ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

竹の子

2007年04月30日 | 思い出話
           蘭 名前がわかりません
      花は小さいです、2センチあるかないかです
         鹿児島の親戚から貰ってきました
    我家に来てから、貰った時の4倍ぐらいになりました
     これ以上大鉢にすると持てなくなりますから
         小さく分けようと思います

昨夜、やすこさんが「たけのこ」を持ってきてくださいました。「たけのこ堀」に行かれたそうです。「湯がいて直ぐなので、もう少しお水に浸けて置いてください」と言う事でした。我家ではゆで汁にそのまま浸して、さめるのを待って直ぐ調理しますが、かすかに温かみを感じる程度でしたので「水に・・・」と言われたのだろうと解釈して、大きいので二つに切って浸けておきました。

調理するまでお水につけて置いた竹の子を取り出しました。艶々と光っています。見るからに柔らかくて美味しそうです。

昨日から考えていました。久し振りと言うより、記憶に無いほどの竹の子御飯を炊くことにしました。2~3週間前和風のあっさり味で、朝堀りの竹の子を炊いたので、今日は一寸濃い目の、筑前煮に近い味にしようと思いながら眠りました。

さて、竹の子御飯って、どの部分を使うんだっけ? 包丁を持ったまま考え込む。
真ん中辺りを入れることにして、まず輪切りに、そして半分にして、其処から短冊にスライスした。煮物の方のにんじんを彩りに少しと、薄上げを一枚、お米3合に入れて塩少々、薄口醤油を入れて炊飯器に仕込み、セットする。

煮物は竹の子と人参、鶏肉を少しの油で炒め、出汁を入れて、砂糖と醤油で味付け、暫くしてからちくわを入れ煮る。煮上がり寸前に蕗を入れて、火を止めて、煮含めさせる。こんにゃくも入れるつもりが量が多くなるので止めたが半分でも入れた方がよかったかな~。

ほうれんそうを胡麻和えにした。昨日のささみがあるのでポン酢をかけて(昨日はドレッシングを掛けた)一品に。常備菜?の枝豆の塩茹でを盛り付けて、ハイ!出来上がり。

先日の朝堀の竹の子も相当柔らかくて、美味しかったが、今日のは一段と柔らかい。私は料理の天才ではないかしらと錯覚するぐらい美味しかった。やすこさんの行き届いた優しさ(直ぐ使えるように湯がいてから持ってきて下さった事)も一緒に頂きました。ご馳走様でした、やすこさん。

竹の子といえば、蕗と和風に煮るのが一般的ですが、わかめと煮るわか竹煮と言うのもありましたっけ。

屋久島の叔母さんがお元気な頃は「破竹の塩漬け」をよく送ってくださいました。これは少々塩出しをしても、塩味が抜けなくて、筑前煮にするのが常でした。

叔母さんの草もちも大好きでした。丸めるのではなくレンガのように四角いまま、笹の葉?いえ何だかもう少し大きな葉っぱに包んで、蒸してあるんです、適当な大きさに切って食べるのですが、蓬の良い香がして、何の混ざりけも無い餅粉を使っているのでどっしりと重い蓬餅でした。 

叔母さんは溢血で倒れて、体が不自由になり、3年前の屋久島行きで楽しみにしていた対面を「こんな姿を見せたくない」と断られ、電話でお話しただけでしたが、春になり、竹の子や草もちの時期になると叔母さんを思い出します。そうだ、お茶も送ってくれていました。「屋久島のお茶は周りが海なので少々塩気があるよ」と言われたのですが、私には感じられませんでした。

年末には「屋久島のポンカン」も送ってもらいました。「ポンカン」は関西では見ませんが、内皮が薄くて、そのまま食べられます。「ポンカン」を作っている親戚が一軒ありますので、年末に送られてくるのを楽しみにしています。
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朱竹の色紙

2007年04月29日 | 思い出話
              白山吹
       言っても山吹の白色ではありません
            バラ科の花です
      山吹は花弁が5枚、白山吹は4枚です

今日は申し分の無いお天気でした。朝から庭の草引きをし、ムートンの洗濯をしたりと、一日働いておりました。「サンデープロジェクト」も「ここまで言って委員会」もビデオ撮りにしました。今のテープデッキはビデオテープじゃないので、入れたつもりがテープの残量が無くて、入っていなかったということも無く安心です。

古いカメラの値打ちについて書きましたが、こんな笑い話があります。

勤め先の重役さんのMさんという方が居られました。其の方の趣味が、当時流行っていた「朱竹」を書く事だったのです。一時期はやりましたね。家に飾ると幸せが来るというお話でした。主人がその重役さんから額入りの「朱竹」を頂いてきました。「何だか値打ちのある高価な絵だそうだ」と言う事で、高価なものを頂いたと喜んで、応接間の壁の一等席に掛けることにしました。

数年してMさんはお亡くなりになりました。Mさんの息子さんもお父様から値打ちのあるものだと聞いていましたので、どのぐらいの値打ちのものか、ある店に持っていかれたそうです。そうすると店の人が「一円の値打ちも無い」と言ったそうです。Mさんの息子さんにすればお父様の言葉ですから、信じておられたのでしょう。恥ずかしい思いをされたでしょうし、どんな気持ちだったのでしょうね。

主人が其の話を聞いてきまして私に話しました。悪いのですが二人で大笑いをしました。私達も信じていたのですし、高価なものを貰ったという欲はMさんの息子さんと同じです。考えてみれば、たかが色紙に書かれたものです、高価か如何か解りそうなものです。其処が欲に目のくらんだ人間の錯覚です。

勿論、我家の応接間の一等席からは即姿を消しました。申し訳ないような気もしますが、時々2人の間で思い出して笑っています。天国のMさんごめんなさい!

過っての応接間、今は居間です。もっぱら私がテレビを見たり本を読んだりしています。食事も此処で食べます。

壁の絵ですが、油絵が2点、素人さんの絵です。版画が2枚。一枚は北海道の女性の版画家のスイトピーの版画です。仲人をしたときに頂いたお礼で、大阪日航ホテルの画廊で買いました。絵を買うなんて後にも先にもこれ一枚っきりです。もう一枚は、定年後に努めた会社の社員の方が版画の先生もしていて、私が版画が好きだと言うので送ってくださったのが数枚あります。ご本人は知らないのですが、作品はとても私のお気に入りです。水彩画が一枚、主人が絵を習っていたときの花かごの絵です。後、私の「黒百合」の写真が一枚掛けてあります。木曽の山の上のホテルの庭に咲いていたものです。とても気に入っています。其の頃はまだフイルム写真でした。

この部屋に、たまにお花を飾りますが、お花は摘んでしまうと、寿命が短くなるのでなるべく摘まない様に、庭で見る様にしています。ですがだんだん庭仕事も億劫になってきました。花も人に育てられたのを見に行く方がいいな~、何て・・・。

そう思いながら、ついつい種を蒔いてしまいます。今日も蒔きました。頂き物で、初めての花、夏にはどんな花が咲くのか楽しみなんです。

でもだんだん球根物に変えています。球根ですと2.3年はそのままで良いですから。百合を時期をずらせて咲かせたいな~と思っています。そう思って昨秋には違った球根を植えましたから、今年は我家で初めての百合が咲くはずです。
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再び「インフィオレータ」

2007年04月28日 | 一寸そこまで
            フィオラ(題名)
    妖精の出てくる絵で有名な「永田萠」さんデザイン
          北野町に「萠の館」がある

昨夜の天気予報では「傘をもって出た方が・・・」と言う事だったが、今朝は良いお天気。今日は西宮の大谷美術館と2本立ての予定です。どちらを先にと考えたが、天気予報の言葉が頭に残っていたので、美術館は雨でも良いが、此方は野天なので神戸を先にした。

観光案内二立寄ったら「絵は昼頃完成の予定です」と言うではありませんか、それまで2時間以上あります。西宮に行くには、半分戻って、又此処に戻ってこなければなりません。「元町の方をブラブラしよか」と言う事になりました。

何時も通る本通りではなく一筋入った道を歩いてみました。こんな所にこんなお店があって、商売になるの?私の知らない神戸がありました。「ゆっくり歩くのもいいもんやな」と主人。何時もせかせか歩くのは誰ですか?私はゆったり派ですよ。過っては、あっという間に姿が見えなくなって、探すのに一苦労でした。今はお互いに携帯を持っていますから、其の点安心で私は悠々とウインドウショッピングが出来ます。

三宮神社周辺に震災で倒れるまであった小料理屋さんの跡を探してみました。周りが変わってしまうと人間の記憶なんて頼りないものです。2人の記憶を寄せ集めてやっとみつけました。其処は更地のままでした。

南京町は相変わらずの人出です。途中から元町に出て、何時も買うパイプタバコを買い、そろそろ現地に向かう為に北に進路を取りました。此方も始めての道を選んで歩きました。だんだん人が増えてきて現場が近い事を感じました。

11時半です。小腹も空いてきた事だし、食べてから見るか、見てから食べるか、見てから食べるに軍配が上りました。

北野町に着きました。12面の絵はまだ書き終えて居ないものが半分以上です。図案は一般公募されたものだそうです。

今日の写真の「永田萠さんのフィオラ」の図案が花絵に相応しい単純さと色の大胆さも加わって一番見やすかったです。何しろ少し坂とはいえ大きな絵を見るのですから、他の図柄のようにちまちまと描かれると、何を描いてあるのか解りづらい。

色は天然色、チューリップですから鮮やかで良いのですが、見る位置を少しでも高くしてもらえれば全体が見えて満足なんですが・・・。大きい上にごちゃごちゃとした図案故に、先日見た「アジサイ通り」の方が全体を見ると言う点では良かったように思う。

脇ではボランティアの人がお弁当を食べているので、それを見ると余計にお腹が空いてきた。来る道で私がよく行っていたお店があったので、其処で食べる事にした。随分歩いてきたらしく、其の店に着くまでに距離があった。「まだか?お腹ひくひくしてるで~」「私かって、そやさかい先食べようゆうたのに」お腹が空きすぎて、頭の回転が悪くなっていて、自分がどの辺りに居るのかが解らなくなって来た。必死に血を頭に集めて見つけ出した。

何時もの通り、主人の好きな焼き飯と私の好きな焼きぞばを注文。よせば良いのに「五目焼き飯と焼きそば」を注文したものだから、出てきたお皿に溢れんばかりの量を見て吃驚した。「歩いた後やからどうにか食べられるが、普通やったら食べられへんで~」2人で気張って食べた。美味しかったかど、もうこの量は食べられないな~と思った。やっぱり油ものは胃に堪える年齢に達したようです。

満腹と疲れで西宮は又日を改めることにした。此方も又行き先は一日1か所の体力になったようです。
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写真

2007年04月27日 | 思い出話
             ハナミズキ
        尼崎の市の木、因みに花はベゴニア

さくらサクラと言っている内に「ハナミズキ」が咲き始めた。私がジム通いする立花から武庫之荘辺りまで「ハナミズキ」は一本も無い。市の花なのにですよ。写真を撮るつもりが、花が無くては話しにならない。

確か「ハナミズキ」が両側に植わっている場所がJRの北側にあった事を思い出した。うろ覚えの記憶を頼りに探した。在った! 所が何十年も見ない間に木は大きく高く成長していた。手の届かない位置に花が咲いている為、撮ろうとすると下から見上げる形になる為、葉裏ばかりである。仕方が無いので相当距離を置いて横から望遠で撮って、カメラでトリミングで大きくする方法をとったのが今日の写真である。毎日カメラをさわっていると、感が働きどうにか撮れるものだな~と思った。これも「継続は力成り」かな?

先日の「一葉桜を見る会」で「街頭写真」が話題に上がった。其の頃はまだまだ個人でカメラを持てる様な時代ではなかった。何かの写真を撮ろうとすれば写真館に行くか、写真やさんに家まで来てもらうかのどちらかだった。

だから繁華街を歩いている時、写真を撮ってもらうのは、案外一時期流行したように思う。カメラマンは撮ってる振りをして、対象者に近づく「良い写真が撮れた」と言って。対象者が「買う」と決まって、持っているメモ用紙に住所氏名を書き、料金を払うと、其処で初めて「もう一枚念の為に撮っておきましょう」とか何とか言って、初めてシャッターを切る。そらそうでしょう、無闇にシャッターを切っていたのでは、フイルムが幾らあっても堪ったものではない。其のからくりに気付いたのは大分してからである。

写真自体は「名刺型」の小さいものである。ペテンの様な撮影方法であったにしても、お金を頂いた人にはちゃんと送っているのだから、思えば良心的でもあったのです。

今、読んでいる対談本で、三国連太郎さんが其の頃カメラを持っていたそうで「写真が好きだったのか」と言う問いに「好きと言うより、其の頃はカメラ・時計の類は質にも入れられたし、財産の一種であったから」と言っておられた。

我家にも昭和二十年代の「フジカシックス」がある。この機種はジャバラが使われていて、そのジャバラが破れた時交換してもらうのだが、最後に修理を頼んだ時、ジャバラはもう製造中止になっているので、これが破れたらもうありませんよと言われた。今もまだ使えると思うが、「バカチョン」カメラの便利さに慣れれば使えないな~。この機種は「ブローニー型」の撮影も可能である。「ブローニー」は普通写真は縦型の矩形であるが、真四角に写せるのである。

主人が言うには「古いから、値打ちもんで高く売れる」と言い続けていた。大阪の古いカメラなどを扱っている店で「フジカシックス」を見つけ、値段を見ると2万円に満たない。売値がこれだと買い取りは押して知るべし。「おかしい、こんなはずは無い」と言いつつも「値打ちものだ!」とは言わなくなったし、ヨドバシカメラに行っても、古いカメラの陳列に近づこうともしなくなった。「そんな値打ちあるはず無い」と言っていた私の勝ち。

会社仲間のみよこさんも写真が趣味だった。名前は忘れたけれど「弁当箱」と言われた縦長の上から覗くタイプをもっていた。覗くと上下逆さまに写っていた。其のカメラで私の花嫁になっていく過程を撮影してくれた。

メキシコのオユキサンや私を撮ってくれていたすぎおさんのカメラは何と言うカメラだったのだろう。今度会ったら聞いてみよう。
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沢村貞子と言う人

2007年04月26日 | 読みました
             アッツ桜
         毎年増えて、去年が最高で
            今年は半減した
        そろそろ植え替えの時期が来た

神戸の行きつけの寿司屋さんに行った。「春祭り 15貫(一人前)4000円」の葉書に釣られてである。毎年、葉書は貰うもが其の時期に行った事は無い。何時も食べるものは決まっているし、通い始めた30年前は若かったから20貫ぐらいは平気で食べていたが、今は初めに刺身の盛り合わせを食べるから、10貫ぐらいしか食べられない。

15貫も食べられないな~と思っていたが、主人が「とおるちゃんとこへいこか?」と言うので行く事にした。15種類の内私が何時も食べているのは3種類ぐらいしか入っていない。後の12種類は何時もは注文しないものばかりだ。

カウンターは予約で埋まっていて、座敷でという事になった。私はすし屋はカウンターでないと美味しくないような気がする。電話をしてから行くべきだったと後悔した。

1貫の大きさは通常の大きさの7割ぐらい小ぶりである。お皿にちまちまと並んで出てきた。たとえ小さいとはいえ15貫は胸まで詰まる感じ、4000円の品ぽっきりなら安いかもしれないが、アルコールとお刺身の別注をするから何時もとあまり金額的に変わりなく、折角行きながら自分の好きなトロやネギトロを食べられなかった(お腹がいっぱいで入らなかった)のが残念。

これからは安くとも金額に釣られない、行くからには自分の好きなものだけを食べるのが最上と後悔。お腹はいっぱいだけれど、満足感は得られなかった、後悔の一夜であった。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

        沢村貞子という人   山崎洋子

山崎洋子さんは沢村貞子さんのマネージャーであった人だ。私は沢村貞子さんが好きで書いたものは何冊も読んだ。

沢村貞子さんの何処が好きかというと、其の言葉ですね。チャキッチャキッの下町言葉が大好きなんです。着物の着方も良いですね、勿論着物の好みもです。

対照的な大阪の浪速千栄子さんの大阪言葉、船場言葉も好きでした。何しろその土地の言葉をたくみに話す人が好きなんです。

沢村さんの「おしゃれの項」で着る物に着られてはいけない、人が着物を着こなすべきだという事を「着物何処行く貞子を連れて、じゃいけないよ」「貞子何処行く着物を連れて」でないと言う。この言い回しが何ともいえなく好き。

お料理がとても上手で、料理に手抜きはなく、店屋物は絶対に取らなかったが、ご主人が亡くなってからは一切台所には立たなかったそうです。

沢村さんは子宝に恵まれなかったが、其の最後は献身的な看護で、自宅で亡くなりました。黒柳徹子さんもそのお1人で、仕事の終わった後、10時か11時頃、自分で車を運転して見舞い、沢村さんの手をにぎり、朝方3時4時に又帰るという事を毎日続けておられたと言うのです。実の親子でも出来ない事です。「血」って何でしょうね。黒柳さんを其処まで駆り立てたのは何でしょうね。

相性が良かったと言う事でしょうか。今は「血」がものを言わない時代です。死の床について3ヶ月は看病してもらうのに許される範囲、看病する人の堪忍も其処までと言われます。沢村さんは6月に寝付いて8月に他界されたから、看病人の気力のある時期でした。だから双方共に心に余裕がある時だった。

私に沢村さんと黒柳さんの様な関係の人は居ないけれど、せめて許される範囲の期日だけはあやかりたいと思った。
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一葉桜

2007年04月25日 | 一寸そこまで
          なかたさんっちの「一葉桜」
      八重桜の一種のオオシマサクラ系の里桜
       花芯から一本の葉化した雌しべが出る
          ことから名づけられた
     小さくて見難いが、右上の花に出てきている

雨、本降りの雨。迷う事無く大きな傘を持つほどの雨。先週行くはずだった「中田家の桜見」雨の為に当日急遽「一週間延期」と決めたその日が今日。予報は午後から晴れると言っている、それを信じて実行するより無い。

先週は桜のほうがチラホラ咲き(添付写真で送られてきた)だった為、一週間延ばした。でも3日前の写真は満開になっていた。もう延期は叶わない。

たまちゃんから「今日行くのか」とメール「天気予報を信じて実行」と返信。出ようとしていると、又たまちゃんからメール「自動車に傘忘れた」雨なのでご主人が最寄の駅まで送ってくださったらしい。「傘二本持っていきます」と返信。私も出かけた。

たまちゃんは一応、神戸市なのに、神戸市、芦屋市、西宮市を通過、そして尼崎市の私のほうが神戸市内まで近いのである。

窓の外は雨。しかし神戸に近づくにつれて小ぶりになり、目的地の元町に着いた時は止んでいた。元町東口の待ち合わせなのに、気がつくと一両目に乗っていた。時間がギリギリだったので(一台前に乗れたのに、10時3分の昼徳切符を使おうとした為)車内で移動開始。面白い事にたまちゃんも降りてみたら、西口だったんだって。2人とも西口から東口に移動した事になる。集合場所には西口が近いのに・・・。

たまちゃんに会うのは今年初めて、だから集合時間より、半時間早く約束をして、おしゃべりしながら元町駅から神戸駅まで1駅歩こうというのだ。

4人は既に着いていた。何時もは早い私達が遅いのでどうしたのかと話していたのだった。日延べをしたため3人来れない人が出てきた。後の2人は、大病後の人が居るため自宅まで、なかたさんが自動車で迎えに行っている。

6人で9人分の買い物を駅のスーパーでした。男性と女性に分かれて、夫々好きなものを買った。私達は、初めはお弁当を買う予定だったが、たまちゃんが「巻き寿司の方がたべやすい」と言うので、みやざきさんは太巻き、たまちゃんと私は巻きとバッテラいり(このお寿司、しっかりお米が詰まっていた)、別にアナゴを1本買って、デザートとして、大福と蓬餅を買った。一人700円の安いお昼である。

去年行った道ではなく、少し森林浴のできる道を行く事にした。女性3人も足に故障なし故。途中に池があって、白鳥が居たり、(白鳥は優雅な姿に似ず、穢い声で鳴くんですね)代わりに姿は見せないが鶯が鳴いていました。太陽が顔を覗かせて日焼けをしそうだったので、濡れた傘を乾かす意味もあって、傘を差して歩いた。

なかた家に着いた時には、完全に良いお天気。桜は満開で私達を迎えてくれた。早速「一葉桜」の撮影に掛かる。其の間に野外のテーブルに買ってきた食べ物が並べられた。

頑丈なお寿司と男性軍が買ってきたサラダ、から揚げなどにも手を伸ばしながら、「又体重が・・・」と気にしながらも、どんどん頂く。

桜の持ち主なかたさんはパソコンを使っての海外とのお仕事ゆえ、昨夜も徹夜とかで食欲がなく食べない。私ならお腹がぺこぺこだと思うけど、人のことを考える暇もなく食欲旺盛な私。高台の良い空気の中、満開の桜を愛でながら、BGMは鶯の鳴き声で、お喋りしながら楽しいひと時でした。

今年最後の花見は青空の下にお開きとなりました。立花に帰り着くと雨が降っていて、これまた吃驚。
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はぜくら先生

2007年04月24日 | 備忘録より
           ジャイアント金魚草
          名のとおり大きいですよ
           この穂は短い方です
       す~っとお空に向かって咲いています

気功の時間はマット70枚が無くなれば、参加できないと言う決まりになっています。場所取りをする人がいるので、スタッフが教室の入り口に居て、1人ずつにマットを一枚ずつ渡していた。先月から「皆さんはもう大丈夫と思いますので、皆さんを信用して、マット配りを中止します」と言われてまだ2ヶ月。どうもまたぞろ始まって、人の分まで敷いている人がいるらしい。10時頃に来てもマットが無いと抗議している人がいる。私も何度か入れなかったことがある。

先生も事務所に掛け合ってくださったが、70枚の変更は無く、やんわりと「敷くのはご自分のだけにする事にご協力ください」と言われた。

9時半に開館で、教室が始まるのは10時20分。9時半に並んでおられる方の中にも相当数の「気功組」がいると思うので、直ぐ満席になってしまう。70人が限度の気もする。これ以上入れると、隣を気にせずに体が動かせないと思う。

「はぜくらみゆき」先生が今日、自分のコマーシャルをなさいました。「本職は画家、エッセイストなんです」ご自分の書かれた本を持参された「自然流子育て」「子供を育てる為の本なんですが、最後の方の『自然治癒』の章は皆様にも当てはまるのではと思いますので、図書館ででも借りて読んで見てください。私が教室で喋っていることをもう少し詳しく書いてあります」

終了後、私も本を見に行ってみた。可愛いイラスト入りの本だ。題名を聞いた時も思ったが、私はこの本は知っている。本の表紙を見て、間違いない知っている。何処で見たか、テレビだったか、本屋さんだったか、とんと覚えが無いものの、知っている事は知っている。確信したとき、「そうだ、帰ってネットで調べてみよう」と思いました。ありました。先生は3人の男の子のお母さんだったのです。

著者紹介には下記のように書いてありました。
『はせくらみゆき:画家、エッセイスト。子供が未熟児で生まれた事をきっかけでナチュラルでシンプルなライフスタイルを実践し、其の中で生まれた命の喜びをアートや文章に表している。全国で個展とアートセラピーのワークショップを開催する傍ら、雑誌や新聞、絵本、講演と幅広く活躍中。ほんの木刊「こどもたちの幸せな未来」シリーズでは、連載、表紙のイラストなどで活躍。北海道生まれ。夫の転勤に伴い札幌、大阪、福岡、横浜、沖縄をめぐり、現在、兵庫県在住。著書として「試してえらんだ自然流子育てガイド」(ほんの木)、その他絵本、挿絵など多数』とありました。

読書感としては「クラス」「食べる」「遊ぶ」「生きる」テーマごとに書かれている。作者自身試行錯誤されてきているので「こうあらねばならぬ」では無くて「こんな考え方、やり方がありますよ」と提案していて、シュタイナー教育(ドイツの思想家。独自の世界観「人知学」を唱え広範な精神運動を創始した。芸術重視の自由教育運動「自由バルドフ学校」で有名)にもふれている。読みやすい。

「知る人ぞ知る」多方面で活躍中の人だったんだ。どの様な事から、「ウッディの気功の先生」になられたのかは知らないけれど、動作をしながらの説明が面白いと感じたのには、この様な下地が隠されていたからだな~。これから益々楽しみになってきた。

今日のお話:「自信喪失は『胆のう』を悪くする、私は素晴らしいと自信を持てば『胆のう』は元気になり、喜ぶ」
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インフィオラータ

2007年04月23日 | 一寸そこまで
           インフィオラータ
          陣内、紀香の結婚姿

インフィオラーターとは、イタリア語で「花をしきつめる」と言う意味です。イタリアのローマ・ジェンツアーノ市で200年以上続くお祭りで、道や道路に、花びらで絵を描きます。「インフィオラータこうべ」は11年目を迎える花絵の祭典で、阪神淡路大震災より12年目を迎えます。使用される花は、大規模なチューリップ栽培を行っている富山県砺波市、新潟県新潟市の農家より、球根栽培の為に摘み取られる花びらの提供を受けた花びらのリサイクル。不要になった花びらが、美しい花絵として甦ります。

神戸では年々会場の数が増えて、今年は5ヶ所になりました。私が始めてみたのは一昨年のことです。毎年見に行きたいと思っていましたが、去年は主人が肩の故障で痛い最中だった為、私1人行くとも言えず我慢しました。

私達が以前見に行ったのは、「北野坂」の方で今日行った「三宮アジサイどおり」とは違います。規模も違いますし、「北野坂」は名のとおり坂で相当の傾斜がありますし、一つ一つの図柄が離れていますので見やすいのです。其の点「あじさい通り」の方は道路ですから全くの平面、其の上、図柄が切れ目無く続いています。

今日「あじさい通り」に行ったのは、図柄に「陣内と紀香の結婚式の図」があると新聞に出ていたからです。紀香の姿は真ん中にで~んとあるのですが、陣内の姿は1/2程の大きさで右肩にあるだけです。見た人は皆さん言っていました「陣内が可哀想や、こんなに大きさを違えて・・・」私もそう思いました。

「北野坂」の方はこの週末ですので、又行ってみたいと思っています。関西の方はお天気も良いようですし、是非足を運んでみてください、きっと「きれい!」と思われるはずです。一昨年行った時も良いお天気で、花びらが萎まない様に、3人がかりでホースで水を掛けていました。良く花びらが舞い上がらないものだと感心しました。

今日、神戸に行ったのは「集団疎開の仲間」と会うためでした。其の約束が11時でしたので、家を早めに出て、先に「インフィオラータ」を見に行きました。

待ち合わせ場所に10分前に着きました。何だか不安になってきました。50年ぶりの再会です。果たして分かるだろうか?心配でした。

やはり一人の方は面影はありました。しかしもう一人の方は話している内に徐々に思い出しましたが、全くの71歳の老女でした。背は曲がり前のめりに歩く姿は同い年とは思えませんでした。

同じ集団疎開で過ごした話をし、集う為の集まりのはずでした。でも其の話は僅かで、後は家族のこと、姉妹のこと、過去にあ~だった、こ~だったという事ばかり、聞かれるままに答えはしたものの、だんだん憂鬱になってきました。苦労話は過去のこと、今を、先を楽しみたい私には聞きたくない話の数々だった。

1人は結婚せず、ある宗教に凝っている(だから会うのを避けていた)、もう1人は余り人とも交わらず、家にいるようだった。2人とも小学生の時は普通の私と違って、お勉強も良く出来て、はきはきした人だった。だのに今は違う。この差はなにだろう。

これも一種の「価値観の違い」と言うのだろうか、3時間ぐらいの時間が、途方も無く長~く感じられ辛い時間だった。「折角だから『インフィオレータ』見ていらっしゃい、私は買い物をして帰りますから」と別れた。ど~っと疲れた。

今日の事を知っている、たまちゃんにメールを入れた「貴女と会っている時のように楽しく無かったよ、たまちゃん長生きしてな~」
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中原の虹 (一)

2007年04月22日 | 読みました
             西洋オダマキ
           八重と一重があります
    これは八重ですがもう少し複雑な八重もありました
          残念ながら消えたようです

今朝、明々後日会うことになっている、神戸の友から電話が入りました。ご主人が19日に「大動脈破裂」で救急車で運ばれて、手術、昨日は親戚一同集めて、まさかに備えたが、其の峠は越えたようだというのです。もう一つ瘤(切る事が出来なかった)が残っているのでこれからが大変だという事です。今は動脈瘤があっても破裂さえしなければ、治療はそう難しい事ではないそうです。

テレビはテレビで生命維持装置は一旦つけると死ぬまで医師でも外せない、生命は維持できるが、人間の尊厳なんか無いような状態になるとか話している。私の今までの認識では、維持装置をつければ、眠っているような状態で推移するものと思っていましたが、どうもそうではないらしい。身体中が膨れたり、黒い血便が出たりと、意識があれば「やめて!」と言う状態になるらしい。

痴呆が出ている上に、寝起きが1人で出来難くなった母親を看護している娘さんは「本人はもう分かりませんし、生命維持装置はつけません。其処まで苦しめるのは可哀想です」と言っていました。私はまだ身内で維持装置をつけた人を知らないので、どうも認識が甘かったようです。

相手を見取るにしても、反対に見取られるにしても、死ぬ事はそんなに簡単な事ではないらしい。息子達には「生命維持装置はつけないで」と言って置かなければと思った。楽天的で暢気坊主の私も今日は一寸胸の塞がる日でした。

横浜のふみこさんからアドレスの変更と5月にある中学の同期会に行くと言うメールが入った。彼女は高校大学と神戸女学院なので同窓会の違うのは小中学だけという事もあるのだろう、同期会は何時もはるばる横浜から来てくれて皆勤だと思う。
彼女とは幼稚園、小学校(終戦で転校後も又同じ小学校)中学まで同じと言うご縁で結ばれている。同期会でも、夫々グループが違うので(どうしても最終学級の同じ人とかたまる)そんなに話すわけではないけれど、やはり彼女が元気に出席してくれる事はそれだけでも嬉しい。5月の同期会が待たれる。

文面によると、垂水の友人のお見舞いを兼ねてと書いてあった。これを見て「う~ん」と考え込んでしまった。近所の仲良しさんとはもう話し合っている「死の病に倒れたら、お互いに見舞わない」元気な時だけ思い出して欲しいから・・・と。

こんなことは私達が幸いに入院生活の経験が無いから言えることかもしれない、実際に同室の人に見舞い客があって、自分に無いのはたまらなく寂しい事かも知れない、それでもやっぱり、お見舞いは要らない。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          中原の虹 (一)   浅田次郎

この本は(四)迄ある。図書館の順番待ちであるから、次に(二)が手元に来るまでに12人ほどが間にいる。其の本が手元に届く頃には、この(一)に書かれていた事はすっかり忘れているだろう。

浅田さんの「蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)」「珍妃の井戸」と言う中国歴史小説を読んでフアンになった。長編好きの私にはたまらない作家でもある。今度も中国の馬賊「張作霖」を中心に据えた物語だ。歴史に疎い私でも「張作霖」の名は知っている。それに絡む日本軍の出てきそうな気配で(一)は終わっている。

沈んだ気持ちも、読み進むうちに全てを忘れ読み終えた。あ~ぁ次が待ち遠しい。
                        (360回)
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海外旅行

2007年04月21日 | 読みました
             フリージャー
        去年買った球根が倍に増えました
      手間要らず、今年も新色を増やしましょう

久々に「フェイシャルエステ」に行きました。春先にお顔にトラブル発生、かゆくて、赤くはれ上がって、お医者様通い、やっと収まったようなので行ってきました。

土曜日なので、いっぱいの人出、何処も見る気は無いのですが、売り場に行くまでに「靴売り場」があります。「サンダル」を求めてお嬢様方で満員、お支払いに長蛇の列、「何処の国が不景気?」「給料前・・・なのに?」横目で見ながら、妬み半分?呆れる気持ち半分で目的の売り場へ・・・。

帰りにヨドバシカメラへ。此方はお坊ちゃま、元お坊ちゃまで賑わっています。こんなに何でも新製品が出回ると、欲しいですよね。ローンが幅を利かすんでしょうね。

昔は「月賦」と言いました。「陰」の感じで、何か「罪悪感」を持って、人に内緒で使用していましたが、今は「ローン」発音しても軽~く、明るい感じで、するっと借りるようです。これって、借金ですよね。借金の嫌いな私は使わない。一応、海外旅行のときの為に(カードのほうが信頼をされると言う変な社会)もっては居るのですが、使わない。古い頭の私です。

海外旅行といえば、私が始めてパスポートを取った時、必要書類の中に、預金通帳が要ったんですよ。パスポートを取っても海外旅行が出来るお金があるか如何かと言う事でしょうか。私は自分の名義の通帳がありませんでした(今はちゃんと持っていますよ)、主人名義の通帳を持って、主人に付いて来てもらって(この通帳から支払っても良いと言う証明)パスポートを取ったものです。二度目からは通帳は要らなくなっていました。本当に失礼な事をする国でした。

海外旅行のためと言っても、使ったのはニュージーランドでレンタカーを借りるのに現金は駄目、カード決済という事で使いましたが、それっきりです。

メキシコの帰りにロスに寄った時も、ゴルフクラブを買って帰ったのですが、会社の駐在員の方が神戸支店勤務の頃、我家に良く来られていた方だったので、付いていってくださいました。其の時でさえ、トラベラーズチェックで、カードは使用しませんでした。

現金を何処に入れて持っていたかと言いますと、自分で縫った小さな袋を腰に巻きつけていました。大きなお金が要る時は、トイレに行って予め取り出しておくと言う方法でした。其の頃は私もまだほっそりとしていましたから、少々腰に巻いても大丈夫でしたよ。

でも今度旅行の時はカードを使うかもしれませんね。腰に巻くと転がした方が早いと言う体型になりますからね。お腹がつっかえて下を向けなくなりますし・・・。

今度と言えば2ヵ所行きたい所があるのです。「ナスカの地上絵と空中都市マチュピチュ」と「アフリカのサバンナ」両方とも遠いですから、高いので行ける可能性、限りなくゼロに近いですが、そのためにも「宝くじ」ジャンボのみ買うのですが、当りませんね。ジャンボより100円とか200円の方が当たり易いのでしょうか。

直ぐ当るとか、数字を当てるとか言うのがありますね。我が友たまちゃんはそのくじの方が好きと言うのですが、今度教えてもらおうかしら?

願い事のパーセンテージから言えば、健康が90%、籤に当りたいは10%で良いので、高額は願わないんですよ。2ヵ所に行けるだけで良いんですけど・・・。2年後の金婚式辺りに希望が叶うと良いな~、と夢見る夢子さんです。それには2人して健康でなければね・・・。
コメント (4)
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