ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

御名御璽(ぎょめいぎょじ)

2008年09月30日 | 新聞から

           クロサンドラ (08-9-1 さんちか)
             好きなのに育てた事の無い花




朝から曇り空、午後からは雨と言う予報。暑い時は暑いからもう少し涼しくなってから、今日のように肌寒いともう少し暖かい日にと、働くことを拒否しようとする我が身に鞭打って(一寸大げさかな?)先日撒いた種が芽を出しているので、移植する為のポットの用意をしました。序でに鉢を変えてやらないと根詰りをおこしているのを数個植え替えてやりました。

今日は付添婦は午後からでした。とうとうXX衛門さん(女性二人に傅かれていた方)は現れませんでした。「もう来ないのかな~、だんだん取り残されたようで心細いな~」と主人。「そりゃきっと、XX衛門さんは酒もタバコも止めて治療に専念されたんやわ。其れしかないわ。吸って飲んで好きにしてるんやもん、同情の余地なしや!」と強烈なパンチを一発…。主人は「………」窓の外の景色を見ておりた。


昨日麻生首相の所信表明演説を聞くことが出来なかった。今朝の新聞に丸ごと載っていたので読み始めて間もなく「えっつ!」と驚いた。

就任に当たって「わたくし麻生太郎は、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました」と言う言葉の中の「御名御璽」に驚いたのです。この言葉をこのように使うのが正しいのかどうかは別にして、心底驚きました。

「御名御璽」ってこういう意味だったの?前後の文章から、大体の察しは付いたものの、私が今の今まで思っていた意味と全然違っている。

主人に聞いてみた「御名御璽ってね。天皇陛下のお言葉っていう意味なん? 私ね《終わり》ゆう意味だと思っていたよ。だって教育勅語で《朕惟ウニ………御名御璽》で終わるでしょう。だから《これで終わりです》と言う意味やと思っていたんよ」「今頃そんなこと言うたら笑われんで…」「笑われても、何でも知らんかったんよ。私は意味も何にも解らずに丸暗記させられたんやもの。それで時々フッと思い出して《朕惟ニ我皇祖高宗國ヲ肇ムルコト……御名御璽》お終いと思っていたもん」この頃の8歳違いは大きいよ。

「講堂で正面の観音開きから、白い手袋をした校長先生が恭しく取り出していたあの巻物が教育勅語やろ?」「そうや」「校長先生が教育勅語を読んでおられる間、下を向いているように言われていたけど、時々退屈で上目遣いに見たんよ。そやから教育勅語言うたら白い手袋を思い出したわ。そして校長先生が《御名御璽》言うたら頭を上げてよかったんよ。そやから《御名御璽》は《終わり》と言う言葉やと思っていたんよ」

教育勅語を意味も解らず丸暗記した時も、記憶にはないのですが、一年生で字も読めないし先生の口移しだったのではないかしら。それから半世紀はとっくに過ぎた昨日、「字」としての「御名御璽」は初めてだったんです。「御名御璽」と打ち込んだらパッと出てきたわ、パソコンは物知り。

調べましたよ「御名御璽」
御名:天皇の名前の敬称。 
御璽:天皇の印の敬称。

これで解りましたよ。教育勅語の最後に天皇の御名と御捺印があったのですね。それでお名前と印がついていますぞ!と言う為に「御名御璽」と言ったんですね。

さすが麻生さん、「御名御璽」に近づける祖父様を持って生まれただけあって、私より年はお若いが、こんな言葉を知っておられるのですね。でも「漫画オタク」を自認する麻生さんの別の面、生まれや育った環境による古さもあるんだな~と思いました。その古さ新しさが政治手腕としてどのように発揮されるのかお手並み拝見です。


          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

        RURIKO       林真理子

楽しみにしていたのですが、過って私が知っていたゴシップを裏付けるお話で、伝記と言うか、善意のゴシップ文と言うかと感じるものでした。描かれているお相手がまだ生きておられるし、ご本人は亡くなっているが連れ合いは生きておられるという今に、この本を出すのはどういう意味があるのだろうか?と言う疑問を感じました。

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身に染む川柳だよ

2008年09月29日 | 気にかかる

           秋を凝縮したようなシックな美しさ
            神戸のビルのアプローチで…
           人間の頭と手で作られた美しさです


              神様の手に成る春の美
          単一植物単色なのにこの造形の打つ杭さ
           直径50センチはあったと思います


本当に寒くなりました。昨夜から冬布団で丁度いいです。今晩からとうとうストーブが出番を迎えました。雨も重たくしとしとと降り続いております。もう晩秋でしょうか…。

タイガースだけが厳冬から春に向かう兆しです。ずづ~っと雨が降っている中、ファンの皆さん応援をし続けてご苦労様です。風邪など引かないようにしてくださいませよ、体調を壊して、優勝と言う名の美酒を仲間と飲めないという事のないようにね。



         お題「学」と言う川柳です


       老いにくくなったが学は成り難し

本当に高齢化が進みましたが、栄養、環境の所為でしょうか、近頃は皆さんお若い。10歳や20歳若く見えるなって不思議で無くなりました。年齢を感じさせない人が増えました。

若い時の言う「学」ではありませんが「新しい知識」と言う程度のことを詰め込もうとするのですが、積み上げたつもりの知識の山はあるはずなのに幻と消え、しゅんとしてしまう今日この頃です。でも生きてる限りはと又性懲りも無く取り入れようとするのが私達の年代の今日この頃です。


       晩学のカバン忘れる縄のれん

上にも関連ありますが、リタイアしてから、興味のあることを学ぼうとする人が増えました。正真正銘の若い学友と共に学び、若さを頂いていても、新しいことを学ぶという快い疲れを、昔の習性であった、居酒屋に足を延ばす。入るまでは学生だと思っているが、帰宅時は勤め人に戻っている、そして学生の象徴であるカバンを忘れてしまったという事でしょうか? 今の学生さんカバン持っていましたっけ?


       学食のメニューで決めた志望校

そんなことあり? 高校でしょうね。 大学? そんなことありえませんよね。
人生は「小説より奇なり」といいますが…。そんなに大げさなものではありませんか?


       学校も内部告発される時世(とき)

本当に何時頃からでしょうか、内部告発が盛んになってきたのは。食べ物は助かっていますね。もし内部告発が無かったら、何も知らないで身体に悪いものを食べ続けたでしょうから。告発者の方にお礼を言いたいくらいです。

テレビでやっておりましたね。つぶれかけた大学を立て直そうと名乗りを上げた人が、学校の運営資金のうちから、自分の経営する病院の赤字補填に使っていたとか。助っ人だと思っていた人が、盗人だったという内部告発。


       六十の手習い絵文字を読破する

私のお友達でも絵文字を使ってる人は居ます。若い人の仲間入りが出来たと満足なんでしょうね。私は一切使いません。なんだか気恥かしいですよ。若者ぶっているようで。だから私は使いません。


       学割のギャルが座席で化粧する

今は学生の100%に近い人がお化粧をしていますね。それだけではありません、同じ髪型、同じアイメークでお何となく似てしまって、同じ顔です。個性埋没の世の中です。


       親にしかに似ぬのを忘れ子を叱り

親の欠点ほど受け継ぎ易いですね。思いおこせば、自分も同じ事をしていたんですよね。同じように親に叱られていた。時代送りと称するのでしょうか?


       教養のないひと多い学あれど

今は高学年の方が増えました。しかし、何となく流れに沿って大学に行き、アルバイトに精出して、その得たお金で遊ぶ…。そんな学生生活ゆえに、身に付けるはずの学問はおろか、伴う教養はどこ吹く風と、学歴あれど、常識欠如の生徒多数生産しているのが、2流3流といわれる大学なんでしょうね。学生生活は楽しむが、積むべき知識は積まぬ。学資を稼ぐのは親、娯楽費を稼ぐのが子…と言うのが今の世の中でしょうか。
                              (850回)

               
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他市の議員さんも褒めてくださったよ尼崎市長を!

2008年09月28日 | 今日この頃

         
    風船唐綿(ふうせんとうわた)の実 (08-9-27 無垢根亭)
             花は白色 この実の中に
            種と綿の様なものが入っている
     その綿状のものはクッションや枕などに使われるそうです


         風船カズラは下を向いてぶら下がります
          この唐綿は上向きで木についています

             私は始めて見ました
      花よりこの実のほうが観賞用として用いられるそうです


寒かったですね。急いで長袖やカーディガンを引っ張り出しました。寒くなったらなったで、もう少し暖かいほうがいいわと思ったりします。勝手なものですね。寒がりの自分の為にストーブも出しました。今年の灯油の値段は如何なんでしょうね。

パン類の値段の上がっているのには今更ながら驚きますね。10円20円と小出しに上っていたものですから気が付かなかったのですが、年の初め頃にはわが家の求める食パンは250円ぐらいだったのに、先週には310円まで値上りしていました「ヒエ~」って感じです。

今日は芦屋の焼き鳥屋さんに行ってきました。行く道の「パイや」さんが開いていましたので買いました。一週間は平温でも持つというので、美味しそうでしたので、ロングケーキも果物入りを買いました。「夏に来たときは、長い夏休みでしたね。外国並やな~と言っていたのですよ」と言えば「暑い時は余り売れないものですから、毎年夏休みをとることにしています」と言う事でした。

芦屋市会議員のご主人が居られましたし、私達だけでしたので充分お話できました。5日大臣の辞任のお話、事故米のお話、序でにおろおろするような阪神のお話。

そして我尼崎の白井市長のお話。「オタクの白井市長は強い人ですね。この頃時々会でお会いするのですが、誰も発言する人が無くとも白井市長は自分の意見を言われます。初めは何が出来るか、と思っていましたが、たいしたものです。強い人ですね。頑張っておられますね」って。

どんどん意見が言えるという事は、その問題について、良くお勉強していると言うことでしょう。すばらしいことですよね。ありがたいことですね。

兵庫県立塚口病院の廃止が中止になった新聞記事を読んだ時も、白井市長がこの何年かの間「廃止反対」で頑張っておられるのを知っていましたから陰ながら「頑張りはったな~」と喜んでおりました。

他市の議員さんに白井市長を褒められて私の顔は緩みっぱなしです。だってよその市の議員さんが褒めてくださるのです「頑張ってるな~」って。でも尼崎市の議員さんは白井市長の頑張りが解っているのでしょうか? 反対するだけが能ではありませんよ。手助けして守り立ててあげてくださいよ。

市民だって白井市長の頑張りを知らない人が多いでしょうね。私は尼崎放送局に行って、尼崎中に放送したい気持ちです。「皆さん! 白井市長は他市の議員さんからも良くやっているとお褒め頂いていますよ!」って…

他市の市議会議長さんが褒めてくださるのです。何の損得も無いからこそ公平な目で見てくださっていると思うのです。本当に嬉しい日でした。

其れはそうと、3日連続で美味しいものを食べ、オマケにパイやケーキを買ってきて食べようとしています。これで痩せたいって無理な相談ですよね。今週はメタボの検診に行く予定だったのですが、もう少し先に延ばしましょう。増えているであろう体重が元に戻ってからにします。
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酒造サロン「無垢根亭」

2008年09月27日 | 一寸そこまで

              紅犬蓼 (08-9-20 ジム)
           この色と可愛い花がなんともいえない
           何度も何度も撮り直してやっと撮れた
        花が小さいので ピンボケて上手く撮れなかった




交野市の酒造サロン「無垢根亭(むくねてい)」に勝谷誠彦さんのお話を聞きに行きました。お料理が美味しいという事。行くまでの道が田舎道で良いと「無垢根亭」については知っていました。しかし知らない土地の事ではあるし、お酒が付くという事で、下戸の私は行けずにおりました。

一年ぶりぐらいでホームページを開いた時に、偶然「無垢根亭」の10周年記念に勝谷さんのお話があることを知りました。お食事つきです(120名先着順+抽選で数名)本日は130名近く満席でした。


行きたいな~と思っていましたら、偶然に勝谷さんの有料ブログを読んでいる友人から「行かないか」とお誘いがかかりました。勝谷さんのブログに載っていたそうです。喜んでご一緒する旨伝えました。そして、本日4人で行ってきました。

遠いと思っていたのですが、東西線を使って、直通で行けるし、約一時間の距離でした。行きはリーダーが快速で行こう言うので、乗り換えましたが、帰りはたいした違いが無いので直通で乗り換えなしで帰ってきました。

私は行く道に田舎風景をイメージしていましたから、あぜ道に咲く彼岸花を見たいと思っていましたが、其れは見る事が出来ませんでした。既に道路は舗装され、田畑より沢山の家が建っていました。所々に彼岸花の小さな塊があるだけでした。

建物自体は古いものですから落ち着いた良い感じでした。皆さん写真を撮っておられました。古井戸もありました。創業当時は此処からくみ上げた水でお酒を作っておられたのかな~と想像しておりました。

今の蔵元さんは6代目だそうです。昔は杜氏さんが造っていましたが、今は杜氏さんの数も減り、社員で造る会社が増えたそうで、此処でも蔵元さんと従業員が力を合わせて酒作りをなさっているそうです。

お部屋は良い感じでした。至る所に草花や柿の枝などが、無造作に投げ込まれておりました。

勝谷さんの為に舞台に椅子が用意されておりましたが、彼は座る事無く、一時間半喋り続けました。芦屋で聞いた渡辺淳一さんの会よりず~っと楽しませてもらいました。

内容は多岐にわたり、オフレコ話も在り、笑ったり驚いたり楽しい一時間半でした。質疑応答の時間もありました。それまでに全ての人にお酒が配られました。そのお酒はアメリカへ輸出される商品だそうです。話題性という事で主人の為に1本買って帰りました。又自分の為には、可愛い小さなフクロウの根付を買いました。

集まった方々は近場の人ばかりだと思っていましたのに、「遠方からの方は?」と言う問いに、仙台、名古屋の方も数人居られたのには驚きました。ブログの愛読者なんでしょうね。

さてお料理ですが、これがどれもこれも素朴で美味しいのです。特にスペアリブは絶品でした。お料理が残って、もう少し頂けるようになった時再び一切れ頂いてしまいました。思いがけなく美味しいものをお腹いっぱい頂き、晩御飯は抜いたほどでした。

あまりの美味しさに友人が、蔵元さんが回っておられた時に「隠し味は?」と聞きましたところ、蔵元は「料理上手が居まして…」と調理場に呼びに行ってくださいました。私は「料理上手な人が居る」とは聞いていましたので、お年寄りの人を想像していました。しかし現れたのは50代と思われるまだまだお若い人でした。「隠し味は?」「何も特別使っていません、此処のお酒でしょうか…」のお答え、お見事!

楽しい話に美味しいお料理(酒の魚に丁度良い量)、話にも食べ物にも適量があり、其れが満足を呼ぶと知った一日でした。




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古希過ぎた者のクラス会

2008年09月26日 | 今日この頃

            押し絵のツユクサ(私の頂いた分)


         押し絵の紫陽花 (たまちゃんが頂いた分)
             先生の趣味のお一つです
          年賀状には干支の押し絵が張ってあって
            毎年楽しみにしております


6年生のクラス会があって行ってきました。先生82歳、生徒73歳X9名です。
先生は秋になるとクラス会にお呼ばれでお忙しいようです。又ご自身のクラス会もあるようです。先生がこれで最後にしたいといわれますので最後の6年生のクラス会です。

6年の時には40人近く居たと思うのですが、連絡の取れたのは23人そのうちの9名が出席です。これなかった方の近状は圧倒的に多いのが、歩行困難か病気です。次が連れ合いの病気による看病です。

出席した者も、異常なしではありませんが、年なりのダメージは持ちながらも、昔を懐かしむ余裕のある人たちです。

11時半たるみの寿司屋で集合だったのですが、先生へのお土産は図書券と決めているのですが、それに添えるお菓子を買う為に、たまちゃんと三宮に10時に待ち合わせました。8時過ぎには雷が鳴り、雨が降っていました。何故今日降るの!と恨めしく思いながら居ましたが、止みそうにありません。

出かける9時過ぎには大雨になってきました。レインコートを着ていこうかしらと思ったほどの降りようです。少し小降りになったときに思い切って飛び出しました。今までクラス会や、同期会に何十回と出ていますが、雨にあったことはありません。そのことをたまちゃんに話しますと「私は旅行にしても雨によく会う」と言う答えでした。それで今日も雨か?

しかし三宮についてからは雨は降りませんでした。日が差してきました。私の運気の方が勝ったようです。

今日の幹事のこいでさんと私達が40分前に到着です。次々と到着し、11時30分になっても肝心のきむら先生が来られません。幹事さんが「よっぽど、夕べ電話しようと思ったんだけれど…」といいながら、先生宅にお電話しました。電話には先生ご自身が出てこられた様子…。何と先生は1時半と勘違いしておられたそうです。

先生がお年なので、先生のご自宅の傍で会を持とうという事と、和食にしよう(前回中華でしたので先生はほとんど手をつけられませんでしたから)と言う私の提案で生徒は垂水まで出てきておりました。ですから覚悟していた待ち時間より早く先生は来られました。

そして1人ずつに今日の写真の「押し絵」をお土産にくださいました。先生はお元気で足腰達者、背筋もピット伸びておられます。生徒の方が背が曲がっている者もおりますのに…。先生がこんなにお元気なら来年も又クラス会をという事になり、
最後のはずのクラス会が、又持たれそうな勢いです。

食事ですが、寿司屋でしているのに寿司が出ないので、おかしいなと思っていましたら、たまちゃんが言うには、幹事さんが「これだけの料理が出れば寿司6貫を普通のご飯に変えて」と変えてもらったというのです。数ばかり多いコースはもういいと思いました。皆残していました。持病の為食事制限している者も居ますし、私としましたら、お寿司とてんぷらと赤だしで充分でした。

皆も同意見で次は、量は少なくてもいいから、質の高いものをと言う希望でした。

さて、先生をダシに来年も集まりたいというこの会、又皆元気に会えればと思いながらお別れしました。
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昨日の続き(2) 須磨寺

2008年09月25日 | 一寸そこまで


        須磨寺の本堂の正面中央の鴨居に張ってあった。
    高野山の納経所に張ってあり、聞くと「注連縄」と教えられた
         須磨寺も弘法大師さんのお寺だから…


                愛染堂に…
          どちらも「ネズミ」がいる 何故か?
             今年が「子」年だからだ


      2003年11月22日結願の報告に高野山に上った
           その時初めて目にした「注連縄」
       その時は「未」年だったので左の絵は「羊」である


中突堤にある、団体専用店で昼食。須磨に向かった。須磨寺の駐車場で解散1時間貰って、三々五々見学。

私は10代にこの近所に住んでいた。だから懐かしい、探したい場所があった。しかし団体である限り全てを見に行くことは不可能だった。ただ少し時間があったので、あやこさんに「この辺に霊水があったはずなんだけれど…」と付き合ってもらって探した。

霊泉は健在だった。しかしその場の雰囲気はコンクリートで固められて、昔の面影はなくなっていた。私は一口飲みたいと思った。行こうとしたら、あやこさんに「飲んではいけないと書いてあるよ。沸かしてから飲めって」注意された。私は何時も飲んでいたし、当然飲めるものと思っていた。21日のお大師さんの日の参拝者も此処で冷たい水を楽しんでいた。折角見つけたのに寂しい現実を突きつけられた。

数十年前に最後に来た時はまだ昔のままだった。何時からこうなったのだろう。もう一つ私の記憶にあるのは「山門の両脇の大きな草鞋」だった。これも無くなっていた。そこには仁王さんがいた。この仁王門は昔からあって、「草鞋」の門だけ消えてしまったのだろうか? 私には「草鞋の門」の記憶しかない。

「草履の門」は四国遍路をしている時、アチコチで「大きな草鞋の門」に出合って、須磨寺が弘法さんに関係あることを知ったのです。遍路を終えて5年、この目で確かめたいと思った草鞋は無かった。

私の脳裏には雰囲気のある霊水場と大きな古びた草鞋はしっかりと居座っている。
今フッと思ったのは、もしかしてあの大震災の時に崩れたのではないだろうか?

須磨寺は昔とすっかり変わっていた。建物も新しいし、参道も土はなく舗装されている。仕方が無いのかもしれませんね。私が来たのがウン十年振りなんですから。

須磨寺は「一弦琴」「青葉の笛」で有名なお寺でもあります。源平の庭は一の谷での平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した像のある庭である。

私は校区外通学の生徒だったので、休みにはお友達が、夫々のボーイフレンド、ガールフレンドと一緒に遊びに来た。今のように遊び場が豊富にある時代ではなかったので、市電に乗って、私の家に来て、須磨寺、須磨海岸、須磨浦公園で話して、は格好のデートコースだったのかもしれない。不思議なことに、友達同士がかちあうという事は無ありませんでした。毎日曜日、お一組様限定と言う感じです。

先日も須磨の家のことを覚えてくれている人が居て、「よう行ったな~、あの頃がなつかしいな~」といってくれた。覚えていてくれてるんだ、たまには思い出してくれてるんだと嬉しかった。

二人が話しているのに口を挟むこともないし、話しかけられないと黙っていた私、邪魔にならない存在の私は一体アベックさんの何だったのだろうと今になって考えることがある。「ず~っと自分達より年上と言う感じだった。何でも黙って聞いてくれて口外しないから、安心して話せた」と同期会で言われたことがあるので、姉の様な存在だったのだろうか? 女の子としての魅力は無かったんだわ、きっと。

次は「須磨離宮公園」に行った。此処も随分変わっていた、昔はこじんまりしていたのに、今は嫌にだだっ広い。子どもの遊び場などが増えている。花は少ない時期なのですが、一応咲いている花も、どこにでも咲いている花で、取り立てて目新しいものは無かった。

ただレストルームでティータイムを持ったのですが、ここからは眼下に数基の噴水の列が見え、その先には海が広がっている、この景色はすばらしいと思いました。



又町会の集まりゆえに、懐かしい方々にも会え、元気を確かめ合い、話をし、良い一時をもてたことは良かったと思いました。結婚して、神戸から尼崎に来て、尼崎の生活が神戸の2倍を越えました。住みたかった神戸も、今は楽しみに行く場所になり、立花に降りるとほっとするようになりました。「住めば都」とは良く言ったものです。
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町会からの県の施設見学会(1)

2008年09月24日 | 一寸そこまで

         阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」
          売店でお土産用として売っている防災グッズ


           このパンとカンパン美味しいそうです
         買いたかったが、集合の合図で買えなかった
             これが団体の嫌なところ




           水があれば食べられる御餅三種類


今年は町会の幹事当番に当たっています。幹事さん優先のバス旅行に行ってきました。「人と防災未来センター(防災未来館・人未来館)」「須磨寺」「須磨離宮植物園」と盛りだくさん。という事はどこも中途半端と言うことでしょう。救われたのは一番遠い「須磨離宮」でも1時間ぐらいでいけるので、その分ゆったりしている。しかし「人と防災未来センター」は2時間では無理だ。4~5時間はかかりそうです。

先日、秋篠宮ご夫妻と眞子さまがいらしたのをテレビで見ましたが、「神戸・淡路大震災」の映像を見られて、想像以上の激しさに驚かれたことと思います。

「防災未来館」で初めに「1.17シアター」(入り口の時計は5時46分をさしていた)で地震破壊の凄まじさを迫力ある大型映像と音響で7分間体験します。私達グループ47人と関西電力の社員、小学生数十人が一緒に見ました。

始まった時は小学生は驚きの声を上げていました。しかし暫くするとその凄まじい光景に声も出ず、静まり返ってしまいました。3~4年生だと思うのですが。凄いショックだったと思います。神戸の子ですから、話は聞いていると思うのです。しかし想像をすることは出来なかったでしょう。知っておくべきことだとは思いますが、ショックもきつかったと思います。声が出なくなった状態が其れを示していると思うのです。如何感じたか、聞いてみたかったです。

勿論特殊撮影で作られたものであることは私達大人は知っています。私も実際に三日後に乗り物と歩きで神戸に出まして、親戚を尋ねましたから、避難所の生活も知っていますし、大きなビルが倒れて道路を塞いでいたのや、高速道路が倒れていたのや、今思い出しても信じられない光景を目の当たりにしました。カメラは持っていったのですが、とても撮る気にはなれませんでした。

道路には電線・電話線がのたうちまわっていて、上を見ては歩けなかったこと、全国から送られてきた品の山積み、炊き出し等。人の善意もいっぱい見ました。しかし寒いから温かいものを欲する人の気持ちを商売にと、普通なら100円ぐらいのすうどんを500円で売っている若者、哀しい気持ちで見ましたが、それでも暖かい食べ物が欲しい人が食べていました。

映像を見ながら色々のことが思い出されました。今の神戸を見て、13年年前一瞬にして街が壊滅状態になったとは信じられないと思います。神戸の人は頑張りました。勿論今でも心のどこかに、生活の一片に、あの地震が残っていることは確かです。でもわが故郷・神戸は頑張りました。

わが町尼崎も被害は受けました。あの揺れの大きさは忘れられません。しかしわが家は幸いなことに大丈夫でした。家の向きが幸をそうしたようです。

西宮と尼崎の間に武庫川があります、その川がクッションになって被害が少なかったといわれています。西宮の友人が近くの小学校に避難していることを知りました。家は半壊で昼だけ片付けの為に家に帰るといいました。水が欲しい。暖かいものが飲みたいと彼女は言います。わが家は丁度神戸に水汲みに行った直後でお水のストックはありました。水を自転車の前と後につめるだけ積んで、暖かいコーヒを魔法瓶につめて西宮に向かいました。水が重くてよろよろと走りました。西宮に入ると道路の至る所に亀裂が入っています。怖くて走れません。仕方が無いので自転車を引っ張っていきました。

彼女は今でも言います「あの時持ってきてくれたコーヒほど美味しいコーヒは無いよ」って。

「人未来館」で「葉っぱのフレディ」を3D目がね(立体)で見ました。今度は奇麗な画面で命あるときの働き、命は続くと言う事を見ました。心が和みました。子ども達もそうだったと思うのです。「激」と「優」の組み合わせがとてもよかったと思います。今日の見学は此処だけで充分価値があったと思います。ただ時間がもっと欲しかった。
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わが家と異なる宗教

2008年09月23日 | 気にかかる

               ジンジャー
       何時もは門を入ると とても良い香がするのですが
           今年は一寸香が薄いようです
         あまりに旺盛に繁殖するものですから
       彼岸花に日が当たらないので刈り取ったのです
        根は大きな芋ですので隅に移そうと思います


           一塊の花の数が少ないので
           香が薄いのかもしれませんね


今日は花の植え替えでもと思っていましたら、先日「敬老の日のお祝い」を持っていきました95歳のおばあさんの方が亡くなりました。無くなったときは数え年で言うものですから97歳といっておりました。

お家の宗教が天理教だものですから、作法を書いた紙をくださいました。私達に関係あるのは「玉串奉献」(神仏や目上の人に物を奉る事)なんですが、説明書を見ても解ったような、解らないような、ご一緒した友人と何度もお稽古しました。

神式では二礼二拍手なんですが、天理教は二礼四拍手なんですね。音は如何か?と聞いていますと、マイクに音が入るようですから、音を立てていいのだわとか前例に倣いました。

お葬式もだんだん簡素化されて、着物の喪服の人を見なくなりました。ご家族でさえ皆さん洋服です。それで良いのかも知れません。看病疲れの後、普段着慣れない着物で身体を締め付けるのはしんどいかもしれません。

火葬場への乗り物も昔はタクシーでしたが、今はマイクロバスです。長い列をつくるより、いいかも知れません。宗教上の関係か、霊柩車の出発の時のクラクションが無かったように思います。

私達のお友達であるお嫁さんも63歳です。良く頑張られました。ふっくらとした方だったのに、げっそりと窶れています。お役目を立派に果たされたのですから、のんびりして元のふっくらさんに戻ってください。長い看病のご褒美に楽しい日々が待っていると思いますよ。本当にお疲れ様でした。

頂いた説明用紙の初めに次のような言葉が記されておりました。

《天理教では、人間が陽気ぐらしをするのを、神も共に楽しみたい、との思し召しからこの世界人間が創られた。と教えていただきます。そして、「この身体は、ちょうど身に付けてある衣服のようなもの、古くなったから脱ぎ捨てたまでのこと」と、死ぬるとは古い着物を脱ぐようなもの、しかし、脱いで終わり、ではなく、新しい着物に着替えるように、魂に相応しい身体を借りて、又この世に生まれかわってきて、陽気暮らしの創造に更なる一歩を進むのだ、と教えていただきます。生き通しの魂を、一時神様の御懐に抱いていただくのが、『みたまうつしの儀』であり、遺骸とお別れするのが『発葬告別の儀』であります。その次第はつぎのとおり。》と言うのです。

いたって理解し易い言葉で綴られているように思いますが、何度も読み返してみると、理解できない言葉が含まれています。《人間が陽気ぐらしするのを、神も共に楽しみたい》の人間の《陽気ぐらし》って? どんな暮らし? 《この世界人間》って?

私が今まで知っていた天理教は「あしきをはろうてたすけたまえてんりきょうのみこと」と言う言葉。

「おやさま」と呼ばれているのは実際に息子の病に苦しんだ母親だという事。その方が教訓を歌にして残したものが教義になっている事。

修学旅行に行く時、当時の仲良しの友達の家に誘いに行った時、団扇太鼓の大きな音に、その家が天理教であることを知った事。わが家の宗教との違いに驚いた。きっと彼女の旅の無事を祈っておられたのだろう。

友人の息子が中学の器械体操で優勝した(私もテレビ中継で見た)時、天理高校から勧誘が来て、悩んだ末行かなかった話を聞いた事。

都市名にもなっているのはこの宗教だけではないですか?毎年多くの寄付がなされ、市の予算に組み込まれているそうですが…。

何時だったか、鏡開きの日に天理市をマイカーで通過中、法被を着た人たちが忙しげに働いているので、一寸の覘いて見た事がある。体育館の様な所で大勢の人が、お餅を割っていた。過ってテレビで見たように、おぜんざいに入れるのかな~と思った事ぐらいです。

「陽気ぐらし」と言う言葉が気になりますが、自分の家の宗教についても余り知らないのに、よその宗教を調べても仕方が無いと調べを中断しました。


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シャガール展

2008年09月22日 | 一寸そこまで

               萩 江戸絞り 
           小さな1cmに満たない花です
    丈低い鉢に植えたので枝を延ばし地面に沿って咲いています
       地植えにして支柱を立ててやらねばなりません


            手で持ち上げて写しました
              春と秋に咲きます


シャガール展に行ってきました。「シャガールの絵」については解っているつもりでした。所が行ってみて全然解っていないことに気が付きました。空中に浮いている。男女が寄り添っている。身体が長~くって足元が不明(幽霊みたい)と思っていました。色使いは好きでした。私が知っているのは数枚の絵だけだったのです。

ユダヤ人であること。色んな種類の版画を作っていること。その版画で寓話の挿絵や聖書を基にした版画があること。キャンパス画ならば、その絵の四隅の何処かに描いている自分を書き入れていること等々何も知りませんでした。考えないと解らない、考えても解らない絵が多数含まれています。

近頃、そんな展覧会を見る事が多くなりました。何故でしょう。名前とその人の有名な絵しか知らないで、見に行くからでしょうか。日本人の画家の絵には考えなければ解らない絵は無いように思います。日本贔屓かな~。

何しろ数が多すぎます。音声ガイドの説明が付いているものを重点的に見る事にしています。そうしないと、だんだん展覧会に行けなくなりそうです。集中力も低下していますし、体力もなくなって来ています。勿体無いと欲張らずに代表作だけ見るつもりで行こうと思います。

売店のコーナーに行きました。絵の頒布もしているのですが、一寸変わっていると思ったのは、その絵のレプリカと言うか模造作品と言うかの注文を受け付けていました。お値段も9万円にお釣が来るというので、どの絵にも(5枚)沢山の注文の丸が付いていました。無名の人がそっくりに描くのでしょう。100年は色が変わらないそうです。誰が確かめる? 額のガラスもアクリルで割れないそうです。
この絵はシャガールがお孫さんに版権を与えたもので、ちゃんと許可が取ってあるそうです。

別のは本物の版画です。5~60万円の値段が付いていました。こちらも好評で売れているそうです。展覧会の展示の全ての版画には「111/x」の番号が入っていました。「X枚」刷った内の111枚目と言うことだと思うのですが?「X枚」って数え切れない数? だから世界的に有名なシャガールの版画が5~60万なんだろうか? 絵の値段って解りません。 多色刷りですから、厳密に言えば1枚として同じものは無いわけですから、刷りあがったものの一番いいものを手元に残したという事でしょうか。

販売員の方が何を錯覚されたのか、私達が買うと思われたらしく、カタログまで持ち出して、いちいち説明してくれるのです。どんなに好きな絵でも絵葉書で結構ですよ私は…。今日は入り口で1人に一枚づつ「版画の絵葉書」をくれましたので、別には買いませんでしたが…。

出かけるのが遅かったものですから、お昼が遅くなってしまいました。「今たっぷり食べると晩御飯が食べれなくなるから、軽いものにしよう」と主人。私はお昼にたっぷり食べて、夜は軽くていいのですが、晩酌の楽しみな主人は夜を軽くは考えられない事のようです。

帰路キョロキョロト店を探しながら歩いていて「四国手打ちうどん」と言う看板を見つけました。「此処にしょう」と入りました。お店お勧めの「四国うどん」を頼みました。

刻みネギ、大根おろし、生姜、胡麻に酢橘と醤油を垂らして食べるアレです。確かにうどんはコシコシとして、噛み切りにくい弾力があり美味しいうどんでした。主人は「美味しい」といっていました。しかし私はうどんは汁に浸かっているほうがいいです。この食べ方は好きではありません。私はやっぱり関西のプチンと切れる柔らかいうどんが好きです。天麩羅かキツネうどんにすればよかったと後悔した昼食でした。


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團十郎の歌舞伎案内

2008年09月21日 | 読みました

            エンジェルストランペット
          近松門左衛門の墓所、広済寺の隣の
              近松会館にあります


              3mはあると思います
            上から下までびっしりの花です
            全然今まで気づきませんでした



朝から雨で今日の予定は無理かなと思いました。しかし出かける予定の時間の前には薄日が差してきましたので出かけることにしました。お盆とかお彼岸になると、其の需要を見越したように値の上がるお花を買い、家の彼岸花を8本添えて持って行きました。彼岸花のクリーム色がなんとも言えず墓石に合っておりました。来年はもっと沢山お供えできるように増やしていこうと思いました。

今日は朝からの雨で遠方からの方は来られなかったのか、15分も早く読経が終わりました。塔婆を一枚一枚読み上げるのです。遠くから聞いておりますとお父さんの読経の声、調子そっくりになってこられました。やっぱり親子って似るものなんですね。

お接待の「バラ寿司」を頂いて、もう一度墓前に…。傍のお墓にお参りしていた女性二人と私達とお話しました。彼女達がお参りしていたのは同級生のお墓だそうで、去年56歳で無くなったそうです。「美人でしたよ、不細工な私達が生き残りました」「美人薄命ですか? でもお墓に参っていただいて喜んでおられますよ。同級生がお墓に参ってくださることはめったありませんよ。お幸せな方ですね」

話すうちに出身が鹿児島であることが解った。1人は鹿児島本土、もう1人は屋久島から、まだ船に乗る離島だそうで、我本籍が屋久島であることを話すと、「XXさんが屋久島だったわね」と話しておられた。話から察すると皆さん鹿児島本土の高校か大学の同級生と思う。1人が「九州出身と聞くだけで嬉しいのです。お話できて良かった」と言われる。故郷を遠く離れているとそんなものなんでしょう。
私が「うわ!私より16歳もお若いのだ!」といいますと、暫くして「亥年?」と干支で換算。やっぱり田舎の人だな~とへんなことに感心。今彼女達の干支を数えると「卯年」らしい。



            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       團十郎の歌舞伎案内     12代目 市川團十郎

平成19年(2007)9月に青山学院文学部の日本文学科客員教授として「歌舞伎の伝統と美学」と言うテーマの集中講義をされた時のお話を本にされたようです。

この本を読んでいる最中でしたので、シネマ歌舞伎の予告編を見たときはとても嬉しかったのです。

本の中にも出てきましたが、オペラ座での公演のこと。「勧進帳」だったのですが外国人は「勧進帳」を余り好まないらしく「他のものを」と言う事でしたが、市川家の代表作は「勧進帳」と言う事で話を進め、結果は大成功だったというお話でした。

その「オペラ座公演の勧進帳」をテレビで見て、その日にブログに書きました。そうしますとパリ在住の日本人でオペラ座で勧進帳を実際見たし、テレビも見たという男性からコメントが入りました。ブログは見ようと思えば世界中のものが見れるとは真実なんだと、驚きもし喜びました。私も早速彼のブログに飛びました。それから、ニュージーランド、アメリカ等に住む日本人の方のブログも楽しんでいます。

歌舞伎の成り立ち、歴史、歌舞伎十八番、それを役者の立場から見た裏話等盛りだくさんに歌舞伎のお勉強が出来ました。この講義を受けられた青山文学部の皆さんはきっと感動されたことと羨ましく思いました。

歌舞伎十八番についてほとんど見ていることに気づきました。母に連れられて行った時はまだ小さくて題名などは覚えていません。大人に成って「あ~これだ」と知ったものはあります。しかし子どもながら名場面は覚えているものなんですね。母に説明を受けたのかもしれませんが…。こうしてはっきり知ったからにはもう一度自分の意思で見てみたいと思いました。團十郎さんのお勉強にも頭が下がります。いい本に出会いました。
コメント (2)
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