ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

介護

2006年10月20日 | 気にかかる
            (神戸花鳥園)
        ストレプトカーパス最後の一枚
        葉ざしで増えるので、探したが
          一枚も落ちていなかった

私の住む市にも知らぬ間に福祉関係の建物が建って、営業が始まっている。それが公的なものか個人経営なのかは私には分からない。その場を利用したい人は大勢いる。生活の場であったり、デーサービスのみだったり、その複合だったりと色んな形があると思う。

建物が出来て利用希望者が増えるのに、そのお世話をする看護師、介護師が足りないという。一時若い人のなり手もあったが、今では先細りで、介護師を育成する学校すら定員割れと言う状態だそうだ。

何故そうなったか。緩やかな景気回復の為に多方面の就職が可能になったから、
「しんどい仕事、その上賃金が安い」となれば激減するのも無理は無いだろう。

介護保険からの人件費をこれ以上出す可能性は無いらしい。さすれば国からの補助金の増額か、個人負担金の値上げと言う事になる。国からと言っても元を正せば税金である。個人負担増額と言えば、何の為に介護保険を払ってきたのか?と言う事になるだろう。

介護保険:
高齢者などの介護を公的に保障する為の社会保険。公費および被保険者(40歳以上の国民)の保険料を財源として、被保険者が介護を必要とする状態と認定された場合に、介護サービスなどの給付を受ける。市町村が保険者となり運営にあたり、サービス料金の一割が自己負担、9割は保険からサービス提供事業者に支払われる。

公的に保障するお金は、消費税から得ているのだろうか?1988年に制定された時、税は福祉に使うと言っていたように思うが、それが実行されていれば、志を持って看護師、介護師になってくれる人もいるだろう。いかに志を持とうとも生きていくだけの賃金の安さでは人は集まらないだろう。

消費税は他のやりくりに使われていると思わざるを得ない。

其処でフィリッピンとの自由貿易の交渉で、看護師、介護師を600人来てもらう約束が出来たらしい。希望者は多いという。

手始めとして、日本に滞在している、フィリッピン人を50人集めてヘルパーの講座を開き1年でヘルパー2級の人を養成している。此方は日本語が出来るのでスムースに行われている。希望者も多いと聞く。

「今の日本では親は子の世話にならないと言う気風だが、フィリッピンではどうか?」と言う問いに、会場の女性が口を揃えていった「たとえ親がそう言っても、親の世話はする」と昔の日本がまだ其処にはあった。

何故賃金が低いのか?「過って親の世話は家庭でする物であったから」と言う答えだった。

日本人にとって低賃金でも、フィリッピンではそれなりの貨幣価値を持つのだろう。アメリカ等他国にも派遣しているが、日本への希望者は多いそうだ。フィリッピンでは第一外国語は英語なので言葉の問題はまず無いと思っていたのが、看護師、介護師として出てくる人の中には話せない人もいるようだ。これが日本語となれば全員と言ってもいいだろう。

その上にに3K(穢い、きつい、危険)の仕事を他国の人に委ねていいのだろうかと考えてしまう。それがたとえ相手が喜んでしてくれるとしてもだ。

私も経験があるが、結婚したからと言う理由だけで、本当は他人の姑の世話をしたくない、人任せにしたいと思う気持ちは良く分かるが、だからと言って・・・と考えが堂々巡りする。因みに名目は忘れたが、姑を自宅で看取り、自分の時間を持てない日々の公的に支給されたお金は1ヶ月500円(27年前)だったオムツ2袋の値段である。


コメント (4)
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