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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

たった二人の誕生会

2014年08月29日 | 一寸そこまで
    
今日はどんより曇っていました。暑くなくて助かりましたが、何だか、体に暑
気がこもっているような気持ちです時々、思い出したように、冷たい風が、熱
のこもった体を、冷ましてくれるようで、嬉しかったです。


8月28日(木) 神戸の「梅の花」にお食事に行ってきました。全てのお膳立
ては、今回は珠ちゃんがしてくださいました。珠ちゃんも私も9月生まれなん
です。今更、品物を頂いても仕方がないので、「お互いに相手をお祝いした事
にしてお食事に行きましょう」と始めました。今回で3度目でしょうか。

ところがです、彼女が一度行ったのが50年前…、「ヒエ~!」場所の覚えもう
ろうろです。差もありナン。何人の人に訊ねたでしょうか? やっとたどり着き
ました。ビルの8階にあるそのお店、入り口(上の写真)はとても感じよかった
です。




玄関を入りますと、土間には大きな背負い籠に投げ入れ、正面には「月見の宴」
のお飾り、可愛い兎が出迎えてくれました。

    

部屋は3畳あるかどうかという可愛いお部屋、中央のテーブルは、今流行の足が
延ばせるものです。ちんまりとした、床の間には季節お花が、静かにお客様を待
っておりました。

 
              

「古伊万里」と言うのが、このお部屋のお名前です。この名札をもって、レジに行き、
お勘定をするのです。右が「ランチョンマット」です、下が、「ナフキン」です。

  

珠ちゃんが、「お誕生会」である事を話してくれていたので、「お写真をお撮りしま
す」と撮ってくださいました。ポラドイドはもう古く、今は、デジカメ写真を、プリントし
て、小さな写真立てに入れて、右側の品を「心ばかりですけれど…」と袋に入れて
くださいました。「100均?」かとも思ったのですが、どんなお品でも、プレゼントは
嬉しく、ありがたく頂きました。

 
 
 
 

次々と出てきたお料理です。大分してから「お豆腐店」だと気がつきました。最後の
「味噌漬け」以外は、「お豆腐」を何らかの方法で違ったお味に調理したものでした。

私は、3段目左の「お豆腐の湯葉まき」揚げ物が一番気に入りました。どれもそこそ
こ良いお味でしたよ。


会話ですが、戦時中のことに話が集中しました。先日私が「ブログ」で集団疎開や、
焼け跡の拾い物の話を書きましたからね~。

珠ちゃんは縁故疎開だったそうで、珠ちゃんの小学校では、集団疎開は4年生から
で、お姉さんは集団疎開、珠ちゃんは徳島に縁故疎開だったそうですよ。

疎開先の叔父さん宅が「お米屋さん」だったそうで、食べ物には不自由なかったとい
っていました。それに昭和天皇の「終戦の日の録音」はラジヲの前で、実際に聞いた
そうです。

場所は違えど、二人とも、神戸を離れていたので、「戦火」はしらないのです。それ
と珠ちゃんにも「鶴亀算」の事を聞いてみましたが、彼女も習ってないといっていま
した。共通点は是くらいでしょうか。

家を焼け出された二人は、「平野小学校」という場で出会うわけです。

そうそうもう一つ謎が解けました。戦後まもなくの学校で「卵」をお弁当に持って
きている子はあまりありませんでしたが、珠ちゃんのお弁当にはいつも「卵焼き?」
が入っていましたよ。

珠ちゃん曰く、疎開先の「お米屋さん」のおじさんは鶏も飼っていて、「卵」も売っ
ていたようよ。ですって。だから「卵」が手に入っていたんだわ、と納得。

小学校も中学も一緒でしたし、クラスも一緒になりましたが、別に仲良しだったわ
けではありません。彼女には「陽チャン」という仲良しがいましたし、私には「オ幸
サン」という親友がいました。

同期会でたびたび顔を合わせているうちの珠ちゃんの「陽チャン」は関東暮らし、
私の「オ幸サン」はメキシコ暮らしと離れていましたから、徐々に私たちの距離は縮
まっていきました。決定的なのは「陽チャン」も「オ幸サン」も早々と、この世にお
さらばしてしまった事でした。

残された私たちは、「割れ鍋に綴じ蓋ね~」と言いながら、仲良くしております。

今年は70代最後の誕生日でした。来年は80代始めてのお誕生になります。
元気で、美味しいお食事で祝いたいですね! よろしくね!









コメント (4)
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川柳で~す

2014年08月27日 | 雑誌から

            「ナデシコ」       ご近所で       (14―6―14)


今日は久しぶりに「暑い!!」。洗濯物も「アッ!」と言う間に乾きました。

今朝、7時半ごろでしょうか、洗面所の窓から、毎朝聞いている「テレビ体操の
曲」が聞こえて来ました。隣接するお家のどこかで「テレビ体操」をしておられ
るらしい。顔も見たことの無い人でしょうが、こんなに側に「同志」がいたなん
て、ちっとも知りませんでしたし、何となくほんわかとした気持ちになりました。


   楽しみも 疲れの土産 老いの旅

そ~なんですよね。だんだん足が遠のいて、今では年に一度あるかないかで
す。でも、本当は、時には旅はするべきだとは思っています。生活に張りがで
ますしね。行動しているうちは、年齢は「忘却の彼方」なんですよ。無理の無い、
ゆったりとしたプランで行きたいとは思っています。

   旅の朝 くすり見せ合う いい仲間

私は友人との旅行と言うのはしたことが無いので、こういう経験は無いのです
が、旅と言えば、主人と、自分の二人の薬をまず用意しますね、そして、二人
とも、薬は「朝食後のみ」ですから、朝の食卓に持参するのが、私の仕事かな。

   通り雨 走れる余力 気分良し

是は、まだ実感として、感じていますが、なるべく走らないようにとも思ってい
ます。雨に濡れた道路は、転びやすいですからね。

   幸せは 叱ってくれる 友がいる

「叱る」って程ではないのですが、「言わないほうがいいよ」とか「?さんには気
をつけよ」とか程度の事を、言ったり言われたりする友はいます。常々ありがた
いな~と思っています。友達って、いいものです!

   増税の 行方に鈴を つけたがり

でもね、やっぱり監視は必要ですよ、何に使われるかは、感心を持って、注意し
ておかなければならないと思っています。

 

   小さなおうち     中島 京子                読みました。
第143回 直木賞(平成二十二年上半期)受賞作品

   昭和の犬    姫のカオルコ                  読みました。
第150回 直木賞(平成二十五年下半期)受賞作品

             ☆ 明日お休みします   



            「アザレア」        ご近所で        (14―6―14)
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同じ立場の人に重ねて

2014年08月26日 | 気にかかる

               「ペンタス」     ご近所で       (14―6―14)




昨夜は、久しぶりに「地震」がありましたね。とても短いものでしたが、目は覚め
ました。主人がネットで調べますと3回もあったそうです。「震度1」ですけれど、
目は覚めましたよ。神経が敏感になっているのでしょうか?

5過ぎには強い雨が短時間ですが降りました。「ポツポツ、ショボショボ、ザー」
では無く、いきなり「ザー」って感Jでした。昼間も、晴れたり曇ったり、その変わ
り身が、極端な気がします。なんですか、今までの夏の感じではないですね。


夕刊を見ていますとね、「跡形も無くなった家の周りで所縁の品を捜す姿が見
られた」と、ただ、土のみの場所に女性が佇む写真が載っていました。

昭和20年3月17日神戸の大空襲で、元町にあった私の家はこの写真のよう
に、跡形も無く土だけになりました。その8ヶ月後私は集団疎開から神戸にか
えって来ました。勿論家がなくなっているのですから、元町には行かず、直接
平野に帰りました。

平野に帰った私ですが、今一度、元町に行ってみたいと思ったのでしょう、その
辺のことはよく覚えていないのですが、焼け跡に立って「本当に、何にもないな
~」と思った事ははっきり覚えております。

小学4年生の女の子にとって、神戸の北・平野から中心地・元町までは、相当の
距離があります。でも一人で電車に乗ったと言う記憶がありませんから、一人で
歩いていったのだと思います。

そして、焼け跡に立っているうちに、何か残っていないかと思ったのだと思いま
すが、記憶がありません。しかし、そこから、母が「これはギヤマンだよ」と言っ
ていた、ガラスの小鉢3個と柄のところが「象牙」だと言っていた「果物ナイフ」
2丁を掘り出して、持ち帰ったようです。それは今も、私の手元にあります。

何か思い出になるものを、と捜している人の気持ちが、痛いほど私にはわかり
ます。その時の私は10歳ですが、この方はもう少しお年上、と言うことは思い
出の品もそれだけ多いと言うことです。

流れてしまったものは仕方がありません。でも何か一つでも、「あ~これは!」
と言うものが、お手元に、見つけ出せるようにと祈っています。


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大阪桐蔭の中村くん

2014年08月25日 | テレビから

          「ニチニチ草」        西宮・公園        (14―7―18)




高校野球の優勝戦です。三重と大阪桐蔭です。近畿の対戦ですから、球場は
超満員の感じです。早朝のお天気予報では「午後から雨」と言うことでしたが、
お天気で、良かったです。

大阪桐蔭の優勝でしたね。勝って涙、負けても涙、それを見て、私も又涙。

桐蔭のキャプテンの中村くん、前回大阪桐蔭が、優勝した年に、入学したそう
で、その時「自分もキャプテンになって、優勝旗を持ちたい」と思ったそうですね。
其の「大きな夢」がかないました。うれし涙をとめどなく流しながら、皆さんへの
感謝の気持ちを話していましたね。

キャプテンまではなれるとしても、優勝旗を胸に抱くキャプテンは1年に春夏あ
わせても2人。口にはあらわせない苦労も、努力もあったでしょうが、全てが、
今日報われました。 本当におめでとう! 

もう一つ、中村君は「国旗降納」の時の「君が代」を歌っていましたね。テレビ
に映る部員たちの口元を見ていましたが、一人も歌っていません。「寂しいな
~」と思って見ていました。キャプテンの中村くんが映ったとき、「動いてる!」
声は出さなかったかもしれないのですが、心が、唇が歌っていた。皆も歌って
ほしかったよ! たった一人だったけれど、あなたが歌ってくれた。 
ありがとう、中村くん!



8月24日(日) お寺での施餓鬼でした。昼までは、曇りがちでしたから、助か
りました。

お寺の門を潜ったときは、「今日は少ない?」と感じたのですが、そうでもなかっ
たようです。

施餓鬼が済んだ後は、一人1本「巻き寿司」がいただけます。大方の方は持っ
て帰られるようですが、私たちは、お茶の接待もいただけますので、お寺で食
べて帰ります。

食べていますと、声が聞こえて来ました「たらへんで15本ぐらい…」「いいや、
30本は足りないで~」行列はどんどん長くなっていくようです。最終的には
「誰か電話して、50本追加」。425本(えらい半端やな~)注文したようです
が、足りなかったようです。そういえば、前にも一度こんなことがありましたね。
来れる人数を推定するのは難しいようです。

門を出ようとすると「取りにいってくるわ」と言う男性の声、フッと道路を見ると、
自転車に大きな袋をぶら下げた女性が、大急ぎで漕いで来ます。「やっと来た
ね」と私たちまでホッとしました。

1時過ぎから、昼の部があり、やっぱり「巻き寿司」をいただけるので、おすし屋
さんにすれば、其の分は造っておられたでしょうから、早速持ってこられたので
しょうけれどね。何しろ、暑い時ですから、あまり早くには作り置きできませんも
のね。其の所為かどうか、中の具が異様に甘いのです。防腐剤としてお砂糖を
しこたま入れてあるのでしょうか?


帰りに、以前はよく行っていたお店に「キャンディ」と「クッキー」を買いに行きま
した。一寸離れていますし、重いですから、自動車がないといけないのです。今
日は息子が一緒でしたから、連れて行ってもらいました。私たちは、二人とも、
「免許」は返してしまっていますので、こんなときは不便です。普段は便利な所
に住んでいますから、自家用車が無くとも不自由は感じないのですけどね。

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元気に90歳を迎えるには?

2014年08月22日 | 新聞から

        「モントプレチャー=姫緋扇」     随分大株になりました     (14―6―28)


今日はクーラー要らずでした。昨日張り切りすぎたので、今日はじ~としていま
す。

「Dr和の町医者日記」健康長寿シリーズを「産経」で連載していたのですが、読
んでいませんでしたが、「元気で90歳を迎えるには?」という見出しを見て、フ
ッと読む気になりました。そして先生の履歴を見て、ビックリ仰天! 何とナンと、
其の病院が「尼崎」にあるというのです。そんなこと知っていたら「一生懸命読ん
だのに」とは後の祭り。「健康長寿シリーズ最終回」とありました。

日記は言います。90歳まで長生きするのに大切なことは、認知症予防」です。
60代70代のがん年齢を無事通過できたら、80歳以降は認知症という大き
な壁が立ちはばかります。年相応のボケは仕方がないにしても、出来れば認
知症での要介護状態になりたくないと願うのは私も同じです。そう、健康長寿
のための最後のキーワードはやはり認知症予防に尽きます。(中略)そのため
には、食事と歩行、そして禁煙です。なんだメタボ健診と同じじゃないかと思わ
れるでしょう、そう、メタボ健診と同じなんです。メタボ健診・保健指導は現役世
代の心筋梗塞や脳梗塞の予防が目的です。しかし同時に後期高齢者になった
時の認知症予防でもあるのです。ガンにもならず、心筋梗塞や脳梗塞にもな
らずにめでたく80歳を迎えられた人は、今度はボケずに90歳を目指してくだ
さい。 

食事は十分な野菜、青魚があれば、肉を食べてもいい。カロリーオーバーは
糖尿病予防のために注意する。なぜなら、糖尿病は将来ボケやすいのです。
飲みすぎなければお酒はOK。赤ワインは認知症予防の効果がある。緑茶は
認知症予防効果、茶カテキンは素晴らしい効果があるのです。乳製品や大豆
製品。カルシュウームやマグネシュームの摂取が認知症を予防するという研
究成果が出ている。

毎日歩くこと、それもただ歩くのではなく「50から3を引くと…」等と計算をしな
がら歩くと、脳にたまりかけたβーアミロイドという認知症物質が消える。背筋
を出来るだけ伸ばして、大またで歩く。それを「脊椎ストレッチワーキング」と言う。

禁煙についてはいわずもがなです。


以上です。私にすれば、あと1年で80歳を迎えます。迎えたと仮定します。食べ
物に関しては、同じ釜の飯を食べている、主人が、86歳で元気なところを見ると、
間違った食べ方はしていないと、自信を持っていいかとも思います。ただ野菜が
十分とはいえないかも知れませんが。

それと主人は朝に燻製チーズを食べていますが、私は食べていません。朝の1
杯のミルク、ヨーグルト、蜂蜜は同じです。それと、私は「緑茶」をよく飲むほうだ
と思います。

歩くは少し足りないかも知れませんが、近いけれど、スーパーには毎日行きます
し、店内をうろうろしますから、最低限歩いているでしょうか? 大股で歩く、ノー。
私は小股です。ただ、出来るだけ良い姿勢を心がけています。歩く時、計算はし
ていませんが、いつも、何かを考えながら、歩いています、駄目でしょうか? 
これから、足し算、引き算も心がけましょう。

と言うことで、まずはこの1年、病を寄せ付けないように頑張りたいと思います。






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すこやか元気アップ講座 8月

2014年08月21日 | 一寸そこまで

     「睡蓮木」     沢山花をつけました 木も大きくなりました     (14―7―18)


2回お休みをしましたから、3ヶ月ぶりにいきました。

メインは「歯のお話」でした。

歯は28本+親知らず4本=32本ですが、奥歯の置くから2本目は、6歳で生
え、一番奥は12歳で生えるそうです。親知らずというのは、奥歯の其の奥に生
えるのですが、昔の人は短命(寿命は50年位)だったために、大人になって生
えてくる「歯」が生えてきたときには、親はすでに死亡していて、親の知らない
歯と言う事で「親知らず」と名づけられたといわれているそうです。

80歳になって自分の歯が20本残っているのが、理想ですが、あながち、数だ
けではないようです。上下同じ位置に歯が残っていて、上下の歯で物を噛める
位置に歯があることが大切。

歯磨きは歯ブラシをタテに動かすのではなく、ヨコに2本ぐらいずつ、小刻みに
磨くのがいいそうです。

ベロ、唇がしっかり動くには口の筋肉が必要。そのためにはよく口を動かさなけ
ればならない。喋ることも重要である。

そのためには口を動かす、練習も必要である。下がその練習文。先生について
2回、私たちだけで1回と3回練習しました。



「唾を飲み込んでください」難なく飲み込めます。「次は口をあけたまま唾を飲
み込んでください」そんなこと出来ませんよ。「唾」を飲み込むのは「口をつむ
ぐ」時しか出来ません。

今の若い人は、口を開けている人が多いので唾が飲み込めず「ドライ・マウス」
になり勝ちだそうです。

「この唾は、一日にどれくらい出ていると思いますか?」考えたことも無い質問
でしたが、心のうちで「1合ぐらい?」と思いましたが、何の何の、其の10倍約
1升(1.8ℓ)だそうです。驚きましたね。帰宅して、主人に聞いてみますと目の
前のコップの「2/3ぐらい」と答えました。

食事とは口の中で、唾で混ぜて、舌で運んで、歯で噛んで、これが食事をする
ということ。

自分の体のことなのに、80歳近くなって、初めて知ったことも多く驚きました。

休憩の後「簡単ヨガ体操」でした。

帰宅して昼食の後、今度は図書館にいきまいた。予約本を受け取るためです。

忙しい一日でした。





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エッシャー100選(だまし絵)

2014年08月20日 | 一寸そこまで

            「パンフレット」          (14―8―19)



                                        「チケット」




                                「パンフレットの裏」










昨日の朝から、久しぶりの、早朝の水撒きをしました。

8月19日(火) 明石の市立文化博物館へ「エッシャー100選」だまし絵を見
に行ってきました。図書館に行ったとき、壁に貼られたポスターで、知ったの
です。

行きたいとは思っていたのですが、あまりの暑さに、其の上明石は遠い! と
いう思いもあって、半ば諦めていました。其の上、県立美術館にも、来るそう
だということもあったからです。こちらの方にも、勿論「エッシャー作品」も出品予
定です。

しかし明石の方は「エッシャー」単独です。100選というからには、選りすぐり
100選んであるということでしょう? 重い腰を上げました。行ってよかったで
す。夜寝る時、私の心が軽くなっているのに気づきました。

やっぱり「絵を見るということ」は私が生きていくのに必要なのだと思いました。
美術館は、自分の好きな時にいけると言うのが、いいです。音楽会ですと、そ
の日でなければなりませんよね。そのように予約を必要とするものは、最小限
度に留めて、お天気と体調に耳を傾けながら、美術館通いをしたいと思いまし
た。

この「エッシャー展」は私の思い描いていただまし絵と、一寸、趣をことにしまし
た。慣れてきますと、理解の回転も早くなりましたが、初めは、書かれている説
明と変わりばんこに眺めながら、一つ一つ理解していきました。「ほー!」とた
め息が出るほど、疲れました。

ありがたいことに、入場料が、半額の「500円」でした。「年齢のわかるものを
お見せください」といわれました。私はすぐ出しましたが、主人がもたもたしてい
ます。終いに「顔見れば、わかると思うけど…」と。「いえいえ、お顔だけではわ
からないこともございますので、バス券でも結構です」そういわれて、ポケットか
らす~っとバス券が出て来ました。やれやれ、二人とも500円ですみました。







私が思い描いていたのは、このような「だまし絵」でした。1枚目を観ていただく
とわかりますが、足元が、かなりの傾斜です、しかし「ここから撮影」と書かれた
場所から写しますと、足元は平で、体が大小ということになります。

初めは一人で写していたのですが、それでは面白みが半減すると思い、見てい
た方にお願いして、写していただきました。

そのかわり、親子二人で来ていられる方には説明して、写して差し上げました
ら、喜んでいただけました。私はちゃんと、ピンボケではなく写したと思いますが、
人さまに写していただくと、この写真もそうですが、ピンボケです。無いよりまし
かと諦めておりますが…。



帰りに,JRのホームから「明石城」を写しました。

昔々、60年前、主人との、初めての遠出はここ明石城公園? だったのです。
主人はきっと忘れているでしょうね!

    

20歳の頃の私です。顔は丸顔でプクプクしていますが、今の体重の2/3ぐらい
です。ウエストも、勿論、今の1/2。着ているブラウスもスカートも自分で縫っ
たものです。

シャッターを切ったのは、勿論、主人です。
                            (2400回)







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最後かと思って!

2014年08月18日 | 気にかかる

            「クレマチス」     次から次へと咲きました     (14―6―3)




今日は本当に「夏」だった。けど「蝉の声」も少なくなった感じです。


8月16日(土曜日) 雨になるだろうという予報でした。でも、行き先が、大阪の
デパートと地下街ですから、大丈夫と思っていきました。

まず、地下街に。ホームドレスのための生地を買ういう目的です。何年か前ま
では、時々行っていたお店ですが、思い出しながら、捜したのですが、見つかり
ません。地下街も、いつの間にか、綺麗になっていました。

仕方が無いのでデパートに移動しかけますと「ヨドバシカメラ」の前に出て来ま
した。操作ミスでしょうか、入れておいた「カレンダー製作」が、何処かに消えて
しまいました。だから買いたいと思いましたので、「ヨドバシカメラ」に行きました。
ここも人が一杯です。

ここも模様替えをして、いつも見慣れていた場所にありません。店員さんに聞
きました。連れて行かれた所が、思いもかけない場所でした。3種類ほどある
中から、選んで買って来ました。どうか無事に出来ますようにと願います。


11時半になったので、今日、もう一つの目的、「昼はお好み焼き」を食べるこ
とにしました。相変わらず、次々とお客さんが入ってきます。「ブタ玉」を頼み
ました。久しぶりのこのお店、おいしかったのですが、1つが、食べ切れませ
んでした。「このお店も今日が最後だな~」と思いました。大きすぎて(数年
前まではペロリと平らげていたのですよ)残さなければならないからです。だ
んだん、行くお店の範囲が狭められて、寂しいな~と思いました。

阪神・阪急デパートにも足を運んだのですが、結局、「生地売り場」がありませ
んでした。自分で縫う人がいなくなったのでしょうね。無いとなれば、余計に縫
いたいと思います。後は「心斎橋」か「神戸のお店」だけしか知りません。其の
うちに行って見たいと思います。生地やさん、閉店していませんように…。

仕方が無いので、バーゲン場で、ホームドレスを1枚買いました。やっぱり、気
に入った生地で、シンプルなホームドレスを縫いたいです。

今年縫うのが、きっと、私の手作りの最後の作品になるだろうな~と考えていた
からです。

      ☆ 明日お休みします



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終戦記念日

2014年08月15日 | 思い出話



        ↑   「南天の花」        ↓   「小手毬」      (14―4―25)




降ったり止んだりのお天気が、夜まで続いています。明日はまた、大雨かもし
れないとテレビが言っています。

今日は終戦記念日。69年前の私は、加古川に集団疎開していました。引率の
佐々木先生から「戦争が終わった」と聞いたと思いますが、「家に帰れる」と喜ん
だと思うのですが、記憶が定かではありません。

その日から2ヵ月半、11月初めに神戸に帰ってきたと思いますが、そのあたり
の記憶もありません。元町の家が焼けてしまって、母たちは平野に住んでいま
したから、私は、疎開で一緒だった友達とは別れて、平野小学校に通い始めま
した。

先日、友人たちと小学校のお勉強の話をしえいるとき、お友達がお年上だった
ので、聞いてみました。「わたしね~『鶴亀算』って、言葉はよく知っているけれ
ど、一度も習ったことがないような気がするの。何年生で習いましたか?」先輩
たちは異口同音に「3.4年生だったと思うよ」って。

私の長年の疑問が晴れました。私が、集団疎開していたのが3年生の2学期
から4年生の11月までだったのです。だから其の間、私たちは勉強らしい勉強
はしていなかったような気がします。勉強といえば、ノートが無かったので、半
紙に、漢字の書き取りをしていたと記憶しています。

では毎日何をしていたのかしら? 麦畑に行って、刈り取った跡の株を踏んだ
り、加古川の土手に行って、土筆を採ってきて、道場(寝泊りしていたのが、修
養道場でした)に戻って、土筆のハカマを取って、晩御飯の1品にしましたね。

「サツマイモ」「ナンキン」も育てましたね。「サツマイモのつる」が雑炊に入っ
ていました。

私が一番嫌だったのは「鶏のトサカ」を食べされられたことです。「鶏のトサカ」
は「お寝所」に良く効くということで、名前を呼ばれて、もらいに行くのです。私
は良く「お寝所」をしたので、いつも呼ばれて、子供ながら「恥ずかしいな~!」
と思っていました。

集団疎開の子供は、ひもじい思いをしていて、かわいそうだといわれます。私
もきっとひもじかったのだと思いますが、あまり感じてはいなかったようです。
でも男の子は女の子より動き回りますから、きっと、ひもじかったでしょうね。

集団疎開に行くのは、田舎に親戚の無い3年から6年の生徒でした。私は3年
でしたから6年といえば、とっても大きいと感じていました。

時々、慰問の人が来てくれます。そして、お話やら、歌やら聞かせてくれます。
其のお礼にと、今度は私たちが、歌ったり、踊ったりするのです。私はいつも一
人で、「拝啓ご無沙汰しましたが、僕はますます元気です…」って歌って踊って
いました。

「父よ!あなたは強かった…」は先生に言われて、お友達に教えて8人位で歌
って踊っていました。何故、私が、そんな踊りを知っていたかって? 家の近所
のお姉ちゃんに習っていたのです。先生が「何か出来る人?」って聞かれて「出
来る…」って言ったのだと思いますが、良く覚えていません。

     

集団疎開に行く少し前の、3年生の私です。胸の襷には「第二国防婦人会」と書
いてあります。母たち世代の跡継ぎの婦人会員ということです。母たちが、竹や
りを持って、屋根に昇り、「飛行機を竹やりでつついて落とす」という訓練をしてい
るのをみて、子供ながらに「飛行機(実際に飛行機は見たことがありませんが、ニ
ュース映画で見ていました)が竹やりで落ちるかいな~!」と思っていたことは確
かです。この頃にはもう、金属が無く、バケツも、重い木製でした。

         
    
祝日だったのでしょうね。「日の丸」っを持った、こんな写真もありました。この小
さな女の子が、75年たって、どんなおばあさんになっているか、想像できますか?
無理でしょうね~。

   
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高校野球に想う

2014年08月14日 | 今日この頃

     「原種のシクラメン」   小さな花ですが、1週間ほど咲いていました     (14―8―5)




何気なく、こうしてブログの機能を使わせていただいて、思いのたけを書かせ
ていただいていますが、これが善意のボランアの方々のお力によるものとは知
りませんでした。

先日、スーパー プレゼンテーション(Eテレ 6:00)という番組で、教えられた
のです。何となく、おぼろげながら、機械がやってくれているものと思っていまし
た。「グーグル」等もボランティアの方々のお陰なんですね。ありがたいことだと、
今更ながら、感謝です。

調べ物で、よくお世話になる、「ウイキペディァ」も、ボランティアの方々のご努
力によるものだそうですね。


今日は甲子園の高校野球第3試合に地元の神戸国際大付属高校が出るので、
テレビの前にくぎ付けでした。高校野球は良いですね~、キビキビしていて、さ
わやかで、ただし、負け組みの涙は可哀相でたまりません。

わが兵庫県は、早々に敗退です。試合前のインタビューでピッチャーが、今日
は予選の時より体調もいいし、大丈夫…」というのを聞いて、昔と変わったな~
と思いました。負けを意識しないで、堂々と「勝」といえるのです。このピッチャ
ーだけではありませんよ、インタビューを受けた選手は、大概がそう答えます。
「そんなにはっきりゆうて、負けたらどうするん」と私なんかは思うのですが…。

結果負けて、人目もはばからず、堂々と泣きじゃくる。う~ん、如何言えばいいの
かしら、「それみてみ!」とは一寸言いにくい、たとえ負けたとはいえ、一生懸命
頑張ったのだから。

野球で鍛えられているのに、「草食系」と感じるのは、ハンサムが増えたからでしょ
うね。我家のテレビは42インチですから、実寸より大きく写っていると思いますが、
ハンサムな少年が多いね~。

それと「肌」が綺麗。ニキビ面なんて、トンと見かけません。一杯汗をかくと思う
のですが、しっかり洗面してるのでしょうね。化粧水なんてつけてる?

それから、宿も、今は大広間で皆一緒じゃないそうですね。個室だそうですよ。
勿論其の方が、休まると思いますが。「バンガラ」「質実剛健」という言葉からは
遠のいたのですね。

私にとっては孫の世代の彼らですが、曾孫の世代には、如何代わっているのでし
ょうかね~。

コメント
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