ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

日本丸と海王丸

2009年06月30日 | 一寸そこまで
               「日本丸」(右) と 「海王丸」(左) 









6月の初旬から『日本丸」「海王丸」「銀河丸」が神戸に停泊していたのですが、私達が知ったのがつい最近で、「海王丸」と「銀河丸」は3日に「日本丸」は4日に出航と知って慌てて見に行きました。所が「銀河丸(帆船ではない練習船)」はお出かけでおりませんでした。3役揃い踏みとは行きませんでした。

生憎の梅雨空で時々雨もぱらつきますし、前回の様に奇麗に写せませんでした。その上、この度は船の付いている埠頭は立ち入り禁止で入れませんから、遠方からしか写すことが出来ませんでした。あ~ぁ、望遠レンズつきカメラが欲しい!!

又、遊覧船に乗りましたが、これも前回の様に側までは行きませんでしたが、どうにか二隻を写すことは出来ました。

今日の船は波があって少し揺れました。小学生が、社会見学でしょうか乗船していました。私も神戸っ子ですから、小学生の時は六甲山の林間学校に行きましたが、観光船って無かったのでしょうね、乗った事はありません。

船と言えば「関西汽船」でしたね。昔は船の出港には紙テープとドラがつっきものでした。私は元町4丁目でしたから直ぐ南が中突堤の関西汽船乗り場でしたから、よく出航を見に行きました。中突堤は遊び場の一部でした。

話は飛ぶんですが、西宮にお気に入りのちっちゃなパン屋さんをみつけましてね、唱歌の学校の帰りに時々買って帰るのです。先日も「『サンライズ』下さい」と言いますと「???」怪訝そうなんです。私は言いました「そ~だわ、今は『サンライス』とは言わないのね。『メロンパン』って言うのでしたね。私が若い頃は『サンライズ』って言ったのよ。何時頃から『メロンパン』と言うようになったのでしょうね」

彼女は「思い出しました!神戸の方でこのパン(今のメロンパン)を『サンライズ』って言って『メロンパン』はラグビーボールの様な形のパンだったと聞いた事があります。お客さんは神戸の方ですか?」って言いました。「そうなんですよ。私神戸生まれなんですよ。デモね、神戸だけそう呼んでいたって、今はじめて知りましたよ」

私は思いました。アンパンも神戸生まれではなかったでしょうか?『サンライズ』だって、きっと神戸生まれなんだわって…。全国的になる時に覚え難い名前が『メロン』と名を変えたに違いないとね。

何故『サンライズ』と言っていたかと言いますとね、今は入って居ませんが、表面に碁盤の目の様な切込みが入っていたんです。そしてね『メロンパン』は丁度楕円形の長い方向に縦線(鯨のお腹の線みたいに…)が入っていたんですよ。私は両方とも好きでね、よく買ったので覚えていますよ。

船の話しが『パン』の話に流れましたね。この取り留めの無さが私の持ち味と思って我慢してくださいね。

話を『船』に戻しますと海王丸は2年前に大阪・天保山でセイルドリル(帆を張る練習)をしたらしいのですが、中々しないようです。

調べていますとね、興味深い記事に出会いました。今の海王丸はⅡ世なんですが、初代の海王丸は富山新港につながれているそうです。そして年に10回総帆展帆(そうはんてんぽ)を見せてくれるらしいのです。その上に乗船し内部見学も可能だそうです。勿論、練習生ではありませんが、ボランティア100人で29枚全ての帆を張るらしいのです。実践ではなく、いわばショーですが、見たいな~「定額給付金」の使い道見つけたぞ~って感じです。でもお金は尼崎に落としたいしな~。今年は後7回あるらしいのです、行きたい行きたい、あ~見たい!!


          「日本丸」 総トン数:2570トン  全長:110.09m

         「海王丸」 総トン数:2556トン  全長:110.09
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剣山  点の記

2009年06月29日 | 映画の話
  萩・江戸絞り 春と秋と二度咲きます。 花一つは米粒ぐらいの小さい花です





6月28日(日)

「剣山 点の記」見に行ってきました。主人のリクエストです。新田次郎さんの原作の映画化で、名カメラマンの木村大作さんの監督第一作目です。2日間で5億円の興行収入があり、1週間で50万人の人が見た。と言う事ぐらいは知っていたのです。

『明治時代日本地図完成のため、前人未到だと思われていた「剣山」(富山県)に三角点(今思えば、アチコチの山々で三角点を見た事があった事を思い出しました。西宮の兜山にもあったような気がするのですが…)を立てるべく旧陸軍の測量官が艱難辛苦の末登頂に成功、初登頂と思いきや、山頂には山岳修験者が既に登っていた印としての「錫杖頭」と「剣」を発見する。弘法大師さんも登れなかったというこの山頂を踏破したのは誰だったのでしょうか?

この「錫杖頭」「剣」は昭和34年6月27日、重要文化財として「立山博物館」に陳列されているそうです。

映画館の何時もは1番の上映といえば2~30人ぐらいが普通です。所がです、驚いた事に満席だったのです。帰りのエスカレーターでは次の上映を見る人が連なっていました。本当に凄い人気だと言う事を実感しました。

ですから、何時もはス~ット買えるチケットも並んでいます。私の次の方が女性一人だったので「山がお好きですか?」と聞いてみました、彼女は「今でも毎年登っています」「私も若い頃は登っていました」「今でも登れますよ、私は高校時代の友達とグループで登っているのです。所がリーダーの男の子が(60代だと思うけど…)「雨男」でね何時も雨で、途中の良い景色なんて見た事が無いんですよ」

彼女は登った山の名前を並べ始めました。あの山も、この山も、過って私が登った山ばかりです。「富士山は如何ですか?」と訊ねますと「私心臓が一寸悪いので、富士山は登らないんです。富士山は見る山だと言いますから、富士山の見える周りの山に登っています」と言うお答えでした。


「剣山」と聞けば、私の頭には四国の「剣山」が浮かびました。地元の人が「おつるさん」と愛称で呼ぶ山の事です。でも映画は豪雪地帯とありました。「違うな~、何処?」「立山連峰だって?」

四国の「剣山」は登りました。何年前になるでしょうか、遍路に出るず~っと前です。まだ体力、気力の充実していた頃のお話です。頂上には「竜胆」の花がへばりつくように咲いていました。風が強いのでしょう、園芸種のすらっと背の高い「竜胆」しか知りませんから、始は「竜胆」と気づきませんでした。「七かまど」の赤が目に焼きついていますから、秋だったでしょうか?

富山県には何度となく行きましたし、立山連峰も目にしましたが、「剣山」は全く記憶にありませんでした。映画にも「室堂平」の事が何度となく台詞に出てきましたし、映画の中でも見事な「雲海」も見ました。

私も「雲海」を見たのは、立山の地でした。私は泊まりますと、何時も早朝に起きて、花の撮影に出かけます。その時も宿の前庭から下を見ますと、昨日は富山市内が見下ろせたのに、今は「雲」がもこもこしているだけです。

何時も言いますように、都会育ちの私は自然を知りません。勿論「雲海」何て見た事もありません。私は唯始めてみる光景に引きつけられて唯唯見つめていました。後からこられた女性が「雲海ですね、見事ですね。何時も見られるとは限らないのですよ」と声を掛けられました。「そうか、これが雲海か…」私の頭の中で実物と言葉が結びつきました。

飛行機では雲海を見ましたが、雲海を飛ぶ飛行機から見るのと、高い場所から見下ろすのとでは、同じ「雲海」でも違うように感じたのですが、私の思い違いでしょうか?


映画館に急ぐ通路に女性が二人蹲っていました。「大丈夫ですか」と声を掛けますと「ハイ、救急車も呼びました」との答え、後から来た主人に話しますと、救急車が来るのを待っていようと言います。「救急車に場所をちゃんといいましたか?」と聞くと「ハイ、XXの陸橋の入り口と言いました」と…。

主人と私は陸橋に出て救急車を待ちました。中々来ません。そうしていると「ピーポーピーポー」と聞こえてきましたが、中々姿が見えません。私は彼女達の側に走りました「今ピポピポと聞こえましたからね。もう直ぐですよ」告げると又主人の元にとって返しました。音は聞こえども四方の何処から聞こえているのかの判断が付きません。やっと前方に救急車が見えました。主人は帽子を振り、私は手を振ってアピールしました。聞こえるはずも無いのに「ここよ!ここよ!」と叫んでいました。

私は又彼女の元に走りました。「救急車見えたからね。もう直ぐよ、我慢して!」彼女の顔は真っ青で、痛いのか苦しいのか、身を捩ろうとするのですが、その元気が無いようでした。意識ははっきりしているようでしたので、安心させたい一心で「救急車下に来たよ」「ストレチャー持って来たよ」「エスカレーター上ってきたよ」とピストン運転宜しく、私は彼女達と主人の間を駆けました。

申しわけないのですが、救急隊員の方の動作がのろのろと感じられて「早く早く!」と叫んでいました。救急隊員の方が彼女達の元に到着と同時に私達はその場を離れました。

今頃はきっともう元気になられた事と思います。お友達も驚かれたでしょうが、きっと携帯電話で110番通報されたのでしょうね。電話をされてどの位してから私達が通りかかったのか解りませんが、お友達の機転で救急車を呼んでよかったと思いますよ。友情がより深まったでしょうか?




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遍路  28回

2009年06月28日 | 思い出話
        9月28日 (土)  第38番 金剛福寺  (2)


       距離:24K  安宿  ~ 宿北村 ~ 金剛福寺  (その2)




村を通り抜け遍路道に入ったと思ったら、あっけない感じで「こちら天狗の鼻」「展望台」との標識が現れました。2時頃でしたので、先にこちらに行こうという事になり、まずは「天狗の鼻」に行きました。此処からは「足摺岬灯台」が遠目ながらよく見えました。とうとう来たな~と言う思いが胸を突き上げました。それもいいお天気で足摺岬は私達を迎えてくれました。

此処には「シシウド」を中心にカラフルに色んな花が咲いていました。風が強い所為でしょう、皆背丈が低いです。自然に逆らわない姿に何時も教えられます。

次の足摺岬「展望台」に行く道の足元には「おだまき」の株ががいっぱいありました。春には「深山オダマキ」が咲き乱れるのでしょうか。見たいな~!! 私の好きな花のひとつです。


                  「天狗の鼻」の足元の海

          「天狗の鼻」から見た 「足摺岬の灯台」


    ジョン万次郎さんは懐かしいアメリカの方向を向いて立っています
        

展望台を下りたところの茶店で「かき氷」の幟が立っていました。1つを2人で食べていますと、みやじさん夫妻がのぼってこられました。国民宿舎に荷物を置いて展望台に上ってこられたようです。「あら! 案外早く着きましたね」だって!! 私の足を見くびっているな? 「安宿」のごしゅじんの教えに随ったから足は痛まないぞ!! 距離だって出たぞ!!天気も私の見方だぞ!!高砂百合だって私を待ってたぞ!! 愉快愉快!!









 「大師亀」 お大師さんが亀を呼び海上の不動岩に渡って修行したと言う伝説の亀

足摺岬 金剛福寺の鐘をつきました。 心の臓に染み渡ったよ!!



9月28日  15:29  おちさん  (送)
金剛福寺に着きました。晴天。あと、夜。

19:43  かずよ  (送)
今日は晴天。暑い暑い。雨は近畿に行ったって。明日の朝、朝日が拝めれば最高。5時おきで場所取りです。

20:00  かわしまさん  (送)
明日、タイですか? ホテルでなく民宿です。これが大正解。取れ取れの1本釣りのマグロに、鰹のタタキ、新鮮なものの美味しさです。この度は食べ物に恵まれています。今日はカンカン照り、足摺岬の景色を堪能しました。雨は近畿に行ったとか。

20:13  ふじいさん  (送)
今日ね、如何した事か一日中クシャミと鼻水が止まらなくて、何かの花粉が作用したらしいの。薬を買って飲んだけれど直るかしら? 貴女の辛さ(彼女は酷い花粉症)が体験できた一日でした。

20:26  ふじいさん  (受)
大変ですね。火曜日から私もクシャミが出て、今年は今から心配してました。お薬が合えばいいのですが。お天気は晴れ?雨?曇り? 朝夕大丈夫?メール待ってます。明日は何処まで? おやすみなさい。

20:49  おちさん  (送)
民宿北村に居ます。今夜の宿は一か八か電話したら、大正解。新鮮な魚に満足。今日はたっぷり遍路道を歩いた一日でした。今日はサワ蟹をよく見ましたよ。蟹は怒ると鋏を振り上げて威嚇するのですね。初めて見ました。(3~4cmの蟹が、蟹から見ればとてつもなく大きく見えるであろう私に対して、鋏を振り上げて威嚇します。おいでおいでではないよ、アレは威嚇だよ!私とゴジラよりその差はあるような気がするけど、蟹って案外気が強いのかな~)2時30分頃足摺岬に着いたのですが、先に「天狗の鼻」や「足摺の展望台」に行って、ミルク氷を食べてから、お参りをしました。お大師さんも呆れて居られるでしょう。貴女はよく一日で往復なさいましたね。感心します。私達は明日竜串周りで2泊して延光寺、宿毛辺りで帰ります。

22:44  かわしまさん  (受)
昨日は朝方まで雨でしたが一寸蒸し暑い尼崎でした。


宿のお仲間は遍路ではない男性の二人ずれと私達。もう一組車遍路のご夫婦が泊まられる予定だったのが、道を間違えて遅くなったのでと取り消しが入ったらしいです。

此処のお料理が又美味しい。主人は風呂上りに缶ビール、食事時には焼酎をお接待していただいてご機嫌さん。仕出し屋さんから刺身類は取り寄せているらしい。朗らかなお喋り女将でした。「昨夜のお客さんは離婚して、老母を抱えて…、その話しに私も涙がでたよ。お客さんたちは幸せそうですね」って話すのよ。明日は私達の事どのように話すのかしらね。聞いてみたいね。朝はおにぎりのお接待を頂いて、ありがたかったです。


9月28日  民宿 北村  (4泊目)

                             (1100回目)

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遍路  27回

2009年06月27日 | 思い出話
         9月28日  (土)  第38番 金剛福寺


  距離:24K  民宿「安宿」  ~  金剛福寺  ~  足摺岬(民宿「北村」)

                下の加江海岸の日の出





朝、戻りで延光寺に行く男遍路さんが一番初めに立たれました。(足摺岬の金剛福寺へはこの辺りから40キロを行って帰り、東回りで次の延光寺に行くコースと、竜串辺りで泊まって西側から行くコースの2つがあります。私達は1日40キロは無理ですので西側を取りました、メールを下さるおちさんはお若いので往復コースでした)そして私達、男性遍路さん、宮部さんご夫妻と言う順番でした。

歩いて30分もすると日の出に出会います。家に居る時には日の出を拝む事はありませんから、とても貴重な体験です。遍路をしていますと、鶏の声を聞いたり、日の出を目にする事が多かったです。美しい日の出を撮っていると、男性遍路さんが追いついてこられました。「美しいですね~」と共に眺めておられました。次の延光寺に行くにはこの道を往復するのが一番近道なので、往復する人がよく泊まる「民宿久百々」の前を通過しました。健脚の人は一日で足摺まで往復されるのです。

もう少し行きますと「大岐(おおき)マリン」と言うまだ見るからに新しい民宿で、1階が喫茶店になっているのを見つけました。此処ならお便所は奇麗だろうとトイレ休憩する事にしました。

民宿のお便所はまだポットン(汲み取り式)か「水鉄砲」なので(遍路に来て初めての経験ですが、水鉄砲の様なものが水道線と繋がっていて、引き金を引く事によって紙や排泄物を小さな蓋の付いた部分から自分で落とすのです。鉄砲の形や、水圧はさまざまでした)主人は特に気持ちよく出し難いそうで、私達は水洗便所がありそうなところでは、トイレ休憩と称して喫茶店を利用する事にしていました。

トイレと言えば28番大日寺にあと1/3の距離に来た町で、雨降りで体が冷えたのか、二人ともお腹の具合がおかしくなってきました。住宅街でトイレは無いし、やっと前方に喫茶店らしき店を見つけました。その店から出てきた人が私たちの方に道路を渡って来ましたので「あのお店は喫茶店ですか?」と訊ねました。「そうですけど、何が飲みたいの?」「飲み物が目的ではなく、おトイレが借りたいのです」「それなら家にいらっしゃい。直ぐソコだから」と言われました。私達は喜んで後に随いました。二階に上るようになっていて、歯医者さんでした。1階の駐車場で、雨合羽を脱いで、2階に上がりトイレをお借りしました。帰りには「お八つの残り物だけれど…」とおかきのお接待を頂きました。「今井歯科医院」今でもはっきりと覚えております、あの嬉しかった事を…、本当にありがたかったです。

町中を通り元の大通りに行く途中で美容院がありました。その店からも「お遍路さんお接待です」と飴を持って飛び出してこられました。嬉しかったです。


      大岐海岸の砂の上の遍路道 この小さな橋も一応は潜下橋?
                 「大岐マリン」の直ぐそばです




                  大岐海岸の砂浜の遍路道


大岐マリンのマスターは高知市生まれの青年です。この景色が気に入って、此処に民宿を始めたそうです。

此処のベランダからの景色はすばらしかったです。これから歩いていく砂浜の中にある遍路道、その道を行く為に渡るのが写真の可愛らしい小さな橋(潜水橋?と呼びたい…)は昨日の雨で枯れ草が橋の上に引っかかっていました。

国道を暫く行くと標識が出ていてこの道を行くと4キロ短いとあり、1時間の差は大きいので、勿論その方に行く事にしました。

        

村の切れ目に漁村がありました。鰹の1本釣の漁船が停泊していました。その道に沿って歩いていますと沢に突き当たりました。


「鰹の1本釣り」の船の為の港らしい 此処に来るまでに加工所の建物がありました






沢は急斜面で人気が全然なく、本当にこの道を行くのが正解なの? と心細くなりました。昨日の雨の所為でしょうか、水が心細げに流れていました。道が違うのではないかと思うほど、何の気配も感じませんでした。本当に心細い感じでした。 

アチコチに居る真っ赤な蟹に喜んでいる内に、何とか沢を登り終えました。細いけれども気持ちのいい遍路道に出ました。「あ~よかった!」とほっとしました。


          この「沢蟹」を土地の人は「赤蟹」と呼んでいる  
         小さな蟹なので「から揚げ」にすると美味しいらしい

 



                  窪津小学校の校庭  
     昼食を食べ トイレを借り一休みさせていただいたが 全く人影なし



「安宿」のご主人が言っていたようにお店は一軒もありませんでした。テクテクと歩いていると、自転車に乗った人が寄ってきて近道を教えてくれるといわれる。教えてもらった道を行きますと窪津小学校の前に出ました。人気は全然ありません。黙って校庭に入らせていただきました。明日、運動会でもあるのだろうかテントが用意してありました。

お腹が空いたので、持っていたクッキーとカロリーメイトでお昼を済ませました。水飲み場でお水も汲ませていただきました。その場所から今夜の宿を探し電話しました。いい宿である事を祈りながら…。携帯を持っていなければ、こうゆう事も出来ないと、文明の利器のありがたさに感謝。

                    高砂百合


虫押さえ程度の食事とはいえ、水も飲んだし、ボトルに補給もしたし、心豊に歩きました。だけど如何したわけか今朝から私はクシャミと鼻水に悩まされています。半端でない鼻水です、一寸ほっておくとポタリポタリと垂れ流しになります。始終鼻を咬むものですから鼻の頭が真っ赤になり、ひりひりしています。

そんな私の目に飛び込んできたのがこの「高砂百合」です。こんな所でこの百合に遇えるとは思っても居ませんでした。

実はこの百合は我家にも在るのです。昨年の春(平成13年)に紙に包まれて見つけた種を何の種かも知らぬまま蒔いて、咲いたのがこの百合だったのです。始は3本ほど真冬に咲きました。こんな形ではなく袋のまま先だけが開くと言う感じでした。(今思うと、寒さで開ききれなかったようです)冬に咲く百合なんて知らないし、如何見ても百合だし、困ってネットで「これ百合? 名前は?」と訊ねてみました。「高砂百合」との回答を得ました。残りの数本は夏の初めに、写真の様な形で咲きました。本当に嬉しかったです。「わっ!!」と歓声を上げ、何枚も何枚も写真を撮りました。
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来年のコンサート準備始まる

2009年06月26日 | 今日この頃
        ぎぼし  大きな木の根元にひっそりと咲いています

     遠目にはなんでもない平凡な花ですが 近づくと上品な花です


    


唱歌の学校ではもう来年6月の生徒主宰のコンサートに向けての選曲が始まっています。そこでです、私達が今年の6月に歌いました「この街で」がとても人気で「来年はわがクラスで歌いたい」と言うクラスが何組かあるとのりこ先生が話されました。

アカペラで1曲歌う事を始めたのも私達のクラスです(アカペラで歌ったらいいのではないですか? と言われたのは校長先生だったと記憶しています)。始は皆何となく不安なようでしたが、味を占めて毎年1曲は入れようという事になっています。なんだか我クラスを自慢したい気持ちです。

先々週にごとうさんから「他のクラスはもう来年に向けて動き始めているので、このクラスも世話役を決めませんか」との発言があり決まりました。

今までお世話をした事が無い方?」と手を上げたのが6人、私もそのうちの1人でした。6人は多すぎるという事で抽選で2班に別けました。そして籤運の悪い私は来年が当ってしまいました。

私は来月のコンサートが終わってからスタートの選曲に入ろうかと思っていましたが、Sさんが「直ぐ決めないとコンサートが終わると歌う歌が無い」と言われたと「紙は用意してきました」と言われましたので、皆さんに紙をお渡ししました。

私は「歌いたい歌と、お名前を書いて出してください」と言いましたが、皆さん「名前はいや…」と言われました。私は「なんで?」と驚きましたが「名前を書いて欲しいのは、何方の希望曲を受け取ったかを知りたいだけです。全員参加で行きたいからです。皆さんが反対ならお名前は書かなくていいですが、名簿を作ってきますので、受け取った時にソコにチェックを入れさせてください」と了解を得ました。

期限は来週(7月3日)と決めていたのですが(始は今日が期限だったのですが、来週まで考えさせてと言う意見もあり変更)、私は名簿を作って持っていきました。早々に今日お持ちくださった方もあり、Iさんが集める役を引き受けてくださいました。

「3人で同じ事をしても仕方が無いので、役割分担しませんか?」と提案しました。「パソコンをされますか?」と聞きますと「私はしませんが、娘にさせます」と言うお答えが返ってきました「それなら私がプリント係りを引き受けますから…、貴女(sさん)がまとめ役で前に立ってください」とお願いしました。「そうですね、前に立つのは1人でいいですから、必要に応じて順番にしましょう」と決まりました。

さ~て、来週は、どんな曲が出てくるのでしょうか?楽しみでもあり不安でもあります。

過って私の希望曲は一度だけ採用された事があります。コンサート当日が6月10日だったので、それにちなんで「大きな古時計」を出しました。採用されたものの、時の記念日にちなんで、私が希望曲にした事は何方もお気づきにならないようでした。来年は日日がわかりませんのでそういう決め方は出来ませんので、歌いたい歌を提出したいと思っています。

今日も、ごとうさんが新鮮野菜を持ってきてくださいました。「玉葱と紫蘇」でした。本当にありがたいことです。玉葱は沢山だったので重かったのですが、欲と二人連れで頂いて帰りました。早速「豆腐」を買って帰って「紫蘇」を載せていただこうと思ったのに「豆腐」を買って帰るのを忘れて、明日に繰越です。「玉葱」は早速「キャベツ、豚肉、竹輪」と炒めて食べました。


    
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今は無い 近所付き合い

2009年06月25日 | 思い出話
               のうぜんかつら  (尼崎・大井戸公園)  

            此花の下に石のベンチがありますます  
      そこに座って目の前にあるバラ園を眺めるようになっています。






昨日お料理教室のあと、そのまま大阪に買い物に出ました。帰宅時間が丁度小学生の帰宅時間と重なったようです。

3年生ぐらいでしょうか、4~5人の男の子がなにやら口々に喋りながら賑やかにやってきました。この頃は男の子もよく喋るな~と思ってみていました。数歩後からもう1人男の子がのろのろとやってきました。

ふと見るとその男の子はしゃくりあげて泣いています。前を行く男の子達を見つめて泣いているようでした。前を行く男の子達がいじめているようにも見えません。話の輪に入れない? 入れてもらえない? そんな感じでした。

私は思わず声を掛けてしまいました「泣いたらあかんよ。男の子が泣いたらあかん」って。男の子はチラッと私を見て、こっくりと肯きました。そしてまだ泣きながら男の子達の後をトボトボと付いて行きました。

男の子の家にはこの子を迎える誰かがいるのでしょうか? もし居なければ、男の子は1人で、今の悔しいと言うか、寂しい心をどのように納めるのだろうか? とか考えてしまいました。

今は希望すれば、放課後も学校で夕方まで子供は預かってもらえるようです。しかし、それは学校の延長であって、家庭ではありません。親にとっては都合の良い制度でしょうが、子供達にとっては如何でしょうか?やっぱり学校から帰る子供を待つ家庭がある方が、子供の精神的安定には良いのではないかと思うのですが…、私の考えは古いですか?

私が結婚しました時、丁度お隣に3年生の女の子が居ました。その子は私学の小学生で、お母さんは尼崎の小学校の先生をしていました。女の子は学校から私の家に帰ってきます。お八つを食べさせて、宿題を見てあげるのが私の仕事でした。私学ではその当時から3年生から英語を習っていましたね。

私が子供を4月に生んで8月の夏休みまでそれは続きました。1年と一寸でしょうか。その間私は外出しても、女の子が帰ってくる時間までには帰っていなければなりませんでした。だからと言って、お金は頂いていませんでしたよ。盆暮れには姑の方に何かが届けられているようでしたが…。

今から50年ほど前までは、そうして、近所の子供を預かったりと言う近所付き合いがあったようです。

話は変わりますが、不幸のあった家には、近所の人が集まって食事の世話など手伝っていましたね。買い物に行く時は、半紙で綴られた「買い物帳」を持っていきますと、お店は(買った品物と金額、店の名前を記入します)そうしますと現金は持っていかなくとも買い物が出来て、後から支払いに行ったものでした。

私も何度かそんなお手伝いに行きました。そのお手伝いの最後は昭和40年(1960代)頃だったと思います。今でもよく覚えております。そのときにお礼にと頂いた「下駄」は履く事も無く今でも私の下駄箱に眠っております。

今のように全てお金で清算するのは、後腐れが無くていいのかもしれませんが、時々心の通った昔が懐かしいと思う事があります。 


              花の付き方  左右対称に突き出して  
           次はその花茎と十字を書くような位置に付きます  





        花が開くのも左右対称に 上から下に咲き下がります
    
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インド家庭料理 (17回)

2009年06月24日 | 今日この頃
先月は私はお休みをしましたので、2ヶ月ぶりです。今日は2名の欠席でしたので、ショリー先生姉妹とオーナーと10名でした。たった2名の欠席なのに、テーブルが広々としていたような気がします。

          卓上花  真ん中のキャンドルは意味は無いそうです
                テーブルクロスも涼しげでしょう?


            今日のお料理です  おかわりできます


今日の盛り付けは上手に出来ました。食べてみたい!と思いません? こんな事で自画自賛!

                     エビカレー


ゴア地方のカレーです。ゴアはインドの西海岸にあります。今日からショリー先生が地図を持ってきてくださって、指し示してくださったので尚の事、親しみを感じました。インドはイギリスの植民地ですが、ここゴアだけはポルトガルの支配下にあったそうで、今までのカレーのように辛くはなく、甘酸っぱい味でした。カレーの甘酸っぱいのってどんな味?と思われるでしょう? 甘酸っぱいんですよ…。

とても美味しかったのですが、煮込み料理ですから、肝心のエビが煮込みすぎで、エビのぷりぷり感や甘さが感じられませんでした。これは一手間掛けて、湯がくか、チンして最後に入れたほうがいいと思いましたね。これは日本人的感覚でしょうけれど…。

         レモンライス  エビカレーをまぶしていただきます
              スパゲティみたいですがお米です



こちらは東海岸の町だったと思うのですが、覚えてきた名前は地図で調べたのですが解りませんでした。レモンライスと言うのでお寿司の味を想像したのですが、5号のお米にレモン2個も絞るのですが、煮切りますので酸味はありませんでした。

レモン汁に香辛料を入れて、別に煮て、焚きあがったご飯に混ぜるのです。お米は外米です。日本米の3~4分の1の長さが1.5倍ぐらいの細長いお米です。いわゆる外米とは一寸違って繊細な感じのお米です。アメリカでも好んで食べられているそうで、お米としては高級品だそうです。

                    ナスのソティー


これは油が決め手のようです。マスタード・オイル(からしから絞った油で、決して良い匂いとはいえません)初めて使いましたね。

そのオイルを熱したところに香辛料をまぶしたナスを入れて、火力をゆるめて焼きます。初めて使った材料は後二つありました。ライスパウダーこれは一味加えるために使うそうです。もう一つはシュリンプパウダー、干しエビの粉とでも言いますかしら。これに塩気があったものですから、一寸塩辛かったです。このパウダーを使うときは塩加減(塩不要)をしなければいけないという事になりました。


                      ライタ   


これは何時ものお馴染みの口直しサラダとでも言いますか、胡瓜、トマト、玉葱のみじん切りをヨーグルトで和えるだけです。始は私にとって苦痛に近かったヨーグルトも食べられるようになりました。

来月はゴーやを使うそうです。さてさて私の苦手の苦味が消えているでしょうか?

        マンゴー・ティーと韓国・チジュ島のサボテン入りチョコレート


マンゴー・ティーは美味しかったです。なんだかほっとするお味でした。

サボテン入りのチョコレート? 一寸変ったお味かな~?と言うだけで「サボテン」の存在は感じませんでした。と言っても、元々サボテンの味を知りませんが…。 やっぱり私にとってはチョコレートはシンプル イズ ベストですね。
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昔取った杵柄?

2009年06月23日 | 今日この頃
     インパチェンス  バラのようですね 実寸は2cmほどの小さい花です
                      散歩道にて





久し振りにすずき先生の「リズム&ストレッチ」の教室に入りました。相変わらずの人気プログラムで一寸油断すると、お隣の人にぶつかりそうです。

あの人もこの人も懐かしい顔々…。皆さん元気に頑張っています。過っては私達4人グループも定位置に陣取っていました。でもリーダーと言うことではないのですが、中心の人だった人が止められてから、自然解散と言う形になったようです。

次に私が離れました。受ける科目が異なったからです。時々更衣室で逢えば話す程度になりました。後のお二人は、今日見たところ、夫々の相手を見つけたようで、一緒には居ませんでした。

ジムでも自然とグループは出来て行きます。そして食べ歩いたり、登山したり、旅行をしたりと楽しんでおられます。4人組だった頃よく山に登ったり、日帰り旅行に行ったりしていました。私を除いて…。私は教室だけのお仲間で、行った所のお話しの聞き役でした。そんな事を色々思い出しながら、レッスンを受けました。

すずき先生のステップは新しいのもありましたが、懐かしいものも多々ありました。付いていけるかな~と心配だったのですが、10年近い年月踏んでいたステップです。体が覚えておりました。「継続は力なり」と言いますが、一寸違うかな?「雀100まで踊りを忘れず」? これも一寸違うかな~? 「昔取った杵柄」? そうそうこれこれ。でも凄いものだね~と思いましたよ。 考えるより先に体が思い出して踊りだすのです。

しかし、しかしです。ステップを踏んでいますとアチコチから小さな悲鳴が聞こえてきました。「あ~此処も、あ~此処も」と言う感じでした。身体は動くのですが、久し振りに動かすので筋肉が収縮に戸惑っているのです。「あ痛!たた…」と悲鳴を上げます。

歩きや、「フラダンス」のように繊細な動きのものだけをしていますと、色んな箇所の筋肉を使っていないようです。

一昔前までは「歩け歩け」だけでしたが、今は「ストレッチ」が中心と書いた事がありますが、本当に実感しました。これからは「ストレッチ」も取り入れないといけないな~と思った今日のレッスンでした。


           タイサンボク  木が高すぎて中々花が写せません 
          去年香に誘われて見つけました  (尼崎・鳥場公園)

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異なるから面白い新議員三人

2009年06月22日 | 気にかかる
            ベロニカ・ゆめむらさき  (09-6-5  西宮)
            西宮市で生まれた品種とか書いてありました






本格的に梅雨に入ったようですね。夜間降って日中は止むと言う今のパターンが続くと水撒きしなくて助かるのですが…。毎年の事なんですが、家の中がジメジメとして、フローリングの床が足にべたべたと気持ちが悪いです。

一日2度乾いていた洗濯物も何となくじわ~っと乾ききらないで、重い感じです。私にとって夏の暑さは辛いのですが、早く来い来いって感じです。


6月20日(土)

高濱黄太さんの「出発式」に行って来ました。「出発式?」「出発式は一度したよね…?」此処はストレートに「祝賀会」でいいのではないかと思いました。出席した方から言いますと、「当選おめでとう」のお祝いの会なんですもの。

私達同じバスで来た隣組は同じテーブルにしてくださいました。同じテーブルの男性で(オーストリアの何か?を研究しているとか)「テーブル・サービスはアルバイトでなれていますから」と言われて、こまめに動いてくださったので、私達おばさま族はで~んと構えていました。

配られてきたビールも「ラベルは必ずお客様の方を向けて、何本かかためて置くと良いですよ」と言いながら、私の前に4本かっこよく並べて見せました。私は意地の悪い質問をしてみました「もし私が『キリン(アサヒビールでした)しか飲まないのです』と言ったら、如何されますか?」彼は「ハハハ」と笑いで誤魔化しました。

オープニングは[Kota's story] スクリーンを使って、赤ちゃん時代から今までの写真を写されました。お姉さまの編集でした。ご両親のどちらに似ておられるのかは、一寸解りませんでしたが、男の子は女親に似た方が良いと言いますからお母さま似でしょうか…。

それから七松町会長の挨拶と音頭で「乾杯!!」と祝杯を挙げました。受付の記入が「七松町」と「七松町以外」とありましたのが目を引きました。

次が「歓談」となっていまして、目の前にあるご馳走を頂く時間でした。何時もならもう少し「ご挨拶」等が在って、「お預け!」の状態なのですが、それが無くて助かりました。私はこういうときは何時も少し家で食べてから行きます。ガツガツと手を出すのは見っとも無いかな~と思っているからです。

その途中でこの度、白井市長推薦の4人組の方々がご挨拶なさいました。同期と言うのは、まして白井市長と志を同じくする仲間と言う方々ですから、お互いに励まし助け合っていただきたいと思います。

同期新人のお1人すださん(女性)は、福福しくお優しそうなのですが、仕事に関しては凄腕と聞いております。そのお仕事ぶりを今度は市議としての仕事に掛けていただきたいと思います。

私は選挙1週間後に(図書館が整理休館日でしたので)図書館にある6紙を読み比べに行きました。毎日と神戸新聞だったと思いますが、1番当選の方とすださんのバンザイの写真が出ておりました。すださんの当選の言葉の中で、議員生活4年間の事を「期間限定」と言う言葉で表しておられたのが心を打ちました。「上手い言葉だな~」と思ったのです。女性はこの言葉に弱いんです「期間限定」と書いてありますと、つい手が出て買ってしまうのですよ。すださんがこれからもこのような心に響く言葉を使ってくださるのを楽しみにしたいと思いました。

もう1人はたなかさん(男性)一番年若い方です。お話しをした事が無いのですが、人の良さそうな、とても素朴な方のようにお見受けしました。(実際は如何なんでしょうね。私だって大人しくないのに、大人しく見えるらしいのです。猫は被っていないのですけどね)だから「人は見かけによらない!」ってこともありますけどね…。でも彼の実直さは推薦者のまるおさん譲りでしょうか、雰囲気が似ておられました。県会に転向されたまるおさんに代わって、真面目にお仕事くださる事を信じております。

さて、たかはまさんですが、過って指導を受けたと言うお若い方が「昼は色々指導していただき、夜は飲んだり、食べたりに連れて行っていただきましたが、時には夜中に電話して来られて…」とたかはまさんの素面に迫る話を聞かせていただきました。

話を総合しますと、たかはまさんは「お酒が好き」「寂しがりや」と言う面が浮き上がってまいりました。これからは「酒席」に出る事も多くなると思いますが、仕事付き合いの時は、人から見て「酔っ払ってる」と思われるほど飲まない事、お酒の上での失敗はしないでいただきたいと願っております。


七松の老人会の方が「これからは『先生』とお呼びしなければならなくなって…」とヨイショのご挨拶、私は「お呼びになりたければど~ぞ」と心でイヤイヤをしておりました。私は「先生」とは呼ばないと思います。「たかはまさん」とお呼びすると思います。「先生」と呼ばれて喜ぶような議員になって欲しくはありません。

次は「1992年国際環境サミット~12歳の少女の伝説のスピーチ」をスクリーンで見せていただきました。この本は私もお借りして読みました。感銘を受けましたので、早速、熟年層に英語を教えておられる友人にメールを入れました「教材として使われたら如何でしょうか?」と…。日本語に小さく英語も付いていましたので。

最後はたかはまさんのご挨拶です。上記の本を読んで感銘を受け、歩んできた生き方を見直す切っ掛けになったと話されたと思います。

新しい力で尼崎を良い方に引っ張っていってください。期待しております。


          ジギタリス  (09-6-10  尼崎・鳥場公園)


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遍路 26 回

2009年06月21日 | 思い出話
            9月27日 (金)   唯歩くのみ


              距離:28K  旅館うすき ~ 民宿 安宿


9月27日13:23  おちさん  (送)
午前中雨でした。昨日大方の海岸辺りで高知県企画振興部調査か「こころのふれあう遍路道つくりアンケート調査」と言う人が自動車から降りてアンケートをお願いしますってこられたの。吃驚しましたが、後に続くお遍路さんの為にと言われると断れなかったわ。43ページもあるんです。高知県は本気なのね。協力するつもりです。

14:02  おちさん  (受)
高知の人は凄いですね。お遍路さんを大切に思って色々頑張ってくれて…後のお遍路さんの為になればありがたい事です。高知だけでなく四国で盛り上げたい気持ちです。私も旅を終えてからなるべくお遍路さんを見かけたら無事に歩けますようにとお大師さんにお願いしています。以前は何も思わなかった私が今は歩いた事で変われました。あの時歩いて本当によかったです。又歩きたいです。今日はどの辺りですか?昨日から仕事場にあの地図(遍路道の地図)を持ってきて休憩の間見ています。

16:26 かわしまさん  (受)
そろそろ今日の行程終わられる頃でしょうか?尼崎は曇り空・強風でとても寒いです。予報外れて雨は降っていませんが。温泉で温まって明日に備えてください。

19:17  かずよ  (送)
今日は朝6時過ぎから歩き始め。この宿に着くまで雨が降り続きました。明日も雨らしいです。清流四万十川は雨にけぶっておりました。明日は28キロ今日より2キロ少ないよ。嬉しいよ。

17:53  かずよ  (受)
今晩は。今日も変な天気でした。思ったより今の時点では雨降らず…でも肌寒いです。週末なので気分的に嬉しいです。

19:33  かわしまさん  (送)
虫のコーラスが見事です。名前が解らないのが残念です。知らない事がなんと多いことよ。遍路中は遍路宿に泊まりますが、質素なものです。でも明日はお寺の宿坊が土曜日で休みなので、ホテルにとまれるかも、楽しみです。

20:07  おちさん  (送)
昨夜はうすき旅館でした。電話した時から、何度も同じ事を聞かれるし、嫌な予感、行ってみれば、素泊まりでと言われました。お店を紹介してくれました。貴女の四万十川はどんなでしたか?今日の川は清流ではなく、濁っていましたがゆったりと流れていました。私にとっては一番激しい降りの時でした。この度の楽しみの一つに、田園の周りを彩るまんじゅしゃげの赤を楽しみにしていました。でも見当たりません。愛媛でも咲いていません?因島の方と石鎚山に上られましたか?明日はいよいよ足摺岬です。雨らしいです。

21:16 おちさん  (受)
まんじゅしゃげ愛媛では今咲いていますが、高知は暖かい所なのでもしかしたらもう咲いてしまったかも知れません。どこかで咲いていると良いですね。石鎚にはまだ上っていませんがかならづのぼります。そのときは又お知らせします。私が四万十川を渡った時はとても穏やかで澄んだ川で心地よい風に吹かれた想い出があります。明日は足摺岬、お天気が悪くなければ良いですね。足摺で少し散歩もいいですよ。今歩いている方多いですか?

21:34  かずよ  (受)
お疲れ様です。こっちも本降りになってきました。風が凄くあります。明日も頑張って!!おやすみなさい。


宿を出るときご主人が「此処から3時間ほど行ったところにファミリーレストランがあるから、そこで朝は食べなさい。丁度トイレ・タイムにもいいし…」と言われました。素泊まりで朝食も無かった。

2時間でそのレストランに着きました。雨で急いだ所為でしょう。酷い雨でした。菅笠とポンチョ型合羽で身体はぬれる事はありませんが、杖を握っている手が濡れて冷たかったです。雨は杖が乾いたと感じたら又降ると言うように断続的に強く降りました。

私達が店に居る間にも次々と自家用車でモーニングを食べに来る人が居ました。都会の人は歩いていける範囲でモーニングに行く店を探しますが、田舎の人は店も少なく遠いしマイカーで来るんだな~と思いました。

どういうわけか、トンボが人にくっ付いて店に入ってきますし、ドアの外にも何頭も居ます。昨夜からあまりに雨が強いので、雨宿りに来ているそうですよ。生きているトンボは羽をすぼめて留まっていますが、飛んでいる時のように羽を広げているのは死んでいるんだそうです。地元の方に教えていただきました。「皆死んでしまってるね~」って…。こうして自然の中を歩いていると、自分が自然について如何に無知かを知らされます。


               橋の上から写した 『四万十川』



四万十川の土手まで、田舎道を歩きました。天気が良ければどんなに気持ちの良い道だったかと思いました。叩き付けるような雨に、道は水溜りばかりです。天気であれば土手を下りて川沿いの道を歩きたいのですが、雨が強くて諦めました。

昨夜来の雨のため、水嵩が増し、激しく流れていると想像していましたが、清流四万十川と言う『藍』の顔を見せてはくれませんでしたが、『ミルク掛かった緑色』で、ゆったりと流れておりました。此処に来るまでに見た細い川は雨に押されるように、急いで流れていたのに、四万十川は泰然とその流れを変えていないように見えました。

買い換えたばかりで新品のデジカメ、雨にぬらすのが怖くて、写すのを躊躇っていました。橋を渡り始めますと、何となく薄日が差して来多様な気がしました。私の欲目だろうか? 長い橋を渡り終える少し前、ほんの一瞬ですが雨も止み、薄日が差しました。私は急いで写真を撮りました。3枚写したところで雨が降り始めました。この一瞬がなければ私は四万十川を写せませんでした。もう少し中央に居る時に雨がやんでくれていれば、もっと良い写真が取れたのではないかと、欲が出ます。(今の私なら、少々の雨でもカメラが濡れる事など気にせずに写すだろうと思います。カメラは紙で出来ているのではないのに、如何してそんなに濡れる事を恐れたのでしょう…、無知の成せる技としか言い様がありません)

雨の四万十川に別れを告げ、今夜の宿に急ぎました。だんだんと雨も小降りになり、雨の止んだ草むらからは秋の虫の声が続いていました。

宿は地図と反対側にありました。ご亭主曰く「道筋が変わった」目印にしてきた郵便局が移転していました。これでは歩き遍路は困ります。

部屋に通され窓を開けるとわ~っと言う感じで虫の声が飛び込んできました。その中に鈴虫の声も混じっていて、我家の鈴虫を思い出しました。もう死んでいるだろうと…。

あんなに奇麗な声と言われるのも実は羽を擦り合わせる音なんですよね。「鈴虫が沢山孵ったけど入らない?」と頂いた鈴虫を、孫が欲しいと言うので半分っこしました。メス、オスの区別がわかってから数えますとメス3匹、オス6匹でした。

9月も半ば過ぎて、私は異変に気が付きました。オスの数が減っています。私は下さった方に訊ねました「オスが居なくなったのどうしてかしら?」「そうなるのよ。メスがオスを食べるのよ。その辺に羽が散らばっているから見てご覧、身体は食べられてないはずよ」本当にそうでした。羽の裏に身体はありませんでした。オスは1匹になっていて、メス3匹がオスを狙っています。オスは身の危険を察知しているのか、木の上で動かない。メスは丸々と太っています。友の話は続く「メスも卵を産むと死んでしまうのよ」メスだって子孫を残すのに必死なのだ。「ケースの縁に卵を産み付けるから、見えるはずよ。雨のあたらない所に置いておくと、来年生まれるよ」誰に教えられるわけでもないのに、来年又同じ事が繰り返されるのね。帰宅するとメスはすっかりやせてミイラになっていました。

安宿での同宿の方はご夫婦1組(諏訪市の宮坂さん 今もたまにコメント頂いていましたが、この頃頂かないのですがお元気でしょうね? 年賀の友)、男1人遍路(1人は足摺、金剛福寺よりの帰り)が2組、そして私達の6人でした。

ご亭主は雨に濡れた靴に新聞紙を入れて乾かす方法を皆に伝授(新聞が濡れれば何度でも取り替える)。その上に洗濯機の前で洗い終わるのを待っていて、私達に知らせ次々乾燥させる。実にこまめに動く人です。

お食事は普通でした、思い出そうとしても思い出さないのです。宮坂ご夫妻はアルコール好きでビールとお酒を飲んで、ご飯を食べないのです。体がよく持つものだと思ったのですが、考えてみればお酒だって、お米なんだわと納得しました。

ご亭主が私の靴のはき方を注意してくださった「靴の紐を強く結んではいけない。特に雨の日はね。奥さん(私)の足元を見たとき、これでは足が痛くて、距離が出ないだろうと思った」実際、一日雨の中を歩いて、靴が足を締め付けていたのだと思います。靴擦れがひどくなって泣きたいくらいでした。

「騙されたと思って、明日から3番目の孔から紐を通して、ゆるく結んでご覧。靴の中で足の指が遊んで無いといけない。今度靴を買うときは自分のサイズの一回り大きな男物を買うといいです」私は22.5cmで23.5cmを買っていました。でも同じ23.5cmでも男物は全体的に大きいからだそうです。

翌日から私は教えられた通りにしました。藁おも掴む思いです。出来ていた靴擦れも直りましたし、それ以後、何時も泣かされていた水ぶくれも出来ずに快適に歩けました。今までは紐が緩んできたといってはぎゅっと結びなおしていました。朝は水ぶくれの手当てをして、テーピングをするのに30分ぐらい掛かっていました。この日からその必要が無くなったばかりか、幾ら歩いても足が痛む事はありません。安宿のご主人に感謝感謝です。ご亭主の教え通り、主人も又私と同じく紐を緩めて結ぶ事を始めてから、足にトラブルは起きませんでした。二人でよく「安宿のご亭主に感謝だね」と喜んで話したものです。本当に、この教えが無かったら、88ヵ所歩き通せたかどうか解りません。感謝の遍路旅でした。

            9月27日  民宿・安宿  (3泊目)
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