ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

遍路 (63回)

2009年10月31日 | 思い出話
                 平成15年3月14日(金)
               第60番札所 横峰寺 
  

        距離:27K  栄屋旅館 ~ 横峰寺 ~ 香園寺 ~ 宝寿寺


3月14日10:14  こばやしさん (受)
お早うございます。昨日はお疲れ様でした。疲れすぎて眠れなかったのではないでしょうか。
計画通りに行かないのも、お大師さんの筋書き通りだったりして、又ゆっくり楽しみに来て欲し
いのかもしれません。が、やっぱりがっかりですよね。元気を出して又頑張ってください。足大
丈夫ですか。

11:45  ふじいさん  (送)
横峰山頂で~す。今回のハイライトで~す。雪が残っています。

11:47  こばやしさん(送)
先ほど横峰山着きました。

18:48  ひろあき  (送)
石鎚山雪で登れません。明日から雨なので帰ります。鍵外しておいてください。

21:00  うえきさん  (送)
メール有難うございました。今夜のフェリーで帰ります。

21:04  かずよ(送)
今日は良いお天気でしたか?メール有難う。今、今治港です。

21:06  かずよ  (受)
本当に良いお天気でした。無事卒園式も終わり、天気に恵まれて何よりでした。

21:09  ふじいさん  (送)
メール有難うございました。今夜帰ります。又ね。

21:13  ふじいさん  (受)
お疲れ様、帰ったらごゆっくりお疲れを癒してくださいな。又ゆっくりお話しできる時間を
ください。おやすみなさい。

21:15  かわしまさん  (送)
石鎚山雪はクロウズです。今日帰ります。メール有難うございました。

21:24  こばやしさん  (送)
今、今治港に居ます。雨が降り出しました。帰る事にして正解のようです。又帰りまして
から、ご参考までのメールいたします。何度もメールにご協力有難うございました。

21:44  かわしまさん  (受)
わ~何と日々の雑用やあれこれと流されていましたらあっという間に…今年第一回めの
お遍路さん無事終えられてのご帰宅お待ちしております。



私達が朝食に行った時は、2人連れも女の人も、もうご飯を済ませておられ
た。6時45分の出発しました。いよいよ「横峰山」此処が天気になるように
プランを立ててきました。幸いな事に今回は一度も雨に降られていません。

宿のご主人に曲がり角さえ間違わなければ一本道と言う道を教えていただ
きました。石鎚橋を渡りだんだん山に入っていきます。飲料水を造っている
大きな工場がありました。道路を隔てた空き地に車を止めて女の方が降り
てこられて、手には缶コーヒを持っていました。私に近づいてこられた。「私
はこの工場で働いているものです。お接待させてください。前を行くのはお
連れさんでしょう?上げてください」と2本の缶コーヒをくださいました。

そしてこう言われました「此処から頂上まで6Kお便所がありません。男の人
は良いけれど女はね~。使っていきませんか?水洗ですからきれいですよ。
お連れさんと離れても一本道ですから大丈夫ですよ」主人が前を行っている
のをご存知で、私がはぐれないかと心配していると思って「一本道」だからと
安心させてくださったようです。お言葉に甘えて、トイレを使わせていただき
ました。少し急ぎましたら追いつきました。歩いて暑くなったので一枚脱いで
いますと男性遍路さんも追いついてこられました。

暫く行くと女遍路さんが休んでいました。今此処に居るという事は、同じ宿の
人に違いない。「ビジネスハウス国安」からだと到底、今、此処に居るはずが
無い。でも???です。昨夜は70代の背中を丸めた人は居たけれど、こん
な50代の人居なかった。???「あの人昨日一緒だった人?」と主人に思
わず聞きました。「そうや、吃驚したわ!! 女は化け物やな~!!」と主人。
そこに居る人は昨夜の年寄りではない。如何見ても50代の女性です。20歳
のギャップ!どう説明すれば良い? 「化粧」と言う字をなるほどと納得しまし
た。

よく女優さんでスッピンだとその人と解らない人が居ると聞いていましたが、そ
んな大げさな!と信じていませんでした。でも今日からは信じます。本当にお
化粧は化けるんです。きっちりと白く塗り眉を描き、目にラインを入れ、唇を鮮
やかに赤く塗り… 70代が50代に化けたんです。白衣に身を固め、手甲脚
絆に、菅笠を被り、金剛杖を持って立つこの人は、お人形の様に奇麗でした。

彼女は2度目だそうです。一度目は彼女の写真を撮る為に、ご主人が付いて
こられたそうです。(さもありなん! この美しさです)でももう一度で良いと今
回は1人だそうです。26日ごろ結願して、東京に帰られるそうです。心臓に病
を持っておられるという事でした。

「四国の道休憩所」に着きました。其処のテーブルの上には沢山のキーウイ
がビニールに入って置いてありました。この2.3日寒いといっても、テーブル
に日がまともに当たる事もあったのでしょう、勿体無いのですが、大半がジュ
クジュクに熟れていました。比較的固そうなのを2個頂いていく事にしました。

いよいよ横峰山へ…。始から急な階段でした。「国分寺」で出会った男遍路さ
んが言っておられた。「横峰寺は前山がありません。だからたった2Kだけれ
ど登りだけなんです。その代わり下りは前山があるので登り下りがあって楽で
すよ」言われたとおりでした。急勾配が始から終わりまで登り1本でした。

始こそ、水の流れる音が聞こえて居ましたが、ある程度登ると音が一切無くな
ってしまいました。シ~ンと静まり返った山は私1人しか居ない感じでした。私
は何度も考えました。私の前には主人、元警官の遍路さん、私を追い抜いてい
った老人と若者、私の後には化粧美人の女遍路さん、5人は(私を含めて6人)
前後して登っているはず。でもその気配は全く無く、静まり返って居ます。生
き物の気配なしです。私は喘ぎ喘ぎ登りました。登り始めて1時間半でやっと
山門に着きました。主人は20分前に着いていたそうです。

第60番札所 横峰寺の山門を入りますと納経所がありました。本堂、大師堂
はもう少し上なので、拝む前に納経を済ませても良い事になっていると、納経所
の前で足の豆の手入れをしていた元警官遍路さんが教えてくれました。寒い時
期は此処納経所で「甘酒」のお接待があるそうですが、「車ですか?歩きです
か?」と訊ねられましたが、今日は「甘酒」は無いようでした。




        横峰寺の山門  正攻法で登るとこの仁王門に至る

                右に大きな草履が見えています


           横峰寺本堂前  元警官遍路さんとお互いに写しあう


                  横峰寺 大師堂

               61番 香園寺に下る道より本堂を望む





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初めての狂言舞台

2009年10月30日 | 一寸そこまで
                JRさくら夙川   (09-3-31)
  


昨日の録画の「不毛地帯」を見ながら思ったんですけど、今、山崎豊子さん
の作品が重なっていますね。映画では「沈まぬ太陽」、テレビ「不毛地帯」、書
籍「運命の人」。

こんなに重なる事ってあります?私は覚えが無いのですが…。私は山崎豊子
さんの作品のファンですから「運命の人」4冊も買いました。図書館の本の間
が開いた時に読もうと思っています。

先日眼鏡を新しくしたんですけれど、借りていた本の活字が又小さくて、とて
も読めなくて返してしまったんです。今借りている本も今では普通なんですが、
やはり小さい。だから長時間読んでいられない。本の好きな私としては、本当
に情けない思いです。

山崎豊子さんの始めてのエッセイ・対談集で「山崎豊子自作を語る」全3巻で
出るんですって、早くはっきり見えるようにしないとイライラが募りそうです。

先日たまちゃんと会った時「貴女目は悪くないの? 眼鏡掛けてないし…」と
聞くと「そんな事無いよ、眼鏡持ってる…」手取り出したのが、100均の百円
の眼鏡なんです「眼鏡はよく失くなるから、5つばかり買ってアチコチ置いてる」
って言うのです。「眼鏡は置き忘れる事はあっても失くす事はないでしょう」っ
て言ったんです。

でも一応貸してもらって、掛け比べてみたんです。驚いた事に、安物とはいえ、
?万円した眼鏡と100円の眼鏡と同じぐらい見えるんです。ショックでした。で
も何故100円の眼鏡がこんなに良く見えるのでしょう? 私考えたんですけど、
もしかして、100円の眼鏡のレンズって虫眼鏡(拡大鏡)ではないでしょうか?
誰にでも使えるのですからね。それしか考えられないんです。だから一寸書類
を見たり書いたりには良いかも知れないけれど、小説を読むのにはむかない
のじゃないかしら? デモね、今度100均に行ったら一つ買っておこうかと考
えています。


  

お誘いを受けて友人4人と大阪の大槻能楽堂に「忠三郎狂言会」に行って
来ました。友達の大学時代の友人の関係で、座席は「う13番」と言うとて
も見やすいお席でした。

能舞台は何度か見ましたが、狂言は初めてです。衣装は能と比べれば質素、
と言うか地味ですし、台詞は普通の言葉に近いので理解し易いです。同じ言
葉を2度言う、重ね言葉が多いです。そして寸劇といいますか、全体的に短
いです。

どのぐらいのお席があるのかは知りませんが、ほぼ満席でした。地味な舞台
ですが、ファンは多いのでしょうね。初めて実物を見た狂言ですが、解り易く
て面白かったです。









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「友愛」と言う前に…

2009年10月29日 | 気にかかる
           ペンタス   (尼崎の街角で 09-10-20)




3日遅れで『花いっぱいの会」からの苗と球根、我家にあった球根の植え付 
けをしました。今まで知らなかった花は植える段になって、ハタと手が止まり
ました。成長した姿がイメージできないからです。イメージが出来ないとどの
くらいの鉢に植えて良いのかが決まらないからです。「昨日の間に調べてお
けばよかった」と後悔したのですが、今中止すると又日延べになります。仕
方が無いので球根の大きさで鉢の大きさを決めました。上手くいっています
ようにと祈りながら…。


2.3日前主人が言い出したんです。「自衛隊な~、チャチやったな~、アレ
でワシ等守ってもらえるのかいな~」「ほんとやな~、私もそう思ったわ」
「そうか、そう思ったか?」「国防と言うより、災害救助が精一杯って気がし
たわ」

近年国防費は年々減っていると聞いていました。だから私は十分な用意が
出来たんだと思っていたんです。守ってもらえる、と言う安心を確かめにい
ったんです。そして「ええ?! こんなもん?」と思ったんです。

伊丹駐屯地は日本を5つだったかに分けて、その内の関西の要の部隊なん
ですよ。それであの程度なんです。参下の部隊はどんなものでしょうか…、
思いやられます。

観閲行進を見たときも、兵隊さんじゃなかった隊員の行進も揃ってはいたん
ですが、テレビで見る他国の行進とは見劣りするしね。

あの服ね~、迷彩服言うのですか?あれもなんだかね~安っぽくてね。アメ
リカさんの真似なんでしょう? ジャングルで土や木に同化するように考えら
れたんでしょう? 日本にそんな土地ある? 働き易いのかしらね~?


大砲やロケット弾?あれもね~、なんだかアメリカさんの物と比べたら本物と
オモチャとの差があるように思うんだけど…、アメリカさんのも実際見たらあ
んなもんなのかしら?違うと思うのよ、本物の重みと言うか重厚さが違う気が
するのよ。

主人も言うのよ「あんな狭いところで何の練習してるのかな~、富士の裾野ぐ
らいあれば出来るけど…」って「富士の裾野に練習に行ってるのかね~?」

普天間基地の滑走路の件だけど、あるブログを読んでいると「アメリカはヘリ
ポートが欲しい」って言っただけなのに日本政府が「じゃ~滑走路を作りまし
ょう」って言ったって書いてあったんです。それが本当なら、今のように問題
は起きなかったんじゃない? 

勿論、沖縄から基地を無くしたいと思っている人もいるでしょうが、基地で食
べている人もいるでしょう? 太極拳を習っている時の友人は、沖縄の人で、
自分の土地を基地に接収されているんだけれど、返して欲しくない、今のまま
で借地料をアメリカからもらった方が良い」って言った人も居たわ。この言葉
に私は驚いたのよ。「借地料ってアメリカが払っているんじゃないのよ。日本
政府が払っているので、即ち税金なのよ」って言ったら、今度は彼女が驚いた
わ「アメリカが呉れてると思ってた」って。同じ沖縄の人でもこんな人もいるん
です。

「思いやり予算」とかアメリカさんに至れり尽くせりする前にもう少し自衛隊に廻
して欲しい。年々防衛費が加算されると言われていた頃は「そんなのもったい
ない!」と思っていたけど、実際に見に行って御覧なさい、「こんな事で良いの?
如何にかしなくって良いの?」ってシュンとなるから。

「友愛」と言うなら、もっと自衛をきちんとしてからでないと、対等には見てもら
えないし、その結果、国境を守る事も出来なくなるような気がして、とても心配
です。



            イレシネ・リンデニー  (尼崎の街角で 09-10-20)  

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一年後のお約束

2009年10月28日 | 一寸そこまで
        今年の 「コスモス」 は野に咲くものではありません
       神戸・さんちかに活けられていたものです (09-10-16)





朝6時ゴミを出しに出ました。ブロック塀に掛けたオリズルランに枯葉が目立
つので、それを取っておりました。

後から「お早うございます。朝早いのですね」の声に振り向きますと、ホームド
クターの朝のお散歩です。何時だったかにも先生ご一行様の件を書きました
が、順序が違っておりました。

先頭の大きな犬(大きいけれど、大人しそう)の手綱を引いているのは若先生、
後に続く先生は手ぶらでした。先生も80を過ぎておられますから、犬に引っ張
られてこけでもしたら大変ですものね。

以前は犬を引いた先生、その後を台車(男の子が乗っていました)を引いた若
先生と言う順番でしたが、男の子は居なくて、親子二人と犬に代わっておりま
した。

病院での診療も若先生に代わっております。先生も一応はお隣の部屋に居ら
れるようですが、たまに診られるだけのようです。たとえ代替わりしても、元気
で居てくださるだけで、心丈夫な私です。



今日は神戸に行く日でした。千葉からうえださんが来神されるのでミニクラス
会、それに合わせて、来年の同期会が私達のクラスの担当ですので、その打
ち合わせも兼ておりました。その集まりの時間が12時でしたので、折角会う
のだから、二人のお話タイムを持とうよとたまちゃんと11時に待ち合わせま
した。

門を出たとたん「アレ!」カラスがゴミの袋を突いて、ゴミが散乱しているの
です。仕方が無いので、掃除をして袋に入れなおしているうちに5分遅れて
しまいました。

たまちゃんが「今日はしんどいねん」と言うので、それならどこかで座ろうか
と言う事になり、何時ものサテンに行きました。話に夢中になって、気が付
いてみれば12時5分前です。慌てて待ち合わせ場所に向かいました。皆さ
んお揃いでした。悪い事をしてしまいました。

丁度お昼時で9人が一緒に座るお店がありませんでした。ふじわらさんが、
一度行った「お好み焼き」のある通りの店が何時もすいていると言うので
行きました。

本当に空いていました。皆さん「お好み焼き」が好きと言う事で入りました。
このうちの4人は以前にも此処に入った事があります。

しかし「お好み焼き」は焼く人によって違うのですね。お味は美味しかった
のですが、なんだかぺしゃんこで硬かったように思いました。「お好み焼き」
大好きな私としましては、見た目ももう少しふっくら感が欲しかったですね。

前回の幹事さんと引継ぎをするつもりでしたのに、その方が、お勉強で中国
に行っていて2月まで帰らないという事で、全てを決める事は出来ませんで
した。

大半の人が進学した高校の同期会が4月にあるので、それに重ならないよ
うにとご注意を受けていました。

そこで何と私達の同期会は2010年10月17日(日)昼と言う事に決まりま
した。「ひえ~! 来年の10月17日といえば、354日後だよ! 元気でい
る?…」恐ろしいような遠いお約束が出来てしまいました。

河岸を変えて、今度はサテンに、そこで又話を煮詰めようとしますが、引継
ぎが済んでいない為、中々はっきりとは決められません。彼が中国から帰っ
てこられて、引き継いだ時にもう一度集まろうという事で別れました。

私にすれば、生まれて始めての、そしてきっと最後であろう「遠いお約束」を
しました。でも元気で居れば、又アッと言う間にその日は来るのでしょうね。



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皆がいづれ通る道の『川柳』

2009年10月27日 | 雑誌から
       シュウメイギク  庭の片隅をパステルカラーで彩っております




今日は暑いような寒いような変なお天気でした。曇りの様な晴れの様な、
これぞ秋の空?…

久し振りに『川柳』と行きますか…。

          古希迎え背中だけでもシャンとさせ

年を重ねるとね、何となく皆さん背中がま~るくなるんですよ。腹筋も開放し
て緩々にしているからだと思うんです。実に楽なんです。私も時々ハッと気が
付く事が在ります。そして町を歩いている時ですとウインドウに姿を映して、
グ~ッと腹筋に力を入れますと、シャンとなるんです。

まだこの程度の頃は良いのです。骨が曲がってしまいますと、固定されてもと
のように伸びる事はありません。姿勢は年齢には関係ないようですね。自覚す
るかしないかで大きな差が出るようです。

          寝たきりにならぬぞ今日も1万歩

1万歩と簡単に言いますけれど、中々の距離ですよ。私もなるべく歩くように
心掛けては居ますが、お買い物に行くだけで、普通に家で生活するだけでした
ら、1万歩には程遠いです。お出かけすると1万歩は軽~く越えますが、疲れ
が残ります。

1日1万歩と言うのは、60歳代までの人を対象にした数値だと思うのですよ。
70代になりますと、一寸無理ですね。毎日1万歩も歩きますと、何処かに無
理が生じます。無理が生じないまでも、疲れが溜まります。時には超人的な方
も居られますが、普通人はコツコツとその人なりの距離を毎日続けることだと
思います。

          パスポート捨てて日本の四季に酔う

パスポートの期限が切れてもう随分になります。外国に行きたくないわけで
はないのですが、外国旅行ともなれば長期間になりますし、その間の健康に
自信ももてなくなりましたね。

国内旅行でも2~3泊と言うのが良いようです。国内旅行は数え切れないく
らい行って居ますが、まだまだいけていないところはありますし、一度行った
所でも季節を変えて行きたい思いますと無限にあります。

はっきりとした四季のある日本は良いですね。ただ昔素朴だった所が、観光
化されてガッカリと言う事もありますけど…。でも出来るなら個人旅行が良い
ですよ。一寸下調べ、切符の手配等大変かもしれませんが、それも旅の楽し
みの内ですよ。

          医療保険無駄でも元気だけ取り柄

60代後半までは本当にそのように思っていました。今は血圧や歯の検診で
お世話になっていますから、ありがたいと思っています。もう少しすると足腰
の故障で整形のお世話になるかもしれません。今は「介護保険が高いな~、
もったいないな~」と思っています。介護保険だけは「掛け捨てでもったいな
いな~」と何時までも思いたいですね。

          実力者努力隠して運という

今までと一寸毛色が違います。この句の通りの方にお目にかかりますと、こ
ちらまで優しい気持ちになれます。一寸した成功を自慢する人には、こちら
は苦々しい気分になります。

同期会で感じるのは、皆定年を迎えています。お商売の人は今でも現役な
んですね。それを「仕事があって忙しい忙しい」と言うのは、聞いている方が
嫌~な気持ちです。女の私は良いのですが、同じ男性としては傷付く人もあ
るのです。その心使いの出来ない人は大人気ないな~と思います。

今日の「句」はなんだか爺むさいですか? それもそのはず、JRの「ジバ
ング」の会誌から抜き出したんです。みんなが通る道、そう思ってね…。

              元から居た「白」が今年はこの1輪だけ  
         来年は天敵の主人の魔の手からガードしてやらなければ…


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尼崎・花いっぱいの会

2009年10月26日 | 一寸そこまで
         伊丹自衛隊駐屯地の満開の金木犀  (09-10-18)



         それに引き換え我家の金木犀は数箇所にチラチラ咲き
         それもそのはず 花芽のついた枝を茂りすぎているからと
           この家の主にバッサリと刈り取られた結果です
               あ~あ無残!  (09-10-20)





尼崎の花いっぱいの会は町の花壇を花いっぱいにするお手伝いの勤労奉仕
をする会ではありません。此処は花の育て方を教えていただいたり、苗や球
根を頂いて、我家の庭や玄関前を花で飾って町を花いっぱいにしようと言う
会なんです。奉仕活動をするグループは又別にあります。私が通っている尼
崎スポーツセンター・ウッディの美しい花々はこの方達のご奉仕で成り立っ
ています。

今日のお勉強の会のお話は「パンジーとビオラ」を使っての花壇造りのお話
しでした。暖色系、寒色系、同色の濃淡を使ったボーダー系などです。冬の
花壇は暖色系の赤、黄色を使って作ると温かい感じを受け、夏は寒色のブ
ルー、白などを使うと涼しげに見えるというお話しでした。

花つくりに王道や天才?はなく、基本に忠実に作れば。花は咲くというので
す。「皆さんは良く『花が枯れました』と言われますが、花が枯れたのでは
なく皆さんが花を枯らしたのです。花は自然に自力で咲きたがっているのに、
皆さんが世話を焼きすぎて腐らせるのです。『要らぬ親切大きなお世話』で
す」なるほどウンウンと聞いておりました。

今日は本当に沢山の苗と球根を頂きました。苗はパンジーの5色です。別に
3色200円の販売もありましたので、それを買いましたから、来春には8色の
パンジーが咲き揃う手立てになっております。明日早速植えつけたいな~と
思っております。

球根が7種類です。私の知らない花が2種類混じっておりました。それらの植
え付け場所、花後の処理などの説明を受けました。

その中に「ユリ」もありました。「ユリ」は日向に咲くものと思っていましたが、下
向きに咲く種類は日陰が好きだそうですよ。又地植えの時は植えっぱなしでい
いそうですが、その時は必ず根元に盛り土をしてやるそうです。

先日我家の百合を植えなおしたのですが、又野良猫に堀上げられてガッカリ
していたところです。来年からはしっかり盛り土をしてやりますよ。

白と青のシラーがありました。我家にはいっささんが送ってくださった球根が
あります。2球送っていただいたのですが其々元気に、今年は其々が、地下
で分球しているのでしょうか葉茎が4~5本上っています。もう何年になるで
しょうか、一度も花が咲きません。

今日解りました。「此花はとても肥料食い」だそうです。私は花が咲かない
ので、植え付け時しか肥料をやっていなかったのです。「肥料不足」で花が
咲かなかったようです。今年はたっぷりと肥料をやりましょう。来年はきっ
と咲いてくれる事を信じましょう。

これらの球根を野良猫から守るのに、ゴミをカラスの攻撃から守る為に使
っているネットを使うのはどうだろうかと思いつきました。小さいネットを買
ってきてかぶせておけば(ネットの周りは風に飛ばないように重くなってい
るそうです)いいかな~と思っています。我ながら良い思いつきだと思うの
ですが、今このネットは良く売れていて、小さなネットは品切れだそうです。
手に入り次第使いたいと思っています。

尼崎の町はチュリップの街でもあります、春には公園は勿論、各家庭の庭
や門前にもチューリップが咲き揃います。それをもう一工夫する事によって
早春に咲かせようと言う講習が12月にあるそうです。冷凍球根を使う方法
だそうですから、帰ったら直ぐ植え付けが出来るように用意して、私も講習
に参加したいな~と思っております。
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遍路 (62回)

2009年10月25日 | 思い出話
                平成15年3月13日
               国分寺から栄屋旅館まで



      距離:31K  笑福旅館 ~ 泰山寺 ~ 栄福寺 ~ 仙遊寺 ~ 
               国分寺 ~ 栄屋旅館    (3)


国分寺を後にひたすら「栄屋」を目指しました。桜井の辺りに「道の駅」があっ
て休憩を取りました。靴を脱ぎ、足を休めました。店に入る元気もなく後3時間
歩かなければ目的地に着かない事ばかりが頭を過ぎります。

女の人が話しかけてきました。どうも話しが合わないのです。今朝道を尋ねた
女の人に、私が似ているとかで、その人だと思って話していたらしいのです。
やっとどうも違うらしいと気づいたようでした。

「如何似て居ますか?」と聞けば「遍路姿にマスクをしていた」との答えです。
そんなん似てる言う?私マスクして無いし…。

彼女は1人で自動車で遍路しておられるそうです。順番ではなくて、自分の決
めた順番に廻っているそうです。「方向音痴なので…」といわれ、両手を広げ
たくらいの大きな遍路地図を作って持っておられました。

「休憩は此処が最後」と主人に言われて重い腰を上げました。ビュ~ンビュ~
ン車の走る国道をひたすら歩きました。「…さ~ん」「…さ~ん」と言う叫び声が
道路を隔てた路上から聞こえてきます。しかしこんなところで「XXさ~ん(私)」
と呼ばれるわけは無いし、と思いつつ歩いていました。でもその声はまだまだ
私を追ってきます。待てよ、自動車しか通っていないこの道です、呼ばれてい
るのはもしかして私?声のするほうを見ました。その視線の先には女の人が
手を合わせて私を見つめていました。遍路者はお大師様と同行二人といわれ
ている。ゆえに私の姿をお大師さんと思い拝んでいる人がそこに居たのです。
四国の土壌ではこれが自然に受け入れられる、拝む方も拝まれる方も…。

国道を離れて山の方に入りました。「ビジネスハウス国安」の前を通過しまし
た。此処を過ぎれば後5Kなのです。

町なかを通過中(東予)後から声が掛かった。「お遍路さん一寸待って~」と
声を残して女の人は急いで家に入っていった。間もなく駆け寄ってきたその人
の手には「ふくろうのストラップ」がにぎられていました。「家に居たら鈴の音が
聞こえてきたので(杖に鈴が付いています)飛び出してきたのよ。「ふくろう」は
幸せを呼ぶといわれているのよ。貴女に二つ、ご主人に二つ、残りはお友達
に上げてください。歩いているお遍路さんに上げているのです」と「ふくろうの
ストラップ」をお接待してくださいました。次回からこのストラップはリュックに
つけて、一緒に遍路して廻ったのは言うまでもありません。

     1人でも多くの人に「幸せ」のおすそ分けをと思い一つづつ分けました


行けども行けども目指す「丹原小学校」にたどり着けません。「栄屋」はその
辺りにあるはずなのです。夕日が山の端に隠れようとしています。しかし目的
地に着きません。日が暮れてしまいますと、探すのが困難になります。

       山の端に沈もうとする夕日 でもまだ宿に着かない心細さ



上の写真のようになっても私達はまだ歩いていました。朝の6時から延々と…。

やっとの思いで「丹原小学校」前に着きました。小学校を現在地として宿に電
話すれば道を聞きやすいかと思ったからです。

そうしていますと自動車が止まり、男の人が降りてこられました。「何処をお探し
ですか?」と声を掛けてくださいました。「栄屋」と言う宿に行きたいのですが、
と言いますと、実に解り易く教えてくださいました。「もう直ぐですよ。お気をつ
けて」と男性は自動車に戻られました。日が暮れて、心細かった私達にとって、
地獄に仏とはこの事です。本当にありがたい事でした。

午後6時、ロスタイム1時間を加えて無事宿に着きました。

宿では皆さんお食事が始まっておりました。「急がなくてもいいですよ、まずゆっ
くりお風呂に入ってください」といわれまして、そのようにさせていただきました。
お部屋は五月人形などが飾ってある賑やかなものでした。

お仲間は男性2人連れ遍路、女性遍路、男性遍路もう1人は熊本から出張で
来ていると言う男性、私達の7人でした。

男性2人組みは回数を重ねておられるらしい。明日もづ~っと私達より先まで
行かれるらしい。女の人は70歳(私より年配)位と思いました。男遍路さんは
退職するまで尼崎の警察官だったというのです。驚き!! 西署(私の家の管
轄)にも何年も勤務していたそうです。悪い事はで来ませんね。何処でどんな
人に会うか解りません。今回は2度目だそうです。今日は足が痛かったので半
分はタクシーでこられたそうですが…。

朝は6時にお食事できるというので、お願いしました。40Kほど歩いたので、
足がカッカカッカしていました。


               栄屋旅館  (6泊目)
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遍路 (61回)

2009年10月24日 | 思い出話
              平成15年3月13日
        第58番札所 仙遊寺   第59番札所 国分寺



   距離:31K  笑福旅館 ~ 泰山寺 ~ 栄福寺 ~ 仙遊寺 ~ 
            国分寺 ~ 栄屋旅館     (2)







「栄福寺」から第58番札所 仙遊寺までは2.5Kしかないはずなのに、私は
距離を感じました。この道も遍路道、しかも上り道、すり鉢の底から上に登っ
て行く感じです。「仙遊寺」の入り口に入ってからもくるくる廻った登り坂、道の
脇には無縁仏の墓が点々とありました。ここでも其々におみかんが供えてあ
りました。やっとたどり着いた仁王門、「三叉の花」(後で名前を知った)が黄
色い花を咲かせて迎えてくれました。そこからが又大変です。階段から又階
段です。ロープが張られていましたので、すがりつくように登りました。

納経所の女の人に花の名前を聞きました。「三叉の花です。咲いていました
か? 育つかどうか心配しながら植えたんですよ。帰りは車の道を行かれて
はどうですか? 町が一望に見えますよ」と教えていただいたので、そのとお
りに車道を降りました。


               疲れた私を癒してくれた「三叉の花」


トイレを済ませて、その傍のベンチで暫く休みながら男遍路の方と四方山話を
しました。「お先に」と私たちが歩き始めますと、私達の後姿に声が追っかけ
てきました。「良いですね~夫婦遍路!後ろから見てもいい感じですよ!うら
やましい!!」私は振り返って会釈でその言葉に礼をいたしました。主人は
「貴方もご一緒なされば…」「私にはもう居ないのです」奥様の霊を弔う遍路
だったのだろうか…。その人の状況が解らないのに、主人はいつも一言多い
のです。私は何時もハラハラします。


           下りの車道から… 今治市とその先は瀬戸内海です



下りはアッと言う間に仁王門に着きました。暫く下り、「国分寺」への遍路道に
入りました。町なかに入り「吉祥禅寺」の門前を借りて、靴を脱ぎ、足に風をあ
て(気持ちのよさで癖になってしまった)カロリーメイトとクッキーを食べました。
これが朝食です。時間のロスが空腹の時間を越えていたらしい。町なかでパ
ン屋さんを見つけたので昼食用にサンドイッチ、ラスク、牛乳を買いました。

尋ね訊ねてやっと
第59番札所 国分寺につきました。入り口にあったお店で
「接待です」と小さな白いハンカチを頂きました。ベンチでサンドイッチを食べて
いましたら、男遍路の人が話しかけてきました。

その人は3度目で、この度は逆打ちだそうです。「横峰寺」辺りから車の接待を
受けた為に、早く着きすぎて、今夜は何処に泊まろうかと思案しているのだそう
です。奥様が亡くなられてから、息子家族と同居。息子の扶養家族なんですと話
ます。年に2回、1ヶ月づつ遍路しているそうです。

              国分寺   左:本堂  右:大師堂

           「修行大師」と握手をする  勿論私もしました

       なぜると病を治すといわれる壺 まだ新品のようでしたが利く? 
               ただひたすら信じましょう



境内に庭の手入れをして居る男性がいました。垢に汚れている感じの人でした。
その人が私に言いました「奥さんは鯖大師のお姿に似ています」「そうでか?」
あまり嬉しく無い。だって「鯖大師」っておとこさんでしょう?帰宅後、調べてみ
ました。

謂れ話: 「鯖大師」で知られている鯖大師本坊は四国霊場の番外札所として知られている
名刹。馬子の馬が病気になった時に修行中の大師に出会居ました。馬子は大師に積荷の
塩鯖を差し出して、大師に病気を治してくれるように頼んだという。その塩鯖を海に放つと生
き返ったという伝説から鯖を3年絶って祈祷すると願いが叶うといわれている。交通安全の
守り神。馬頭観世音菩薩も安置されている。


「観世音菩薩」は女性だからこちらに似ているといわれるなら解るのですが…。
「鯖大師」にお参りしましたけれど「鯖」の形をなぜてはきましたけれど「観世音
菩薩」にはお目にかかっていないので真偽の程は定かではありません。

               国分寺を後にして…


暫く歩いていますと「ジュースでも飲んでください」と500円のお接待を頂きま
した。またまたおばあさんでした。そういえばおじいさんが歩いているのにあま
り出会いません。


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柿衞(かきもり)文庫

2009年10月23日 | 一寸そこまで
伊丹の柿衞文庫へ「芭蕉・新しみは俳諧の花」にお誘いを受けて友人2人と
行ってきました。

今月は何て伊丹にご縁があるのでしょうか、10日には「絵画展」へ、19日
には「伊丹自衛隊駐屯地」へ、そして今日は「柿衞文庫」へとご縁がありまし
た。


                    柿衞文庫のお庭


        旧石橋家(移築)の2階から見た柿衞文庫  前方の白い建物


柿衞文庫は2度目でした。前回は何の展示の時に足を運んだかは、すっかり
忘れております。

創設者である岡田利兵衞(柿衞)は俳文学の研究者として道を究めましたが、
特に「芭蕉」の研究について大きな足跡を残した人です。わが国三大俳諧コレ
クションの一つで約1万点にのぼる作品、その「柿衞文庫」も開館25周年を
迎え、又「芭蕉」の奥の細道の旅から320年を数える今年この会が持たれた
のです。

昔の人は手紙をおいそれとは捨てなかったのでしょうね。さまざまなものが残
されているものだな~と感心しました。

習字を習っていた頃は何とはなしに「かな」が読めていたのですが、今では読
めなくなっています。そんな中でも読める部分を見つけた時はほっとすると同
時に、嬉しかったです。



                   台柿の沢山成った木


今日も生まれた初めてのものに出会いました。文庫の近所のレストラン(今
日都合で欠席だった、伊丹の友人が教えてくださった)のレジの所で見つけた
「台柿」です。

「写真を写させていただいて良いですか?」といいますと「どうぞどうぞ、ブロ
グをしておられますか?」といわれて驚きました。「ブログに載せたいからと写
していく方が多いのですか?」と聞きますと「そ~なんですよ」と言う答えが返
ってきました。

その木は「柿衞文庫」に2代目の木が1本あると教えられました。石橋家の2
階から、説明ボランティアの方に確かめて写したのが上の写真です。

伊丹では「台柿」継承プロジェクトを作り、3代目の苗木を作りました。俳句の
町・伊丹のシンボル的なものとして、児童生徒が身近なものとして親しみ、伊
丹の歴史を学んでもらう為に去年、平成20年の1~2月に市内の小中学校
に「3代目台柿」の苗を配って、育てているそうです。

女3人寄れば姦しいといいますが、まさにその3人で、舌の喜ぶ美味しいもの
と脳の喜ぶ会話をいっぱい詰め込んで、又の元気な再会を楽しみに散会しま
した。私の脳はフレッシュな知識を積め込まれて、ニコニコさんでしょう。
                             (1210回)




                これぞ「台柿」 初めて見ました



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時代祭り

2009年10月22日 | 一寸そこまで
              この行列が一番の見せ場でしょうか…

          鼓笛隊  京都の学生アルバイトでしょう?

                    皇女 和宮

     巴御前 男勝りの感じが良く出ていました 今日の私のお気に入り



京都の三大祭り「祇園祭」「葵祭」「時代祭り」の内「葵祭」「祇園祭」は数回行
っているのに、「時代祭り」だけはまだ行っていませんでした。今日思い切って
行って来ました。

御所出発が、正午と言うのでゆっくりでした。でも行列の始から終わりまで約
2時間掛かるというので、歩き初めに行かないとだんだん時間が予定より遅
れるのではないかと思いました。

そこで御所から30分の位置の丸太町で見る事にしました。行列は予定通り
12:30に来て、終わったのが14:30でした。出発間もないので予定通りだ
ったと思います。

何故こんなに時間が掛かるのかといえば、行列の通る車線は規制が掛かっ
ていますが、反対車線は「生きている」からです。その2車線を上りと下りで
仲よく分け合って使っているのです。ですから「信号」も生きています。行列
は信号が「青」にならなければ通れません。

可哀そうなのは「馬」です。ゆっくり歩く上に停められます。道はアスファル
トです。歩きたいのに止められます。イライラするのか前足で地をけります。
そして同じところをグルグル廻る事になります。3頭に1頭ぐらいはこのイ
ライラをしていましたね。

「葵祭」の時は暴れだした馬が居て、ヒヤッとした事を思い出しましたが、今
日はそれまでは行きませんでした。

その代わりと言うのも変ですが、「馬の排便」に出くわしました。馬はウンチ
をする時はあの長い尾っぽの付け根を起用に上げるのですね。尾っぽの付
け根を上げたと思えば、ポトポトとウンチを落としました。

後続の人間も馬もウンチを避けては通るのですが、1頭だけ見事に踏んでい
きましたね。これらは想定済みで、ウンコを入れて歩く小さな手押し車と箒を
持った人が所々に配置されていて、掬っていきました。

                身分の高い人の輿でしょうか

         手前:昔の乗り物(馬)  後方:今の乗り物(バス)

              昔の親子  静御前と頼朝、義経兄弟

          今の親子 子役には正装した母親が付いています 
        待ち時間には近づいてきて水を飲ませたり世話をやきます



他の2つの祭りに比べて、実に「地味なお祭り」と言う感じでした。しかし参加
者の数は多かったです。各グループの後には「平安神宮」等の色々の「講」の男性
が続くからです。「後期高齢者」オンパレードと言う感じです。



「~時代」と書かれた幟の後に人が続くので、あの人はあの時代の人なんだ
という事が良く解りました。

先頭の馬車には二人の男性が乗っていました。誰からともなく「京都府知事と
市長だって」と言う声が、すかさず「大阪やったら言われんでもわかるのにな
~」と言う声。「そうやな~、大阪は二人とも有名人やしね~」と人の会話を楽
しみました。




夏の日差しではないとはいえ2時間は流石に疲れました。UCCでお茶とワッ
フルを食べて帰りました。

新快速の30分はぐっすりとお眠りです。過っては京都まで1時間以上掛かっ
たのですが今は大阪~京都まで20分一寸で行けます。

遊びとはいえ長時間の外出は帰宅後の食事の用意がしんどいです。今日は
昨日「おでん」を煮込んでおきましたから、その点は気楽でした。
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