
今日はどんより曇っていました。暑くなくて助かりましたが、何だか、体に暑
気がこもっているような気持ちです時々、思い出したように、冷たい風が、熱
のこもった体を、冷ましてくれるようで、嬉しかったです。
8月28日(木) 神戸の「梅の花」にお食事に行ってきました。全てのお膳立
ては、今回は珠ちゃんがしてくださいました。珠ちゃんも私も9月生まれなん
です。今更、品物を頂いても仕方がないので、「お互いに相手をお祝いした事
にしてお食事に行きましょう」と始めました。今回で3度目でしょうか。
ところがです、彼女が一度行ったのが50年前…、「ヒエ~!」場所の覚えもう
ろうろです。差もありナン。何人の人に訊ねたでしょうか? やっとたどり着き
ました。ビルの8階にあるそのお店、入り口(上の写真)はとても感じよかった
です。



玄関を入りますと、土間には大きな背負い籠に投げ入れ、正面には「月見の宴」
のお飾り、可愛い兎が出迎えてくれました。

部屋は3畳あるかどうかという可愛いお部屋、中央のテーブルは、今流行の足が
延ばせるものです。ちんまりとした、床の間には季節お花が、静かにお客様を待
っておりました。



「古伊万里」と言うのが、このお部屋のお名前です。この名札をもって、レジに行き、
お勘定をするのです。右が「ランチョンマット」です、下が、「ナフキン」です。



珠ちゃんが、「お誕生会」である事を話してくれていたので、「お写真をお撮りしま
す」と撮ってくださいました。ポラドイドはもう古く、今は、デジカメ写真を、プリントし
て、小さな写真立てに入れて、右側の品を「心ばかりですけれど…」と袋に入れて
くださいました。「100均?」かとも思ったのですが、どんなお品でも、プレゼントは
嬉しく、ありがたく頂きました。








次々と出てきたお料理です。大分してから「お豆腐店」だと気がつきました。最後の
「味噌漬け」以外は、「お豆腐」を何らかの方法で違ったお味に調理したものでした。
私は、3段目左の「お豆腐の湯葉まき」揚げ物が一番気に入りました。どれもそこそ
こ良いお味でしたよ。
会話ですが、戦時中のことに話が集中しました。先日私が「ブログ」で集団疎開や、
焼け跡の拾い物の話を書きましたからね~。
珠ちゃんは縁故疎開だったそうで、珠ちゃんの小学校では、集団疎開は4年生から
で、お姉さんは集団疎開、珠ちゃんは徳島に縁故疎開だったそうですよ。
疎開先の叔父さん宅が「お米屋さん」だったそうで、食べ物には不自由なかったとい
っていました。それに昭和天皇の「終戦の日の録音」はラジヲの前で、実際に聞いた
そうです。
場所は違えど、二人とも、神戸を離れていたので、「戦火」はしらないのです。それ
と珠ちゃんにも「鶴亀算」の事を聞いてみましたが、彼女も習ってないといっていま
した。共通点は是くらいでしょうか。
家を焼け出された二人は、「平野小学校」という場で出会うわけです。
そうそうもう一つ謎が解けました。戦後まもなくの学校で「卵」をお弁当に持って
きている子はあまりありませんでしたが、珠ちゃんのお弁当にはいつも「卵焼き?」
が入っていましたよ。
珠ちゃん曰く、疎開先の「お米屋さん」のおじさんは鶏も飼っていて、「卵」も売っ
ていたようよ。ですって。だから「卵」が手に入っていたんだわ、と納得。
小学校も中学も一緒でしたし、クラスも一緒になりましたが、別に仲良しだったわ
けではありません。彼女には「陽チャン」という仲良しがいましたし、私には「オ幸
サン」という親友がいました。
同期会でたびたび顔を合わせているうちの珠ちゃんの「陽チャン」は関東暮らし、
私の「オ幸サン」はメキシコ暮らしと離れていましたから、徐々に私たちの距離は縮
まっていきました。決定的なのは「陽チャン」も「オ幸サン」も早々と、この世にお
さらばしてしまった事でした。
残された私たちは、「割れ鍋に綴じ蓋ね~」と言いながら、仲良くしております。
今年は70代最後の誕生日でした。来年は80代始めてのお誕生になります。
元気で、美味しいお食事で祝いたいですね! よろしくね!