ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

花の咲いていなかったサボテン

2016年01月22日 | 花物語

     このサボテンは良く見ますよね。下が種から赤ちゃん だんだんサボテンらしくなって~ 





今日は大阪に出たんですけどね。そりゃ~何というか、楽しいような、楽しくな
いような出来事にあってね~、楽しさ、半減というお話は、月曜日にね!

明日、明後日は厳しい寒さになって、関西でも雪が降る、無駄な外出は控えて
というのでね、スーパー開店と同時に、2日分の生鮮食料品と、冷凍食品を少
し、買い込みました。予報が当たりませんように!





遠めに見たとき、蛇がどぐろをまいているみたいだったわ。蛇は大嫌いなんです
けど、何となく心惹かれるサボテンでした。





筒型って言いますかしら、これも「針の長さ」「模様」も違うのですよ。「針の固さ
は?」触ってみたかったのですが「触らないで!」って書いてあったので、我慢
しました。





これは花じゃなくって、ラインだと思うけど…。





黄色いの花じゃないよね。縞々だったり、黄色一色だったりするのかしら?





トゲのないサボテン? 離れた所にあったけど。親戚ってことに。






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花の咲いてたサボテン

2016年01月21日 | 花物語

                「ハクランポウギョク」ですが、肌の模様も形も違うのですね。





今日冷たい日でした。「大寒」だというのも頷けますね。だからスーパー以外は、
家に引っ込んで本を読んでいました。 困ったことに、根をつめると、目がチカ
チカするんです。本が読めなくなったら、私何を楽しみにすればいいのかしら…。
目を大切にしなければね。 


わたし「サボテン」大好きなんです。自分で育てられないから、なおの事ね。







こちらは花が咲くタイプ。でもぴったりと密着して、黄色い花は珍しいのではな
いですか






















丸い形のサボテンは、こんなピンクの小さな花が多いですね。でもよく見ると、
全然違うのですよ。

私のカメラではこれで精一杯。もっと近寄ろうとすると「ダメ=赤マーク」が出る
のです。今日も望遠レンズを構えて写しているおじ様が何人かおられましたが、
望遠の長さ、優に30cmはありましたね。「うらやましい!」と見るのですが、私
にはとてもあの重さを持ち歩けませんよ。何年か前、地に這い蹲るようにして写
していたおじ様がいましてね~、お聞きすると「1cmまで接写できますよ」という
ことでした。何年もまえですからね~、今はもっと良くななっているのでしょうね。

私にはこのデジタルで丁度かもね。これが壊れたらもうこんな小型デジタル(フ
ジフイルム)はもう作ってないのですよ。「キャノン」はまだあるようですが、私は
ず~っとフジカメラなんですよ。何処か壊れたら、会社を変えるか、その時が正
念場かな? フジフイルムは「カメラ」から、「医療の新薬」の研究に移行しつつ
あるようですね。世の流れかな~? そのせいか「株価」も上がっていますよ。 

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珍しい花 (2)

2016年01月20日 | 花物語








今日も冷たかったですね。昨夜、「明日の朝は尼崎も雪やって」「誰が言うたん」
「NHKや」外れましたね。雪が降った気配はありません。「久しぶりに銀世界の
庭が…」何時もと同じ、凍てついた枯れ芝のみ。


上と下、「似て非なるもの」ですね。花の付き方が違いますし、白は全開、柿色
は半開(満開の状態が)です。











「野ブドウ」に似ていますが、違うんですよ。「ニブの木」っていうのです。







「サボテン」の種類なんでしょうか? 砂地に集まった肉厚の葉からスルスルと
伸びて、咲いていました。





茎が真っ赤なのが、目を惹きました。





2種類とも、砂地にしがみつくように咲いているんです。小さな花です。


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珍しい花 (1)

2016年01月19日 | 花物語


今日は凄い風でしたね。4時半ごろ小雪がちらつきました。すぐ止みましたが。



 





花の手毬! 一目ぼれ! 桜ではよく見かけますが、それ以外では初めてです。
それも「紅白」で 「こりゃ~ 春から縁起がいいわい!」歌舞伎調でチョン。

  





「オオオニハス」はアチコチで何度も見ましたが、花を見たのは初めてでした。
全開の花を見たかったですね。





並んだ並んだです。





ここにもまん丸が…。パフのようですね。





「クロユリ」何十年か前、何処の山だったかで、見たことがあります。その写真は
壁に飾ってあり、いつも見ていますが、本物に会うのは、ほんとに久しぶりです。

今日はこのくらいで。
                                (2710回)
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脱原発! 何を信じたらいいの?

2012年04月27日 | 花物語

          「ハナミズキ」    西宮の街路樹     (12-4-27)






唱歌の学校の日でした。今度のクラス別音楽会の服装が決まりました。ボトム
は黒であれば、ロングスカートでもズボンでも自由。上はTシャツで自由です。
私達のクラスは衣装に手間とお金をかけようという人がいないのが助かります。

ただ今度は短いので4曲歌うのですが、暗譜ですって。嫌だな~。何方かが
「頭の体操に、暗譜しましょう」と言われたので決まったのですが、私は歌を無
理やりに覚えるのは好きではありません。歌は純粋に歌う事を楽しみたいので
す。頭の体操は別のことでするからいいのにな~。でも決まったことは仕方が
ありません。しぶしぶ覚える努力をしますけど…。やっぱり気が進まないな~。

「原発」の川柳です。

     まだ懲りて ないのか 原発再稼動

福島の原発事故に懲りてないのかと言う意味ですよね。私は原発再稼動に反
対ではないのです。何か代替が出来るまで、用心を重ねて使っていいと思っ
ているのです。

福井の原発を止めてしまって、節電だ! 時間制限だ!に耐えられないと思う
のです。東京電力、関西電力以外の地方の方は、如何思っていますか? 私
たちは小さな辛抱かもしれませんが、自家発電をもてない中小企業はどうす
ればいいのですか? 如何して生きていくのですか?

福井県の地元の市議さんたちの8割は再稼動やむなしのご意見のようですし、
京都、滋賀、大阪と華々しく「脱原発」を叫んでいますが、地元の意見をマス
コミも取り上げていないとこぼしていましたね。私もそう感じていましたよ。

福井の原発に事故が起きたら、尼崎も、ぎりぎり危険範囲に入るようですが、
その時はその時だと考えています。生まれ持った運命でしょうか?

福島の原発では人間に今のところ直接的な被害者は居られないのでしょう?
強制疎開させられているのですよね。野生化した牛も生きていて、桜も、誰
に見られることなくとも咲いていましたね。影響はなかったようですね。こ
の事実は如何解釈すればいいのでしょうか?

     代替が ないのに皆で 反対ごっこ
 
     原発を 止めて日本は 赤字国


私はむしろ、このお二人に近い考えですね。

     議事録を 残せないほど うろたえる

     はや1年 怒っただけで 逃げた菅


議事録をつけてなかったなんて、考えられませんでした。そんな時間がなか
ったとは言ってほしくありません。書けなくとも録音を取っておけば、落ち着
いてから記事に起こせますよね。色々と議事会を立ち上げたのでしょう? ど
の議会もなし? 思い出して作ったのでしょうか? でも時間がたっての議事
録は真実とはいえないわね。

菅さん、今、審議会かなんかに呼ばれて色々聞かれてるのでしょう?そこでは
どう言ってるのでしょうね。大変な総理の時に事故が起きたものですね。これ
も運命か!


        蕾はこんなにかわいい 変わった開き方をするのですね 初めて見ました


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65歳再雇用の義務化

2011年12月16日 | 花物語

 我家の「もみじ」もひっそりと紅葉しています 名所の紅葉の様に葉の先々まで綺麗ではありませんが


今日は本当に寒かったです。唱歌の学校の最後の日だったので、行こうとし
ていたのですが、どうしても気分が優れず、時間ぎりぎりになって休むことに
しました。そして久しぶりに、撮っていたビデオを見ながら、ゴロゴロしていま
した。

65歳再雇用問題ですが、厚生年金の支給開始年齢の65歳よりの引き上げ
に伴って、考えられたようですが、実際問題としては60歳退職で、65歳の厚
生年金までの5年間無収入と言うのは大半の家庭が困ると思うんです。

だからと言って、すべての会社が65歳定年制を敷いた場合、若者の就職にし
わ寄せが行きませんか?

私達世代が、現役で年金を払い続けていた頃、年金の積立金は十分すぎるく
らいあったんですよね。だから「グリンピア」等の宿泊施設を作って、赤字経
営でも親元である年金から補填していたのでは無いのですか?

積立金を使い果たし、どうにも仕方がなくなってから「グリンピア」等の建物を
二束三文で売り渡し、支払うべき年金資金が無いと言い出して、貰っている
私達に肩身の狭い思いをさせ、その挙句に、「老人一人を、若者?人で支え
なくてはならない」と声高に叫ばれて、身の置きどころのない立場にしたの
は誰ですか?

余分な箱物に積立金を使わずに、地道にお金を運用してさえいれば、厚生
年金の積立金は底を付かずにあったのではないですか? そのことは何方
も言いませんね。失敗してなくなったら「ない袖は振れぬ」と言うことですか。

その当時、湯水の如く、無駄遣いした人は、もうとっくに職を辞しているで
しょうから、現職の方は自分の責任で無いからと言う事で、「無い無い」と
言うのですね。

公務員は年金開始の65歳までの5年間を引き上げたとしても、机に向かっ
ているお仕事ですから、いいでしょう。しかし体を張った仕事の場合、その
間の5年間、体が持たない人もいるでしょう、その人たちにとっては、甚だ
迷惑ではないですか?

65歳再雇用の義務化はもっと考えてからにしないと、益々若者の就職口が
へらされる気がします。 



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笹部新太郎さんと桜

2007年04月18日 | 花物語
              原谷苑
       手前が「御室桜」(白)奥が「紅しだれ」
            上品に紅白競演

桜は何時のころから私の心に入りこんできたのだろうか?「桜が咲いた。綺麗だね」位だった。平安神宮の桜は、谷崎潤一郎の「細雪」の舞台であるから、本からの興味で見に行ったので、桜自身に興味があったわけではない。毎年、市内の桜で満足していたし、遠出と言っても夙川の桜で満足だった。

水上勉の小説「桜守」のモデルといわれる笹部新太郎氏は大学時代から桜に興味を持ち「桜の神様」と言われる人になった。研究の拠点は、兵庫県宝塚市、現JR武田尾駅付近の亦楽山荘(えきらくさんそうの名は漢詞から名づけた)だった。山荘といっても建物ではなく桜の演習林のことである。此処は笹部氏が桜の品種保存や接木の研究用に作ったものだ。

笹部氏は「ソメイヨシノ」を余り好まなかった。「染井吉野」は「吉野桜」を東京染井の植木屋さんが売り出し、成長が早く丈夫な為たちまち全国に広がり、「山桜」「里桜」が廃れていった。それを心配した笹部氏が「山、里桜」の保存に心血を注いだ理由である。

笹部氏を有名にしたのは、何といっても、御母衣ダムの底に沈む予定の樹齢400年と言う桜の老木の移植である。笹部氏は依頼を受けて、現地調査に行きもう一本の老木を見つける。誰もが無理だといった桜の移植を成功させた。桜1本は42トン、もう1本は38トン、一ヶ月掛けて、一本の枝も折らない様に(桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿)と移植した。移植は成功し「荘川桜」として、翌年から、今尚,美しい花を咲かせている。昭和35年、笹部氏73歳の時である。御母衣ダムの側は何度か通ったことがあり、老木を目にした事があるが、花の時期に行ったことは無い。

笹部氏の手に掛かった桜は「造幣局の通り抜けの桜」「夙川の桜」「仁和寺の御室桜」等有名な桜もそうである。2,3日前に新聞報道があったが、「仁和寺の御室の桜」が背が低いのは「何故か?」と言う研究がされるそうです。

山、里桜が30種5000本の植わった亦楽山荘は笹部氏の死後荒れたらしい。今は宝塚市の所有で「桜公園」と名づけられ、現在は「桜守の会」が月二回の手入れをしている。

西宮権現平桜は本家は居ないが笹部氏が残した苗から、西宮植物生産研究センターなどの尽力により、戦時中に伐採された、途絶えた桜がバイオ技術で甦ったのである。「この桜こそ今日の日本の桜の品種改良の基盤となる」と笹部氏は言っている。今この桜は、夙川、甲山付近にもあるそうだ。西宮市の至るところに植えられていると言う。8年間も西宮に通いながら知らなかった。桜は西宮は夙川などに固まっていると思っていたが、「至るところにある」と言う事は私の思い違いを意味するのだろうか。

カスミサクラとオオシマサクラなどの里サクラの交配種が「笹部桜」である。
「笹部桜」は皇居吹上御所の内庭に5本あるそうだ。宮内庁は皇族への献上品は大抵断るのであるが、植物に関心の深い昭和天皇が何かの本で「笹部桜のことを知っておられて「笹部が作った桜なら貰っておこう」と言う事で受け取られたそうだ。

亦楽山荘は「山荘めぐり」と名づけ1.1キロ自然種の山桜ガ続いている。此処も又行ってみたいと思っていた所だ。兵庫県は我が県であるし、近いのだから行き易いだろう。

原谷苑の散策中、フッと亦楽山荘のことを思い出したのである桜の種類は違っても、この様に自然林の様かな~って。来年の一押しはここかな~。


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楢山節考

2006年09月17日 | 花物語
          八重咲きのマリーゴールド
             華やかですね
       華やかなのに虫が寄り付かないそうです

深沢七郎さんの「姥捨て」のお話。忘れられかけていた民間伝承(民衆の日常生活の中で古くから受け継がれて来た知識・技術・習俗『習慣となった慣わし』など)
の「姥捨て伝承」に材を取った小説。昭和32年の事です。大阪にタバコの自動販売機がお目見えした年でもあった。

25年後に(実はこれが2度目)映画化もされた。歌手の坂本スミ子さんが老婆おりんに扮して居た。彼女は私と同世代ですから当時は40代。どんなにシワを描いた所で70歳に見えるはずが無い。其処で彼女は歯を抜いた。歯を抜くと口がすぼまり梅干ばあさんの口元になる。芸熱心とは言え私は吃驚してよく覚えている。後には三国連太郎さんも老人役の為歯を抜かれたと思う。

先日歌番組で坂本スミ子さんをチラッと拝見、お元気なんだな~と思いました。彼女の姑さんが九州で幼稚園を経営していて、後には幼稚園を継ぐと言う事で忙しい芸能活動の合間に幼稚園教諭の免許状を取られたと記憶している。だから今は園長さんかな~と思った。

映画は今村昌平監督、坂本スミ子、緒方拳。この年(1983年)の第36回カンヌ国際映画パルムドール賞を受賞した。話が話ですから暗~い画面。

私は映画になったのはこれが初めてだと思っていたが本の出た翌年1958年に木下恵介監督、田中絹代、高橋貞三で映画化されていた。いまだに本も売れ、DVDにもなっている。DVDはこの第一回の木下恵介作品の方らしい。

著者の深沢さん:昭和33年頃、東京有楽町にあった日劇ミュージックホールのギター奏者だったのも話題を呼び、ベストセラーになった。後に「夢屋」という今川焼き屋を開いたと言う、なんとも早、変化に飛んだ人生を送った方である。

本文:中心になる筋は、老女おりんは間もなく70歳になる。楢山まいりをする年齢。山行きを拒もうとする老人も居るが、おりんは進んで行きたがる。前夜、親を山に連れて行った経験者に集まってもらい、行き方を教わる。「振り返ってはいけない」が掟。倅は禁を破って、おりんの元に駆け戻るが構うなと諌められる。

当時の平均寿命は何歳だったのか。50歳位として、20年プラス、今の男女平均が約80歳として20歳プラスして100歳。

現代は元気な100歳と言えば羨ましがられ、あやかりたいと言われる身分。何とありがたい世の中になったものだろう。

でもこんなに税金、介護保険等が上り、預金の利子は無きが如しと、生活が圧迫されれば、首の縄が徐々に絞められている状態かもしれない。介護保険も必要な時に必ずお世話になれるという補償があれば辛抱できる。でも査定に通らなければ受けられないとなれば、掛け損になる様な気がして気分良く払えない。と言っても年金からさっさと天引きして選択の余地が無い。これって政府は国民のお金で福祉事業を起した事ではない?他人のふんどしで相撲を取っているのに近くない?皆が喜んで掛けるようなシステムを考えて頂けないかしら?

明日は敬老の日。2001年の祝日法改正(ハッピーマンディ制度)により、それまで9月15日だったのが、2003年から移動祝日となった。呼び名も一時は「老人の日」だったのにいつの間にか又元通り「敬老の日」となった。どうしてこんなに何でも変えるの?「新しいのが良い事だ」と言わんばかりに!」これ年寄りの僻み?






























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蕎麦とうどん

2006年05月26日 | 花物語
             西洋オダマキ
        去年まで1~2輪寂しく咲いていた
      今年は子・孫・ひこ孫引き連れてと言う感じ
          ツートンカラーが色鮮やか

昨日の「蕎麦」に「竜馬さん」がコメントを下さった。「忘れられない蕎麦は「木曽福島のくるまやさん」と書いてあった。そこは私がどうしても思い出せなかった「美味しい蕎麦」の一軒であると。早速写真を探した。在りましたよ「くるまや」さんの前で写している写真が。平成4年7月に御嶽山に登った帰りに寄ったのだ。丁度祭りの日で「くるまや」さんに居る時に前を神輿や山車が通りかかり、食べかけの「蕎麦」を中断して行列を見に飛び出したのだ。

御嶽山は7月と言えども根雪が残っていた。私達は朝日村から登った。その宿舎が改装が終わったばかりで「開けるのは明日からの予定だったのですが、お客様の為に今日から開ける事にしました。桧風呂もまっさらです。良い匂いですよ。ゆっくり楽しんでください」明日からの予定だと言うのでお客さんは私達だけだったような記憶がある。お風呂は大きかった。「桧のさら風呂なんてこれからも経験できないで。ラッキーや」その後も桧風呂に入ればこの日の事を思い出す。

帰りは木曽福島(わざわざ「蕎麦」を食べに寄り道)から妻籠に泊まり帰宅した。妻籠の宿は昔ながらの木造でクーラーは無かった。トイレもポットン式だった。宿の亭主が「今度来られる時はトイレだけは水洗になっていますよ。県からの要請なんです」冷房の無い蒸し暑い部屋、前の廊下を隔てた池の鯉が時々跳ねる音を聞きながら眠りについた。あれから14年の月日が流れたとは・・・

「蕎麦」と言えば「出雲蕎麦」も有名。出雲に旅した時、初めて目にした「出雲蕎麦」の看板に引かれてその店に入った。美味しい「蕎麦」が出てくると信じて疑わなかった。所が、調理場に目をやると所謂「茹で玉」を茹でようとしていた。勿論美味しいはずがない。不味い!私は出雲に行けば何処で食べても「美味しい出雲蕎麦」が出てくると思っていた。何たる事ぞ!自分の思い違いに臍を噛む。若き日の失敗談だ。

私はどちらかと言うと「うどん」が好き。主人は「蕎麦党」何処の地方だったか何時も通り主人は蕎麦、私はうどんを頼み、あと「いなりずし」を頼んだつもりだった。所が出てきたのは「ざる蕎麦」「天麩羅うどん」「きつねうどん」だ「お稲荷さんを頼んだんですけど」と驚いて言う私。その地方では「きつねうどん」を「いなり」と言うらしいのだ。言葉の違いを解ってくれて「きつねうどん」は引き取ってくれたが、では「おいなりさん」は何と言ったのだろう?「いなりずし」がちゃんと出てきた。それと「ざる蕎麦」に「海苔」が載っていない、他人の注文を聞いていると「のり付き」って頼んでいたようだ。今の「トッピング」感覚かな?所変われば品かわるの経験談。

「うどん」と言えば四国で「ぶっかけうどん」を始めて食べた。これも遍路中の「うどん」の話だが、道後温泉を過ぎた辺り、良さそうな気のする店の前で「食べようか」と言う事になり入った。うなぎの寝床の様な小さなお店だったが、私達の感が当たったらしくお客さんもいっぱいだった。順番まで少し時間が掛かると言う、私達の席に相客を入れる事無くゆっくりさせてくれた。「うどん」は勿論美味しかった。その上「お遍路さんにはお接待です、半額です」ありがたかったが、本当は天麩羅うどんを食べたかったのに我慢したのを後悔したと言う、いじましいお話。

遍路のうどん第3弾 栗林公園辺りで「うどん」を食べようと言う事になり、子供ずれの若いパパに「この辺りに美味しいうどんや在りませんか?」と聞くと暫く考えていて「あるのですが、今日は日曜日で休みなんです。栗林公園の前にうどん屋はあるのですが団体が多いから味はどうだろう」の答え。仕方が無いので公園前まで行った。なるほど団体さん向きのお店があった、しかし目を前方に向けるとこじんまりした「うどんやさん」が見えた。私達はそちらに入った。小さな店で外人さんが多かった。聞くとハワイの二世のツアーグループだという。外人さんにも「うどん」の美味しさ解ったのだろうか?

元町のおじさんが言っていた「かけうどんを食べたら本当に美味しい蕎麦かどうか解る。通の人はかけをたのむ」って。でもいまどき「かけそば」と言うメニューありませんよね。それでは「ぶっかけうどん」にお醤油だけ掛ければ「うどん」の良し悪し解るんだろうな~






































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JR福知山線脱線事故

2006年04月25日 | 花物語
              宝  塚

一年が過ぎました。去年の今日の朝食を人生最後の食卓と一瞬でも思われただろうか?そんな事ありえませんよね。青年の狂った頭と心の運転によって多くの尊い命が奪われた。貴女の命もその犠牲になられた。神様は何ゆえこんなむごい運命を貴女に与えられたのだろう。

貴女と私がお会いした同じ時刻の快速電車は春休みの為だと思いますが、事故当日程、車内は込んでいなかった。私はあの時間に伊丹から乗りました。一つ空いていた座席に座り車内を見ると赤のブレザーが目に付きました。目を留めたその先に貴女の笑顔がありました。私も笑顔で目礼をしました。あなたはご主人様でしょうお隣の方に盛んに話しかけておられました。尼崎でお辞儀だけのご挨拶をして私は下車しました。事故当日も貴女は何時もの通り、何時もの時間に何も考えず乗り込まれたのでしょう。数分後に大惨事に巻き込まれるとは露知らずに・・・  

所属していた会では貴女は大先輩でした。クラブも違いましたが、その年は貴女のお仕事を手伝う事になりました。実際には貴女が全てをなさり私は名古屋であった日本大会の1日目に貴女の代理として出席しただけでした。「ごめんなさいね。貴女に何も相談せず、一人で予算を立ててしまって・・・」と気遣ってくださる優しい貴女でした。一年後お仕事が終わり、私は貴女にお礼のお葉書を出しました。この「宝塚」の写真を使って。貴女はとても喜んでくださって「私は字は打てるけれど、こんな綺麗な葉書は作れないのよ。機会があれば教えて欲しいわ」って。その後、会でお会いした時は大勢の人の中から私を見つけて声を掛けてくださいましたね。「宝塚元気にしていますか?」って。花は元気にしておりますよ。今年もようやく新芽が開き、まもなく花を咲かせますよ。「宝塚」を見るたびに貴女の笑顔を思い出します。ご冥福をお祈りいたします。

            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

貴女にこの「宝塚」を頂いて早4,5年になりましょうか?いくこさんと二人に頂きましたね。余り丈を高くしたくないので切り詰めますが、幹の太さは頂いたときは1㎝ほどでしたが、今は3㎝ほどに太く花数も年々増えていますよ。その貴女が去年の9月脳血栓の二度目の発作で倒れました。目の前で起きたことなのに今だ信じたくない気持ちです。一度目の時も、その後、足を怪我された時も、私はお見舞いの葉書を(自分の作品を使ったもの)出し続けましたね。「私が元気になったからだと解っているのですが、貴女からのお葉書が来ないのがさみしい」とメールくださいましたね。「嬉しかったよ」と言う貴女の言葉を信じて、この度もリハビリ中は楽しいお葉書で貴女を励ますつもりで居りました。だのに、だのに、貴女はまだ眠り続けたまま・・・ 7ヶ月が過ぎようとしています。

私の「宝塚」は常識的には不吉な花の位置にいる。しかしそれ故に私はこの花が尚愛おしい。花を見てそれぞれの人との思い出を大切にしたいと思っている。




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