ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

ウエルネスセミナー(2)

2007年09月30日 | 今日この頃
              バ ラ
         (大井戸公園 07-5-16)

昨夜から今日にかけて雨が降り続いていました。秋の長雨でしょうか。一昨日までの暑さが嘘のようです。一応ストーブも出しました。今年も石油は値上がりするのでしょうか?

昨日のもう1人は「特定非営利活動法人 フェミニストカウンセリング神戸」のカウンセラーの執行(しぎょう)照子さんの「今、DV根絶にむけて、私達がしなければならないこと」と言う講演でした。

初めは白井市長のお話だけ聞いて帰るつもりでした。このお話の終わりが3時という事で聞いておこうと思いました。次の「ウォーキング」の実践も魅力的な題材だったのですが、其れを済ませて4時、それから買い物をして帰ると、6時の我家の晩御飯に間に合わせるには、直ぐ晩ご飯の支度にかからねばなりません。一息置いてからでないと一寸しんどいので、「ウォーキング」はパスしました。

DV(ドメスティック・バイオレンス)は近年良く耳にする言葉です。DVの被害経験者(身体的暴行、精神的脅迫、性的行為の強要)は3~5人に1人はいると言うのです。この会場に100人として単純計算20人が経験者と言う事になります。其れも公にした人の数ですから、言わない人の方が多いと思いますから、その数は計り知れません。

DVの行為で「命の危険を感じた」と言う人が女性では全体の1.7人、男性で1.4人居たというのです。少数ながら女性からのDV行為を受ける男性も居るようで、その場合「命の危険を感じた」人の確立は高いようです。カウンセラーが言われるには「女性は弱いから、負けまいとして一気に突き進むから」と言う意味の事を言われました。これは一寸身びいきな気もします。男と女の違いと言うよりも、性格の違いだと思います。

DVを受けた人、又は其れを見て育った家庭の子供は今度は自分がDVをする可能性も高いといわれた。しかし自分のDV体験を誰かに話し、結論を見た人は自分が又過ちを犯すことはないとも言われました。だから1人で悩まないで相談しなさいという事でしょうか。

DVにまつわる間違った思い込み・偏見がある。
・DVのある過程は低所得者・・・貧しいからイライラして暴力を振るう⇒暴力に 経済力の有無は無関係。
・暴力はストレスの爆発・・・爆発は止められるものではない⇒暴力を選択。
・暴力をふるう男性は・・・低学歴・アルコール依存症・定職がない
          ・・・特別な人で、何時も誰に対しても暴力的⇒二面性
・暴力をふるわれる女性は・・・口うるさい・気が強い・女性にも問題がある。
            ・・・暴力をふるうにはそれなりの理由がある⇒暴力を ふるう側の責任。

この話を聞いていて、話し手はカウンセラーであるから、受身の女性側の立場の側の人であり、少し偏っているな~と言う感じを受けた。私の様に第三者の立場にあって聞いていると、いうなればDVと言う囲いの外から眺めると、少々の矛盾や身びいきと感じる言葉もある。暴力を肯定するつもりはない。本当に無理難題の末に暴力をふるわれる人の居る事も解る。

私はどのような形でカウンセリングが行われているのか知らないのだが、暴力をふるった方の話も聞いているのだろうか? 駆け込んできた人の話だけで判断していないのか? 身に危険のあると判断した人を匿う仕事? 会場に経験者が居たら全て暴力をふるう人の責任と聞いて心安らいだのだろうか。昨日の話だけでは正直な所、私は何も解らなかった。
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ウエルネスセミナー

2007年09月29日 | 今日この頃
            シュウメイギク
         株立ちの割りに花数が少ない
             白もあります

女性の為のウエルネスセミナーが尼崎女性センター・トレピエであた。午前の「ワークショップ」と午後の「ウォーキングレッスン」との間に白井市長と執行(しぎょう)照子さんの講演があった。「お時間があれば・・・」とお誘いを受けたので行ってみる事にした。

初めは午前の部から行くつもりだったが、そうすると講演までに1時間半の時間がある、昼食を食べても、一旦家に帰るにしても中途半端だ。そこで午前中はジムに(トレピエの隣である)行くことにした。おにぎりを持って、ジムの休憩室で食べ、まだ時間があったので「マッサージ室」に行ってマッサージをしていると眠ってしまって、目が覚めたのが20分前、慌てて駆け込んだ。隣のビルでよかった。 

女性センター・トレピエは私にとって懐かしい場所である。2年前まで所属していた会の会場である。今日の会場は3階だが、2階で思いがけない懐かしさを感じ、引き寄せられる様に部屋に近づいていた。毎日の生活の中では忘却の彼方に去っている会での生活であるが、現実その部屋を目の当たりにすると色んな想い出がグルグル回り始めた。足掛け8年間通い続けた場所である。

100人程のこじんまりした集まりだった。思っていた様に若い人が多かった。ご町内の方が4人ばかり来られたので助かった。白井市長のお話は「心もからだも生き生きと」だった。市長職について5年目に成ること、今は少しは余裕が出来たが初めは大変だったことを話された。

良く聞かれる問いに「ストレスを何処で発散されるか」と言う事だという。「このような講演会で思いのたけを話させていただくのがストレス解消の一端を担っている」と話された。

市長職もしんどいばかりではない。一般人であればお話しすることの出来ない方々とお会いできると言い、人間国宝の坂田藤十郎さんと桂米朝との対談について話された。

藤十郎さんの場合は公開された対談だった。藤十郎さんと元NHKアナウンサー山川さんと三人の対談だった。山川さんは歌舞伎に造詣が深く、つい語りかけも多くなる。傍目には白井市長は蚊帳の外と言う感じになるが、藤十郎さんは「・・・なんですよ」と市長の方に上半身を傾けながら話される。その心使いがとても嬉しかったといわれた。私もその場に居ましたので、その心遣いは感じました。

桂米朝さんの場合は小米朝さんとお三人だったそうですが、小米朝さんが会場が洋風で落語には合わないですよねと市長に同意を求められたそうです。そうすると米朝さんが「私達は建物があって、その中でお話させていただいているのだから・・・」と部屋に異議を唱える息子を制されたので、やっぱり人間国宝になるような人は違うと思われたとか。

又テレビ出演されている事にも触れられた。その番組は台本がなく、前日に議題が送られた来るだけなので、当日はどれに当てられるかわからないので良い意味での緊張感がある事、尼崎に関することなら答えに困らないが、与えられた問題に答えられるように、新聞もよく読むようになった。

これを聞いて私は嬉しかった。実は私も感じていたのです。時々、市長の答えに戸惑いがあることを。そんな時見ている私もはらはらします。アナウンサーがさっと他の人を再指名することで私の心配が的中している事が証明されます。市長も其れに早々に気づいて間口を広げ色々勉強する様になったそうで、私の心配が杞憂に終わり安心しました。
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日野原さんと三国さん

2007年09月28日 | テレビから
             ノカンゾウ
          (皇居東御苑 07-6-26)
         雨上がりの水玉を一杯載せて

昨夜、会館から出た時は雲の裏側で存在だけを示して、月は隠れていました。「お月さんあそこなのにね~、顔出さないかしらね~」と話していると、あら不思議、まん丸お月さんが顔を見せました。「出た出た!言葉が通じた!」と喜んでいましたら、数秒後には「もういいでしょう?」と言うように雲の彼方に消えてしまいました。家の側まできたとき空を見上げると、お月さんは真ん丸いお顔を見せていました。昨夜のお月様が一番真ん丸いそうですね。

NHKの金曜日の朝「この人にトキメキつ!」と言う番組が面白いと教えてくださった。色んな分野でご活躍の人を男女2人のアナウンサーがインタビューする番組である。リアルタイムに見れない時間なのでビデオ撮りして見る事にしている。

俳優の三国連太郎さんのたっての希望で日野原重明先生と対談形式になっていた。
日野原先生が96歳、三国さんが84歳、同じ亥年。その又一回り下が指揮者の小沢征爾さん。私は小沢さんと誕生年月日が同じ亥年。日野原先生は生かされている事に感謝して、100歳の年に小沢さんと2人で平和をアピールする音楽会をしようと思っておられるそうです。

日野原先生は5年先の予定の仕事の資料の用意(必要なものをファイル)をしておられます。用意は早くからするそうです。「生きる活力は目的を持って、勇気を持って行動する事。達成すると、その達成感がエネルギーになる」。

三国さんは後世に戦争体験を伝えたいと言われる。沖縄戦争の事を書き続けて10年になるそうで、それを脚本に書き上げて映画にしたいと言われます。

お2人の洋々たる展望に圧倒されます。二人は大きな夢を淡々と語られます。三国さんがインタビュアーなので日野原先生のお話が多くなります。

日野原先生はホスピスの院長でもあるので、後何ヶ月と言う患者さんに接するわけですが、患者さんと机を挟んで対峙するというような位置には座らないそうだ。横に座り、軽く手に触れ、時には頭に触れながら(先生はこの状態を8の字と言われた)話される。

その人がしたい事を勧める。「痛ければモルヒネでとりますよ、息苦しけてば苦しくないように処置をしますよ、何にも心配は要りませんよ」と言われるそうです、そうすると患者さんは安心して絵を描いたり、詩を作ったりし始めるそうです。皆の死に対する恐怖を取り除いてあげると、生活する中で自然に死を迎えるそうです。

そうですね。死を考える時、人間誰でも逃れられない道であることは知っていますから死が恐ろしいのではなく、その過程の苦しみや痛みが怖いのです。その不安を取り除いてくださる日野原先生の患者さんはいい最後を迎える運命を持って生まれた人なんですね。

先生は言われます「若い人は成長するが、老齢者は成熟するのである」老いるばかりと嘆く必要はないのです。成長はないが成熟期に入ったのです。長年生きた経験が成熟する事なら助けてくれると思います。

心配事のある人は体を動かすと良いと言われます。体を動かしていると無心になれる、其れが精神面にも良いようです。

こうも言われます「何か嫌な仕打ちを受けても、仕返しはしない。流すと言う淡白な気持ちになると気分が冴える」。これに似たことを私も考えます。嫌な態度を取られ腹が立っても、年上の私が折れる方が良いのだと自分に言い聞かせます。そう思えば気持ちが楽になります。

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朗読劇

2007年09月27日 | 今日この頃
             ナデシコ
         (皇居東御苑 07-6-26)
      幼稚園の年少さんで私はナデシコ組だった

吹田の文化会館メイシアターで朗読劇「きんこんかん」~赤いリボンで結ばれた愛の物語~を見に行った。

1週間ほど前、「行きませんか?」と声をかけて頂いて、「7時からなので、大阪で少しお腹につめて・・・」と言う。「お好み焼きが食べたいのですが?」「そうしましょう」と言う事で3人で集まる事になった。

お好み焼きやさんは私の知ってるお店。お2人とも美味しいと気に入っていただいてほっとした。私は以前は昼時に行ったので、満員だったけれど、今日は4時と言う中途半端な時間ゆえ空いていた。一寸長居をさせてもらったが、「熱いコーヒーを飲みたい」と言うので2件置いて隣の喫茶店に移動した。

2軒のお勘定なんですが、幸せと言うか、厚かましいと言うか、友人が全て支払ってくださった。其れが事の起こりは、今日家を出る少し前、彼女が書類の整理をしていたそうです。間に挟まっていた封筒を捨てる方に一旦置いたそうですが、一応中身を・・・と出してみると驚いた。十万円に近いお札が出てきたんだそうです。
所属している会の会計をしていて、立替分を貰ったのをすっかり忘れていたのだそうです。思い返せば約半年前の事だそうです。

そういうわけで大金が出てきたので嬉しいような、暢気な自分に呆れるやらと言う事で、「今日は私が奢る」となったわけです。見つかるのが数日前ではなく、又明日でもなく、今日見つかった事で、私達2人は奢っていただく幸せにありついたのです。ご主人には言わないそうです。お医者さんの奥さんだし、年金も貰っているから、お金が潤沢だから、こんなことが起こるんですね。

もう1人の彼女は「昨日お月さん見た?」「見たよ」「もう一度見て!」何かと思えば、ゼリーのお月様と干菓子のピンクと白のウサギさんのセットをくださいました。なんとも可愛いセット菓子です。今日は私が一番得をしたようです。

春には「野崎の観音さんのサクラを見に行こう」と言うお約束ができました。これで鬼の笑う来年のお約束が5つ出来ました。

本題の朗読劇ですが、ハーモニカとのコラボレーションです。劇中に出てくる軍歌、童謡、BGMの全てをハーモニカでこなします。女性3人、女の子3人の終戦後が舞台の物語です。説明に『昭和20年終戦。戦争で多くの大切なものが失われた。しかし、優しい愛、人の思いやりは生きていた』とあります。題名の「きんこんかん」は私達の年代の者なら知っているラジオのドラマの主題歌「緑の丘の・・・・・鐘が鳴りますきんこんかん」から取ったようです。

終戦後の旧家では、跡取り息子の死亡通知が来た場合、弟の嫁に直らせる。そうして家を財産を守った。死んだはずの跡取りが復員してきての不幸は、多々あったらしい。其れを題材の中心に据えている。何時も苦虫を噛み潰したような顔をしている主人公(形としては出てこない)が実は優しい人であった事。何故人間不信になっていたかを最後の方で「手紙」と言う形で朗読される。

劇中で歌われた軍歌、童謡は全て私は歌える。そういう年代なんだ。出演者が若いので、客席も比較的若い人で占められていた。周りを見回して現代の若者は「今」を楽しんでいるんだな~と思いました。演ずる、朗読する事の玄人にならなくとも、趣味として舞台に立って楽しむ事の出来るのが現代なんです。

『今日を生きれば、明日いいことがあるかもしれません』いい言葉です。
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三つの詞

2007年09月26日 | 今日この頃
         ハンゲショウ(半化粧、半夏生)
    半夏生は夏至から11日ぐらいに葉が白くなるから
     半化粧は葉の半分が白いから 水辺の植物
         (皇居東御苑 07-6-26)

昨日はインド音楽のBGM、今日はハワイアンの音楽と私の耳は幸せです。音楽を聴いていますと、過って行ったハワイの真っ青な空、そのブルーに負けない「ハワイアンブルー」と言う飲み物、頭の中に現れます。インドは行った事がありませんが昔行きたくて調べた事があります。宮廷列車と言う汽車があって(ホテルを兼ねている)それに乗って旅するのです。インドはインドの神様に呼ばれた人だけが行けると聞いた事があります。私にはまだお声がかりません。なんだか呼ばれそうな・・・。無理かな~。


先日お参りの帰りに門の所で「心の糧」と言うチラシを貰いました。

日蓮聖人御遺文「事理供養御書(じりくようごしょ)」の言葉です。
        
         財(たから)あるも
          財無きも
       命と申す財に
          すぎ候財は 
             候はず

「命と言う財に勝る財産はない」という事ですよね。病を持って生きている人は、命の尊さを健康な人よりより切実に解っていると思う。大切な命を一日でも永らえようと努力しているのだと思う。こんな事言いませんか「大病をした人ほど人の痛みが解る」って。そうかも知れません。私自身病を持っている人に対して、時には冷たいと言うか「そのくらい我慢しなさいよ」と言う気持ちを持ってしまうのは、命に係るような病気をしたことがないからかも知れません。

自分が年を重ねて、生きるという事がこんなにしんどいものだとは知らなかったと実感しています。「第二の人生」何てばら色のように言いますが、其れは60代までのこと、70代になりますと、体の衰えは日に日に実感します。色んな楽しみを見つけるのは、そのことに喜びを見つけて、現実から目を逸らそう、出来る間にしておこうと言う気の焦りがなせる技かも知れません。時として抑えきれない淋しさや悲しさを感じるのも、先の見えた年代だからでしょうか。

「地涌(じゆ)の声」より。「立正安国・お題目結縁運動」
地涌の声とは、日蓮宗が「伝える」という事を講義するときの言葉の集まりからの抜粋のようです。

       命がお金で 買えるなら
       二つは欲しいと 思うでしょう
       だけど二つも あったなら
       きっと粗末に するでしょう
       たった一つで あればこそ
       命の尊さ 解ります
       大事に大事に しましょうね

本当にそうだと思います。「命あってのものだね」と言う言葉があります「死んで花実が咲くものか」ともいいますね。「死ぬ気になれば何でも出来る」とも言います。でも昨今いたずらにわが命を絶ち、「相手は誰でもよかった」何て人の命を奪うようになりました。中でも親が子の、子が親の命を簡単に奪います。ほんの一握りの人の行動とはいえ何とも悲しい事件の多い今日この頃です。

もう一つ、これは大太鼓の側面に張ってあった言葉です。

       ありがたや 三度の食事 頂いて
             達者に暮らす 題目の日々

「宗旨の教え」に心引かれ、考える様になるのも年を重ねた故でしょう。色んな言葉に感銘を受け心豊かに生きて行けたらと思う。
                       (510回)

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インドカレーの会(2)

2007年09月25日 | 今日この頃
             アサガオ
       小山のようにアサガオが咲いています
           毎朝咲いています

今夜はお月見、まん丸お月様が輝いています。一人ぼっちです。何年振りでしょうこんなに綺麗なお月様は・・・。子供が小さい時はススキを飾って月見団子をお供えしたものです。覚えているかな~?

初めてサリーを着せていただいてから、ショリー先生とこんなご縁が出来るなんて、人の出会いとは不思議なものですね。

お料理も楽しみですが、インドの色々なお話が聞けるのも楽しみです。インドのお札を見せていただきました。異なる紙幣の全て表にはガンジーの肖像です。裏に大きく10ルピーとは印刷されていますが、左肩の金額の数字の下に、小さくスペルも違う言葉が15種類ほど印刷されています。インドは大きい国だから、地方によって言葉も違うので、夫々の言葉で10ルピーを表しているのだそうです。本当に国が違えば、色んな違いがあるものです。もし私が旅行者としてこのお札を見た場合、この字の意味を知らずに過ぎると思います。いいお勉強でした。

インドでは、今でも90%は親の決めた人と結婚するそうです。第一の条件は同地域に住む人。第二には同じ宗教。後は学歴とか社会的な事。日本で言う「釣りあわぬは不縁の元」ですか。

今日のお料理は主食は「プーリ」前回の「チャパティー」を油で揚げたものです。上げる為に少し硬めに捏ね、小さめに伸ばします。そ~っと油に落として、軽く抑えます。するとぷ~っと膨らんできますとひっくり返して出来上がりです。

副食は「ポテトパジー」「タンドリーチキン」「サラダ」です。ポテトパジーはジャガイモとたまねぎのいためたものを混ぜ合わせ、インド的香辛料で味付けしたものです。これに衣を付ければカレーコロッケになりそうです。これと「プーリ」がとてもよくあって、インドの家庭では良く作るそうです。ターメリックパウダー(カレーの主成分)さえ使えば家でも出来そうだな~と思った。

「タンドリンチキン」は色んなインド的香辛料を混ぜ合わせたペーストに4時間ばかり漬け込んで置いた物をグリルする。これは日本的な焼き鳥でもポテトパジーには合うのではないかと思った。

「サラダ」はトマト、レッドオニオン、胡瓜、人参を薄切りにして円形に置き中央をレモンの黄色で〆る。赤、紫、グリーン、オレンジ、黄色と色彩が鮮やかです。

「ローズミルク」インドでは一般的な飲み物だそうです。名前は見た目から付けられたと思います。強烈な甘さのエッセンスを10倍のミルクで割ったものですから優しいピンク色をしています。その匂いなんですけれども、口に含みますと、私は30年前始めてハワイに行った時、いたる所で匂っていた、甘い香のローソクの匂いを思い出しました。これも又「ポテトパジー」に良く合いました。日本料理のときは出されても決してジュースは飲まないのですが、お国柄お料理にあった飲み物です。

「ブラグジャム」これが又曲者、器にコロリと入った品は、如何見ても果物。栗の甘露煮にしてはまるいな~、楊貴妃の茘枝(れいし)にしては表面が滑らか過ぎる
「???」と思っていた。なんとなんと果物ではなく香辛料を一杯入れた、一寸シナモンのドーナツを砂糖漬けにした様な丸い加工品だったのです。

ショリー先生に教えていただく物は家庭料理なので、インド料理店に行っても出てこないものだそうです。そんな話を聞くとますます嬉しくなってしまいます。月に一度、異文化に触れる日が楽しみです。
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ノーフォルト

2007年09月24日 | 読みました
            キャベジンローズ
          (大井戸公園 07-5-16)
           
今日は一日降ったり止んだり、秋の気配を感じさせました。2週間続きの連休も終わりました。尼崎の小学校でもこの連休に運動会が多かったようです。お陰さまでジムは空いておりました。たまちゃんもお孫さんの運動会に行かれたそうです。「敬老席」と言うのがテントの下にあって、娘さんが申し込んでいたので、座れたそうです。でも「疲れた~」って。楽しい疲れは心地よいですね。

雨の音を聞きながら、一日中ゴロゴロしておりました。うとうとしたり、本を読んだり、相撲が終わって少しさびしくなりました。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          ノーフォールト  岡井 崇

この本はホームドクターのかつや先生ご推薦の本という事で読みました。患者さんに読書会の方が2.3人掛っておりますが、その方に「是非読んでみて下さい」と言われたそうです。過って、その読書会に私も所属しておりましたので、教えてくださる人がありました。

産婦人科のお話です。大学病院の産婦人科の先生がいかに重労働か、薄給かと言う事です。お産は日時時間を問いません。だから当直が多いのです。その間に、他の病院にアルバイトに行くのは、お給料の少ない大学の先生にとっては必要な生活費の補充だそうです。大学病院の給料の2.3倍は貰えるそうです。

産婦人科は自然分娩のほかに帝王切開があります。他の外科なら、その人一人の命ですが、産婦人科の場合は母と子、二つの命が掛かっています。それだけ責任も重いという事です。

私は経産婦なわけですが、あまりの痛さに、痛さを知らない人の話を聞いて「私も帝王切開すればよかった」何て安易に考えていたものですが、本当は手術は何が起こるかも知れないという怖さがあることを知りませんでした。何でも自然に越した事はないのです。

今何でも訴訟になるそうです。原告側の戦略で医者は被告にされるそうです。必死で命を助けようとした、でも助ける事が出来なかった。その事を「医療事故」として訴える傾向にあるそうで、そのターゲットにされ易いのが産婦人科で、その保障に支払われる金額の粗方が産婦人科だと言うのです。過酷な労働時間と医療事故のターゲットになりやすい産婦人科を希望する医者が少なくなっているそうです。

主人公の女医さんが叔父の医者に聞く「大学病院はどうして赤字なのか?」「保険点数のせいや。重い病気と軽い病気があるやろ、重症の病気は人手も掛かるし時間も掛かる。おまけに、文献を調べたり、皆で治療方針をディスカッションしたりで本当に大変やろ。その割りに保険点数が安いんや。実際に掛かる手間からすると、難しい病気を診ると損する事になってるいうことや。逆に軽い病気は、幾ら簡単でも医師が診察するんやから、そんなに安うはでけへんやろ。だから、簡単な病気を沢山診る開業医は儲かるけど、難しい病気が集まる大学病院や公立の病院なんかは赤字になるんや」

そうなんだ、寝たきりなどは3.4ヶ月で転院を要求されるのは仕方が無いことなんだ。それ以上継続すると保険から下りるお金がぐ~んと下がるとは聞いていました。たらいまわしにしないで何かいい保険の計算はないのだろうか?2年以上眠り続けているれいこさんも3.4軒は病院を替わっている。今度は個人病院だから終の棲家になるのだろうか?

入院する事無く今まで過ごせた人生は幸せだったと、気付かせてくれた本でした。
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自民党総裁選

2007年09月23日 | 気にかかる
            マリーゴールド
         秋咲きは色が濃くて綺麗です

予定通り、福田総裁が誕生しました。しかし麻生さんの善戦により全てが福田総裁の思いのままとは行かなくなったようです。何やらほっとしました。

菩提寺で施餓鬼があったので行ってきました。お施餓鬼が終わると丁度昼時なので、本堂裏でバラ寿司が振舞われます。持って帰られる方も多いのですが、私達はお座敷で頂きます。冷たく冷やしたお茶も、紙コップと共に出されます。昔は紙コップではなく茶碗だったし、ご飯もバラ寿司とおでんが交替に出たものです。

住職の娘さんと息子さんは小さい時から、お座敷でのお手伝いをよくしていました。今は高校生と中学生になり、息子さんは本堂での読経に加わっています。高校生の娘さんはこの4.5年見かけませんでした。所が今日久し振りに手伝っている娘さんを見て驚きました。小学校の高学年から見ていなかったわけですから、幼虫が蝶に変身するように、女の子から美しい娘さんに、其れも今の時代の変な娘さんではなく、昔ながらの清楚な娘さんに変身していました。お母さんが美人ですから当たり前と言えば当たり前なんですが思わず見とれておりました。

今年はこの暑さでお盆の施餓鬼の時も御参りが少なかったそうです。今日も何時もよりは少なかったように思います。良くこれだけ年寄りが居るなと言うほど、2/3は高齢者です。葬儀屋さんが見れば「札束の集まり」だな~と主人と話しました。

今は葬式は自宅より葬儀会館でする人が増えているそうです。そういえば、昔からあった地元の葬儀会館が今建て直しの最中です。今までは2階建てで一度に4.5組ぐらいしか出来なかったのですが、今度は4.5階建てのように見えますから、何倍もの葬式が可能になるようです。という事はそれだけの需要が見込まれていると言うことでしょうね。貧富の差はなく、一度はお世話になる葬儀屋さんはこれからの優良企業と言えるかもしれませんね。でも長い目で見れば少子化で、先細りの斜陽企業ともいえますね。登ればいつかは下るは世の習い。仕方ないね~。

話が脱線しました。お墓から買い物を済ませて帰宅したのが、総裁選の始まるジャスト2時。急いでテレビの前に座り込みました。結果は目に見えているのですが、やはり確かめておきたいと言う気持ちです。

自民党派でもないのにとは思うのですが、この度はそうとも言い切れませんが、大体がそのまま日本国首相になる人だから経緯を見つめておきたいと思ったんです。

お二人の心中を察しますと、当選確実と言う確信を持ってしても福田さんの方がプレッシャーはあったでしょうね。何しろ初体験ですから。麻生さんは落選とはいえ、3度目ですものね。少々の慣れ?はあったでしょう。

疑問があるのです。あの日本各地の遊説は何の為?誰を説得する為? 自民党員でなければ投票権もないのに街頭演説して何になるの? 次の衆議院選を見越しての行動だと言う人もあるけれど、あの費用は何処から出てるの? まさか政府から(税金から)ではないでしょうね? 自民党の党費から? 財政難と言いながら、自分達に必要となれば何処からか出てくるのね。

麻生さんは消費税1%上げるだけで何兆円かの増収になるから、使い道は福祉限定でと言っておられたが、そうしないと来年から老人医療負担金が2割になるって本当?産婦人科は減っても整形外科は増えてるよ。自己努力しないで整形に通う無駄使いが多いそうなので其れは止めるべきだけど、薬で命を保っている人には酷だよ。
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いよいよ明日

2007年09月22日 | 気にかかる
              ネリネ
           彼岸花と同属です
        花が咲き終わった後 葉が出る

自民党総裁選が明日に迫った。国会はお休で全てがストップしているんだよね。そんなに長い間何もしなくて、さっさとすればいいのにと思っていましたが、あっという間にその日がやってきました。

相変わらず福田さん優勢のようですが、麻生さんも頑張っておられます。じりっじりっと麻生さんが追い上げて、対抗馬なし、と言うやりきれなさだけは回避出来たようです。

お2人の争点の中でも、差当たり、私の関心のある「拉致問題」「皇室典範」においては麻生さんに勝って頂きたいと思うのです。

福田さんは、「拉致問題」を「自分の手で解決したい」と言うありがたいお言葉ですが、その方法が「?」なんですよ。この言葉を公言するのは《北も応じて欲しい》と言うメッセージだと言うんです。私は、新聞報道、マスコミ報道でしか知らない北朝鮮ですが、それでも「此方の意を汲んで欲しい」なんて言葉の通じる相手とは思えないのですが、今は日本人同士にも通じなくなっている方法を取ろうとしていると私は思うのです。

「人道的な問題として考える事が一番必要だ」これはどういう意味でしょう。そんな気持ちを持つ相手なら「拉致問題」は起きなかった。日本を対等に見ていませんよ、核をちらつかせて優位に立ち、自分の意見に随わせようとしていますよ、北朝鮮は。それでも、圧力を緩めて、対話にしようと言うのですか。私でさえ、「あんた何を考えてんねん!」と言いたいのに、拉致被害者の会の方々は、どうにも出来ないわが子を思って「止めて!圧力を掛け続けて!其れしか方法がないのよ!」って血の涙を流しておられますよ。

めぐみちゃんを拉致して行った国ですよ。其れも死んだと言って偽の遺骨を堂々と差し出した国ですよ。国内で拉致された方々については本当にお気の毒だと思います。海外で成人していて、甘言に載せられて、拉致とは知らずに付いて行った方については、その人自身の責任もあると思います。しかし子を奪われた親の悲しみに差はありません。愚かなわが子と思いつつも、会いたい抱きしめたいと言う気持ちに変わりはありません。幾つになろうと親にとって子は子なんです。

親達はもう老齢です。一日遅れれば遅れるだけ彼岸が迫ってきます。長い間離れて、いや引き裂かれた親子を逢わせてあげたいのです。麻生さんの言われるように「対話を成り立たせる為には圧力が必要」と思います。この点だけでも、解決を後退させる考えを持つ福田さんになってもらいたくないのです。

「皇室典範改正」秋篠宮家に男児誕生で、もう引っ込めた事だと思っていましたのに、「放置しておいていいものではない」と福田さんは言う。こんな場合「放置」と言う言葉は適当でないように感じるが、「そのままにしておいていいものではない」と言うべきでは。「皇室典範改正」は「放置自転車」と同等の扱いをするべきではない。

「天皇家も家族だ」と言う福田さんの言葉、矛盾していませんか。それならどうして赤の他人が、当事者の皇族方を無視して案を練るのですか?国の費用から出たお金で生活しておられるのには違いありませんが(それ故、皇室はいらないと言う輩もいますが)「皇室外交」は海外で大きな親善のお役目を果たして居られます。根本的にいかなる理由があるにせよ、皇族の意見無しで決めていいとは思われません。麻生さんの「安易にさわっていいものか・・・」に賛成し時間をかけて考えるべき問題だと思います。
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もう一つの目的

2007年09月21日 | ちっちゃな旅
              四時草
      本当に名の通り夕方4時ごろ咲きます
   1cmほどの小さな花ですが 生命力は強いです

19日は東京都現代美術館に、岡本太郎の巨大壁画《明日の神話》と男鹿和雄展を見に行きました。

明日の神話:メキシコの実業家の依頼でメキシコシティーのホテルに設置されるべく1968~1969に制作されましたが、依頼者の財政悪化により設置の機会がなく行方不明になっていました。2005年30数年ぶりに無残な姿で発見され、修復作業を終え来年4月まで展示されています。

男鹿和雄展:アニメの美術(背景)作家。「絵職人ー男鹿和雄の魅力を語る」三鷹の森ジブリ美術館作成の「となりのトトロ」近くは「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」等の美術担当者。

調べると午後は入場までに1時間~1時間半待ち、なるべく午前中に来てくださいと書いてあったので、開館時間に着く為、又、初めての土地ゆえ、余裕を持って早めにホテルを出た。先ず東京駅に戻りロッカーに荷物を預けて、東京メトロを乗り継いで行った。メトロとメトロのあいだを20分ほど歩く。何時もならこれくらい平気なはずなのに、何故か疲れる。考えてみればお米大好きな私が昨日の昼は蕎麦、夜はチャンコ、今朝はモーニングとお米を食べていない。だから腹に力が入らないので疲れたのです。

主人は私が又詰らない物を見たがるのだという気で「わしら2人だけちゃうか」と皮肉ります。ようやく着いた美術館、並んでいました。私達が出た頃には入場制限されて、待ち時間40分と言う大勢の人が待っていました。

アニメについて私は思い違いをしていることに気付きました。「もののけ姫」以後は見ているのですが、登場人物は勿論背景も宮崎駿監督のイメージを大勢の人が描いたものだと思っていたのです。背景は美術と言われ男鹿さんたち美術部の人にまかされていたのです。疲れてしまうくらい沢山の背景画でした。乗り気でなかった主人も心に響くものがあったようです。

12時にもう一つの嬉しいお約束がありました。四国遍路で得たご縁で私のブログを読んで下さっている小林さんご夫妻が、私達が大相撲を見に上京するのを知って、「逢う時間は有りませんか」とメールをくださいました。二つ返事で「お会いしたい」旨を伝えました。千葉県舟橋市からご夫妻で、現代美術館まで逢いに来てくださいました。

4年ぶりの再会です。ブログ上でのお付き合いはありますが、もうお会いする事はないだろうと思っておりました。回りは何にもない所ですので、地下でお話をご馳走に軽食を食べる事にしました。遍路以後のことをお話しました。小林さんの方はお大師さんのご利益があり、ご長男が結婚され、お孫さんにも恵まれました。お写真を拝見しましたが、とても「可愛い」と言うより「美人」と言う感じの女の子さんでした。この連休には息子さん一家がお里帰りされるそうで、とても楽しみのご様子でした。

ブログで「寅さんの柴又」に行きたいと書いていたものですから、ご案内いただくことになりました。道中でも色々と話は尽きませんでした。

柴又の帝釈天は立派な松とお堂の周りの彫刻が素晴らしいお寺でした。もう一つ驚いたのは宗派が日蓮宗で我家と同じだったことです。

柴又の有名店川千家(かわちや)さんでお食事をしました。名残は着きませんがと店を出ると、帝釈天の上空に大きな虹が架かっていました。これは幸先がいい、又お会いする機会があるのかなと思いながら、そう願って家路に着きました。
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