気持ちです。



                    大阪・海遊館          (12-3-9)
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葛飾北斎展 後期

2012年03月21日 | 一寸そこまで
     
                      「北斎展」のポスターです

       私の買った葉書  ↑  ポスターにもなっている「冨嶽三十六景」の富士山     
       ↓  珍しい「生物の絵」亀3匹  下の亀の尾っぽの上の藻は長寿を表している 
    
      

京都文化博物館へ、「北斎展」の後期を見に行って来ました。全作品入れ替え
と言うので行きました。前期に行った時に、チケットの裏に判子を押してくれま
す。それを持っていけば、後期は前売り券の料金で入れると言うことでした。
私の場合は、又、チケットを頂いたのでそれを使わせていただきました。

そういうサービスが功を奏してか、会場は沢山の人でした。あと4日と言うこ
ともあるのでしょうが。

前期のときは気がつきませんでしたが、「富士山」と言う字を「不二」と書い
てあるのが多かったです。如何いうことなんでしょうね。

「百人一首」を題材にした絵、琉球(今の沖縄)を題材にしたものなどが新た
にあったように思います。北斎は実際に琉球に行ったわけではなく、お手本が
あって、それを自分なりに解釈し取り入れたもんだそうです。

なんですか、前期より、数が少ないように思いましたが…。


             表 正面  左右対称になっています

        内部の仕切り   ↑   客側から     ↓   行員側から


今の「京都文化博物館」の本館(展示のある所)と隣り合わせの別館(売店が
ある)は「元日本銀行京都支店」の建物だそうです。とても天井の高い建物で
す。さすが「日銀」だけあって、ふんだんに大理石を使ってありますし、お客
様と行員を隔てる柵?の金物も見事な細工です。写真を写して来ましたので、
見てください。

設計者は、東京駅を設計した、辰野金吾氏の弟子で、各地の銀行を設計した
長野宇平治氏だそうです。106 年前の建物だそうです。





尼崎から京都まで、30分くらいでいけます。費用も昼間の安い切符を使えば、
千円かかりません。展覧会だけではなく、色々行きたいところ、見たいところ
があります。「健康寿命」を頂いて、これからも色々見て歩きたいと思います。


            ポスターですが 京都らしく可愛いので写して来ました  
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学力の伸びる時期は人によって違う

2012年03月20日 | 気にかかる

          「ヒマラヤユキノシタ」   尼崎の町角     (11-5-4)


寒いような寒くないような変な一日でした。猫に球根を掘り起こされないよう
にネットを張っていた、水仙(新しく買った球根)の蕾が上がっていましたの
で、ネットを外してやりました。芝の上で芽を出していた芽もポットに植え替
えてやりました。やっぱり、もうすぐ春ですね。


午後、橋下市長が生出演というテレビを見ていました。色んな疑問に次々とよ
どみなく答えていましたね。でもどんなに若くても、あまりに忙しそうなので、
お体を壊さないかと心配です。

「小中学生の落第問題」聞いていまして、納得です。市長は学力で子供を差別
するのかと思っていたのは誤解でした。今まで私は新聞報道でしか知りません
でしたから、誤解をしていたようです。私と同じく、今日真意を理解された方
も多かったのではないかと思います。何しろ2時間以上疑問に答えておられま
したからね。

市長が言われる「落第」とは学科別に年齢に関係なく、理解度のグループ(今
風に言えば1年から3年、4年から6年)に分けて、社会に出て必要な最低限
のことは、身につけさせたい。又優れた能力はどんどん伸ばしてやりたい。

子供の為にはこんなに良い方法はないと思います。心配があると言えば、親
の心の方でしょうね。3年生ぐらいで差がついて、理解できないと、その後は
何も分からない時間を過ごすことになる、こんな苦痛を味あわせることはない。
子供の能力に応じて、分かるまで指導してやる。と言うことのようでした。

子供の伸びには遅い早いがあります。1年から3年までの間に延びなくても、
次のステップで早く理解できるようになる可能性もあります。分からないまま、
進級してしまうとその可能性まで摘み取ることになります。

私は自分の小学生の時の経験からもそうだと思います。1年生の3学期だ
ったと思います。「平かな」の次に「カタカナ」を習った時です。教科書の「ひ
らがな」の文章を「カタカナ」に書き換えた人から帰るのです。

私は残されたほうでした。友達が、書き上げてだんだん帰っていくのを、心細
く思いながら、必至で書き換えた思い出があります。窓の外はだんだん日が
傾いてくるし、残っている友達は少なくなるし、あの心細かった気持ちは、70
年たった今でもはっきりと覚えております。でもその日があったから「カタカナ」
が覚えられたとも思っております。

5年生になった時、何となく「勉強しよう!」と言う気になりました。夏休みの宿
題を一生懸命やりました。「算数」「国語」ともに「優秀賞」と言う判子を通知表
に頂きました。次の冬休みは今度は工作に羽子板に自分なりの工夫で「貼り
絵」貼り付けて、これも「優秀賞」と通知簿に…。やっぱり嬉しいですから、勉強
をするようになりました。3学期には「向上賞」と言う判子が押してありました。
その通知簿は今でも大切に持っております。

私の長男は4月1日生まれですから早生まれになります。そうしますと、同級
生の4月生まれの人とは1年の年の差があります。生まれた時にお医者さん
が「子供が可哀相だから2日生まれにしたら如何ですか?」と言われました。
でも私は生まれた時からごまかすのはと思い「事実で届けたいと思います」
と言いました。2日までは5時間の差でした。

息子が3年生になったとき、先生が「如何して、こんなに勉強が出来るように
なったのですか? 教えてほしい」と言われました。彼に聞きますと「勉強が
好きになった」と言いました。

私は5年生、息子は3年生で、知らない事を学ぶ喜びを知ったようです。人そ
れぞれです。1年生から出来る子もあれば、高学年で追いつく子もいます。自
分たちの経験から、私は橋下市長の「落第」と言う言葉は感心しませんが、遅
く出る芽を摘まないと言う事で賛成です。

橋元市長に「言いたい事」をファックスしてと言いますと、局の方に2700通
も来たようですよ。市長は「持って帰りたい。読ませていただきます」と言って
おられました。

「原発」についても、絶対反対ではないというニュアンスでした。コメンテー
ターの方が「なんだか違うね~(全ての問題に)」と言いますと、橋元市長は
「私は話しているのに、マスコミが自分の都合のいいところだけ発表して、後
はカットしてしまうから」と笑っていました。「生出演」それも「長時間」という
のが良かったと思います。「カット」されませんからね~。



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君が代の替え歌?

2012年03月19日 | 気にかかる

       尼崎・近松公園の「梅」と「さんしゅゆ」        (12-3-18)



昨日(3月18日)日曜日は春の施餓鬼の日でしたから、お寺に行きました。
墓花もハウス栽培で、石油の値上げの影響でしょう、1割ほど値上がりしてい
ましたよ。小雨が降っていましたから、お参りの人は出足が鈍かったようです。
午後からもありますから、そちらの方が多いのかもしれません。

いつもどおり、お座敷で「巻き寿司」のお接待を受けました。大方の方が持ち
帰られるようですが、私たちはお茶も用意されているので食べて帰ります。

隣にある、近松公園に行きましたが花は遅れているようで、いつもなら、咲き
終えている「梅」が咲いていました。「さんしゅゆ」が開き始めていました。

遅れているといえば、「東洋ナッツ」の「アーモンドの花」も遅れているようでし
た。案内の葉書を頂いて、17.18日は無料バスがあるので、行くつもりだっ
たのですが、ブログを読んでいますと、咲いていないようですので中止しまし
た。花と同時にナッツや、色々の売店が出るのですが、私の場合「花の撮
影」が目的ですから、花が咲いてないのなら行っても仕方がないと止めま
した。「花より団子」の方は雨でもいかれたのでしょうね?

ついでに大阪に「パン」を買に行きました。大阪駅の柱には昨日から始まった
「ツタンカーメン展」の大きな広告が沢山張られていました。もう見に行きまし
たから、何となく懐かしい気持ちで眺めておりました。


大阪の高校の校長が、卒業式で、教師たちが「君が代」を歌っているかいない
か、口の動きを観察して、友人でもある、大阪市の橋下市長に報告したことが
賛否両論噂になっているようです。

サッカーの選手が「君が代」を歌っているかどうか、私は気になって、口元を
見ています。1.2年前まで、ほとんどの選手が歌っていませんでした。でも
近頃は少し歌う人が増えたようです。国を背負って戦うのに、国歌を歌うのは
当たり前だと思うのです。 見てはやりきれない寂しさを感じます。

国歌。国旗を認めない自由ってあるのでしょうか? 世界中で日本だけではな
いのでしょうか? ほんとに寂しい気持ちです。

相撲の千秋楽の優勝者の口元も見ています。外国人力士でさえ歌っています。
それが決まりだからでしょう? 見ていて嬉しいです。その前に起立を促して
いますが、立たない人もいるのでしょうか? 横綱に一番近い位置の人は、又、
外人ですね。国際色豊かでもいいから、日本人も加わって欲しい。

「歌うのが嫌なら、君が代の替え歌を作って、歌ってる振りをすればいい」と
言った女の人がいました。法政大学の教授、田中優子氏だそうです。言うのに
事欠いて、なんと言う事を言うのでしょうね。それも人を教える立場の人がで
すよ。

どんな人かな~と調べてみました。写真を見て驚きました。以前にテレビで見
たことのある人でした。チラッと見ただけなので、職業まで知りませんでした
が、唯、顔や雰囲気は素人(垢抜けていない、もっさりしている)なのに、玄
人の人のように衿を抜いて着物を着ていた人、なんか変な人! と思っていた
その人が、田中優子氏でした。やっぱりな~! 一目見ただけで変な人! と
思った私の勘は冴えている! 

学問的には優れた人なんでしょうが、人間としては如何なんでしょうか? 授
業を受けている生徒さんは如何感じているのでしょうか? 知識と人間性のギ
ャップ。知性あふれるという言葉がありますが、姿かたちには知性より人間の
心の方が現れるのでしょうか? 私は一目見てアンバランスな人と感じましたよ。 




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流転の子

2012年03月16日 | 読みました

 「さんしゅゆ」 今年は実が落ちる前に花も咲くという面白い光景です  尼崎・大井戸公園 (12-3-15)




今朝は冷えました、顔を洗う水が冷たいと感じました。例年このようでしたか
しら? 毎年のことなのに忘れています。

灯油が又値上がりしました。2週間ほど前から比べると、1缶150円と急激
な値上がりです。まもなく1缶2千円になりそうな勢いです。私はお米屋さん
から、取っているのですが、「値が上がっても、今年はこれで(5缶)最後で
しょう?」「そうかしらね~、私に聞かれても、気象に聞いてもらわないと分
からないわ。何にも贅沢しているわけではないんだから、せめて、暖かくする
石油を買うくらいの贅沢はしたいわ。でも1万円札のお釣りがだんだん少なく
なっていくね」って会話…。

そうそうお米屋さんで思い出しました。私はお米だけは少しいいものを買って
いるのですよ。だから、美味しいのが普通と思っていましたら、先日お米3キ
ロを頂いたのです。それを食べて、いかに日ごろ食べているお米が美味しいか
思い知りました。お米を捨てたり出来ませんから、早くなくなってくれないか
と思いました。

このお米屋さんは息子の友達のお父さんなんです。もう何十年も持ってきても
らっているのです。

何時でしたか、お米が店頭から姿を消した時がありましたね。その時も「○○
さん(私)のお米がなくなる頃だから、と思って残してありますよ」って持ってき
てくれて、お米探しや外米を食べなくてすみました。ありがたかったですよ。

   流転の子(最後の皇女・愛新覚羅 こ生)     本岡 典子

愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい)という名は知っていました。あの有
名な「天城山心中事件」で知っていました。妹が一人いることも知っていまし
たが、その「こ生」さん(この字は辞典でひいたときはちゃんと出るのですが、
投稿すると変な字になりますので、仕方なくひらがなにしました)が、今も隣
の市西宮市でご存命とは、この本を読むまで知りませんでした。新聞でのお薦
めで図書館に申し込んだものでした。

そして「こ生」さんが、子供さんたちが成人して、東京に住むようになってか
ら、1軒やからマンションに移るとき、ご両親たちが愛した庭をつぶすに偲び
ず、ご長女が、武庫川学院で学んだことの縁により、庭を移し「日中友好の庭」
として残されたようです。

そこには「白雲木」というご両親の思い出の木も移植されたようです。5月頃に
咲くそうですが、みてみたいな~と思っていますが…。希望は叶えられるでし
ょうか?

清朝最後の皇帝・溥儀の弟溥傑に嵯峨侯爵家の令嬢・嵯峨浩さんは、政略
結婚として嫁がれた。しかしご夫妻はお互いに心からの愛情を持ち生を全う
された。

長女・慧生は学齢期に達してからは日本の浩のお里・嵯峨家に預けられてい
た。日本が負けたとき、父は兄溥儀に従い、浩と「こ生」は二人で帰国の旅
に出るが、身分がばれ、長い捕虜生活を送られる。想像もしていなかったよ
うな、飢えと移動を重ねる生活をする。

はじめ、皇帝・溥儀は弟溥傑の日本人妻を快く思わず、日本の密偵と思ってい
たのか、溥傑の前では心に思っている事を口に出さぬようになった死、浩の造
った料理には溥傑が手をつけてから少しだけ食べると言うように用心していた。

溥儀には子供がなかったため、溥傑に男の子が生まれるのを恐れた。(溥儀と
日本軍の間で、溥儀に子供がないときは溥傑、その子が後を継ぐという密約が
あったため。しかし溥儀はその事を誰にも明かさなかった)生まれたのが女の
子と知った時、初めて、溥儀は弟の子・慧生を可愛がった。

戦後16年の別離の末、溥傑、浩夫妻は中国に渡ったが、嫮生は一人日本に残
る道を選んだ。慧生が中国を離れて1年後、毛沢東らが主導する「文化大革命」
が始まり、中国全土を覆った恐怖と粛清の嵐は溥傑と浩を巻き込み、日本にい
る「こ生」と合うことは出来なくなった。

ここに周総理の名が出てきて驚きました。総理は影になり日向になり溥傑と浩
夫妻を支えてくれたようです。

「こ生」さんは日本と中国のあるべき姿について
『日本と中国は経済的にはとても親密な関係でございますが、まず経営ありき
ではなく、人と人のこころの交流、人の心こそが国や体制を越えて人をつない
でいくものだと思っております。国と国との関係は一時的には具合の悪くなる
こともあろうかと思います。そんなときこそ、おたがいの隣人に対する真心を
持ったお付き合いが絶えることなく続いて欲しいと節に願っております。誠に
ささやかではございますが、二国の真心の交流のお役に立てばと、一生懸命
勤めてまいりたいと思っております』

今の日中関係を、どのような思いで見ておられるのでしょうか。



 「さんしゅゆ」 こちらが何時もの花だけの木   尼崎・大井戸公園   (12-3-15)


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