ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

あなたが世界を変える日

2009年04月30日 | 読みました
               京都御所のお庭の躑躅と橋













午前中は一寸、近所にお手伝いに行って、午後はウツラウツラとしておりました。4日連続の外出の疲れを少しは心配していましたが、どうにか乗り越えたようです。昨日の帰りのバスの中ががやっぱり最高にしんどかったです。今は疲れと言うより只眠いだけです。


           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

      あなたが世界を変える日     セヴァン・スズキ

彼女は日本人4世です。1992年6月11日、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた、国連の地球環境サミットにカナダの12歳の少女が居並ぶ世界各国のリーダー達の前で、僅か6分間のスピーチをしました。

この言葉は人々に強い感動を呼び、世界中を駆け巡り、いつしか「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになりました。

私も当時テレビでこのスピーチをしている少女を見た記憶はあります。でもそのときから16年も経っているなんて驚きです。

ひょんなことからこの本をお借りできることになったのです。本になっているとは知りませんでした。

リオで地球サミットがあることを知った彼女は、リオに行こうと決心します。訴え続けている内に、カンパをしてくださる人が現れましたが、リオまでの費用には足りません。そのカンパを元金として、色んなことをして、友人と5人で世界中から人の集まるリオに行くことになったのです。

努力が実り「地球環境サミット」のグローバルフォーマルのブースで彼女達は自分達の考えを訴え続けていました。

それを見たユニセフ代表のグラントさんが「子供達にも全体会議に参加させるべきだ」と言いました。地球環境サミットの議長モーリスさんが許可してくれました。

と言うわけで彼女にサミットでの発表に機会が最終日に与えられたのです。坂村真民さんの言葉ではありませんが「信ずれば 花開く」ですね。

6分間のスピーチですから短いものです、本の後半は今の彼女の考え、言葉が綴られています。

帯封の言葉はこう綴っています。

オゾン層にあいた穴を
どうやってふさぐのか、
あなたは知らないでしょう。

死んだ川に
どうやってサケを呼び戻すのか、
あなたは知らないでしょう

絶滅した動物を
どうやって生きかえらせるか、
あなたは知らないでしょう。

そして、
いまや砂漠となってしまった場所に
どうやって森をよみがえらせるか、
あなたは知らないでしょう。

どうやって直すか、
わからないものを、
こわしつづけるのは
もうやめてください。

他にも本文の中にはもっともっと心打たれる言葉が書かれています。

日本人の血が僅かでも流れていると言うことが、私にはやはり嬉しいことです。もう12歳だった彼女も大学を卒業して、今も環境問題に取り組んでいるようです。12歳だった少女が大人に成ってもまだ地球は悪化し続けています。個人の力なんて小さなことかもしれません。でも小さな力も集まれば物事は動きます。「やらなければ」と言う気持ちを持たせてくれる本です。機会があれば読んでみてください。そして地球を守る為に小さな努力でもいいから続けていきましょう。
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尼崎・春の花と緑の市

2009年04月29日 | 一寸そこまで
                  尼崎・春の花と緑の市
                    柘植と苔の動物達


 
              尼崎・白井市長のご挨拶


             去年までは舞台があったのですが 
    今年は予算の都合上 花のプランターで囲われているだけ 



       市民のみなさんは園児から一般人の歌や踊り楽しんでいます


 食べ物の屋台 花の売店等出ています 私達の売店をおとずれた白井市長


今日は程よい気温の一日でした。私達「花いっぱいの会」も出品するという事で8時に家を出て、9時からの開店に間に合うように行きました。私達のお店は手作りのお店で、小物や花の苗を売っています。私も去年から挿し木した苗を出しています。

お餅の売店からは搗き立てのお餅をお土産に買ってきました。「かぐや餅」と言う聞きなれないお餅を売っていましたので「何故かぐや餅なんですか? 柏餅と如何違うのですか?」と訊ねましたが、ようりょうを得ません。お餅をじ~っと眺めていて気が付きました。柏餅は柏の葉で包んでいますが、かぐや餅のほうは笹で包んでいます。私は気が付いて、一緒に居たあやこさんに言いました「解ったわ。笹は竹の葉ですし、かぐや姫は竹から生まれたのだから、この名が付いたのと違う? きっとそうよ」問題解決して、二人とも「かぐや餅」も買いました。「太るぞ!太るぞ!」の心の叫びは無視して、謎解きの成功のご褒美に…。

お陰さまで私の出した「マユハケオモト」「アルペンブルー」「額紫陽花」も早々に売れました。

お昼ごはんを食べ、そろそろ帰ろうと思っていました。「植え込み実習」のお店から帰った方が「人数分集まれば代表の家まで配送してもらえると言うので皆さん如何?」と言ってこられました。勿論お仲間に入れていただきました。ご近所8人全員が作りました。

ペチュニアのいろんな色の組み合わせ13株を自由に配置するものです。これで600円は安いと皆さんご満足。今はまだ花と花との間は隙間だらけですが、やがて鉢も見えないばかりに繁茂すると思います。その日が楽しみです。

作り終えて帰宅し、熱いお茶で草もちを頂きました。働いた後の甘いものは格別美味しい。

             ナンジャモンジャの花が真っ盛りでした



                              (1040回)
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待っていてくれた一葉桜

2009年04月28日 | 一寸そこまで
                中田さんちの一葉さくら







今年のさくらほど、気をもんださくらはありませんでした。去年一昨年を考えて25日~28日の間にしようと計りました。28日が良いと言うことになり、中田さんにお願いしました。所がです、今年は4月始が暖かかった為にさくらがどんどん咲き始めてしまいました。

中田さんからは何度もメールで現状写真を送っていただきました。18日頃がピークだったようです。それから雨が降ったり、風が強く吹いたりしました。

私も何時も心の中で祈っていました。しかし26日に「花絨毯」と言う写真が送られてきました。風雨の為に散り敷いた花びらが其処に写っていました。「やっぱり今年は駄目だわ」と諦めて、なかたさんに「仕方が無いので『話に花』を咲かせましょう」とお返事しました。

そして今日の日を迎えました。ピンクの絨毯が敷き詰められていましたが、枝にはしっかりと花が残り、私達を迎えてくれました。「こりゃ~、春から縁起がいいや!!」って感じでしょうか。

美味しい「お好み焼き」を頂きながら話に花が咲きました。只私達が買って行った「お寿司」の不味かったこと、去年まではそんなに感じなかったのですが、来年までにはどうにか考えなければ…と思いました。なかたさんはご飯も炊いてくださっていたようです。

「お好み焼きとご飯」と言いますと関西育ちの私達には普通のことなんですし、「うどんとご飯」もまた当たり前です。でも関東の人たちはこんな組み合わせは考えられないんだそうですね。こんな美味しいご飯の食べ方をしないなんて勿体無いわ…。でも私も年齢的に食が細りご飯が無くてもいいときもありますけれどね。

今年で何回目かしら…、回数を重ねるごとに会話も大いに弾んできました。でも座持ちの良かった、たかぎさん(去年亡くなった)のことが何度も話題に上りました。仲間が亡くなる事は本当に寂しいものです。

仲間と言えば、去年の今頃メキシコから来ていたオユキサンにも、このさくらを楽しんでもらいました。今メキシコは「豚ウイルス」で大変な事になっています。

彼女の生活範囲では感染することは少ないだろうと思っていましたが、やはり気になるので、彼女の長女が京都にいるものですから「お母さんは大丈夫か?」とメールを入れてみました。直ぐに返事が来て「大丈夫です。毎日電話で話しているのですが日本の報道の方が先走っていて、私が『豚ウイルス』のことを訊ねると現地に居る母の方が驚いたようです。広い国土と、さすが「アスタマニアーナ(明日があるさ)」の国だけのことはあるな~と思いました。無事でよかった。
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春の京都御所

2009年04月27日 | 一寸そこまで
           天皇陛下 皇后様のご成婚パレードのお車




 
 


予定では土曜日に行くつもりでしたが、朝からの雨で今日になりました。昨日も雨でしたし、ツアーの方は雨でも行かれたと思うのですが、近県のものは雨の上るのを待ていたと思うのです。だから今日はきっと込み合うだろうと思うので、早めに出ようという事で8時ごろには家を出ておりました。

御所に着いたのが9時過ぎでした。その頃はまだまだ列は途切れがちでしたが、私達が帰るころには数珠繋ぎになっていました。観光バスも30台以上待っていました。

今年は天皇・皇后ご成婚50周年に当たり、今まで開放されたことの無い「皇后宮常御殿や若宮・姫宮御殿」を見せていただけると言うので、人気なのだと思います。

御所には私は何度も行きましたが、初めての開放場所があるというので楽しみにしていました。

   女御殿には女の輿 輿には人は後から乗って前から降りるんだそうです
        ご門の前までは牛に引かせ 門の中は人手を借ります
          この輿は「葵祭り」に 今でも使われています







女御殿は男御殿より少し小振りで、何となく優しい感じがする御殿でした。庭に直ぐ降りるようになった作り、庭に面して廊下が長く渡っていて、その奥に御座所があるという男御殿と同じ作りでした。


   若宮・姫宮御殿のお座敷に据えられていましたから 子供用でしょうか
       右から写したのと左から写したのとでは色が違うのは何故?





父・天皇、母・皇后とも離されて、乳母と共に此処で暮らしたのでしょうか。明治天皇までは此処でお暮らしになったそうです。皇女和宮さまもです。

何と言ってもお庭が美しいです。松が多く、そのほかも緑の濃淡になれた目に「キリシマ」と思うのですが濃い赤が目に入った時は、みなさん「うわ~奇麗!」と言いましたね。ドッキとするほどの美しさでしたよ。又の機会にお見せしたいと思います。

今日は何人ぐらい入られたのでしょうね。私達が帰るころにも次々と入ってこられました。西洋人の方も多かったですよ。顔は同じで言葉を聞かなければ日本人と変わらない東洋人も居ましたしね。カメラを構えるのは日本人だけではありません。外人さんもバッチリ写しておられましたよ。

気になったのは、紫宸殿の「左近のさくら」は屋根を越そうかと言う勢いですが、「ウコンの橘」が少々痛々しく弱っているように見えましたが…。必死で手当てしておられるのでしょうね。
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遍路 10

2009年04月25日 | 思い出話
  道路際に 霞が晴れて行く中で見事に咲いていた「梅の花」絵のようでした
   何年前から此処に居るのでしょう 私達をひっそりと迎えてくれました 


平成14年2月28日(木)9:26   おちさん  (送)

B.Hケアンズに居ます。昨日出てきました。新野から23番薬王寺でした。今朝5時に出発、真っ暗でした。6時ごろやっと周りが見え出しました。「ふきのとう」が頭を出しています。ウグイスが鳴いています。梅が匂っています。「もう春ですね」の言葉通りです。午前は小雨のようですが、室戸岬が晴天であるように計画してきましたが、どうでしょうか?今日は生本(いくもと)に留まる予定です。

9:27  ふじいさん    (送)
昨日出てきました。時雨でした。今日も午前中は小雨のようですが、今日から2泊3日掛けて室戸岬に着きます。その日が晴天であるようにプランを立ててきましたが、いかに?

9:32  ふじいさん  (受)
大阪も昨日の夕方から一晩中降ったり、未だにうっとしい雨です。良いお参りが出来ますように。

10:42  ひろ  (送)
雨上がりそう。お父さんが腰の辺りを傷めたらしく、さすりさすり歩いているので、大幅に遅れそうです。

10:52  おちさん  (受)
久し振りの遍路メール有難うございます。又楽しみが出来て嬉しいです。今日は牟岐警察で反射たすき(緑色の蛍光布で作られたたすきです。早朝の真っ暗な時とか、トンネルの中でトラックに私の存在を認めてもらうためにとても役立ちます。越智さんが是非貰いなさいと勧めてくださいました。)をもらえますね。安全第一ですからね… 又海の近くになれば、潮の香りが迎えてくれますね。色んな海と山を楽しんでください。お天気も明日からは良いみたいです。アスファルトで足を傷つけないでください。素的な旅と出会いを…。又情報をお願いします。

19:51  ふじいさん  (送)
今日は一日時雨れておりました。梅の花が良い香でした。海岸ではサーフインをしておりました。とても美しい海岸線です。幾ら美しい海岸線でも3日歩けば嫌になります。落伍者の多いコースだそうです。又明日。おやすみなさい。

20:05  ふじいさん  (受)
お疲れ様です。高知道が出来るまでは海岸線を利用していたのを思い出します。足摺の方、4ヵ寺4月2.3日(彼女はバス遍路です)に行きます。お互いに気持ちよいお参りしたいですね。ゆっくりお休みなさい。明日も楽しく歩けますように。

20:30  おちさん  (送)
牟岐警察でたすきと温かいお茶を頂きました。トンネルは後から迫り来る音凄いですが、前からの時は前後から音が迫ってきて怖かった。でも今日は比較的短かったし、歩道もありました。マスクの出番はありませんでした。内妻(うちづま)海岸では若者がサーフインをしていました。これは貴女が歩かれた時と季節のちがいでしょうね。歩き10時間はきつかったです。明日も同じです。明後日は室戸でゆっくりする予定です。天気晴天であってほしいです。おやすみなさい。

20:42  おちさん  (受)
お疲れ様です。貴女のメールのお陰で私の胸はわくわくしています。歩けるって幸せですよね。私は明日は遍路の途中吹雪の中で出会った方(自転車で旅していた因島の方)と会う予定です。明日も頑張ってください。

2月28日  生本旅館  (2泊目)

泊り客は私達だけでしたが、宴会があるようでした。おかみさんの話では娘さんが4人居る。明日は長女の卒業式で、学校が遠いので、朝早くでなければならないので「朝ごはんいる」と言われたら困るな~と思っていたら「おむすび」の注文で助かった、と言われた。正直な人である。

    ウニが美味しかった たいがいの遍路宿はこんなご馳走ではありません


2泊3日掛けて室戸岬までの道を歩き続けるのです。左手に海を見ながら、その遥か彼方の岬を見て、「アソコまで行けば室戸か?」と思えど、其処までたどり着けば又遥か先に岬が現れる。永遠に室戸岬に着かないのではないかと思いました。その単調さで、徳島方面のバスに行き合わせると頓挫して帰宅してしまう人が出るという事です。今思えばラジオでも携帯していればましだったかもしれないと思いますが、当時は遍路をするのに、ラジオ持参なんて発想は無かったのです。
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遍路 9 (第3回区切り打ち)

2009年04月25日 | 思い出話
                     

                第3回 区切り打ち
       
          第23番 薬王寺 ~ 第28番 大日寺
          
              自 平成14年2月27日
              至 平成14年3月6日 

           人と過去は変えられないけれど  
             自分と未来は変えられる




2月27日午前6:30神姫バスで徳島に向かいました。1回目、2回目はJRバスでしたが、それでは 22番平等寺のある新野(あらたの)に昼過ぎに着くことになる為に神姫バスに変更しました。 変更すればJR徳島8:20発、新野10:36着で時間のゆとりがもてました。

新野駅から国道55号線まで、線路の上を歩きました。1時間に1本ぐらいしか電車が通らない線路ゆえ出来たことです。通過電車は1本だけ、柵も何も無い路肩から畑の方に避難しました。路肩には「彼岸花」の葉の後がず~っと連なって居て(彼岸花は花の後に葉が茂る、自宅にもあるので判断できた)、満開の時は奇麗だろうな~と、想像しながら歩きました。運転手さんも線路上を歩く人を見て驚かれたかもしれない。でもお遍路の格好をしているので解ってくださったろうと思っていました。

長閑な田園風景、此処も日本…、なにやら懐かしい気持ちでした。

16:00頃 第23番札所 薬王寺に到着 5時間半歩いたことになる。

このお寺は有名な「厄落としの寺」なのです。今年は長男が後厄、次男が本厄にあたります。42段の石段に1円硬貨を一つずつ置いていくと厄除けになるというので、持参していた1円を一つずつ置きながら「どうか息子達の厄を落とさせてください」と祈りながら、置いていきました。

本堂でのお祈りをすませて、その階段を降りようと一歩踏み出した時、膝のあたりに鋭い痛みを感じて動けなくなりました。何事にも辛抱強い私ですが、あまりの痛さに涙がポロポロ出ました。一段ごとに「痛いよ~、痛いよ~」と声を出しながら手すりに摑まって一歩一歩下りていきました。

今日が第1日目でこんな状態で「如何しよう、明日から歩き続けられるのだろうか?」と無性に悲しかったです。でもまずはこの階段を下らなければならないと、初めて経験する痛みと戦いつつ下りていきました。

今夜の宿は直ぐ前にある、歩き遍路の人には有名な廃車バスの「善根宿」に宿泊予定でした。一度は「善根宿」も経験してみたいと思っていましたので、昨夜、持ち主にお電話して了解を得ていました。唯、女性の私としては一つ困ったことがありました。トイレが無いという事です。持ち主は隣で飲食店をしておられるので、営業時間中はいいのですが、そして又、向かいの温泉施設が夜遅くまで空いているので貸していただけるという事でしたが、其処が終了すると朝まで駄目という事でした。仕方が無いので自動車で使用の「にょうを固める」と言うのを買い持参しました。

ところが到着してみると、先客が居ました。若い男性の自転車遍路二人組みです。小雨が降った時間もあり、自分達だけだと思っていたのでしょう、車内いっぱいに荷物が広げて、干してあります。こりゃ駄目だと思い、宿を探すことにしました。足が痛んでいますので情けない気持ちでした。先客に「どこか宿を知らない?」と聞きますと「線路の反対側にビジネスホテルがあるようです」と教えてくれました。彼らも自分達だけで居られるのでホットしたのでしょう。持ち主の方(隣のお店に事情を話しに言ったのですが、幾ら呼んでも誰も出てこられなかったので)に事情を話してくださいと頼んでバス宿を後にしました。

ビジネスホテルは直ぐ見つかりました。しかし私の足は痛みが取れません。ホテルの方に聞いて、主人が1人で近くのスーパーに晩御飯を買いに行ってくれました。ご飯を食べて、祈るような気持ちでベッドに入りました。成るようになるさ!と言う開き直りです。

翌朝、暢気な私は足の痛みの事をすっかり忘れて、ベットからぴょんと飛び降りました。降りてから初めて気づきました。「私の膝痛かったんだわ」って。恐る恐る歩いてみました。なんと、なんと痛みはすっかり取れています。「ばんざ~い」と阿波踊りでも踊りたい気持ちでした。

2月27日  ビジネスホテルケアンズ (1泊目)

2月27日(水)22:38  しょうま(送)
四国です。徳島に居ます。今日から6日歩き続けるのです。おじいちゃんは嬉しくて子供のようにはしゃいで居ます。2泊3日掛けて室戸岬に着きます。

このメールから、色んな方とのメールで、行動を綴ることになります。感動を直ぐにメールで打ち込むことによって、喜びが倍増し、その上覚書にもなりました。たくさんの方が遍路記を書いておられますが、メールで綴るというのは私だけではないかと、少し自慢に思っています。何事も人と同じではなく、一寸ひねってみるのが好きな私らしいと思うのです。そのためには私のお相手をしてくださった皆様があればこそと感謝しております。

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定額給付金

2009年04月24日 | 今日この頃
                 今 庭で咲いている花たち    
                       金蓮花

              鹿児島の従兄弟の家から貰ってきた「蘭」

              コデマリ 毎年たくさんの花を咲かせます  


       奈良近代美術館の前から頂いてきた「君子蘭」   
    葉が2枚になってしまいました 球根から茎無く咲いています


           種から育てた「ビオラ」 一つ一つ微妙に違います

  一度枯れかけた 「ユリオブスデージー」 やっとかっこよく円形になりました
               右下の小さい花は「ブルーデーヂー」




昨日「定額給付金」の申請用紙が届きました。早速、主人に記入してもらい、私はスキャナーで運転免許書と銀行の通帳をスキャンして、書類に張り、判をついて、今朝早速送りました。12日の日曜日芦屋の焼き鳥屋に行った時にも「定額給付金」の話しが出て「芦屋市では大方が返送されてきています。尼崎は人数が多いから…」と言う話しでした。半月遅れでしょうか尼崎も実行されました。何時手元に来るのでしょうか? 何に使いましょうね~。きっと食べてしまうでしょうね。


先週の金曜日は夜に白井市長のマニフェストの研究会?に行きましたので、唱歌の学校はお休みしましたが、今日は2週間ぶりで行きました。

皆さんおおかた暗譜完了の模様です。ハーモニカも楽譜無しだそうです、頑張るわね~。当日までの練習はあと2回しかありません。

コンサート終了後、お疲れ様&反省会を元横綱若乃花の西宮のお店(お兄ちゃん…)で開いてくださるそうです。勿論ごとうさんがお世話くださいます。嬉しくて待ち遠しいです。

その上、今日は「絹さや」を摘んで来て下さいました。2日前にまさこさんが「今朝採ってきたよ」って「絹さや」を頂きました。新鮮野菜は手を加えない方が美味しいという事で、湯がいた半分は何もつけずそのまま食べ、昨日は「卵とじ」にしていただきました。今日も又湯がくだけでそのまま頂きました。

「ごとうさんの絹さや」は「まさこさんの絹さや」より甘みが強くて美味しかったように思います。同じ「無農薬の絹さや」でも味に違いがあることを知りました。
「ごとうさんの絹さや」の方が、色が濃いかったと思います。それだけ、太陽をいっぱい受けたという事でしょうか。主人も「新鮮な野菜は美味しいね」と喜んで居ました。
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ゴールデンスランバー

2009年04月23日 | 読みました
          大好きな紫のオダマキです 珍しい色だと思います

                 この一重が少なくなりました


                  この肌色も可愛いですよ 





今日の公園は初冬の感じでした。枯葉がカサコソと乾いた音を立てながら、私の足元を過ぎて行きました。

花の写真を撮っていますと「花がきれいですね」と声をかけてこられた人は犬を連れていました。小さな小さな、両手に載りそうな小犬が私の足元に擦り寄ってきます。

私も思わず屈みこんでなでてやりました。温かさが手に伝わってきます「公園が好きでね~」「土ですからね~、朝晩お散歩ですか?」「此処が好きなのでね、私は家に居るより此処に居る時間の方が多いくらいなんです」「生まれてどのくらいですか?」「2年です」「この子は可哀そうな子なんです。息子が飼っていたのですが、入院していましてね、お嫁さんは病人に手が掛かるので、私に預けているのです。誰も知らないところに突然連れてこられてね、寂しいと思いますよ。息子が飼っていたものですから、息子に会いたいだろう、あわせてやればどんなに喜ぶだろうと思うのですよ」

「そうなん、あんた寂しかったん?」私は話の間中、掌で小犬の温かさを感じていた。「人間だけではないんですよね、犬だって色んな運命の元に生まれてくるんですよね」この方は小犬が息子に会いたいだろうとご自分の心をその言葉に託しておられるのが痛いように伝わる、心細い思いで病気の息子さんの心配をしておられるのだろうと、暫くお話し相手になっていました。


           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       ゴールデンスランバー     伊坂幸太郎

この方も又、4つも大きな賞を取っておられるのですね。昔のように、賞が数少ない時は、受賞者も少なくて覚えられたのですが、今のようにたくさんありますと、私など覚えきれませんし、何時も紹介された本を読んで、作者の履歴を読んで驚いております。ゴールデンスランバーとはビートルズの歌の題名だそうです。

青柳雅春と言う青年の足掛け3日間のぬれ衣を逃れる日々を書いたものです。細かい字で部厚い本で、重くて、見難くて今日の返却日、2週間ギリギリまで掛かってしまいました。中間ぐらいで20年後の回想部分があり、又現実に戻って、3ヵ月後には自分のダミーの死体が海に浮いてから、ハンサムな自分の顔を捨てて、自分のダミーが行ったと同じ、顔の整形で不細工に生まれ変わり生きていくという筋書きです。


林真須実被告の『死刑」が最高裁でも決まりました。本人は「冤罪で、国に殺されてはたまらない」と、これからも戦う姿勢です。

あの日から11年経っている。当時のテレビに映る彼女は決して感じのいい人ではなかった。私はマスコミ報道でしか彼女を知らないのであって、当時の報道では「犯人は彼女だ」と報じていたから、私も疑いも無くそうだと思っていました。

でももしこれが冤罪ならどうなるのだろうか? ぬれ衣を着せられても、国の力にはかなわず、整形して別人になって生きて行くと言う本を読んだばかりなので、本はフィクションであると解っていても、もしも冤罪なら国は世間は如何するのだろうと思わずには居られなくなりました。

被害者の遺族の方も、対象(林被告)があるから、その気持ちをぶつけられたし、「死刑にする」と言う事が心の支えになっていただろう。

でも冤罪だったら、4人の幼い子供達から母親を奪ったことになる。一番母親に甘えたい、又必要な時間を子供から奪ったことになる。そのことを思いやる世間の目は無かったのだろうか?

こんな難しい事件も裁判員制度のにわか裁判員の力を借りるのだろうか?

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インド家庭料理教室 (16回)

2009年04月22日 | 今日この頃
白が基調 アクセントにフレンチ・ラベンダーのピンクが効いている涼しげな卓上花  

                  今日のお料理3種類

今日は3種類全てカレーでした。手前に写っているのが、今日の中ではお気に入りのあっさり系、辛くないカレーです。香辛料は下記の「キングマサラ」配合調味料を使いました。何時もは全てショリー先生が配合なさいますが、こんな便利なものもあるとお持ちになったようです。但しこの配合は「野菜カレー」のものだそうです。

インドにも配合香辛料がある これが一番ショリー先生のお気にいった配合だそうです

            ヨーグルトカレーの中に入れるパコディ 


玉葱とジャガイモのみじん切りにひよこ豆の粉をヨーグルトでゆるく溶いたもので、油2~3センチの中に丸く落としてあげる。これをヨーグルトカレーの中に入れて一緒に食べるのですが、私は単品としてこれだけ食べる方が美味しいと思いました。そう思う人も多かったみたいです。
               パコディの入ったヨーグルトカレー


これは野菜がいっぱい入っていますし、ヨーグルトですから、病人食としても食べるそうです。病気によってはパコディは入れないようです。
           香辛料の効いた白身魚(今日はタラ)のフライ


香辛料に2~3時間漬け込む料理なので、ショリー先生が家で浸けたのを持ってきてくださいました。今日は「タラ」だったので、身が崩れ易かったです。油はフライパンに2センチほど入れて、ひっくり返しながら揚げる。とても時間が掛かりました。
      デザートの缶詰 ラッグンラ (コテージチーズから出来ている)

見かけは白玉団子のようですが、似ても似つかぬカスカスのものを蜜に浸けたものと言う感じです。インドでは一般的によく食べられるデザートだそうです。一度食べれば、もういいというのが私の感じです。見た目は美味しそうだったのですが…。

道路を挟んだ前の店屋のベランダにハムの様なものを食べているカラスが居たんです。それを見てカラスについての色んな話で盛り上がりました。

ショリー先生がおっしゃるには「カラスが鳥の中で一番子離れをしない鳥で、子供が相当大きくなるまで餌を運んで与えているから、インドでは子離れできない人を『カラスみたい』と言うのよ」異文化のお話しでしょう?貴方も私と一緒にだんだん『インド通』になりますよ。



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子供と小遣い

2009年04月21日 | 気にかかる
                わが家のフリージャたち









今日は曇りなので「網戸の張替えをしよう」と私の予定は無視。昨日一昨日はベランダのペンキぬり、見違えるように奇麗になったけれど、そのために働き癖がついたらしい。昨日今日と私の予定は無視され大幅の変更を余儀なくされた。ペンキぬりは1人でできるが、網戸の張替えは二人の方がしやすいので、渋々了承。


「小学生年収4万5千円将来の為にがっちり預金」の記事が出ていました。日本珠算教育連盟の調査だそうです。「100年に一度」と言われる厳しい不況は、子供たちにも強く影響している。「不況自覚?8割が預金」と見出しが躍ります。

首都圏の小学4~6年生をお金の管理などの調査をしたのだそうです。

定期的に小遣を貰っている子は56.3パーセント、小遣いの額は「1000~1100円、平均は913円だそうだ。

これはお八つ代が含まれているか、お八つは親が買い置いているかで違うと思います。

私は6年生の孫娘に聞いたことがある「お小遣いは幾ら貰ってるの?」「お父さんから3000円貰っている」それを聞いて私は驚いた。多すぎるな~と思った。「そんなに貰ってるの?何に使うの?」「お八つや、文房具買ったりする」「お八つなんか家に買ってあるのを食べれば…」「買ってないよ」

地域性もあると思う、彼女はマンションに住んでいて、比較的若い家族構成なので、共稼ぎも多いのだろう、その結果として、ついお金で渡してしまうのだという感じがする。

二人の稼ぎがあり、生活にゆとりを持つと、つい財布の紐が緩むのではないだろうか、その結果として、僻みの無い大らかさを持つだろうが、反面、我慢とか、小遣いの遣り繰りなどはしなくなり、お金の大切さを知らないで成長するような気がする。

私は原則的には現物支給にしている。お誕生日のプレゼントの時も「何がほしいか」と聞いた。「文房具がほしい」と言ったので、大阪の紀伊国屋に連れて行き、お金を渡して「この金額内なら好きなものを選んでいい」と言った。

すると彼女は買いたい本があると言った。小さい時「何がほしい」と言ったら「お菓子と本以外なら何でもいいよ」と言った彼女がである。勿論私ならお金を使いたくない「血液型の本」とか「アイドルのアルバム」とかであったが、まずは活字に馴染んでほしいと思ったし、何でもいいといった手前黙っていた。本2冊とほしかったボールペンを計算しながら買っていた。

彼女の手元には数百円の残金が残った。「残りは上げるよ」と言うと「貰っていいの、おばあちゃんには少ないお金だろうけど、私には大金よ」と生意気なことを言った。

先日も孫の祝い金の話になった、今は中学入学、私学の場合30万ぐらい、大学50万だと言うのです。実際今年私立中学に入学した孫娘に30万、もう1人は大学生の孫娘に30万上げたそうです。親の会計を助ける意味もあるそうです。

世の中変わりました、昔なら40代にもなれば、親に小遣いを上げる年代です。結婚以来、親に小遣いを渡し続けていた私にとっては50に近い息子の家計を助けるなんて考えられない事です。どちらの世の中が正常だと思われますか?





コメント (2)
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