ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

風邪の神様お帰りで~す

2008年01月31日 | 今日この頃
            大阪城の新年
      城の一隅に 新年に此処を訪れる人を
        今年の干支が出迎えていました

今年の1月もあっという間に今日で終わり。干支のネズミの様にチョロチョロ、キョロキョロと暖かい寝床を捨てて出てまいりました。

食欲が出てきた昨日、おじやが食べたかった。姑が寝込んだ時、私は何時もお腹に優しいおじやを具を色々変えながら作った。其れは自然の事だと思っていた。でも自分がその年になって、作ってくれる人が側にいない今の自分を考えると、姑は幸せな人だったんだな~と思う。

でもまだ作る元気は無かった昨日、ではどうして栄養を取ればいいのか?考えた。あやこさんから頂いたチョコレートの中に1cmの玉の小さなチョコがあるのを思い出し、其れを一粒ずつ食べては神戸の水を飲んだ。チョコレートは滋養満点という事を思い出した。大きなチョコは空っぽの胃に強すぎるかなと思ったから。

作ってもらえないと嘆くより、では如何すれば良いかを考えるのが私の生き方。だんだんチョコ元気が出てきました。

早起きして、一番に土鍋でおじやを作った。平行しておぜんざいも。何故ならおじやの次にはおぜんざいに入ったお餅が食べたかったのです。お昼ごはんはバラ寿司少しとおぜんざいです。主人は吃驚したかも知れない「今日何でぜんざい?」

今度の風邪は何時もと違いました。「お腹にくる」とは聞いていましたが、それとも違ったようです。確かに膨張感はありましたが、これは「冷え」からのように思います。寝床を離れたときに少し咳き込むだけで咳も出ず、勿論鼻水も出ず、ただ背中の寒気と体内に留まる熱っぽさが二日間続きました。その間は食欲が全く無く、握り寿司を数個口にしただけで(意識して水分補給だけはしました)ただウツラウツラと寝ていました。

枕元にはテレビのリモコン、めがね、本等並べて置きましたが、手にする事はありませんでした。ただ浅い眠りを続けておりました。

眠っている時は現実の私と違った私がそこに居ました。旅行するときの夢が多かったのです。今夜の宿さえわからず、1人取り残されて迷子になったとか、仕方が無いので帰ろうと駅を訊ねるのですが、つい今下りたはずの駅が消えていたり、人に尋ねると何キロも先で、もう電車は無いと言われたり、出てくる人は昭和の初めにタイムスリップしたように男はカンカン帽、女は束髪だっりと、万事休す!と言うところで目が覚める。

実際の私はスケジュール表を作って、観光も最低2種類のルートは考えて、気象条件等で迷わないようにして、宿の連絡先は勿論記して、一通は自宅に残し、自分達も一通持って旅に出る。身体が病み疲れているときは心も病んでいるらしい。現実にはありえないことを夢見て苦しんでいる。

夢の狭間は唯目を閉じていた。すると今までの私の歩んできた道が次々と何の関連も無く現れる、その事に思いを馳せているとそのうち眠りに引き込まれる。歩んできた道も考え方はマイナス思考だ。「あ~すればよかった」「こうすればよかった」と否定的である。どうしようもなく落ち込んでいると又眠りに入っていくと言う2日間だった。

入院経験の無い私は考えました。入院するほど病んだら、病院のベッドの上でこの2日間のようにマイナス思考の日を送るのだろうか?外科のように日にち薬で快方に向かうのならいいけれど、先の見えない内科だと・・・。

そんなマイナスの事を考えるより今までたいした病気もせずに来れた人生に感謝しようよと自分に言い聞かせました。
                       (620回)
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私も負けた

2008年01月27日 | 今日この頃
          サンチカの春を呼ぶ花

大阪府知事選、橋下さんが勝った。大学の先生が負けた。

白鵬が勝った!朝青龍が尻あがりに力を見せて、悔しいけれど朝青龍の優賞かと諦めかけていた。でも今日の土俵下の白鵬はじ~っと下を向き精神統一を図っている様に見えた。かたや朝青龍の眼は右に左に落ち着き無く泳いでいた。もしかして・・・と思った。朝青龍は負けた。

大阪国際マラソン福士加代子さんの走りを見たいと主人が言うので、神戸にショリー先生と行く予定を変更して応援に行ったのに、私達が応援していた場所では往復とも2分差でぶっちぎりの1位だったのに、その後遅れ初め19位に沈んだ。彼女のダントツの勇姿を必死で写したのに、19位じゃね~、使い物にならない。トラック競技とマラソンは別物なのだろう。力の配分も考えなかったそうだ・・・。これは誰の責任。本人か?監督か? いずれにしても期待に答えられず、福士さんは負けた。

そして私はとうとう風邪の神様に負けた。


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まさちゃ~ん

2008年01月26日 | 思い出話
             チューリップ
           神戸サンチカの花壇
      今年初めて団体さんのチューリップを見た

たまちゃんと「由紀さおり安田祥子」のコンサートに行った。その前に「伊藤グリル」でランチをしようと提案してありました。

たまちゃんとの待ち合わせに少々早いが、彼女も何時も早いので、待ち合わせ場所に行ってみた。彼女は既に着いていた。

「伊藤グリル」に直行しました。何時も前を通りながら、入らなかったお店。勿論「食べ歩き」でも紹介されている有名店。二階に上がる。私達より前の人が入って直ぐ出てきた。「満席ですか?」「一時間で食べて頂けるなら、予約席を使っていただけます」と言う。私達は了承して、席に着いた。ランチは2000円と3000円があり私達は安価の方にしました。今日のメインディッシュはポトフでした。お肉もとろけるように柔らかい。前菜もスープもデザートもデミコーヒーも美味しかった。パンも美味しかった。たまちゃんはライスだった。時計と睨めっこの食事だったが、何とか急ぐ事無く食べ終える事が出来た。

調理場とレジを行き来しているコックさんを私はチラチラ何度も見た「似ている!」絶対この人だ・・・。お会計を済ませてから、私は訊ねた「貴方が、此処のご主人ですね」「そうですが」相手は不信そうに答えた。思い切って「貴方のお母さんは○○まさこさんですよね」「そうですが」「私は幼友達なんです。貴方は小さい時○○のおばあちゃんのところにいましたよね」「そうです。おばあちゃんもご存知ですか?」「ええ。知っていると言うより、まさちゃん(彼の母)と私は乳兄弟(女同士でもこういいますか)なんです。貴方のおばあちゃんのお乳を貰って私は育ったんです」「それではご近所だったんですね」「そうなのよ、私も元町4丁目で育ったんです」「まさちゃんは早くに亡くなってしまったから」「三十代でした。丁度今父が来ております」「私は何時も貴方のおばあちゃんの家で会っていたので、旦那様のことは知らないんです」「お名前を・・・」「旧姓は△△、今は××です」「又ごゆっくりと・・・」と店を出た。

私は「伊藤グリル」の名を聞くたびにまさちゃん息子さんの事は気になっていた。もう何十年も前になると思うが、テレビでコック姿の親子を見たことがある。そのときも「似ている!」と思った。

彼のおばあちゃんは色白の頬にくっきりと笑窪のある方だった。私が幼稚園ぐらいになっても「○○チャン。あんたはこの私のお乳で育ったんやで。だからまさことは乳兄弟や」と豊かな胸をチラつかせながら言っていた。

八百屋の女将さんで、気さくなひとだったから、まさこちゃんが結婚してからも時々覘いていた。まさこちゃんがお店で働いている間おばあちゃんが子供を預かっていたのだと思う。まさちゃんは長女で弟や妹が沢山いた。すぐ下の妹がようこちゃんと言ったと思う。

私も結婚して元町を離れてから疎遠になった。風の便りに「まさちゃんの死」を知って小母ちゃんを訪ねた。まさちゃんには下に女の子がいて、幼稚園に送っていって倒れてそのままあの世に行ってしまった。

「まさこは自分が死ぬとは思わない間に逝ってしまった」と私に語った。その言葉は強烈に私の心を打った。「まさこがいなくなってから、孫も来なくなって・・・」と寂しげだったのを思い出す。乳兄弟の私を見るのは辛かろうと私の足も遠のいた。今から思えば、会いに行った方が良かったかもと思う。私も若かったので上場しか見えてなかった。





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食べ物色々

2008年01月25日 | 思い出話
             躑躅の蕾
        此処にも春を待ちわびて・・・

ごとうさんから今日も新鮮な野菜を頂きました。その名は「サラダ・ミズナ」帰宅後直ぐに水に浸けました。しゃきっとした葉っぱを「紫蘇風味のドレッシング」で頂きました。後二回分ありそうです。ドレッシングを色々替えていただこうと思っています。

久し振りに「酢牡蠣」を食べました。この頃はなかなか「生食用」と書いた「牡蠣」が見当たらないのです。粗方「加工用」と書いてありますから「カキフライ」になってしまいます。今はパック詰めの牡蠣は水に浮いていますね。アレは水っぽいです。知らないときは私もアレを買っていましたが、この店の牡蠣は水に浸かっていません。だからとても美味しいです。少々お値段が張るようですが、少しでいいから美味しいものを食べたいのでこの店で買っています。この店でも「生食用」は牡蠣缶を開けたその日だけのようです。

昔、広島から牡蠣を贈って頂く時は缶入りでしたが、今も缶入りなんでしょうか?
先日の焼き鳥屋さんでは釜めしは「牡蠣めし」を頼みました。一人前で二人で食べます。昔は、二種類の具をとって半分っこしたものですが、今は焼き鳥の後、釜めし一人前は食べられなくなりました。

そういえば家では「牡蠣めし」は炊きませんね。どうしても残りますし、牡蠣の残りご飯は美味しくないような気がするんです。牡蠣ご飯は熱々を、もう少し食べたいな~位が一番いいような気がします。そ~言えば「牡蠣の土手鍋」もしません。カキフライにレモンをぎゅ~と絞って食べるのが一番好評なんです。

「牡蠣コース」「海老コース」「蟹コース」とか言って、初めから終わりまで、調理方法を変えただけのがありますね。アレは余り好きではありません。食べたのは「蟹コース」だけですが、城崎の西村屋で食べたのですが楽しみにしていた蟹のお刺身は出てきませんでした。

余り部鉄橋を見に行った時の民宿も「カニ」だったんですが、此処はカニをお刺身で食べたり、鍋に入れたりご自由にという事で新鮮そのものでした。私は初めてカニの刺身を食べました。透き通るような身はとろ~りと甘くて大満足でした。

帰りに一寸城崎に寄ったので、お店を覘いてみたのですが、民宿で食べたようなカニには無かったので、買わずに帰ってきました。西村屋さんでもお刺身が出なかったという事は、その程度のカニだったという事でしょうか。日帰りツアーでしたが、決して安いツアーではなかったと思います。ツアーのように余り大勢なのは考えものですね。カニが食べたくなったら民宿の方に行きたいな~と思っています。

民宿と言えば、先日のコンサートの練習でお話しするようになった方は、この2・3年、息子さん達と伊勢の小島の小さな民宿に泊まって、初詣はお伊勢さんと決まっていると言うお話で、その民宿もちっちゃな宿だそうですが、食べきれないくらいの新鮮な魚介類が出てくるんですって。宿のご主人が漁師さんで、つってきたものを食べさせてくれるんだそうです。帰りには来年の予約をしてくるのでと話しておられました。

聞いてるうちに思い出したんです。私が一度行きたいと思っていた宿に違いないと。何かで見て何処かに電話など控えてあると思うんです。探してみようと思います。

お伊勢さんと言えば「芦屋の焼き鳥屋さん」も初詣は日帰りのお伊勢さんだそうです。3時間ぐらいで行けるそうです。町の外れに大きな駐車場がありますし、そこから神宮までピストン運転の無料バスが運んでくれるそうです。

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らも

2008年01月24日 | 読みました
             ヤブラン
     春には赤紫の可憐な花をつけていたのに
         今はたくましいこの姿
          子孫繁栄のため・・・

ジムに歩いて行くとき、帽子を忘れました。頭が寒くて、耳がチリチリ痛かったです。温度が低くて、名残の雨が、かき氷のようにざらついてほんの数片舞い降りてきました。

一昨日の夜満月でしたお月様、今夜は?ベランダに出てみました。満月から二日後、肉眼にはまだまん丸です。とても綺麗で、見つめていたいのですが、寒くて風邪を引きそう、慌てて室内に。

有名人で会って見たい人。女の方では「桜井よしこさん」どんな反論にあっても沈着冷静、声を荒げることは無い。心が波立たないのか、頭の中には資料がいっぱい詰っていて、きちんと整理されていて、いつでも何処でも即引き出して言葉に変えられる様になっているのだろか。私達一般人の前でお話されることは少ないのだろうか?講演会があれば聞きに行って見たいと思う人です。十二単の髪型、お滑らかしの様な髪型が一寸気になっていたのですが、近年はその張りが少し抑えられましたから、一安心。

男の方では、直ぐには思いつかない。強いて言うならば「三国連太郎さん親子」かな?別にファンと言うわけでもない。映画も余り見ていない。どちらかと言うと若い頃の三国さんは余り好きではなかったし興味も無かった。近年何時のころからか「おっ!良い感じに年を取られたな~」と思うようになった。だからお会いしてみたい。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       らも(中島らもとの35年)  中島美代子

ご町内の歯医者さんの息子さんであると言うことで、興味を持ってらもさんの本を読んだ時期が在った。読まなくなってからも頭の片隅には「中島らも」と言う名はあった。実家の歯医者さんは実兄が継いで居られて、私も通っている。らもさんと顔が似ているのかな~と興味があるが、何時も大きなマスクをしておられるので解らない。

らもさんの実家だから通っているわけではない。今の先生(実兄)の小さい頃から知っている人が、入れ歯にしなくてはならなくなった時「小母ちゃん。入れ歯は保険の範囲でじゅうぶんやで、高いものを作っても、歯茎は痩せてくるから合わなくなる。保険の範囲で合わなくなれば作り変えるのが良いで」と言われたと言う話を聞いたとき、私も「中島歯科」に変わろうと思った。其れまでは高い材料を使う歯医者に通っていた。中島医院に変わって満足している。勿論主人も変わった。

中島美代子さんはらもさんの奥様です。35年間の生活の記録なんですが、余りにも道徳的には羽目の外れた生活で吃驚した。奥様は精神的に苦労をされているようですが、普通の人の方法とは違った形でその苦しみを乗り越えられたようです。

家族に物書きが居ると、何時何を書かれるかも知れない。とは良く耳にします。この本を読んでいて、此処まで書いていいの?事実を知った子供の気持ちは?とか、あまりに赤裸々故に考えてしまう。

らもさんの52歳の死はあまりに早すぎるが、ご両親が亡くなって後の事故、親不孝ではなかった。どんなに親孝行の子供でも親より早く逝くのは最大の親不孝であると思っている。我家の息子達は特別優しいとも思わないし、密に接触しているわけでもない。唯一残された親孝行の道は、私達より先に逝く事が無いように身体に気をつけて私達の最後を見送ってほしい。何しろ私達はもう少し二人で長くこの世に留まりたいと思っているのだから。
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カレーの日(4)

2008年01月23日 | 今日この頃
            春を呼ぶ盛り花
       カレーの会のオーナーの活けこみです
           こちらが本職で~す

深々と底冷えのする一日でした。インドの家庭料理の4回目です。お教室に行くと下ごしらえの最中にヒューズが飛んで電気器具が使用不可能だと言うのです。今は電化製品がどんどん増えて、あれもこれも一度に使うとこんなことになるようです。

そういえば、我家でも一度台所だけ点かないことがありました。玄関の配電盤に行くと、我家の場合は6個に分かれていて、台所の部分だけスイッチが下りていたことがあります。こんなことは阪神淡路大震災のとき以来でした。

卓上コンロを一つ買い足して2台になり(電子レンジなんですよね)、お湯はガスですから大丈夫で、あれこれやりくりしながら、無事美味しい家庭料理が出来ました。

★ほうれん草とカッテージチーズのカレー
カレーは茶色の概念をなくす。ほうれん草だからグリーンカレーです。前回に辛かったと言うので、香辛料を控えめにしたので、全然辛くないんです。私は家でも辛口カレーですから、一寸物足りない。辛ければもっと美味しかったと思います。其れが一寸残念!

★ポークビンダルー
豚のスペアリブのこと。広いインドの事、一地方では豚肉を食べるそうです。香辛料に漬け込んだスペアリブを冷蔵庫で一晩寝かせ、フライパンで蒸し焼きにするだけ。これが美味しかった。「いいかな~」と遠慮して見せつつ2切れも食べてしまって、まだ名残惜しげに残った汁をチャパティーに載せていただきました。

★カチュンバルサラダ
要するに、タマネギ トマト 胡瓜 コリアンダーリーフを細かく刻んで、ドレッシングで合える。

★チャパティー
主食はお馴染みチャパティー。延ばして、焼くのがだんだん上手になってきました。

★マサラテャース(ホットヨーグルトドリンク)
塩味のヨーグルト。私は普段でも甘い味で無いと食べられないヨーグルト。其れが塩味ともなれば、一口舐めて「ノー」。でも残したのは私だけ、身体に良いと言うし、勿体無いので、一息に飲み干す。胃の検査の時のバリュームを飲む要領、喉に流し込む。

★何時も楽しみなのが最後にショリー先生のおもたせの甘いもの。今日はインドの方がお食事の後に必ず食べると言う「ムクワーシュ(口直しと言う意味)」色んな所から出ているそうですが今日はチャンデン社製品。筒の中が5つに仕切られていて、夫々に2~3ミリ位の色んな粒が入っている、私の食べたのは、甘いお味で、香は思わずパフでお顔に叩きたくなるような、「化粧品の様な香」です。人によっては「石鹸の様な香」と言う人も居ました。後を引くこと強烈で何時までも口の中で香っていました。アメリカのチュウインガムの様な役目でしょうか・・・。

今度の日曜日(27日)ショリー先生の案内で神戸北野町にあるお店に(先日ショリー先生が一緒にテレビに出られた友人のお店)案内していただくことになりました。とても楽しみです。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

午後からは急いで家に帰り、喪服に着替えて知人のご主人様のお葬式に行きました。会葬者の中に久し振りにお会いする人も居て「ちっとも変わらない人」「あ~年取はったな~」と言う人にもお目にかかりました。

寒かったです。背中と腰にカイロを背負って行ったんですが足が痛いほど冷たかったです。ご主人様は85歳でした。この何年かは闘病生活だったようです。杖に支えられた知人が痛々しかった。
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又も、お箸使い

2008年01月22日 | 新聞から
           春を待ちわびる木蓮
        墨絵の様で幾何学模様のようで
            一寸お気に入り

今夜は満月。でもみえません。大寒のお月様って、どんなだろう?冷え冷えと静まり返っているのかな?と楽しみにしていました。見たかったのですが残念!変わりに雨がポタポタと重い感じで降っています。

店先はもう直ぐやって来る「バレンタインチョコレート」が山積みです。近頃は「本命」「義理チョコ」に加えて「マイチョコ」と言うのですか自分自身に買う女性が増えたそうです。「バレンタイン」と言う事で、色んなチョコレートが作られるからだそうです。私も目に付けば側によって見ることは見るのですが、買うことはありません。この時期の我家には、年末にあやこさんから頂いたチョコレートが沢山あるからです。

私はチョコレートは大好きなんですが、ケーキとかクッキーにチョコレートが入っていたり、コーティングしているのはあまり好きではないのです。アイスキャンディもですね。

ケーキは生クリームも余り好きではないのです。絶対食べないという事は無いのですが、タルトの様にしっかりしたケーキが好きなんです。だから余りケーキを買いたいとは思わないのですが、ケーキの好きな主人の為にたまには買います。何時もなら違った味を2種類買ったときは半分っこするのですが、ケーキの時だけはチョコレート味の好きな主人のケーキとタルトの好きな私とが半分っこすることはありません。

食べ物のお話のついでに、もう一度「お箸の持ち方のお話」。
「親は教えたつもりだが・・・」と言う題でこんな記事が出ていました。

『先生がPTAの役員さんと相談して、同じ文面で親子別々に生活に関するアンケートをとったそうです。本来なら同じ数値の答えのはずが違うものがあった。

1年生の親への質問。「お箸の持ち方を教えましたか」男の子の親は98%、女の子の親は95%が「はい」と答えました。子供の答えは、男の子は「ならわなかった」が多く、女の子は、男の子に比べて習ったことを覚えているそうです。

親は「教えている」と思っているのに、子供全体では25%は習っていないという。女の子は男の子に比べると少なく、「ならっていない」と言ったのは10%ぐらいだった。

子供の躾は、機会を見て、なんかいも丁寧に教えないと身に付かない様だ。親が「教えたでしょう」としかっても、子供は忘れているのだ。』

遍路オフ会の竜馬さんのブログに、先日お孫さんの記事が出ていました。2歳過ぎの男の子さんなんですが、普通の食べ物のときはまだスプンだそうですが、おうどんを食べるときは「エジソンの箸」と言うお箸を正しく持つ手助けをする器具を使って、上手に食べれるようになっている。と言う記事を読みました。

上記のアンケートの件でも、竜馬さんのお孫さんの件でも、「お箸の持ち方」と言うのは、いかに「目を掛けて育てられているかの証しである」と私が思っていたことが間違っていなかったと嬉しくなりました。

と言って、私が息子達に「お箸の持ち方を教えたか」に「イエス」と断言できないのです。私自身「お箸の持ち方」を教えられたと言う記憶が曖昧だし、「お箸を正しく持つのは自然のこと」と思っている私が、何度も教えたとは思えないからです。

近頃は日本食ブームで、外国人でもお箸を正しく使っている人が沢山居られます。だとすれば正すのは大人に成ってからでも遅くないのではないでしょうか、大人になれば本人の意識の問題だと思います。
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一瞬の風になれ

2008年01月21日 | 読みました
            キャッツ・テール
         此処にもあったよ 春を待つ蕾
      猫の尾っぽの様に 小さな房に下がって咲く
       どのように房になっていくのでしょうか

今日は「大寒」ですって、昨日の天気予報でな夜のうちに雪が降ると・・・
朝起きてそ~っと窓を開けたんですよ。全てを覆って真っ白になっているお庭をイメージして。何~だ、其処には枯れた芝生、生き生きとした雑草、全てを覆い隠してくれるはずの雪は? 何処にもない。起き抜けに主人もそ~っと窓を開けてがっかりしたんですって。雪国の方からすれば「何を暢気な」と思われるかもしれませんが、めったに雪など見れない私達は楽しみにしていたんです。

関西でも息子達が小学生の低学年くらいまでは年に数回は降っていたんです。幼稚園に行く前に近所の子も集まって小さな雪だるま、枯れ芝がいっぱいくっ付いて居るけれど、喜んで作っていたのです。成人してからも何年かに一度かは降ってきて、子供が見向きもしなくなって私達が作っていました。降らなくなってもう何年かしら、早く降ってくれないと、私達も雪だるま作れなくなるよ~。

           ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

        一瞬の風になれ 全3巻  佐藤多佳子

       2007年度本屋大賞第1位に選ばれました。
         第28回吉川英治文学新人賞受賞作品

    本屋大賞:全国の書店員が選んだ、一番!売りたい本

長~く待って、やっと順番が回ってきたのが、旅行に出る数日前、借りても2週間で返さなければならない。如何考えても3冊は読めない。図書館に行って、その旨はなして、もう一度申し込みなおすことにした。又気の遠くなるくらい待たなくてはならないのを覚悟して。案外早くに手元に届いたが、今度はコンサートにぶつかってしまった。練習の為出歩くのが多いので、読みきれるかと心配だった。見たいテレビは全てビデオ録りにして、夜はひたすら読み続けた。其れが苦にならないくらい私を引き付けた。

一口に言って、高校生の短距離ランナーの成長過程である。ひたむきに走る。全精力を掛けて走る。青春の一時期をひたすら走る。私の様に文系人間には、これほどの練習量も、報いられる喜びも無かった。体育系の人はこんな喜びを体験していたのかと今更ながら一寸羨ましい。

マラソンでも駅伝でも今は楽しみに見ている。でも昔からと言うわけではなかった。何故見る様になったのかは思い出せない。

スタートでフライングを二度すると失格という事は知っていましたが、同じ人が二度フライングすれば失格と思っていました。ルールが改正されて、今は一度目は誰がしようと2度目にフライングした人が失格になるんだそうです。この本を読んで始めて知りました。何だか理不尽なような気もしますが、どんな理由でこうなったのでしょう。

走るレーンの位置はどうして決まるのだろうか?抽選かな?何て考えていましたが、その答えをこの本で知ることが出来ました。タイムの良い人が中央のレーンの位置につくのですね。素人目にも内側のコーナーはきつくて回りにくそうですし、外側はカーブが大きすぎます。中ほどのよりよい位置にタイムの良い人を据えて、より良いタイムが出るようにするとは、流石0コンマ何秒の世界だな~と思いました。より速く!の世界ですね。

「走る」という事だけでこんな長篇が書けるものだと感心し、主人公と一体になって悔しがったり、喜びに涙したりの読書でした。
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走る走る!

2008年01月20日 | 今日この頃
            斑入りの沈丁花
        此処にも春を待っている花が・・・

夕方から雨・・・、昼前にもうお日様はないていました。冷た~い一日でした。予告より早く雨は降り始めました。

テレビで男子駅伝を点けましたら、広島は既に雨でした。時として写しているカメラに雨粒が張り付きます。中学生から社会人まで、中学生といえば本当にまだまだ幼い顔、高校生といっても幼ければ高一かな~とか考えながら見ていました。昔は男女とも運動をする人は「天は二物を与えず」と言う顔の方が多かったように思いますが、今日見ていましても端正な顔、愛らしい顔と美男の人が増えました。

やはり郷土愛で「兵庫県」を応援です。兵庫の第一走者、注目の人が一番後ろで走っていますと、解説者が「後で追い抜いて前に出る作戦だと思うのですが、例え○○君でも、もう少しトップとの差を詰めておかないと、トップを窺えない」と言うようなことを言っておられました。確かにづんづんと前に出てきましたが、第二走者への襷渡しも3着だったようです。兵庫県は抜きつ抜かれつ3着。大会は今年で10回目ですが、兵庫県のように連続10年間、好位置に居る事は凄い事なんだそうですね。デモね、やっぱり一等賞ですよ。来年はがんばれ!兵庫県!!

一日中うとうとしていました。本を読みながらうとうと、駅伝を見ながらうとうと。1.2年前までは、うとうとする自分を心配したり、恥かしかったりしていたんですけれど。今は快く許してやります。何故こんなに眠くなるのか?考えました。間違っているかも知れませんけれど、結論を出しました。

眠くなるのは、自分の体力以上に何かをしたときです。だからその時々で場所が違っても、何処かに重い負担が掛かっていて、ダメージを受けている。そのダメージ修復の為に、体の持ち主である私を動かないように眠らせておいて、コビトさん(白雪姫と七人のコビトの様な)が修理してくれているに違いないと思うようになったのです。眠りから覚めた時、薄紙を剥ぐように体力が戻ってきたと感じるからです。だから眠いときは眠って、コビトさんが働き易いようにしましょう・・・と言う考えです。「亀の甲より年の功」の考えでしょう?

夕食後もうとうと、今もうとうと。2.3日は掛かりそうです。コビトさんにしっかり働いてもらいましょう。

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一夜明けて

2008年01月19日 | 今日この頃
           JR芦屋駅前のネオンの華            

やはり疲れていたのでしょうか、目が覚めると8時半でした。昨夜はまずお友達にお礼のメールを書きました。それからブログを書き始めたのですが、気がつくと居眠っていました。でも頑張って書き上げました。寝床に入ったのが真夜中の2時、目覚めが遅れたのは仕方が無いかな~と自分に優しい。

青空を見て、終わったんだ!もう風邪を引いても咳が出ても気にいなくていいのだ!嫌いなマスクともお別れだ!

誰が命令したわけではない、自分で進んで取り組んだ事なのに、ゲージから飛び出した鳥の様に、限りない青空を飛び回りたい気持ちです。やり遂げたという満足感と自由になったという開放感とを胸いっぱいに感じて空を見上げました。

風邪を引きやすい体質から身を守る為に、風邪薬にも頼りました。一寸の変化も見逃さず一服飲む。今日からは薬に頼らず、ウガイだけでいいわね。見たい映画も行っていいわね。何も考えないで出たとこ勝負の元の生活に戻ったんだわ。自分で自分を縛るという生活、緩みそうになる縄を何度〆直した事でしょう。

参加された皆さんは、ただ楽しまれただけかもしれません。過っての私もそうでした。約束を守ろうとする気持ちが人一番強いのです。でも其れが可能な時期は過ぎつつあるようです。だからキャンセル可能な事しかお約束をしないようになり、その日の体調を見て行動出来る1人の行動が増えました。これは私にとって難しい事ではありません。今までにもしてきた事ですから。

今度の場合も、ソリストではないコーラスの一員なんですから、そんなに重要に考える事ではないのでは?と言われそうですが、其処が性格、私への友情の為に大切なお時間を割いて、寒い中を来てくださったお友達に、元気で歌っているところを見ていただきたいと思う心が強かったです。

何はともあれオーケストラをバックに歌うなんて、素人の経験できる事ではありません。得がたい経験をさせて下さった校長先生とのりこ先生に感謝しております。

夜、芦屋に焼き鳥を食べに行ってきました。主人が「無性に焼き鳥が食べたい」と言うのです。実は先週も「いこか・・・」といわれたのです。でも夜に出歩いて風邪でも引くと困るので「18日の本番が済むまで駄目」と言ったんです。

私も2.3日内にとは思っていたのです。でも昨日が終わって早速です。「う~ん」と考えたんです。「月曜ぐらいで良いんじゃない」とも思ったんです。でも前日のオケ合わせの日も、当日の昨日も「おでん」を1人で食べてもらったんですし「いこか」と返事しました。考えてみれば外食した方が、何も作らなくていいし、後片付けもしなくていいし楽チンだったんです。

勿論今年初めてです。初めは私達だけだったんですが、私達より少しお年上のご夫婦が入ってこられました。主人はタバコを吸いながら(L字型に座った)お隣の奥様が厭なんではないかと心配だったんですって。それなら吸わなければいいのにね。ところが奥様が吸いだしたんで「ホットしました」と言う事で話をするようになりました。

旦那様は吸わないのかと思いきやパイプを出してきて「私はこれなんですよ」「タバコの葉は何処で買われますか?」などと話が続きます。話しているうちに、神戸の同じ店で買っている事、この焼き鳥やの店の神戸時代からの常連である事。そのオヤジさんの話等にも共通点が多く、楽しい会話が弾みました。「又お会いできれば・・・」同じ世代の人間が、共通の話題に心弾んだ楽しい夜でした。
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